2013年12月29日日曜日

『 第2回 浄化実践講習会 』 のお知らせ

2014年2月1日に開催する、
第1回 浄化実践講習会 』 は、おかげさまで、募集定員に達しました
ありがとうございます。

お申し込みくださった みなさま、
お会いできることを 楽しみにしています。


第2回 浄化実践講習会 』 を、
2014年3月1日(土)に 開催いたします。

詳細・お申し込みは、
こちらの 『 浄化実践講習会 』 のサイトで、お願いいたします。

お会いできることを 楽しみにしています。


 集合人編集局 裕子・ひで


2013年12月22日日曜日

捨てられないとしたら、痛んだ記憶があるから

 (「 欠点こそが、宇宙にとって一番必要なもの 」の続きです)

 でも、この文明の中で、私たちは、
  「その欠点を正せ」
  「偉い人になれ」
  「自分以外の者になれ」
  「今から違う者になれ」
 と教え込まれたわけですね。

 ぜひ今、
  「自分には欠点があって、それを何とかしたい」
 という考えがあったら、
 そんなもの、捨ててしまってください。

 大丈夫ですか?(笑)
 いらないんです!

 捨てられないとしたら、
 痛んだ記憶があるんです、
 エネルギーがね。

 今世か、過去世かは、別として。

 で、そういう人は、
 これは、そのエネルギーを取る以外無いんで、
 ぜひ、お金高いかもしれませんが、
 個人セッションに来てください(笑)

 で、ワークの中で、パッと捨てると、
 パンって変わります。
 捨てると、変わります。

  「なんだ、こんな簡単なことだったのか」
 って、ビックリするでしょうね。

 え~、みなさん変わってますから(笑)

 「分かっちゃいるけど、やめられない」人は、
 そのぉ、意外に簡単なんですね。

 パッと脱ぎ捨てれば、パッって変わります。


津留晃一 講演会CD『 』 より

2013年12月21日土曜日

欠点こそが、宇宙にとって一番必要なもの

(「 神が、「『神ならざる者』に成る」以外に 」の続きです)

 もういっぺん、言いますよ。

 神が、自分の完全さを喜びとして感じたかったから、
 不完全な者に成ったわけですね。

 で、私たち全員、違う欠点を持っているんです、実は。

 一人ひとり、全員、違う欠点を持ってます。

 それが、存在理由なんです。

 すなわち、神から分離した時に、
 私たちが抱いた欠点、
 これこそ、宇宙にとって、もっとも必要なものなんですね。

 みなさんがたの欠点は、
 宇宙にとって、一番必要なものなんです。

 だから、それを克服しようとか、変えようとかするのは、
 神に対する冒涜(ぼうとく)なんですね(笑)

 うまく行くはずがありません。

 困るから、こっち(神)は。

  「おい、やめろよ」
 って言って、
 うまく行かないんです。

 欠点克服した人なんか、いないはずですね。

 だから、
  「欠点があるから、喜びが生まれるんだ」

 だったら、どうすればいいのか?

 丸まま、認めればいいんです。

 目の不自由な人は、この目を治そうと思ったら、地獄ですね。
 他人のことは、よく分かるでしょ?

  「目の不自由な人は、目の見えない状態を楽しめばいい」
 って、分かるでしょ?

 ところが、自分のことは、
 欠点を直そう直そうとしたり、
 それから、旦那の欠点を直そう直そうとしたりしますよね?

 他人の欠点を直そうとするのは、
 「自分の欠点を直さなければならない」という誤解から来るわけです。

 「欠点こそが、神に与えられた栄光である」
 「私は、このまま、ここに居る」

 だから、克服すべき欠点なんか無いんです。


津留晃一 講演会CD『 』 より


2013年12月20日金曜日

神が、「『神ならざる者』に成る」以外に

 もう一度ここで、念のため、
 「欠点」について、
 お話したいと思うんですけれども。

 私の言う「欠点は無い」というのは、
  「『克服したり、修正したりすべき』欠点は無い」
 と言ってるんですね。

 え~、ある意味で、事実として、
 私たち全員、欠点を持っています。

 「どういう欠点か」というと、
 この、"こちらの世界"ですね、
 この『神の世界』とか『無の世界』とか言います。
 当然、ここは「パーフェクトな世界」ですね。

  「完全なものが、なんで人間に成ってきたのか?」
  「どうして力を無くして、ここに居るのか?」

 この答えに当たるんですけれども、
 聞いたことあるかもしれませんが、
 え~、もう一度説明します。

 私には、この5本の指がありますね。
 これは、完全に機能してます。

 私のこの5本の指は、
 手という観念・価値観の中で、
 パーフェクトに機能しています。

 みなさんの手も、そうだと思います。

 でも、私はそのことを嬉しいとは、
 普段、思いません。

 今まで、どういう時、
 この完全であることが嬉しかったかというと、

 中学生の時、
 この2本の指を突き指しましてね、
 1ヶ月ほど使えなかったんですね。

 で、使えるようになった時、
 もう、こころから
  「よかったなぁ」
 と思いましたね。

 いわゆる、
  「『完全である』という喜び」
 を感じたんです。

 もともと完全で、
 最初から完全であって、
 そのことに何の喜びも無かった。

 ここ(神の世界)と同じなんですね。

 まず、存在してたわけです、
 神として。
 完全な存在として。

 喜びなんか、あるはずありません。

 私は、手が、突き指という不完全になった時、
 その時に、
  「あぁ、よかった」
 という喜びが生まれました。

 喜びは、
 この『不完全さ』から、生まれて来たんですね。

 神が、神自身を知るのに、
 「『神ならざる者』に成る」以外に、
 自分の喜びを知る術は無いわけです。


津留晃一 講演会CD『 』 より


2013年12月19日木曜日

皆既日食という『偶然』

This illustration was made by Luc Viatour
  

 「皆既日食」は、
地球から見て、
太陽と月の大きさが、(ほぼ)同じ大きさに見えることから、
起こる現象です。

太陽の直径は、月の直径の、
ほぼ400倍(≒400.460倍=1,392,000km/3,476km)あるのですが、

地球から太陽までの(平均)距離が、
月までの(平均)距離の、
ほぼ400倍(≒389.172倍=149,598,000km/384,400km)と同じため、
地球から、(ほぼ)同じ大きさに見えます。

また、
月の軌道が、正円ではなく楕円なため、
地球から月までの距離は変化するので、
あるときには「皆既日食」が見られ、
またあるときには、あの「金環日食」が見られたりするのです
(正確には、地球の公転軌道自体も、楕円です)。

さらにまた、
月というのは、
地球の衛星としては異常に大きく、
本来なら、木星くらい大きな星の衛星の大きさなのだそうです。

(参照サイト:『 月と太陽の偉大な一致 』)


「太陽」と「月」という、
地球にとって、もっとも身近で重要な二つの星が、
地球との関係において、
このような位置に存在し、
このような大きさで存在している、ということ。

なんという『偶然』なのでしょう!!!

宇宙というものが、
偶然に生まれ、偶然に存在し、偶然に存在し続けているにしては、
あまりにも『驚異的』な『偶然』ですね ^^


普段、どうしてもエゴが働いてしまうのは、
基本的には、
やはり、『恐れ』から、だと思います。

 外に見える『世界』というものが、厳然として存在し、
 その外なる『宇宙』というものは、偶然に生まれたもので、
 そこには、なんらの『意思』など存在していない。

 宇宙は、ただ、存在しているのであって、
 それを生み出し、運営している『意識』など、ない。

そんな、世間一般の、現代科学の『常識』を、
自分にとっての『当たり前』として握っていれば、

当然ながら、世間一般同様に、
 『自分』という、全体とは別個の、独立・孤立した存在は、
 『自分の力』でどうにかしなければ、
 幸せになることも、安全であることも、
 場合によっては、存在し続けることすら、
 不可能である。
という認識になり、

そんな認識が、
エゴを働かせてしまうのだと思います。

そんな『恐れ』が、自分の中に湧き出でて来たとき、
僕の頭には、
いつも、反射的に、
この、「皆既日食という『偶然』」のことが、
湧き上がってきます。

2013年12月18日水曜日

『 第6回 津留さん交流会 』 追加募集の お知らせ

12月22日(日)冬至の日 に開催する、
『 第6回 津留さん交流会 』 は、
キャンセルの方が 出たため、
1名の 追加募集を いたします。

詳細・お申し込み は、
こちらの 『 津留さん交流会 』 のサイトで お願いします。

急な ご案内で 申し訳ありませんが、
どうぞ よろしく お願いいたします。

追記:
 お申し込みは 締め切りました。
 おかげさまで、ありがとうございます。 (12月18日)


2013年12月15日日曜日

『第1回 浄化実践講習会』の お知らせ


浄化初心者の方々を対象に、
浄化テクニックのご説明および実演を行う講習会を、開催いたします。



『津留さん交流会』や 個人セッションで、
浄化について ご説明した際に、
何度か、次のような言葉を お聞きしました。

 「文章だけでは、よく分かっていなかった」
 「実演してもらって、よく分かりました」

津留さんの講演会DVD 『幸せテクニック講座』 をご覧になっておられれば、
津留さんが、動作を交えて、浄化の説明をしていたり、
実際に 浄化の誘導・指導をしているので、
浄化のやり方も、よくお分かりになる と思いますが、

ご覧になったことが なければ、
文章を読むだけだったり、CDを聞くだけでは、
そのやり方も、なかなか、お分かり いただきづらい かもしれません。

そこで、
 「これから浄化を始めよう」と思ってらっしゃる方
あるいは、
 「浄化をやってみたけど、どうも上手く行かない」とお思いの方
 「M2など、浄化テクニックのやりかたが、いまひとつ分からない」方

そんな、浄化初心者の方々を対象に、
浄化テクニックのご説明 および 実演を行う 講習会を 開催いたします。

浄化について、
その基本となる考え方のご説明や、

浄化テクニックについて、
M2をはじめ、津留さんが個人セッションで よく使っていた方法など、
数種類の方法を、実演しながら、ご紹介します。

また、参加者のみなさまには、
実際に浄化を体験していただきたいと思います。

ご興味おありの方、どうぞご参加ください。

詳細、お申し込みは、
こちらの 『 浄化実践講習会 』 のサイトで、お願いいたします。

お会いできることを、楽しみにしています。

 集合人編集局 裕子・ひで


2013年12月14日土曜日

モニター個人セッションの感想(続き)

モニター個人セッションをさせていただき、
その時の感想を、先日、書きましたが
(「 モニター個人セッションのご報告 」)、

その記事を自ら読み直してみて、
書き忘れたと思ったことが、二つ、ありましたので、
ここに、記します。


ひとつは、「子供時代の重要性」についてです。

このことは、ちょうど昨日読んでいた、
津留さんの、浄化に関する本『幸せテクニック』にも、
はっきりと書いてあったのですが、

子供時代に受けた感情や価値観が、
その後の人生において、
大きく大きく根を張っていて、

特に、親から受けた影響は、
顕在意識で認識しているよりも、
はるかにはるかに大きく、

恐れの根本や、痛みの根っこは、
あるいは、自分にとっての当たり前である価値観は、
ほとんど、そこから得ている、
と思われていいかも知れません。

言い方を換えれば、
大人になった、今、抱えている問題の、
根っことなるエネルギーブロックは、

そのほとんどが、
子供時代に受けた感情や、
子供時代に握った・握らされた価値観である、
ということです。

もちろん、
あくまでも「ほとんどが」であり、
あるいは「ほとんどのケースで」であり、
「全てが」「全てのケースで」とは言いません。

ただ、今回のモニターセッションで、
僕が聞いていた範囲では、
「ほとんど」、そうでした。

ですから、ご自分で浄化をされる際には、
ぜひ、子供時代のことをよく思い出してみられることを、
お勧めいたします。

特に、ご自身と親御さんとのご関係や出来事、
ご両親お二人の間の関係、
あるいはご兄弟とのご関係などを、
よ~く思い出してみてください。

おそらく、何か、大きなものを見つけられると思います。


さて、もう一つは、
いま、上で述べたこととも関連してるのですが、

普段から、湧き上がってくる感情の浄化をしている方でも、
それだけでは、なかなか見つけにくいエネルギーブロックがある、
ということです。

先のモニターセッションでは、
下のようなご感想をいただきました。

 「いつもは自分で浄化しているのですが、
  どうしても日常の中で表面に出てくる観念と感情の浄化に、
  追われてしまいます。
  ずっと胸の奥に忘れ去られていた大きなものが、
  裕子さんとの対話の中から、見事に引き出され、浄化されました。
  ああこのために個人セッションに来たんだ、とわかりました。」

僕がモニターとなって受けたセッションでも、
僕がまったく意識していなかった点を、
妻が見つけ出してくれました。

特に、根っこにある、根本原因となってるような、
根深い感情や価値観は、
一人では、本人では、なかなか見つけにくく、

個人セッションのように、
第三者がお聞きしてみると、
意外とよく分かる、くっきりと見えてくる、
ということです。

悩みや問題についてお話されているのをお聞きしていて、
その上で、子供の頃の人間関係などをお聞きすると、

その問題を引き起こしている、
あるいは、それを『問題』と認識させている、
原因となるエネルギーブロックが、

ご本人は自覚されていないけど、
こちら側には、はっきりと見えてくることが、よくありました。

 「自分のことはよく分からないが、他人のことはよく分かる」
ということだと思いますが、

個人セッションをさせていただく意義・意味のようなものを、
再確認させていただけたました。
そして、少し、自信をいただきました。


以上、ご参考にしていただければ幸いです。

2013年12月12日木曜日

『津留さん交流会』の「キャンセル待ち」について


まずはじめに、
『津留さん交流会』の開催に関して、
お詫び申し上げます。

主催側の都合で、
月1回しか開催できず、
定員も10名で、
しかも、おかげさまで、短期間で募集定員に達してしまい、

みなさまには、なかなかご予約いただけない状況であることを、
たいへん申し訳なく思っています。

交流会を始める決断をした、わずか半年前には、
 「いったい、何名の方が集まってくださるのだろうか?」
 「そもそも、ご希望される方は、いらっしゃるのだろうか?」
と、不安になっていたことを思い出すと、
とても嬉しい、とてもありがたい状況です。
みなさま、ありがとうございます。

そして、そのような状況から、
何名かの方から、
「キャンセル待ち」のご要望をいただきました。

ですが、重ねて申し訳ありませんが、
キャンセル待ちは、当面、お受けいたしておりません。

 「定員に達したら、募集を締め切り」
 「キャンセルが出たら、追加募集をする」
という形が、一番自然で、一番委ねた、
一番総意の働きやすい形だと想うからです。

『津留さん』の交流会、という性質上も、
このような形が良いのではないかと想います。

またそれは、
お申し込み側のみなさまと、主催側の私どもの、双方にとって、
負担が少なく、拘束が少ない、
ということでもあります。

以上について、みなさまのご理解を賜われれば幸いです。

今後も、少なくとも月1回は、
交流会を開催したいと思っておりますので、
ご都合の合われたときに、ご参加いただければと存じます。

また、交流会以外にも、
いくつかのイベント・会合などを企画中で、
みなさまにお集まりいただく機会を増やしていく予定ですし、

個人セッションも始めますので、
個別に、ご質問・ご相談にお答えする機会もございます。

以上、どうぞ、よろしくお願いいたします。

みなさまと、お会いできる機会がございますことを、
楽しみにいたしております。

 集合人編集局 裕子・ひで


2013年12月11日水曜日

モニター個人セッションのご報告

11月22日から、12月10日までの間、
これまでに『津留さん交流会』にご参加くださった方々のうち、
計11名の方に、モニターとなっていただき、
モニター個人セッションをさせていただきました。

モニターとしてご協力くださったみなさま、
本当にありがとうございました。

10月には、僕が、2日間、モニターとして、
個人セッションを受けましたので、
妻としては、述べ13名分の個人セッションをいたしました。

さて、僕は、
11名のうち、8名の方のセッションに同席させていただき、
うち5名の方のケースでは、
積極的にご質問をしたり、ワークの選択・誘導もさせていただきました。

たいへん勉強になるとともに、
たいへん貴重な体験をさせていただきました。
改めまして、みなさま、ありがとうございました。

妻が、すでにブログに書いていますが、
クライアント役のみなさまは、
プラクティショナー役の私たちの、文字通り『鏡』であり、
私たちの内側に存在するブロックと同じものを握り、悩まれていて、

そして、大いなる存在が、
クライアントさまを通して、私たち二人に、
 「まだ、そのブロックを持ったままでいいのかい?」
 「こんなブロックを持っていたことに、気づいていたかい?」
と、語りかけているかのようでした。

また、
みなさまのお話をお聞きしていると、
人が、いかなる事に悩み、いかなる事を問題として認識し、
そして、それに対して、どのように対処しているのか、
特に、どのように、どのくらい、『思考』を使っているのかを、
とてもはっきりと知ることができました。

また、どの方のケースにおいても、
その『問題』が、その方の内なるブロックに起因していることが、
はっきりと、認識・確認することができました。

 「津留さんの言っていたとおりだ...」
と、感心しました。

津留さんの言動の中に漂う「自信」の根拠を、
わずかにですが、理解することができました。

そして、もうひとつ。
みなさま方、お一人おひとりが、
これまでに歩んでこられた道のり、
今現在歩まれている道のりが、
本当に、険しく、厳しく、

自分が、いかに恵まれた環境に生きてきたのか、
ということを思い知りました。

これまで自分に関わってくださった全ての方々へ、感謝の念が湧くとともに、

全体たる『私』の一部として、そのような厳しい役割・配役を、
自から選択し、体験してくださった・くださっている、
みなさまお一人おひとりに対して、ありがたい気持ちになりました。
ありがとうございます。

さあ、もう「準備」は終わりです。

津留さんが、個人セッションを始めると決めた時には、
具体的に、何をどうすればいいのかについて、
何一つ、分かっていなかったそうです。

ただ、
 「『内なる神』が、全部知っている」
という、確固たる信念だけが、あったのだそうです。

それに比べれば、
私たちには、津留さんが遺してくれた、
本があり、CDがあり、DVDがあります。

そして、今回、
モニターを受けてくださったみなさまからいただいた、
貴重な実体験があります。

年の明けた来年から、
個人セッションを始めます。

それまでの間、そしてその後も、
日々、精進し、
しっかりと、みなさまのお手伝い・サポートができるよう、努めます。

特にご希望のない限り、基本的に、
「裕子&ひで」の二人で、
セッションに当たらせていただきます。

感性・右脳・女性性・本質は男性性・共感・受容の 裕子 と、
理論・左脳・男性性・本質は女性性・観察・確認の ひで とで、
互いに補い、足し合い、削り合いながら、
みなさまのブロックの浄化のお手伝いをさせていだたきます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

2013年12月4日水曜日

神たる『創造力』

津留さんのDVDやCDを観て聴いていると、
その中で、とても多くの方が、ご自分の悩みを、
津留さんに、質問・相談されているのですが、

それらを聞いていると、
本当に多くの方々が、実に様々に、そして見事なまでに、
「想っている通り」を体験されていることに、驚かされます。
あまりにも正確で確実な、その体験ぶりに、驚嘆させられます。

 「トカゲが嫌い。見たくない」
と想ってらっしゃる方は、
飼い猫が、3日に1度、トカゲをくわえて来たそうです。
何度も何度も、おもわず、
 「トカゲなんか見たくないのよ!」
と言ってしまうような状況を、
つまり、トカゲを目撃する体験をされています。

 「怒るのは、よくない」
と想っている方は、
何度となく、自ら怒ってしまい、
そして、そんな自分に対して、
 「怒るのは、よくない」
と、とがめる体験をされ続けてらっしゃいます。

 「お金がないと困る」
という価値観を握ってらっしゃる方は、
 「お金がないので困った」
という体験を、何度となく、され続けてらっしゃいます。

それらの、幾多の事実を聞いているうちに、
 私たちが、「想っている通り」を体験するために発揮している、
 私たちの『創造力』は、
 いったい、どれほどまでに、強力なのであろうか、
と、感心してしました。

望んでいない現実を創り出してしまう『創造力』の強さに、
『恐れ』を現実化してしまう『創造力』の強さに、
我々の持つ『創造力』の凄まじさを、改めて、認識しました。

 「私たちは、本当に、創造力そのものである『神』なんだ。」
そう、感心し、
そして、納得しました。

津留さんが、あれほどまでに、自信を持っていた根拠について、
少し、納得が行きました。

2013年11月29日金曜日

第7回 津留さん交流会 開催のお知らせ

第7回 津留さん交流会を、2014年1月11日(土)に開催します。

詳細、お申し込みについては、
「 第7回交流会お申し込み 」のページでお願いいたします。

みなさまとお会いできることを、楽しみにしています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。


追記:
募集定員に達したため、締め切りました。
ありがとうございます。  12月4日記載


2013年11月27日水曜日

昇りたての月

11月18日、朝方に立ち込めていた雲は、午後には晴れ切り、
この日は、昇り来る満月を、何にも邪魔されることなく、
頭の先を水平線に現すところから、ずっと眺めることができました。

普段、東の空、低いところに見つける満月は、
とても大きく、そして「黄金色」と言いたくなるような黄色をしていることが多いですが、
水平線から、まさに「昇りたて」のときには、
さらに色濃く、赤に近い色をしていました。

波音だけが響く中、
その色や大きさの移ろい行くさまを、ただ、見ていました。





ある方の、津留さん活用体験談

もうすでに、妻のブログでご紹介済みですが(「 Tさま体験談 」)、
交流会にご参加くださっている方から、
とってもステキなメールをいただきました。

ご本人の許可を得て、ここに、シェアさせていただきます。

普段の生活の中で、津留さんのCDをいつも聞いていらっしゃって、
そして、自分の内側を見つめ、浄化に励まれているそうです。

何か、みなさまのご参考になることがあれば、幸いです。



 津留さんの世界観は奥深く、
 聞けば聞くほど魂の奥深い場所に私を運んでくださいます。

 何回も何回も聞くことが大切だなぁ と感じています。

 聞くたびに発見があり、腑に落ちることがあり、
 私は静寂と共にいる事が出来るのです。

 津留さんの言葉で好きな言葉は たくさんありますが、
 私は何か感情が湧くと、その言葉を思い出し実践します。

 それは最初は大変に難しいことでした。

 いろいろな本を読み、セッションを受け、
 津留さんの講演会CDを聞き、
 必死に自我を使い理解しようとしていましたが、

 昨年の10月からは外側の現象が変わらない事に苛立ち、怒りを爆発させ、
 やがて絶望感に覆われていた日々でした(>人<;)

 でも、その絶望感でさえ、
 津留さんは目出度いことだと講演会CDで話していました(^-^)

 それを信じて私は、ただ ただ内観に務めました。

 その頃は自我は、もう出る幕もありませんでした。
 その絶望感からも、最近やっと抜け出せたかなぁ と感じています。

 今月の始めに熱が出まして、
 それが終わってから とってもスッキリしましたよ(^-^)
 大きな浄化が終わったようです☆

 最近 思うことは、
 浄化を経て、自分への慈しみが生まれると、
 自然と他者への思いやりが生まれるということに気がつきました。
 自分を超えたところに愛はあるなぁ と。

 それに気が付くと、落ち着きは自然となりますね(^-^)
 心が落ち着いているのだから、外側も落ち着くのは当たり前なのですが☆

 源への帰還を経て、
 これからハイヤーセルフが、この肉体を使い、何をするのか楽しみであります*\(^o^)/*

2013年11月20日水曜日

『ホワイトノイズ』の中の自分のシナリオが現れる

 (「 『自分の想念』を取れば、『神』を体験する 」の続きです)

 なのに、いいですか?

 さっきのように、
  「こんなにのんびりして、いいのかしら?」
 って想念があったら、
 その想念しか、もう、無いわけです。

 神は、そこに、もう、出て来られないわけです。
 そうでしょ?

 で、
  「こんなんじゃ、いけないんじゃないかしら?」
 って、想ってると、
 ちゃんと、お母さんとかにね、
  「あんた、少しだんなさん、働いてサポートしたら?」
 とかいう言葉を聞いてしまうわけですね。
 
 「想ってる通り」を体験しますから。

  「あぁ、やっぱり。
   そうよね。こんなことしてて、いいわけないよね。」

 そして、仕事、
  「じゃあ、何、仕事探そうか?」
 って、頭をまた使うでしょ?
 使うでしょ?

  「どの仕事すればいいか?」
 って、自分の想念を出すでしょ?

 だから、
 その想念の世界が、また、与えられるわけですよ、自分に。

 そこで、想念を止めたら、
 初めに○○さんが、
  「どんな体験したいか」
 って書いてあるシナリオがあるわけです。

 ホワイトノイズの中に、
 ちゃんと入ってるわけです。
 自分のシナリオが。

 だから、
 それがポンッと、こう、来るんです。

  「あっ。これをやってみよう。」


津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より


2013年11月19日火曜日

『自分の想念』を取れば、『神』を体験する

 (「 『ホワイトノイズ』という『神』 」の続きです)

 そのホワイトノイズという、
 まあ、モノにたとえれば、
 ホワイトノイズの上に、
 私たちの想念波動が乗っかってる状態なんですよね。

 これは、だから、
 ラジオで81.3MHzって、チューニング合わせますね。

 そうすると、
 81.3MHzの電波の上に乗っけた音楽だけが聴こえてくるでしょ?
 聴こえてくるでしょ?

 で、別のとこにチャンネル回したら、
 別の音楽になりますよね?

 だから、それぞれの周波数帯域に、
 いろんな音楽が乗っかってるわけです。

 でも、どの周波数帯域であれ、
 その電波が届かなくなったら、
 車で山の中入って行って、
 その電波が届かなくなったら、
 「ザー」って、そこ、ホワイトノイズに替わるわけです。

 だから、
 『ホワイトノイズ』は、どの周波数にもあるんですね。

 で、トンネルの中入って、聴こえなくなって、
 トンネル出た瞬間に、
 ホワイトノイズが、パッと音楽に切り替わるでしょ?

 音楽。
 そこに「電波がある」ということですよね。
 「電波がある。」

 そうすると、ホワイトノイズはかき消されてしまうでしょ?
 電波があったら、ホワイトノイズはパッと消えるわけです。

 電波がなくなった瞬間に、これがパッと出てくるわけです。

 だから、『無』は無じゃないんですよね。

 我々の想念の影に、完全に隠れてる。

 これを、
  「潜在化してる」
 って言うわけです。
 内に隠れてるんです。

 だから、自分の想念をパッて取ったら、
 ポンッて出てくるんです。

 そうしたら、それを体験し始めるんです。

  「これをしませんか?」
 っていうのが、
 こう、私の伝えたいことなんですよね。

 こんな簡単なことなんですよ。


津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より


2013年11月18日月曜日

『ホワイトノイズ』という『神』

 (「 地球に居るすべての人間の『想念』を見ている 」の続きです)

 じゃあ、その想念が無くなったら、どうなるのか?

 その想念が無くなったら、
 元々あった『神の想念』だけが現れるわけです。
 私たちが存在する以前にあった想念。

 だから、考えるのを止めればいいわけです。

 それを、普段、私たちは、
 え~、生活の中でよく体験する、
 ラジオっていうのがあるでしょ?

 え~、カーラジオつけてて、
 今、携帯電話でも、そうですね、
 トンネル入ったら、どうなります?
 「ガガガガ」って、言い始めるでしょ?

 ラジオもそうですよね。
 「ガー」って、言い始める。

 あれを、『ホワイトノイズ』っていうんですね。
 『ホワイトノイズ』。

  「ホワイトノイズっていうのは何か?」
 っていうと、
  「すべての周波数が均一に入っている波」
 なんです。

 すべての周波数が均一にあったら、
 ホワイトノイズとして聴こえるんです。

 で、元々、すべての周波数が均一にある。

 これは『神』なんですけども、
 元々あるんですよね。

 私たちが何もしなくても、
 ここに、元々、ホワイトノイズがあるわけです。


津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より


2013年11月17日日曜日

地球に居るすべての人間の『想念』を見ている

 (「 あるのは『想念エネルギー』 」の続きです)

 想念エネルギーっていうのは、波なんですよね。

 え~、波というのはですね、
 場所が特定されないんですよ。

 ギターの弦があって、
 ピッてはじいたら、はじいたとこだけ振動します?
 全部が揺れるでしょ?

 空間全体が振動するんですよ。
 そうですね?

 自分が想った想いは、
 この宇宙全般に、パンッと、瞬間に存在してるわけですよ。

 これが、
  「想念が宇宙に遍満している」
 っていうことなんです。

 だから、
  「神の想いは、宇宙に遍満している」
 って、当たり前なんですよ。

 波って、そういうものなんです。
 かたよって存在できないんです、波っていうのはね。

 だから、私の想いも、○○さんの想いも、その隣の人の想いも、
 全部、ここで振動しているわけですよ。

 だから、地球に居るすべての人間の想念を見ているわけです。


津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より


2013年11月15日金曜日

あるのは『想念エネルギー』

 見えてる通りのものが、
 あるわけではないんですよ。
 見えてるのは、脳の中の映像なんです。

 いいですか?

 聞こえてくる言葉は、
 耳の細胞が振動を感知して、
 脳の中で、言葉を合成しているわけですよ。

 分かりますか?
 言葉は、脳の中で合成してるんですよ。

 それ、合成できるのは、
 自分しかいないでしょ?

 外にどんなものがあるかなんて、
 分かんないわけですよ。
 どんな振動があるのか。

 じゃあ、
  「外に何があるのか?」

  「外には、何があるのか? ここには?」
  「自分の目の前には、何があるのか?」

 ここに、エネルギーがあるんですよ。
 エネルギーがあるから、感じるわけです。

 そのエネルギーの感じ方が、
 イルカと人間で違うし、
 トンボも違うし、
 レントゲン星人でも違うわけですね。

 エネルギーあることだけは、確かなんです。

 じゃあ、この目の前にあるエネルギーっていうのは、何なのか?

 これが『想念』なんです。
 『想念エネルギー』なんです。


津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より


2013年11月14日木曜日

「他人」を消すと、「自分」も消えてしまう

 (「 『外には何も無く、すべて内側にしかない』という価値観だけでも、ちゃんと生きていける」 の続きです)

 その時、
  「外が幻である」
 ことが分かります。

 今までのみなさんの価値観だと、
 幻とは、思えないわけです。

  「現実じゃないか!」
 って言うわけです。

 でも、反対から見ると、
 これ、ただの幻なんです。

 映像なんですね、
 反対から見ると。

 で、
 これが「映像だ」と分かることによって、
 我々は、神意識を取り戻していくんです。

 元々、一つの神だったものが、
 現実を創るために、
 内を見えなくしたわけです。

 だから、
 半分の見方で、
 え~、神から遠ざかってきたんです。

 神に近づいていくためには、
 逆の見方をする必要があるわけですね。

  「いっさい、外には何も無い」
  「だから、自分の見てるもの、自分の見てるもの全部、自分しかいない」

  「自分しかいない」
 って、他人を消すと、
 実は、自分も消えてしまうの、分かりますかね?

 「自」と「他」っていうのは、
 対比した言葉ですよね。
 「自分」と「他人」。

 え~、よく
  「自我を消せ」
 って言うの、聞いたことあるでしょ?

  「自我を消すと、楽になるよ」
 でも、自分は消すの、たいへんですね、なかなか。
 だって、ここに居るんだから。

 で、自分を消す方法として、
 他人を消したら、
 自分しか居なくなるんですね。

 自分しか居なかったら、
 他人はどこに居るんですか?

  「他人は存在しない」
 っていうことは、
 自分という概念が消えてしまうんです。

 全部、自分。

 これは、自分の身体の中で考えてみればいいですね。

 例えば、
  「不公平がこの世の中にある」
 と思ってるでしょ?

 え~、私、車 運転するとき、
 今、オートマですから、
 右足しか使わないんですね。
 左足は、じっとしてます。

 でも、右足は、左足に対して、
  「おまえ、もっと働けよ!」
  「不公平だ」
 っていう想いは、絶対に出ないんです。

 一つだと思ってるからなんです。

 で、人殺しのシーンが見えたとします。
  「それが『自分だ』という認識が持てたら、どうかるか?」
 っていうことですね。

 すべてが自分なんです。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年11月13日水曜日

「外には何も無く、すべて内側にしかない」 という価値観だけでも、 ちゃんと生きていける

 あの、今までは、あの、
  「外に他人がいる」
 という価値観で、生きてきたと思うんですね。

 で、実は、
 両方正しいんですね。

 あの、つながってるんですね。
 点と無限大は、つながってるわけなんです。

 そして、その、そういう構造を、
 あの、『ホロニック』、『ホロン的宇宙』っていう表現、使うんですけれども。

  「『すべての個の中に、全体がある』で『全体の中に、個がある』」
 という価値観で、価値観を使って、
 今まで、こういう「下り」を動いてたわけですね。

 一つであったものが、他人を創ることによって、
  「自分の外に他人がいる」
 っていう価値観で、生きてきましたね。

 それは、実は、1/2(二分の一)の見方なんですね。

 『ホロン的宇宙』っていうことを信じるならば、
  「内側に、全宇宙がある」
 これも、真理なんです。

  「自分の外に、すべてがある」
 のと同じように、
  「内側に、すべてがある」
 のも、真理です。

 そして、今まで、全部、
  「外に世界がある」
 という観点から、
 この宇宙を見て、体験してきたと思うんですね。

 そこで、新たに、
  「外には、何も無い」
 という価値観を、今、伝えようとしてるんです。

 「私が」、なんですけれども。
 伝えようとしてるんです。

  「外には何も無く、すべて内側にしかない」
 という価値観だけでも、
 ちゃんと生きていけるんです。

 もう、「外に他人がいる」のは、十分知ってますから。
 その考えを手放しても生きていけるし、
 その時、今までと違う体験が始まります。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年11月8日金曜日

根本治療、対処療法、応急処置

津留さんの、
 「外側に働きかけないで下さい」
というメッセージ。

このメッセージを強く握り締め、
そして、この言葉に惑わされている方が、
多くいらっしゃることと推察します。

これまでの4回の交流会において、
2度、
この点についての質問がありました。

なにより、
僕自身が、よく理解できてなく、
とらわれてしまっている一人です。

昨日、ジョギングをしているとき、
このメッセージことが、フッと、頭に湧いてきました。
意識的に思考に入り、この点について、考えてみました。

一応の、自分なりの理解みたいなものは、
以前から、持ってはいます。

しかし、それに対しては、確信のようなものは持っていないし、
経験に基づいた納得のようなものも得ていません。

そこでは、その理解以外に、何か浮かんでくるわけではなかったので、
この点について考えるのを止め、
また、意識をジョギングに戻しました。

すると、次の瞬間。
前方に、砂地が現れました。
その横を通り過ぎるとき、
思わず、顔がゆるみました。

そこには、
大~きなニコちゃんマークが描かれていたからです。
誰かが、砂地に絵を描いて遊んだのでしょう。

その時。
そのニコちゃんマークが、
この問題に対する自分の理解への
OKサインだと、感じました。

そして、
それを外に伝える、表すことへの
推奨・後押しであると、受け取りました。

今朝、そこを通ったときにも、
ニコちゃんは、変わらず、大きな微笑を携えていましたので、
よく分かっていないし、
納得や経験的裏づけはありませんが、
あえて、
現時点での、自分なりの理解を、
ここに書いてみたいと思います。


 「外側に働きかけない」

 内側の、心象世界が、
 外側の、現象世界を創り出している。

 原因は内側にあるのだから、
 外側の現実に対処するのではなく、
 内なる想い・ブロック、こちらに働きかけて、解決してください。

津留さんの言ってたことは、そういうことだと思います。

その、津留さんの言っていたことを、
「文字通り」に受け取ると、
そして、「その通り」にするとすると、
確かに、
「外に対して、何もしてはいけない」ように思ってしまいますよね。

この点について。
「心象世界を変えることによって、外なる世界を変えていくこと」を、
津留さんは、どこかで、
『根本治療』って、表現していたと思います。

そこで、こんなたとえで、表してみたいと思います。

今、出血しているとします。
血管が非常にもろくなっているために、
出血しているとします。

血管がもろくなっているのだから、
今、出血している血管部分に、何らかの治療をしたところで、
いずれまた、別の血管から出血することは、目に見えています。

ここでは、「血管そのものを強くすること・正常に戻すこと。」
それが、『根本治療』でしょう。

そして、出血している血管部分に対して、何かの治療をしたところで、
それは、『対処療法』に当たり、
それでは、根本的な解決にはならない。
ということだと思います。

知花敏彦先生や、飯島秀行さんは、これを、
 「結果を結果で解決することはできない」
と表現されてました。

ただし。
 「じゃあ、対処しても意味が無いのか?」
 「対処してはいけないのか?」

それは、ここでは、
出血しているという現実に対して、
出血したまま、何もしない、放っておく、
ということに当たると思います。

しかし、出血しているのだから、
血が流れ出ていくに任せる必要はありません。
とりあえず、傷口を手で押さえる、絆創膏を貼る、
あるいは、縫合するなどして止血するということは、
きわめて合理的だと思います。

あるいは、もし、止血しなければ、
そのまま、息絶え、
根本治療をする時間も得られないかもしれませんね。

そもそも、根本治療は、時間がかかる方法です。
食事を変えたり、生活習慣を変えたり、
あるいは、こころのあり方をかえなければなりません。
腰をすえ、覚悟を決め、じっくりと向き合っていかねばなりません。

浄化も、同じですよね。
ひとつのブロックを消すことは、即座にできることですが、
関連するブロックすべてを見つけ出し、それを浄化することは、
ときに、とても時間のかかることです。
また、『心象世界』が『現象世界』に反映されるにも、
タイムラグが存在しますよね。

また、さらにいえば、
出血している血管部分に対する治療も、
それが『対処療法』であり、『根本治療』ではないことを把握した上で、
とりあえずの、更なる状況悪化を防ぐために行うのであれば、
そして、後に、『根本治療』を行うのであれば、
それはまた、充分に意味のあることではないか思います。

つまり。

『対処療法』を取ったところで、根本解決にはならない。
いずれまた、同じ問題は起こってくる。
必要なのは、『根本治療』である。
しかし、当座、必要であれば、とりあえず『応急処置』をすればよい。
そんな理解でいかがでしょうか。

津留さんが言いたかったことは、
 「『対処療法』によって治そうとはしないでください。」
 「ちゃんと、『根本治療』を行ってください。」
ということであり、

 「『応急処置』をしないでください。」
 「『対処療法』をしてはいけません。」
ということではない。

ということだと、思います。

ご参考になれば幸いです。

2013年11月7日木曜日

現実を変えようとしなくなると、3次元ゲームが終わる

 (「 あえて、何もしない 」の続きです)

 それで、このゲームを開始するために、
 神から分離して、
 え~、神から分離した途端に、欠乏感を感じ、

  「『足りない』と思った意識は、どうするか?」
 っていうと、
  「このままではいけない」
 という感覚が湧いてくるんですね。

 そこで、「このままではいけない」という感覚が、
 この社会、3次元世界を動かしてきたわけです。

 すなわち、
 「このままではいけない」という考えが、
 この無限の神から、3次元の自我を作る、
 この下向きの行動の原点になってるんですね。

 で、
 これから、神に対して、還っていくんです。
 これ、上向きなんです。

 この原点が、
  「このままで何も問題ない」
 っていう価値観なんですね。

  「このままではダメだ」
 という考えを進めていくと、
 神から分離する方向に行きます。

 だって、神さま、
 「このままじゃいけない」なんて
 思ってるはずないですですからね。

 ですから、どんなニュースを見ても、
  「このままで何も問題ない」
 という意識で見られるようになったら、
 問題がすべて消えてしまうわけですね。
 「問題が無い」わけですから。

 問題が無くなる。

 問題が無くなったら、
 現実を変えようとしなくなる、
 操作しなくなる、
 コントロールしなくなるんです。
 現実に対して、操作しなくなる。

 そうしたら、この現実社会、
 必要なくなるわけです。

 分かりますかね?

 この現実社会に対して、一切、
 「こうしよう」「ああしよう」という想念が湧かなくなったら、
 この3次元ゲームが終わっちゃうんです。
 することが無くなるわけです。

 「このままじゃいけない」と思ったら、
 することがあるわけです。

 世の中、え~、悪い人がいるから何とかしようと思ったら、
 ゲームが続けられるんですね。

 ですから、
 みなさんが「このままでいい」と思った時、
 することが無くなって、

 え、じゃあ、最初に言った
 「規格を変えよう」「5次元ゲームを今度はやろう」と。
 肉体も、この肉体じゃなくなってきてですね。

 で、別のステージが用意されるわけです。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年11月6日水曜日

あえて、何もしない

 (「 『しなければいけないことが、なんにもない』ことが、分かってくる 」の続きです)

 今は、変化の時なんですね。

 変化っていうのは、どうやってするかっていうと、
 みなさんが価値観を変えた時に、社会が変化するんです。

 今の一番大きな価値観、
  「人に迷惑をかけてはいけません」
  「戦争はいけません」。

 え~、「偉くなりなさい」っていう価値観は、
 もう、消えはじめてますよね?
 そろそろ。

 そして、え、今までの価値観が消えて、はじめて、
 次の新しい価値観を持ってくることができるんですけれども、

 古い、条件反射する、深いところにしまった価値観を手放すには、
 あえて、何もしない、じっとしてる、行動させない、
 という時間を取ると、実は、一番早いんですね。

 特に、「しなければいけない。」
 今、みなさんが一番当たり前、
  「だって、働かないと生きていけないじゃないか」
 っていう価値観、この価値観を手放すには、
 「働かないでいてみる」という体験をしてみない限り、
 分からないんです。

 「好きなことをしてても、生きていける」という体験をするためには、
 ど~しても、そういうチャレンジが必要ですね。

 あえて、何もしない。
 2日でいいですから。

 もう、○○さん、10年20年勤めてるんでしょ?(笑)
 2日ぐらい、チャレンジしてみると。

 そうすると、また行きたくなりますから(笑)
 「やっぱり行こう」って。
 で、行きたくて行けばねぇ、楽しいですよね。

  「なんで会社来るんだ?」
  「来たいから来てんだ」
 こうなったら、楽しいでしょ?
  「だって他にすることないもん。」
  「楽しいから来てるんだ。」

 こうやって働いてる人、
 もうすでにそうやって働いてる人は、
 幸せですよね。

 でも、「家族のために働かんといかん」
 って思ってる人は、大変ですよねぇ?

 家帰って、奥さんにえばらなきゃいけないですねぇ(笑)
 「おまえ、態度が悪い」ってことになるわけですね。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年11月5日火曜日

「しなければいけないことが、なんにもない」ことが、分かってくる

 (「 本当に、これ、ゲームなんです 」の続きです)

 この感覚は、あの、結局、
 「すべての価値観が消えるとどうなるか?」っていうと、
 「しなければいけないことが、なにもない」、わけですよね、
 「しなければいけないこと」。

 そうすると、どうですか?
 「したいことをするだけ」、なんですね。

 ただ、「したいことをする」。
 「どうしてするか?」って聞かれても、意味の無いもの。

 自分のすることに、体験に、意味が無くなってくるんです。

 これまでね、子供を偉くしようと思う。
 いい大学に行かせようと思ったら、どうしますか?
 動機づけをするでしょ?
 どうして、いい大学に行かなくてはいけないのか、
 動機づけするわけです。
 動機づけされた人間は、動き出すわけです。

 え、源には、動機がないわけですね。
  「したいから、する。」

 これは、本当に、価値観を全部手放せたときに、
 その感覚が分かってきます。

 「しなければいけないことが、なんにもない」ことが、
 分かってくるんです。

 と、
  「ただしたいから、する。」

 ちょうど、『遊び』としか、言いようがないんですよね。

 「したいことをする」っていうのは、
 仕事とは言わないでしょ?
 したいことしてるの、『遊び』って言うでしょ?

 もし、今、みなさん方が、
 「しなければいけないから、してる」ことがあるとしたら、
 その感覚っていうのは、絶対に分からないんです。

 ですから、その感覚を、もし、味わいたかったら、
 自分の「しなければならない」「すべきである」と、
 「しかたがない」「やらなければいけない」と、思ってることを、
 一度、しっかりチャレンジして、
 手放してみるんですね。

 で、仕事を手放すっていっても、
 簡単には行かないですねぇ。

 だから、たとえば、-略-
 2日ぐらい会社に行かないで、家にじっとしてみる、
 っていう体験。

 この時期、このことは、非常に大切なんです。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年11月4日月曜日

本当に、これ、ゲームなんです

 あの~、
  「自分が、今、体験してるのは、ゲームだ」
 っていう感覚、あります?

 -略-

 実感としては、ない?
 あの、これがゲームと思えるようになると、
 すごく気が楽なんですね。

 それには、あの、
 瞑想なんかしたことありますかね?
 瞑想やってると、だんだん実感が分かってくるんですね。

 え~、見えない世界に意識を向けていくと、
 見えない世界に、いろ~んな体験があるの、
 分かるようになります。

 そして、本当に、この世のパラレルワールドがあって、
 この瞬間にいろんな自分が居て、
 別の人生があるのが、分かってくるんですね。
 いっぱい、いろんな人生があるんです。

 で、そこに入って、追いかけていくと、
 ず~っと、そのストーリー、続いていくんですね。

 ただ、追ってもキリがない。
 そこは、ちゃんとそこで、体験がず~っとあるんです。
 自分の今のこの体験と違う体験の世界があるんですね。

 そして、いろんな現場を見るようになると、
 だんだん、これ、みなさん、
 自分の好きな現実の世界に入っていけるようになってくるんです、
 これから。

 え~、この宇宙、
 多次元宇宙なんですね。
 パラレルワールド。
 平行宇宙。

 いろ~んな現実世界があって、
 あっちに行ったり、こっちに行ったり、っていう、
 することがいろいろできるようになってくるんです。

 内側に意識をあわせていくと、
 そういうことが、体験が、
 できるようになってくるんですね。

 本当に、これ、ゲームなんです。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年11月3日日曜日

毎日、映画を観ているように

 (「 「やりたいこと」も消えていく 」の続きです)

 そうなると、
 毎日毎日、
 途方もない、想像もできなかったことが、
 起きてきます。

 今まで、頭で考えて行動してると、
 自分の考えというのは、過去の記憶を使って考えますから、
 記憶にないことは、考えることができないんですね。

 完全に委ねてると、
 ハイヤーセルフが現実を創ってきます。

 そうすると、
 いつもいつも、新鮮で、まったく新しい体験ができるようになるんです。

 エゴのやってることをチェックするのは、簡単です。

 いつもいつも、繰り返し起こってくること。
 これは、退屈なことは、
 全部、エゴが起こしてます。

  「少しでも良くなりたい」
 という想いから、
 繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し、
 同じことをやり始めます。

 それに気づいてください。

 すべてを手放すと、
 この肉体を使って、
 ハイヤーセルフが、ゲームを開始するんです。

 とてもスリリングで、
 毎日、
 えぇ、何十億かけて作ったアメリカの映画のストーリーを追うように、
 毎日毎日、
 スリルな、想像もできない出来事が、起こってくるようになり、

 朝、パッと目が覚めたとき、
 三次元立体映画館に入った感覚ですね。

 映画館に入ったんですから、
 みなさん、
 映画館に入ったら、どうしますか?

 ただ、観てると思うんですね。
 その映画のストリーを変えようとは、思わないはずです。

  「次どうなるのかな?」
 そう思って観てるはすです。
 変えようと思って観ないはずです。

  「次の展開、どうなるんだろうか?」
 これがおもしろいし、
 これこそ、これを体験するために、やって来たんです。

 見えない世界から通信を受け始めるようになって、
 いつもいつも、
  「じゃあ、先はどうなるんだ?」
 って、先のことをいつも聞こうとするんですが、
 未来のことは、絶対、答えが来ませんでした。

 それで、分かったんです。
  「ああ、未来のことは、知らない方がいいんだ」

 「答えが来ないのが、答えだ」って、分かりました。

 ちょうど、その感覚ですよね。
 映画を観て、
  「次のシーン、どうなるんだ?」
 知ってしまうと、価値が半減してしまうんですね。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より



2013年11月2日土曜日

「やりたいこと」も消えていく

 (「 より有利な条件を得ようとして、いつもいつも判断しています 」の続きです)

 だから、目先にあるものに、いつも振り回されるんです。
 目先にあるものからの、ロボットになってるんです。
 自動ロボットです。

 価値観を手放したら、判断しなくなり、
 判断しなくなると、思考が流れなくなる。

 その時、
 内側にあるもう一人の巨大な自分が、分かるようになります。

 それは、思考が止まってる時だけなんですね。

 考えないで、静かにしてると、
 内側の大いなる我(われ)に出会えるようになってきます。

 そのための近道が、
 「価値観を手放す」ということなんです。

 自分が握ってる価値を、チェックする。

 もう一つの方法は、
 「自分の好きなこと」をチェックしてもいいんです。

 自分がやりたいと思ってることがあったら、
  「どうしてそれがやりたいのか?」
 考えていくんですね。
 内側に問うんです。

 そうすると、
 やりたいこと、好きなこと、というのは、
 そのための、やはり『モノサシ』を持ってるわけです。

 だから、『モノサシ』を持ってる限り、
 「やりたいこと」が出来て来ます。

 そうしたら、
 反対方の価値観をもたらして、価値観を手放すと、
 実は、「やりたいこと」も消えていくんですね。

 その時、
 「今、この瞬間」に、じっとしていられるようになります。

 瞑想しても、雑念が湧いてきません。

 この瞬間、起きてくることを、
 ただ、ながめられるようになります。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年11月1日金曜日

より有利な条件を得ようとして、いつもいつも判断しています

(「 『常識』が最大の敵 」の続きです)

 自分の価値観を手放す。

  「どうすればいいか?」
 っていうと、
 「自分が嫌っているもの」をチェックすればいいんです。
 「ちょっと好きでないもの」をチェックすればいいんです。

  「どうして好きでないのか?」
 そこに『モノサシ』があるわけです。
 それを「好きではない」と測る『モノサシ』があります。

 それが見つかったら、
 その反対側を持って来てください。

 対極の価値観を持ってきて、
 考え方をバランスさせるんです。

  「どちらでもいい」

 バランスさせると、『モノサシ』が消えますから、
 測らなくなるんです。

 測らないとは、
 判断ができないわけです。

 比較ができないですから、
 判断が起きない。

 比較も判断も起きないと、
 思考が流れなくなります。

 普段、みなさんの頭は、おそらく、
 いつもいつも、忙しく忙しく、考えてると思います。

 それは、
 瞬間瞬間、
 目に見える情報を、
 聞こえてくる言葉を、
 判断してるからなんです。

 何のために判断するか?

  「より都合がいいことは何か?」

 自分にとって、より有利な条件を得ようとして、
 いつもいつも、判断しています。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年10月31日木曜日

『常識』が最大の敵

(「 マイナスの感情を、別の感情でバランスを取ろうとする 」の続きです)

 今の説明でもお分かりのように、
 大切なことは、
 自分が傷つかないこと。

 じゃあ、「どうすれば傷つかないのか?」というと、
 そんなとこをチェックしてほしい。

  「自分は、何を当たり前だと思っているか?」

 え~、常識というのは、まさにそうです。
 「できて当たり前」の世界です。

 だから、実は、
 みなさんを動かしているのは、
 関東大震災や、落盤事故で落っこった、
 あんな途方もない、珍しい出来事ではなくて、

 いつもいつも付き合ってる『常識』が、
 みなさんの最大の敵なんですね。

 自分の常識を疑ってくださいね。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年10月30日水曜日

マイナスの感情を、別の感情でバランスを取ろうとする

  「もっと優しくできるはずなのに...」
 そんな想いを、みんな、体験したことあるんではないかと思うんですが。

 それはどんな時か、っていうと、
 私の場合は、こういう時だったんですね。

 会社の中で、人に優しくできなかった時というのは、
 たいがい、
  「そんなこと、できて当たり前だろ」
 という想いがありました。

  「このぐらいのことは、して当たり前」
  「できて当たり前」

 それができない人に対しては、
 当たり前のことができない人に対しては、
 どうしても、優しくしてないんですね。

 自分が、
  「こんなの、できて当たり前」
  「給料もらってんだろ? だから、このぐらいのこと、できて当たり前」
 そんな時に、どうしても、優しくないんですね。

 だったら、その、
  「できて当たり前」
 っていうのを手放したら、どうなるか?

  「できなくても、構わない。」

 えぇ、夫婦関係のトラブル、
 たいがい、見てると、
  「このぐらいのこと、やってよ」
 っていう想いですね。

  「このぐらいのこと。」
 当たり前と思ってることができないと、
 イラつくわけです。

 そして、実は、
 当たり前と思ってることができない人を見ることによって、
 自分の中に葛藤が起こるわけですね。

 人を責めてしまいます。
 意地が悪い自分を発見します。

 その時、どうするかっていうと、
 そのイライラを収めるために、
 人は、「怒る」っていう感情を使うんです。

 自分の中に湧いてきたマイナスの感情を、
 何とかしたいと思うんです。

 そして、それをバランスを取るために、
 もう一つ別の感情を持ってくるんですね。

 たいがい、それは「怒り」です。

 マイナスの感情を、別の感情でバランスを取ろうとするんです。

 外に怒りを発するということで、
 内の、内側のフラストレーションを、
 外に怒りを爆発させることによって、
 クリア、ニュートラルにしようとしてるんですが、

 これ、どちらもマイナスですから、
 外に出したマイナスの想念、
 ちゃんと自分に戻って来るわけですね。

 そして、余計イライラしてくるわけです。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年10月29日火曜日

あまりに大きすぎるために、見えてないだけ

 その存在は、
 実は、みなさんが探し求めているものなんですけれども、

 小さいから見つからないわけではなくて、
 高い所にいるから、自分が登っていかないと見つからないとか、
 そういうもんなんではなくて、

 実は、いつもそこに居るんですが、
 あまりに大きすぎるために、見えてないだけなんですね。

 え、顕微鏡で、-略- 誰でもあるかと思うんですね、
 顕微鏡でのぞく。

 顕微鏡でのぞいたとき、どうですか?
 「それ」を「それ」と認識できないんじゃないでしょうか?

 例えば、ノミの触角を顕微鏡でのぞいているときに、
 それがノミだなんて、誰も分からないわけですね。

  「それは、ノミの触角です」
 と、第三者から説明を受けて、はじめて、
  「そうなのかなあ?」
 と、思うんですけれども、

 それと同じで、
 実は、みなさんは、
 いつも、巨大な我(われ)と一緒に居るんですけれども、

 その巨大な我は、
 え、あまりにも大きいんで、
 感じが分からないんですね。

 でも、いつも居るんです。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年10月28日月曜日

神さまより劣った人間なんていない

 ○○さんは、最初から、神さまだったんです。

 で、人間になりたかったら、なったんです。

 だから、人間になれた、ということは、
 すばらしいことなんです。

 神さまが、退歩するわけないでしょ?

 神さまが、進歩して、ここに来たわけです。

 だから、
 神さまより劣った人間なんて、いないんですよ。

 誤解してるんです。


津留晃一 講演会CD『 問題解決 』 より


2013年10月27日日曜日

「人間である」と想ったから

 こういう話、今までしたことがありませんが、
 人間というのは、自分の想いに、どれほど自分がしばられているか。

 この「想いの力」っていうのは、
 ものすごく強力なんですね。

 自分が想ったら、すぐ、その想いにしばられるんです。
 その想念の中に入ってしまうわけです。

 -略-

 例えば、子供と一緒にいて、食事に行こうと思いますね。
   「食事に行こう。」
 で、子供を連れて出て。

 そうすると、-略-
 すぐ、こう、寄り道するわけです。

 目の前に、歩きながら、興味あるものに スーっと行くわけです。
 お花が咲いていたら、お花のほうに パッと行きます。

 そうすると、
 ふーっと手を引いて、
 レストランのほうへ引っぱって行く自分に気づいたんですね。

 いわゆる、
 私は、「食事に行こう」と思ったら、思った瞬間、
 子供が、今そこで、せっかく道端で楽しく遊んでるのに、
 「早く連れて行こう」とするんですね。

 「行こう」と思った瞬間、
 「早く連れて行こう。」

 え、それが、時間が無くて早くするわけじゃないんです。
 時間がたっぷりあるときも、同じこと、やるんです。

 あの、子連れのお母さんを見てると、よくそれやってます。

 「公園に行こうか」って言って、
 遊ばせるために、子供と「公園に行こう」って決めます。

 と、今、楽しそうに遊んでるのに、
 「早くしなさい。」「早くしなさい。」

 今、遊んでるんだから、そこでいいはずなのに、
 早く連れて行こうとするんです。

 -略-

 こういうふうに、自分の考えにしばられるんです。

 で、私たちは、今、
 「人間である」と、ただ想ってるんです。
 最初に、それ、教えられたからなんです。

 で、「人間である」っていう考え方に、ただしばられてるだけなんです。

 この大いなる私が、
 宇宙の創造主が、
 「人間である」という想いを持った瞬間に、
 こんなにすべての力を失くすほどの状態になってしまうんです。

 どうやってなったのか?
 「人間である」と想ったからなんです。

 たったそれだけなんです。
 それほど、想いの力って強力なんです。

 なのに、いつも自分がいろんなこと想って、
 それをほったらかしてるんですね。

 だから、
  「自分が、今、何を想っているか?」
 これだけが大切なことなんです。

 それで、
  「想念観察をしてください。」

 そうしたら、必ず、もっと今より幸せを感じるチャンスが増えます。


津留晃一 講演会CD『 問題解決 』 より


2013年10月26日土曜日

あんでるせん

以前、マジックをする、喫茶店のマスターの話を書きました
(「 『しよう」と思って行為することは、うまくいきません 」 )。
書籍『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』から、引用しました。

津留さんのCDを聞いていたら、その素であろう部分が出てきたので、
以下に書き起こしてみました。

前のものを消して、書き起こしに取り替えようか、とも思いましたが、
やめました。

読み比べていただくと、
津留さんの講演の、話し言葉の、生き生きとした感じを、
より、体感していただけるのではないか、と思ったからです。

それから、
書籍『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』にしても、
『多くの人が、この本で変わった。』にしても、
編集が入っています。

そうすると、どうしても、編者の想いなり、エネルギーなりが、
不可避的に、入ります。

もちろん、その方が読みやすい、理解しやすいという方もいらっしゃるでしょうし、
別に、良い悪いの問題ではありません。

ただ、津留さんの意図・エネルギーからは、
若干にせよ、不可避的に、離れてしまいますので、
できれば、津留さんのエネルギーそのものに
できるだけ近いものを体感していただきたく、
交流会では、はじめに、講演会DVDを観ていただいてます。

その方が、『覚醒進化プログラム』などを読んでも、
より理解がしやすいのではないかと思います。
文章を読んでいても、津留さんの声が聞こえてきて、より分かりやすいのでは、
と思います、自分の体験からして。

そんなことも、読み比べから、感じていただければなぁ、
と思いました。

といいながら、下の書き起こしにしても、
僕の判断なり、エネルギーが、入ってしまっているんですけどね^^



 「できる」と思ってることだけが「できる」。
 ただ単に、このことだけを覚えておいてください。
 「できる」と思ってることだけが「できる」。

 疑いのこころが入った途端に、
 できていたことも、できなくなります。

  「できていたことも、できなくなります」
 これについてですね、あの、
 あそこに来ている ○○さんという女性が、
 この間、おもしろいことを教えてくれたんです。

 あの、「あんでるせんに、私が行った」っていう話をしたら、
 あんでるせんの マスターに起きたことを、
 話として聞いたんですけれどもね。

 え、私、「きっとそれ、本当だろうな」と思ったのは、
 あの、あんでるせんの マスターっていうのは、
 この、コインにですね、タバコで、こう、穴を開けるんです。

 で、シューって、通しちゃうんですね。
 コインにタバコで穴を開けるんです。

 これ、どうやって練習したか、っていうと、
 「コイン」と想ってると、穴が開かないそうです。

 で、これを、あの、
 「紙のようだと想う」って、「イメージする」って、いうんです。
 「これ、紙だ」って、コインを「紙だ」って、イメージする。

 で、こちら、タバコを、
 え、ボールペンをイメージするんですね、ボールペン。
 何でもいい、硬いものなら。
 千枚通しでもいいんですよ。

 タバコを「千枚通し」ってイメージできて、
 コインを「紙だ」とイメージできたら、
 入るっていうんです、スーっと。

 だから、練習は何をしたかっていうと、
 入れようとする練習をしたわけじゃないんです。
 タバコを持って、それを万力(まんりき)ってイメージできるかどうか、
 を、訓練したそうです。

 で、
  「イメージできたときには、できる」
 っていうんですね。

 で、あの芸当を、あんでるせんの マスターって、
 毎日、やってるんですよ、毎日。
 来るお客さんの前で、毎日。

 ところが、あるお金持ちの人がですねぇ、
 500万、札束を目の前に積んで、
  「オレの前で、タバコでコインに穴を開けたら、これ、500万、やるよ」
 っていって、言ったんだそうです。

 そうしたら、できなかったそうなんですよ(笑)

 おもしろい話でしょ?

 これ、人間ここで、
 ここなんですよ。

  「やんなきゃ」
 欲が出るわけです。

 だから、自我が「やろう」としたんです。
 自我が働いたんです。

 で、なんとか「やろう」って。
 で、できないんです。

 イメージすること、忘れちゃうんですね。

 これが人間なんですね。
 やろうとすることはできないんです、本当に。


津留晃一 講演会CD『 問題解決 』 より


(参) 「万力」は、普通、棒などを挟み込む道具のことですが、
   先のとがった、釘のような形のものもあるようです。
   http://store.shopping.yahoo.co.jp/anyoujiya/man-01.html


2013年10月25日金曜日

ブッダやマザー・テレサになって『あがり』というわけではない

(「 自分自身の体験を話しなさい 」の続きです)

 神が、人間を体験するために、この社会にやってきた。
 だから、体験し終わったら、元に還っていくのです。

 この感覚は、
 例えば、私たちが、アメリカ旅行へ行くようなものです。

 アメリカへ行く必要性は、別に、無いのだけれど、
 おもしろそうだから、遊びに行くわけです。

 行ったことの無いアメリカを「体験したい」
 という気持ちからです。

 「神に還っていく」なんて聞くと、
 私たちの感覚としては、
  「段々と進化を遂げて、最終的に覚醒する」
 と思いがちですが、
 究極のところから見ると、そういうわけではないようです。

 例えば、魂の遍歴を重ね、進化して、
 最後は、ブッダや、マザー・テレサのような心境になって『あがり』
 と思っている人がいますが、
 単に体験しに来ているのですから、
 あらゆる体験ができたときが、『あがり』なのです。

 アメリカ大陸すべてを旅行するとき、
 アメリカの隅々まで見学が終わったら、帰って来るでしょう。
 最後の旅行先として、カリフォルニアから帰る人もいれば、
 ニューヨークから帰る人もいます。
 または、テキサスや、ユタという田舎から帰ってくる人もいるでしょう。

 ゴール地点は、みなさん、それぞれ、違うのです。
 最後の体験がどこになるかは、人によってまちまちです。

 すべての人が、ブッダやマザー・テレサになって
 『あがり』というわけではなくて、
 体験し残してることが「自殺」だったら、自殺を最後に還っていくし、
 教祖様をやったことが無い人は、
 やり残している「教祖様」を体験してから還るのです。

 ですから、
  「今、自分のいるところが、ゴールに一番近い」
 と、思ってください。
 誰か、「他の人」になろうとしない。
 偉い人のようにならなくてもいいのです。

 魂が進化していくのにベストな状況が、
  「今、この瞬間、自分の目の前にある」
 と、思ってください。

 神に還る一番の近道が、今、目の前にあるのです。

 それを信じたら、
 目に映るものは、すべて、喜びです。
 すると、こころがブレません。
 こころがブレないと、そのときに必要な情報は、降り注いできます。

 こころが豊かで、解放されていると、
 頭であれこれ考えたり、がんばったりしなくても、
 そのままの状態で、最高の人生を生きられるようになっているのです。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より

2013年10月24日木曜日

自分自身の体験を話しなさい

(「 神が『神ならざるもの』を体験する 」の続きです)

 こういう本やお話もそうですが、
 体験に基づいて書かれた話は、
 私たちを変える力が、一番あるようです。

 私は、内なる自分から、常に言われていました。

  「 体験していないことを、しゃべってはいけない。
   完全に自分のものになったことだけを、話すように。

   そうでないと、単なる『教え』になってしまう。

   あなたの仕事は、これまでの価値観や常識を壊して、
   意識を解放することなのだから、
   先生になって教えを説いてしまったら、
   単に、別の価値観を握らせるだけではないか。

   先生ではなく、自分自身の体験を、
   『一人の人間』として、話しなさい 」 と。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より


以前、津留さんが、自分が体験したことを話している、
そして、だから説得力がある、という趣旨のことを書きましたが
(「 体験したことを語る 」)、
津留さん自身が、はっきりと、そのことをおっしゃってました。


2013年10月23日水曜日

神が「神ならざるもの」を体験する

 この世界は、
 神が、「神ならざるものを体験する」
 ことを目的として、創られています。

 まず、神が、神ならざる部分を体験し、
 より高き神へと還っていく。
 そのプロセスが、宇宙の仕組みなのです。

 ところが、この「体験する」という考え方を、
 みなさん、頭で理解しているだけなんですね。

 思考上の話であって、本当に、
  「体験するために来たんだ」
 と、こころから感じ、腑に落ちてる人は、
 どれほどいらっしゃるでしょう?

 もし、この話が本当で、
 「体験するため」の人生だとしたら、
  「そんなことしちゃ、いけないよ」
 と言うのは、何かおかしいと感じませんか?

 私たちは、「神ならざる体験」をするために、
 人間をやっているのです。

 ところが、普段の生活を振り返ってください。
 そういう目で見ていないのです。

  「親しい人が病気になった」
  「子供が不登校だ」
 というときに、
  「病気や、不登校を、体験してるんだなぁ」
 という目では、見られないはずです。

  「気の毒に」
 とか、
  「困ったなぁ」
 なんていう感情が、
 どうしても入ってしまうでしょう。

 しかし、「体験」という観点から、
 すべてのものを見られるようになったら、
 どんな出来事も、否定しなくなります。
 否定する意味が無くなるのです。

 「体験すること」が、私たちの一番の目的だとしたら、
  「あえていろいろな想いを持たなくてもいい」
 ということになりませんか?

 「幸せになろう」とか、
 「悟ろう」とか、
 「より良くなろう」とか、
 「向上しよう」とかは、
 どうでもいいことでしょう。

 大切なのは、
 今、目の前にあることを、
 ただ、体験することです。

 宇宙というのは、常に、変化して流れていますから、
 ただ、そこにいて、
 毎瞬毎瞬、「今」という瞬間を味わっていれば、
 私たちが存在している目的が遂げられるのです。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より

2013年10月21日月曜日

白昼夢

妻が、本を読んでいました。
手に持つ本には、手作りのカバーがつけてあり、
そこに書かれている文字が、ふっと、目に入りました。

 「私たちは生まれたこともなく、ゆえに死ぬこともない、永遠の存在です。」
 - Gudni Gudnason(グッドニー・グドナソン)

その言葉を見て、別の言葉を思い出しました。

『津留さん交流会』を始めることを決めてから、
「会の運営の参考になれば」と、知花敏彦先生のDVD鑑賞会に、参加しました。

そこで、『健康について』というタイトルの講演会DVDを拝見しました。

その中で、知花先生が、
 「寝ているときには、あの世に入っている。
  自分は、あの世で、働いている。
  寝ている時と、起きている時で、意識が続いている。」
という趣旨のことを、おっしゃっていました。

そして、そういう意識状態からすると、
起きている時というのは、まさに、
『白昼夢』を見ている状態なのだそうです。

 「『夢』と『現実』というのは、実は、逆なんだ」
という話は、各所で、いろいろと、耳に・目にしたことがありましたが、

知花先生の使われた『白昼夢』という言葉・単語が、
とても強烈で、とても辛らつで、そして、とても的確であると感じられ、
とても強く、こころに残りました。


それにしても、
本当に、本当に、この世界はパラドックスな世界、なんですねぇ。

そして、そんな『夢』の中で、
 「自分は、いったい、何をそんなに握り締めているんだ?」
 「自分は、いったい、何をそんなに手放せないんだ?」
そんなことを感じました。

2013年10月20日日曜日

全部、宇宙がやっている

 「ルーズな人がいる」
 時間にルーズで、約束 破って。

 あの、忘れるんですね、
 そういう人はね、
 本当にね、
 ルーズな人っていうのは。

 で、
 私たちの自我っていうのは、
 本当は、空っぽなんです、
 ここ(頭)が。

 いろんなエネルギーがあって、
 ミニ自我っていう、エネルギーがあって、
 いろんな情報を送り込んでくるんですね。

 でも、
 宇宙のシナリオを書いてる人は、一人なんですね。

 で、
 彼女が、「約束をすっぽかされて、イライラする」
 っていう体験をするためには、
 彼女の友達は、約束を忘れる必要があるわけですね。

 でも、「約束を忘れる」っていうのも、
 その宇宙がやってることなんです。

 思い出させないようにするんです。
 絶対に、思い出せないんです。

 いわゆる、
 全部、宇宙がやっている、と思ってくださいね。

 それと同じように、
 誰かが、誰かを好きになる、っていうのは、
  「自分が恋をした」
 とんでもない勘違いです。

 一番当たってるのは、
  「キューピッドが、恋の矢を撃った」
 これが、ぴったしの表現なんです。

 だから、
 自分がある体験をするために、
 ある特定の体験をするためには、
 誰かを好きになった方がいいし、
 好きにならないとできない体験っていうのが、
 たくさんあるんですね。

 そうすると、
  「なんで、こんな人が...」
 って思うような人を、好きになっちゃうんです。

 これ、みんなに聞いたら、
 必ず、それ、納得できるはずです。

 意思に基づいて、
 打算に基づいて、
 好きになるわけじゃあ、ないんです。

 すべては、意識の流れ。
 大いなる私が、したい体験をしようとしてるわけですね。

 だから、誰かを好きになるのに、つらくなるっていうのは、
  「自分が好きになっちゃった」
 と思ってるからなんですね。

 もっと客観的に見てください。
 -略-
 で、分かるわけです、矢を撃たれたのが。
 突然、好きになって。

 だから、まずそのことは、
 そのことで自分を責めるなんて、
 ナンセンスで、まったく意味が無い、
 っていうことですね。

 全部の問題は、ただ、
 自分がそうなってしまって、罪悪感を感じていることから、
 起きてくるわけですね。

 すなわち、
 その罪悪感を体験したかったわけですね。

 だから、
 ただ、体験していけばいいんです。


津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座11 』 より

2013年10月18日金曜日

個人セッション体験記

先週、妻の個人セッションを受けました。


当初は、つけ始めた「想念観察日誌」をもとに、
個人セッションを受ける予定でしたが、
僕の要望で、僕が今、自ら浄化したいと思っている項目・想念の浄化を、
手助けしてもらう形にしました。
そして、妻の発案で、まず、その想念に対して強く影響を及ぼしているであろう、
僕の過去の体験を浄化する、という方法をとりました。

妻の誘導で、目の前に、地下に降りて行く階段をイメージしました。
そして、その階段を降りて行きます。
下まで降りたところで、目の前に空間をイメージし、
さらにそこに、扉をイメージしました。

 「扉の向こうには、今のあなたに一番影響を与えている過去の体験があります」
 「その扉を開けて、その先へ進んでください。」
妻の声は、そう、誘導します。
ところが、その扉は開きそうにありません。

 「扉は開けられないけど、扉の上から、その向こうの景色は見えてます。」
そう伝えると、
 「では、その景色の中には、入っていけますか?」
と、妻。
僕は「はい」と答え、
その風景の中へ入って行きました。

 「そこには、誰かいますか?」
 「あなたと関係の深そうな人を、見つけられますか?」
妻の質問に、そのイメージの中の景色に、意識を集中し続けます。
しばらくして、今の僕とは関係のない人物が、一人、
薄っすらとだけですが、現れました。
僕たちは、その人物が、いわゆる過去生の僕かもしれないと判断しました。

 「その人物と話ができますか?」
 「その人物は、何か伝えてきますか?」
 「その人物が、その人生で学んだことは、どんなことですか?」
妻の誘導が続きます。

 「話はできそうにありません。でも、一つだけ、伝わってくる想いがあります。」
微かですが、何となく、その人物から感じられる想いのようなものがありました。

 「では、その想いを、しっかりと、感じてあげてください。」
その言葉に従い、僕は、ただ、それを感じました。
しばらくの間、ただ感じていると、ある時、その感覚はスーッと消えて行きました。
そして、その人物をイメージで抱きしめ、感謝の念を送りました。
その人物も、やがて、白くフェードアウトしていきました。

そんな工程を、数回、行いました。

いくつかの光景や人物が、イメージに出て来ました。
でも、どれも今の自分とは関連がなく、またそれら相互に関連・脈略もなく、
自分から出てきたイメージながら、意外でした。
また、現れるイメージそのものも、非常に薄っすらとしたもので、
それが今の自分とどう関係があるのかについて、
何か確信のようなものを持てるものは、一つもありませんでした。

また、そこで感じられる感情のようなもの、想いのようなもの、そんなものも、
どれも、とても薄っすらとしたもので、
しかもその内容がとても唐突に感じられ、
それが本当に今の自分と関わりがあるものなのかどうか、よく分かりませんでした。

ただ、それらの感情・想いは、
感じてあげると、消えて行く実感がありました。
そして、それが消えると同時に、
少しだけ、自分が軽くなった感覚もありました。


また、過去の体験の浄化のほかに、
普段の生活で頻繁に感じる痛みについても、取り除いてみることにしました。

僕は、普段、漠然とした不安感を、
軽い動悸を伴って、胸に感じることが多々あります。
また、時折、喉にも痛みを感じて、
それが深刻なときには、声が出にくくなることがあります。

「緊張感」と、とても似た感覚なのですが、
漠然と、それが僕の中の自分自身に対する「罪悪感」「自己否定」から来ていることは、
分かっていました。
ただ、その罪悪感の元となる想念については、
いくつか候補が挙げられるものの、はっきりとした確信がなく、
また、その時、ちょっとした誘導で、胸の動悸をはっきりと感じられたので、
妻のサポートの下、それを見つめて感じることにしました。

 「これは何? この感覚は何? これは何?」
少し間隔を置いて、継続的に、妻が声を掛け続けてくれます。
その声にサポートされ、僕はその胸の感覚を見つめ続けます。
何分か経つと、その不快感は、フェードアウトして行きました。

ところが、今度は、喉に痛みが現れました。
その痛みは、部分的に、とてもするどく現れています。
胸の痛みと、喉の痛みが、つながっていることが、明確に理解できました。

そこで、続いて、喉の痛みを感じ続けて、そしてそれを消し去ろうと試みます。
しばらく見つめ続けると、それはほとんど消えてなくなりましたが、
今度は、胸の痛みが、少し復活しています。

そこで、もう一度、胸の痛みを感じてあげる。
続いて、喉。
そんなことを、数度、繰り返しました。
しばらく後には、どちらもほとんど感じられなくなっていました。


そのほか、
M2テクニックを使ったエネルギーブロックの浄化も行いました。
「内杉式」、「津留式」、どちらも行いました。

妻の誘導サポートの下、
いくつかの感情を、自分から引き出し、見つめ、
いくつかの価値観を、自分から引き出し、宇宙へ手放し、
そして、反転したエネルギーを、自分の中に抱き入れました。

普段、M2を使った浄化は、一人で、していますが、
妻からの誘導があったほうが、よりスムースにできたと思います。
M2を使った浄化においても、
他者からの適切な誘導が、とても効果的であることを実感しました。


今回の個人セッションで、
どの程度の浄化ができたのか、どの程度の効果があったのかについて、
はっきりとした実感のようなものは、まだ、ありません。
ただ、動悸を伴った漠然とした不安感のようなものや、喉の痛みは、
それ以来、今のところ、ほとんど感じられなくなっています。

その効果は、今後、特に今後の僕の行動によって分かるのだと、思っています。


妻は、このあと、数名のモニターさんを募集して、 もう少し実践経験をした後、
本格的に個人セッションを開始する予定です。

ご興味がおありの方は、どうぞ、今後の案内をお待ちください。

2013年10月17日木曜日

二人の宇宙が違う

 対立するのは、
 「相手のことが理解できないから」
 なんですね。

 自分が住んでいる世界が、相手と違っていたら、
 理解できないのは当たり前なのです。

 私なりの表現で言いますと、
  「二人の宇宙が違う」
 のです。

 あなたは、あなたの宇宙空間に住んでいます。

 それは、
  「あなただけの宇宙」
 なんです。

 その世界で、ひたすら、自分にとっての正義を通しているのです。

 自分の主義主張、正しさを押し付けると、
 相手は怒ってきますよね。
 それで、夫婦喧嘩となるわけです。

 怒りだして対立した状態、というのは、
 同じ家の中で、「二つの宇宙空間」があるのです。

 だから、どんなにあなたが正論を言っても、
 空間が違っていて、波長が合わないのですから、
 相手は受け入れないのです。

 「分かり合える」というのは、
 相手と波長を合わせることなのです。
 波長が合ったときに、空間が一つになります。
 相手と調和している状態です。

 あなたが、自分の正しさを主張しているときは、
 向こうは、同じ力で、自分の正しさを主張してくるでしょう。

 この力は、まさに、『作用反作用の法則』で、
 あなたが押す力と同じ力で、相手も押し返してきます。
 ですから、力や感情で、相手を押さえ込むことはできないのです。

 しかし、あなたが相手を肯定し、波長を合わせてあげれば、
 瞬時に、同じ宇宙空間に戻り、一つに溶け合います。

 相手と対立したり、裁いていると、苦しいですよね。
 でも、肯定し、受け入れると、楽になります。
 それが、相手と波長を合わせることになるのです。

 これは、
  「自分の波長を下げる」とか「上げる」、
 ということではありません。
  「空間を拡げて、包み込んでしまう」
 ということです。

 自分の空間が広がると、相手の周波数も入ってきますから、
 相手の感情を理解することができます。

 それは、
  「100%、相手を受け入れてる状態」
 ともいえるでしょう。

  「周波数が拡大する」
 すなわち、
  「自分の空間が広がる」
 というのは、
  「目の前にあるものを、どれだけ、肯定しているか」
 だと言えます。

 あなたの空間に否定するものは、本来、何も無いのです。

 私たちは、
  「どれだけ、目の前の現実を肯定できるか」
 という旅を、続けているのです。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より

2013年10月16日水曜日

「しよう」と思って行為することは、うまくいきません

 おもしろいマジックを見せてくれることで
 有名な喫茶店が、九州にあります。

 私も何回か行ったことがあるのですが、
 穏やかな人柄のマスターが、
 いろんなマジックを見せてくれます。

 その中に、
 タバコでコインに穴を開けて、シューっと通してしまう、
 というのがあるんですね。

 どうしてそんなことができるのでしょうか?

 マスターは、
 「コインだと思っていると、穴は開かない」と言うのです。

 まず、コインを紙だとイメージします。
 で、タバコを千枚通しとかボールペンのように、
 硬くて先のとがったものだとイメージできたら、
 スッと入っていくのだそうです。

 そのイメージの練習を、マスターは、毎日やっているんですね。

 で、ある日、お金持ちの男性が店に来て、
 「オレの前でタバコでコインに穴を開けたら、500万円やるよ」と言って、
 500万円の札束を目の前に置いたんだそうです。

 そうしたら、できなかったそうです。
 ここがとても人間らしいところで、
 やっぱり、欲が出るわけです。

 だから、自我が働こうとするのです、
 「なんとかしよう」として。

 頑張って「しよう」「しよう」とするのは、
 「できないかもしれない」と疑ってる、とも、言えます。
 だから、できないのです。

 自我は、いつも、「しよう」と考えるのですが、
 なんであれ、「しよう」と思って行為することは、うまくいきません。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より

2013年10月15日火曜日

「悪いことではない!」勇気を持って、ジャッジしてみる

(「 マイナスは雪だるまのように拡がっていく 」の続きです)
 

 で、もう、痛みを感じた時に、
 その理由をすぐ考え出す自分に気づいてほしいんですね。

 で、理由を探さないんです。

 「理由を探さないようにする」
 っていうのはどういうことか、っていうと、
 理由を探すっていうのは、
 それを「悪いことが起きてる」と理解するわけです。

 え~、頭痛がしだしたら、どうですか?
 すぐ理由を考え出しませんか?

 「あ、働きすぎだ」とか、
 「あ、ここの肩がこってる」とか、
 「なんでだろうか?」って、
 すぐ考えると思うんですね。

 で、考えても、何も、実は、埒(らち)が明かなくて、
 考えて原因が見つかると、
 原因を否定して、自分が否定される。
 それで、また、その痛みは拡大していく、
 という循環をとるんです。

 で、ポイントはですね、
 「悪いことが起きてる」、
 ただ頭痛がするだけで「悪いことが起きてる」って、
 こう判断するわけです。

 けども、え、
 「悪いことではない!」
 勇気を持って、ジャッジしてみてください。

 頭痛だけじゃない、どんなことでも、
 痛みがあったら、
 「悪いことではない」
 「ただ、痛みが起きてる」

 じゃあ、どうすればいいか?
 「あっ、これを少し感じてみよう」

 そして、そのエネルギー、
 まず、「あっ、ここに痛みがある」っていうことを、事実を認識します。

 頭が痛かったら、「ここに痛みがある」って事実を認識します。
 認識すると、はっきり「他」としてながめられるようになる。
 しっかりそれを認識したら、そのエネルギーの中に、
 スッと入ってみるんですね。

 で、これがうまくできるようになると、
 エネルギーと一体化します。
 一体化すると、不思議なことにですね、
 どんな痛みのエネルギーも、そのエネルギーと一体化したら、
 それを「痛み」と感じないんですね、一体化してしまえば。

 え、これは本当ですから、ぜひ、挑戦してみてくださいね。

 まず痛みがあったら、「どうしてか?」って考えないんですね。
 そして、感じることです。
 まず感じてみる。

 「あぁ、痛みがある。痛みがある。痛みがある」
 じっと感じていると、はっきりそのエネルギーそのものを
 認識できるようになります、感じてたら。

 「あ、ここにエネルギーがある」
 認識できます。
 え、対象物として。
 自分の痛みを、エネルギーとしてはっきり認識できるようになります。
 認識できたら、サッとその中に入る。
 そうすると、一体化します。
 一体化したら、痛みを感じなくなります。

 これは、今、頭痛のことを話しましたが、
 そべてのことが、そうなんですね。

 そうすると、逆に、気持ちよくなってくるんですね。
 そうすると、悪いことが起きてるように感じなくなる。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より


2013年10月14日月曜日

マイナスは雪だるまのように拡がっていく

(「 蚊とか蜂とか 」の続きです)

 で、本当は、そういうエネルギーの集大成として、
 自分が人を、こころの中で攻撃して。

 え、1日10回攻撃する。
 1年経ったら、3,650回攻撃することになるわけですね。

 で、当然それは、自分に返って来るわけですね。
 「与えるものは、受け取るもの」として。

 で、ど~っと攻撃されると、
 攻撃された人そのものを、こう、非難しますよね。

 だから、ここが大切なところなんですけれども、
 -略-
 え、みなさん、自我の日常の働きっていうものを
 知ってほしいんですけれども、
 まず、日常生活で、自我が考え始める瞬間っていうのは、
 こころに痛みを感じた時なんです。

 こころに痛みを感じた時に、すぐ、自我が考え始めます。
 何を考えるか?
 痛いんだから、理由を考えるんですね。

 で、今日、これだけ、ぜひ、持って帰ってほしいんです。

 痛みを感じた時に、「どうしてだろうか?」って理由を考える。
 これを、もう、止めようと思ってほしいんですよね。

 どうしてかっていうと、
 理由を考えると、すぐに犯人探しを、原因探しを始めます。

 原因探しを始めて、
 「ああ、自分が悪かった」と思ったら、自分をとがめます。
 え、それが、ある病原菌だったら、病原菌をうらみますね。
 ガンのウィルスをうらんだりします。

 何であれ自分ですから、
 原因を見つけると、それをとがめて、
 とがめると、そのとがめは自分に返って来るわけですね。

 そこで、まず、痛みが来ると、頭で原因を探して、
 原因探しで原因が見つかると、それをとがめるんです。
 とがめると、とがめ返される。
 そこで、痛みが倍加されるわけですね。
 もともと痛いものが、倍加されます。

 こうして、マイナスは雪だるまのように拡がっていくんです。
 これが、みんさん、普段体験していることなんです。

 もともと根っこにあるのは、実にささいなことです。
 チクッと痛んだ時に、バンッと攻撃してしまう。
 攻撃すると、攻撃が返って来て、
 その痛みが倍になっていく。
 倍になるから、また攻撃する。
 また攻撃される。
 で、雪だるまのように、進んでいきます。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より

2013年10月13日日曜日

蚊とか蜂とか

 新しい地球に、え~、私は、
 蚊とか蜂とか、いらないなぁと、思うんですね。

 そう思いませんか?
 蚊とか、蜂とか。

 「じゃ、あれ、なんだろうか?」って、
 ぜひ考えてほしんです。

 チクチクチクチク刺しますね。
 私たちの集合意識に中に、あの性質がある、
 ということを物語っているだけなんです。

 で、よ~くよ~く、自分のこころをチェックしてみてください。

 家の中にいて、
 「またこんなところに靴下脱ぎ散らかして」
 「また散らかしたまんまだ」
 「また電気つけっぱなしで」

 こころの中で、四六時中、
 チクチクチクチク、人を攻撃してるんです。

 ぜひ、そのことを、気づいてください。

 これがある限り、蚊は存在し続けることになるんですね。

 で、離婚とか、失業とか、失恋とか、大きな問題になると、
 みなさん、真剣に考えますね。
 で、反省もします。

 大きな問題は、反省もしますから、
 考え方も変えようとします。

 ところが、けっこう、え、
 「あの人、あんなしゃべり方して、口汚いわねぇ」とか、
 「なにあの人は。センス無いわねぇ」とか、
 日常、かなり、自分の価値観で、
 人をチクチクチクチク、こう、刺してます。

 それに対して、実は、ほとんど気づいてない方が多いんですね。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より


2013年10月12日土曜日

「こうあるべきだ」の掃除

(「 今、目の前に、あるんです、悦びは 」の続きです)

 「しないといけない」「しなくていい」
 いわゆる、これ、「良い」と「悪い」なわけです。

 で、「良い」と「悪い」という価値観に基づいて、
 自我は、「良い」ことをしようとして行動していきます。

 それは、その反対が必ずある、っていうことだから、
 一枚のコインを手に入れようとすると、
 長所と短所があるわけですね。

 みなさん、今まで、自我の追い求めるもの、
 名誉であれ、地位であれ、
 どんな喜び、追い求めるものには、
 必ず、反対があるんですね。

 で、本当は、
 その反面、裏っ側が、
 その喜びを作り出してるんです。

 ところが、その反面を、
 みなさん、悪しきものだと思ってますから、
 必ずそれで、しっぺ返しが来ます。

 で、この「良い悪い」の掃除、もっと、
 ぜひ一番最初に取って欲しいのは、
 よく聞くことだと思うんですけれども、
 「良い」の強いやつで、
 「こうあるべきだ」。

 「夫は こうあるべきだ」
 「職場では、従業員は こうあるべきだ」
 「社長は こうあるべきだ」
 「上司は こうあるべきだ」
 「先生は こうあるべきだ」
 「生徒は こうあるべきだ」

 これもね、あの、まだまだ、
 この職場とか、家庭の中では、
 たくさん持ってるんです。

 たとえば、主婦の方で、
 料理・夕飯の支度をして、
 「よくやった!」と思う人はいないと思うんですね。

 普通の「良い」だと、
 料理をして、で、料理ができたら、
 本当は喜びを感じるんですね。

 「良い」と思ってるだけだったら、
 良いことをして、それが、料理が完成したとき、
 喜びを感じます。

 ところが、
 「主婦とは料理を作るべきだ」と思ってると、
 料理を作るのが当たり前になっちゃってるわけです。

 だから、この「べき」の場合にはですね、
 良い場合の「喜び」が生まれないんです。
 「当然」なんですね。
 「して当たり前」。

 ところが、今度逆に、反面が出た時には、
 「とんでもない!」
 「料理サボるなんで、とんでもない!」
 「とんでもないことだ!」
 極端にとがめて。

 「べきだ」っていう考え方は、
 もう「とがめ」以外、存在しないんです。

 「良い」だったら、
 まず、「良い」と「悪い」で、
 これ、ご破算(はさん)になるんですよね。
 「良い」と「悪い」でご破算になるんです。

 「努力したら、報われる」
 どんなに努力がきつくても、
 努力に比例して、その結果が、良い結果が出たら、
 報われるでしょ?

 報われると、
 その努力の苦しみっていうのは、
 全部一緒にご破算で、きれいに消えちゃうんですね。

 ところが、
 「職場では、仕事して当たり前」
 「こうあるべきだ」
 って思ってると、
 仕事やったことに対して、あんまり喜びがないわけですね。
 当たり前になっちゃってる。

 そして、サボる罪悪感だけが、こう、倍加してくるわけなんですね。

 で、あの、こういう話もいつもしてることですけれども、
 日常、それをほったらかしてて、
 で、よ~く気づいてみると、
 しょっちゅう、人をとがめたり、自分をとがめたりしてるんですね。

 あの、ぜひ、
 その「とがめる自分」に気づいて、掃除していく、
 ってことを、やってください。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より

2013年10月11日金曜日

今、目の前に、あるんです、悦びは

 ぜひね、もう少し、自分に意識を向けてください。
 で、これからの人生、 -略- 
 どれだけ自分に意識が向いてるか、
 これをチェックして欲しいんです。

 人のことなんか、ど~~~~でもいいんです。
 -略-
 私たちの目は、外を向いてます。
 そして、そういうことに興味を持っているのは自我で、
 実は、そういう自我が、常に日常の中で、
 例えば、テレビをつけてみたり、
 本を読んでみたり。

 あの、今ここにある、
 今、ここ、目の前に、みなさん、
 神を見、神を聞き、神に触れている。

 なのに自我は、
 常にここから意識をそらすことばっかりやってるんです、
 日常的に。
 常に、何かしようとします。
 今この瞬間から意識をそらすんです。

 それを、強制的に、今ここに戻す。
 それをぜひやって欲しいですね。

 で、この話は、本当に根気よくしなくちゃいけないことなんですけど、
 日常生活をよ~くチェックしてほしいんです。
 自分がいつも何をしているか。

 常に暇さえあったら、「今度何しよう?」と、考えてますね。
 で、この世界で何かをするってことは、
 もうほとんど価値の無いことなんですね。

 自分の中にある神を発見していく、この悦(よろこ)び。
 これはもう絶対的で、微動だにしないものなんです。

 しかし、ほとんど、日常生活の中で興味があるもの、
 例えば、ステキな彼がいたら、その人のことばっかり考えてる。

 確かに、いいものはその人に喜びを与える。
 しかし、それは二極のものであって、それが無くなる苦しみ。
 今までのこの二極の世界っていうのは、
 必ず、得て、失っていく。
 手に入れて、無くしていく。

 けど、そんなものじゃなくて、
 絶対に無くならないものがあるんです。
 目の前に。

 で、ぜひその、いつも意識、
 目の前、ここにあるすばらしいものから意識をそらそうそらそうとしてる
 自我の働きに気づく訓練をしてくださいね。

 山の頂上にあるわけじゃあないんですね、悦びは。
 今、目の前に、あるんです。

 ところが、自我は、「そんなはずはない」って思うんですね。
 「今ほどつまんないものはない」って。

 それは、長い間感じなかったせいであって、
 いつも今がつまらないのは、
 今ここにいるチャンスに、「明日どうしようか?」っていうことを
 考えているためなんですね。

 ぜひぜひ、この瞬間瞬間に意識を戻す訓練を。
 これだけは、報いられますからね。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より

2013年10月10日木曜日

自分に気づく訓練・儀式・アファメーション

 今、一生懸命考えてるでしょう?
 これが、自分の今の一つの問題だと思ってください。

 日常たくさんのことで、
 さっき私が、例えば、
 「またこんな所に靴下脱ぎ散らかして」とか、
 「またこんな所にかばん置いて」とか、
 それから、
 「もうちょっと静かにしてよ」とか、
 「いま忙しいんだから静かにしててよ」
 こういう想いを、日常、振りまいてるんです、みんなね。

 で、思い出せないでしょ?
 すなわち、気づきもしないわけです。
 これが最大の問題なんです。

 とことん自分自身を痛めつける、
 その否定的な想いっていうのは、
 全部自分に返ってくるんだから、
 全部自分を痛める想いなんです。

 その総和として、実は、そういう現象が起きてるんです。
 だから、それを直そうと思っても、ダメなんです。

 で、まず、浄化するためには、気づかないといけないわけです。
 自分が否定的な、何かをチクッと刺すような想いを出した瞬間に
 まず気づけないことには。
 それで必ずチクッとここが痛んでるんですねぇ。

 で、気づく訓練をまず最初にしてください。
 気づけば、掃除ができるんです。

 で、掃除するためのテクニックは、
 その、テクニックだから、
 そんなに難しくはないんです。
 やれば取れるんです。

 ただ、気づかないものはどうしようもない。
 まず、気づく訓練。

 で、気づく訓練の最初にやるべきことは、
 「私は もう絶対に 何も とがめない」って、
 まず、決心からです。
 最初にやることは。

 一度、儀式をやってください。
 自分の目の前に、自分のハイヤーセルフっていうのをイメージするんです。

 どんな姿を与えてもいいんです。
 エネルギーですから。
 どんな姿でもいいんです。
 自分の好きなイメージを与えて。
 神々しい姿がいいでしょう。

 で、自分の内なる神に向かって宣言するんです。
 「私はもう絶対に 自分をとがめない。人をとがめない。何もとがめない。」
 「私は絶対に 何も否定しない。自分を否定しない。人を否定しない。」
 そういう宣言をするんです。
 こういう儀式です。

 で、その後、まだする必要があります。
 えぇ、「気づく」っていう作業も、実は、自我がやるしかないんです。
 そこで、自分の中で、自分の中から出てくる否定的な想念を気づかせる
 見張り番を作る必要があるんです。
 新しい自我です。
 え、審判員ですね。
 ピピッ って笛を吹いてくれる審判員。
 それを作る必要がある。

 それを作るのは、アファメーションを使うといいですね。
 アファメーション。
 え~、毎日、朝晩、50回ずつ、今の言葉を言うんです。
 毎日毎日。
 「私はもう 自分を否定しない。人を否定しない。何も否定しない。」
 これを50回、朝晩。
 毎日これを50回。

 これをどのくらいやればいいかっていうと、
 もうちゃんと、否定的な想念が出たら、
 パッと「あっ、否定してる」って気づけるようになるまで。

 そうしたら、もう必要ないです。
 もう、自我が育ってますから。

 で、最後は、その自我も取ることになるんですけれども、
 それまでずっと、これから1年くらいは、
 その自我が活躍してくれます。
 そうしたら、ちゃんと気づけるようになります。

 だから、まず、すぐ気づける強~い自我を、
 エネルギー体として、作り上げる必要があるんですね。

 ぜひやってみてください。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より

2013年10月9日水曜日

明日することが自然に

 (「 自分に気づく 」の続きです)

 今、呼吸に意識を向けてください。
 呼吸に意識を向けたら、
 自分が今、息を吐いているのか、吸っているのか、
 どちらかですよね? ね?
 それ、すぐ分かるでしょ?

 それを、絶対に忘れないんです。
 自分が今、吐いてるのか、吸ってるのか。

 起きてる時間のすべて、それに気づいていられるようになれば、
 もう、悟った人になるんです。
 簡単なんです。

 言うのは簡単ですね。
 後は、できるかできないか。

 これがまた、まず、私もやりましたけど、
 3年以上かかりましたね(笑)

 で、ふぅー っと反応した時には、
 反応心の中に埋没しちゃってるわけなんです、もう。
 その時には、思考がもう、グルグルグルグル回ってます。

 それからすぐ出る、という努力。
 まず気づく。

 どうするかっていうと、呼吸に意識を向ける。
 この努力を四六時中すれば、必ず自然に変わってきます。-略-

 そうしたら、え~自然に、
 明日することが自然に、ポンポンッ と。
 呼吸を見張ってたら、内側から行動要求がポンッと来るわけです。

 必ず来ます。
 内側から。
 未来の自分から。
 次は何をするか、もう決まってるわけですから。
 未来の自分からポンッと行動指図(さしず)が来るわけです。

 行動指図っていうより、
 「したい」っていう、
 「ああ、これしよう」っていう想いですね。

 強い欲求じゃあないんです。
 してもしなくてもいいんです、私たちは。
 ただ、こうしようっていう想いが、ポンって来ます。

 で、それがパッとできればいいんです。
 パッと来たものを、パッとする。
 そうするといつの間にか、
 「あっ、これが、私、したかったことだ」って、後から気づきます。

 そして、その仕事、ずっと続けた方がいいのかどうかとか、
 それが自然に起きてきます。

 続けているかもしれないし。
 え~、昇進の仕事、
 引き受けてるかも知れないし、引き受けてないかもしれませんね。

 で、その時、本当に、分かりますよ。
  「あっ、ごめんなさい。お断りします。」
 ポッ と口から出てきますから、ほっといても。
  「あ、ありがとうございます。やらせていただきます。」
 って、口から出てきます。

 それで分かります。
  「へぇ~、あ、オレ、これやるのかぁ」
 言葉が出てきますから。
 いつも観察してたら分かります。
  「あぁ、そうか」

-「じゃあ、あんまり頭でゴチャゴチャ考えないほうがいいんですね?」

 考えてかまわないけど、考えても、何一つ生産されないんです。
 生産されると思い込んでるんですね。
 意外な答えでしょ?(笑)

 あの、行動することはどちらでもいい、って思ってください。
 どちらでもいい。
 どちらでもいいと、思えるかどうかですね。

 恐れがあったら、そうはいかないわけですよね。


津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座10 』 より


自分に気づく

 今ね、今、自我が働いたんです。
 自我はすぐ「しよう」とするんですね、何かをね。

 「恐れはいらない」と思ったら、
 恐れを「取ろう」「取ろう」とし始めるわけです。
 ここで知識として「恐れはいらないんだ」って分かったら、
 自我は知識を使って、それを取ろうとし始めます。

 ところがですね、よくできてます。
 これ、パラドックスなんです、この世界は。
 だから、自我が取ろうとすると、取れないんです。

 もういっぺん言いますよ。
 取ろうとするものは、取れないんですよ。
 自我のやろうとすることは、上手くいかない。

 今日、絶対、これだけしっかり頭に入れて。
 自我がやろうとすることは、上手くいかない。

 これがまた、難しさでもあるんですね。

 すぐ自我が出てきます。
 すぐ、「じゃあ、どうすればいいか?」って聞いて、
 それをしようとするわけです。
 でも、なかなかそれ、上手くいかないんです。

 で、恐れがここに来たら、
 取ろうとしたら育ててしまうんです。
 だから、自分のその反応に気づく必要があるんですね。

 ただ、恐れが来た。
 「ああ、来た来た来た」って見てる分には、消えていくんです。

 「あ、やだやだ。何とかしなきゃ。
  あ、そうだ。津留さん、ああ言ってたから、これ取ろう。
  あ、見ればいいって言ってたから、ようし。」
 これ、取ろうとしてますから、、エネルギーを育ててしまうんです。

 そこで、ちょっとそのクセが直るまで、
 まず私が勧めるのは、自分に気づくことを勧めるわけです。

 「何とかしよう」とするんじゃなくて、
 すぐ何かしようとしますから、
 そうしたら、すぐそれに気づく。

 だから、気づくことに意識を向けていくんです。
 気づこうとするんです。
 常に自分に気づく。
 何かをしようとする自分にだけじゃなくて、すべて。
 いわゆる、自分に見張り番を立てる、っていうことです。

 どうしてかっていうと、
 私たちの意識は、いつも他人方向に向いています。
 外側に向いているんです。
 目が外側に向いているから。

 これは、ただ観察してるだけなんです、外の世界を。
 ただ観察してるだけなんです。

 観察してる対象を変えようとしてるわけなんですね、
 人間というのは。
 ただ観察してるだけだから、観察して、当面、観察して、
 何かが起きると パッ と自分の中に反応が来ます。

 ポッ と波打ったり、
 「またぁ~」とか、
 いろんな反応が来ます。

 その、自分の中に生起する、その反応に気づく努力をするんです。
 最初はまず気づくことだけ。
 見張り番を立てる。

 それのやり方として、私が勧めてるのは、
 呼吸に意識を向けてください、って言ってるんです。

 呼吸に意識が向けてたら、
 ピッ と こう 反応した瞬間が分かるようになります。
 呼吸に意識を向けてると、ちゃんと向いていれば、
 自分の中の反応が、すぐに分かります。

 ところが、意識が外に向いてると、自分の中の反応に気づかない。


 津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座10 』 より


2013年10月6日日曜日

恐れがあるから、できない

 自我というのはですね、
 何かを「しようとする」んですね。

 そして、なかなかやらないんですね(笑)
 しようとする自我は、「どちらがいいだろうか?」って、
 まず、考えはじめるわけですね。

 「やりたいことをやりたい」という想いがあるでしょ?
 だから、やりたいことはすればいいだけだから、
 悩むような問題ではないんですよね。
 このポイントが分かるかどうか。

 ただすればいいんですよね。
 でもほとんど、
 「どうやって?」
 「ほんとうにいいのかしら?」
 考えてる時間はあるんですね、それね。

 で、やりたいことをちっともやらないんですね。
 「うまくいくだろうか?」って、考えてるんです。

 「うまくいくだろうか?」って考えて、幸せになります?
 ならないでしょ?

 「うまくいくだろうか?」
 これ、悩みの状態なんですね。
 だから、考え始めたら、悩みをふくらませるわけ。
 悩みの世界に こう 意識を送り込むわけだから、
 自分の悩みの空間を拡げてるだけなんです。

 で、自我はそんなことしたいと思ってないんです。
 したいことがあったら、すればいいんです。
 ただ、すればいい。

 で、それができないのは、恐れがあるからなんです。
 ここをみんな、はきちがえてるんですね。

 恐れがあるから、しようと思ってもできないんだ、って、
 知らないんです。
 だから、考えるんです。

 でも、考えてもダメなんです。
 したかったら、ただすればいい。
 それを妨げるのが、恐れなんです。

 で、その恐れをしっかりキャッチする必要があります。

 で、恐れは、やりたいことをし始めたら、
 これ、始めなくてもいいんです、
 「やる」って決めてしまった段階で、
 「やろう」って行動しようとすると、
 グーッと、恐れが出てきます。

 だから、まず、やりたいことをする、って決めることです。
 「自分は自分らしく生きたい」っていうことを、まず決めるんです。
 で、「やろう」って、一歩踏み出そうとしたら、
 必ず、恐れの方がグーッと来ます。


津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座10 』 より


2013年10月5日土曜日

集合意識・全体性

妻が、昨日、ブログを更新しました(「 ある日の体験 」)。
とてもすばらしい内容で、その気づきに、体験に、感銘しました。

前半では、みんなで一人なんだ、全体で一つなんだという気づき、
その体感について、書いていました。

いわゆる、「集合意識」について触れていますが、
僕の場合、この概念が、長い間、どうも、理解できませんでした。
理屈的にはわかっても、どうも腑に落ちない・体感できていない感じでした。

スピリチュアルな学びの中で、そのうちの頭での理解の中で、
いくつか、壁となって、しばらくそこで理解が進まなかった概念があるのですが、
「集合意識」というのは、その一つです。

ちなみにいえば、もう一つには、「タイムライン」の概念があります。
機会があれば、それについても、書きたいと思います。

逆に言えば、これらのことが理解できた時、
一山越えたかのように、すーっと、その他の理解も進んでいきました。
ただ、おそらく、これは、僕の個人的な体験です。
みなさんは、また、違った経緯をお進みのことでしょう。

さて、集合意識といった概念や、すべてが一つであるといった考え、
あるいは、すべてが神であるという考え、そういったものへの理解・納得は、
僕の場合、今年に入って、急速に進みました。

この春、知花敏彦先生や、そのお弟子さんの飯島秀行さんの本を、
立て続けに何冊か読んだのですが、そのうちの1冊を読んでいるときに、
突然、「あぁ~~、そうかぁ~」と、身体全体で理解するように、
すぅ~っと、身体の中に入ってきました。
曇りがちな空から降りてきた、やわらかい陽ざしが差し込める、電車のシートの上で、
本を手にしながら、その理解に、体感に、至福を味わっていました。

 見えるものも、見えないものも、すべては同じものでできている。
 すべては同じである。
 すべては一つである。
 すべては神である。

今、この時点では、その時の体感のようなものは、
正直、ずいぶんと薄れてしまっていますが、
それ以来、その理解への確信は、身体の中に留まっています。

よく言われていることですが、
おそらく、地球全体が、今、そのようなエネルギーになっていて、
つまり、「分離」の時代から「統合」の時代に移って来ていて、
そういうこと、全体性や一体感について、理解しやすい状況なんでしょうね。

妻のブログを読んで、そんなことを思いました。

2013年10月4日金曜日

強い北風に

普段、ジョギングや散歩に使う道は、南北に一直線の道です。
いつも、行きは北に、帰りは南に進むので、
北風が強いときには、往路はずっと向かい風、復路はずっと追い風になります。

今朝のジョギングは、まさにそんな状況でした。

あまりに強い北風に、行きは、
「どれだけ前傾しても倒れないか」と、
「一歩がどれだけ風に押し返されて短くなるか」を、
ただ、自然と、楽しんでいました。

帰り道は、普段よりも上に跳ねるようにして、
「どれだけ前に押し流されるか」を楽しみました。

今朝、僕は、自然と、往路も復路も楽しんだのですが、
考えてみれば、これ、「ポジティヴ・シンキング」と同じですね。

津留さんが言っていたように、
どんな物事にも、プラス面とマイナス面を見つけ出すことができます。
そして、解釈によって、常にプラス面を見出すことが、
ポジティヴ・シンキングですね。

ただ、津留さんが続けて言っていたのは、
プラスを生めば、必ず、マイナスを生む。
プラスの解釈をすれば、必ず、同じ基準によって、マイナスの解釈を生み出す。
ということです。

何かの考え・基準を持てば、必ず、プラスとマイナスの両方を生み出す。
そして、考え・基準を持たなければ、手放せば、
ただそこには客観的な現象があるだけだということ。

今朝、そこにあったのは、ただ、「風が強い」という状況でした。

それを「楽しむ・苦しむ」のも、「いい・悪い」と解釈するのも、
すべて、自分の中の考え・基準・条件を通してです。

そして、もちろん、何も考え・基準を持ち出さず、
ただ、その風の強い状況を体験する、ということもできます。

それらを決めているのは、すべて、自分です。
自分の内側であり、外的な状況ではない、ということです。

「どうすべきか」の話ではありません。
それを決めるのは、個人の選択です。
ただ、そのようになるのは法則だ、ということです。

今朝の強い北風に、そんな津留さんの言っていたことを思い出しました。

2013年10月3日木曜日

3次元から5次元に上がるトンネルを掘ってる

 自分にハイヤーセルフがいることを信じてください。
 ポイントはこれだけです。

 そして、今ある現実がベストだっていうことですね。
 「今あるこの瞬間がベストだ」って、ここを信じた人だけができるんです。

 ベストというのは、グッド - ベター - ベスト って言って、最上級なんですね。
 今、職が無いのは、ここがベスト、最上級なんです。

 で、そのお金の無い怖さを体験する必要があって、体験して、
 これが怖くなくなったら、今、何が怖いんです?ね?
 お金克服できたら、強いですよねぇ。 -略-

 これ、誰かが克服する必要があって、
 先に克服しようと決めた人だけが、私の話を聞きに来るんですよね。

 そして、私たちの生活ぶりを見て、他の人が、
 「あんなことして生きていけるんだったら、私もやってみよう」と、
 後からついて来ることができるわけです。

 ちょうど私は、3次元から5次元に上がるトンネルを掘ってる状態なんです。
 一人で先頭で土を落として、私は真っ暗闇の中を進んでいるんです。
 先は誰もいないんですね。

 でもそれ、私がかき出した土を、誰かが運び出してくれる必要があるんです。
 こうやって、みなさん、聞きに来てくださるみなさんが、運び出してくれるんですね。

 そうすると、みなさんが土を運び出してくれたら、
 その真っ暗なトンネル、後から、「じゃあ俺も」と言って、
 ロウソクをつけて次の人は歩いて、まだ次の人もまだ恐る恐るですね、
 ロウソクで歩いて来ます。

 そうすると、ロウソクで歩いて来た人が、
 「向こう、すばらしい世界だったよ」と言うと、
 「じゃあ投資しようか」と言って、電線を張り、電気をつける、
 投資してくれる人が出てくるんです。
 この道が整備されるんです。

 そして、大多数の8割の人は、ゆうゆうと、
 みなさんが作ったトンネルを、楽しみながら歩いて来るんです。

 で、その人たちがいるから、我々は金銭のことを心配せず、
 今、食っていけるんです。
 さっき言った、最低何もしなくても食っていける状態は、
 やっぱり8割の方が経済活動をしてくださっているからなんです。

 だから、役割なんです。
 先に覚醒して、お金の要らない社会を作るために、
 お金なんて無くて生きていけるんだって実践する人を、
 今の日本の経済人が支えてくれてるんです。
 だから、一緒に行くのと同じなんですね。

 だから、今、目の前にあることをやってください。
 何をすればいいか、考えないでください。


津留晃一 講演会CD『 在る 』 より


2013年10月2日水曜日

黄金と虹と

2013年10月1日撮影

 幻想的な光景に出会いました。

 夕刻、夕陽が雲の一部を照らしていました。
 照らされた雲は、流れ落ちるように、南アルプスに垂れかかっていました。
 輝いた部分の左下には、うっすらですが、虹の輝きが現れています。
 下の黄色は、収穫が直前に迫った、黄金色の稲です。

 これから現れる「黄金文明」をくっきりと表し出しているかのようでした。
 それを支えるのは「虹色の戦士たち」なのでしょうか。


2013年9月27日金曜日

神に還るというのは

前回 の続きです )

 こういう話を聞いて、自我さんはどうするかというと、
 それを書き始めるんですねぇ。

 「呼吸に意識を合わせるのが一番いいですよ」と言ったら、
 呼吸に意識を合わせようとしないんです、自我は。
 それをまず書こうとするんです。
 それを知識にしようとするんです。
 こうやって自我が働いてしまうんです。

 だから、呼吸に意識を合わせれば、
 本当の自分を発見するし、
 神を発見するし、
 至福を発見するんです。

 だから、やればいいんです。
 じゃあ、やってください。
 今、呼吸に意識を向けてください。

 誰でもできるはずです。
 今、ここで、呼吸と共にいる、ということ。
 自分が、今、呼吸が、
 吐いているのか、吸っているのか、その間で止まっているのか。
 意識を向ければ、すぐに分かります。

 で、それを のがさない。
 一番簡単なことですけれども、
 それを継続するのは、世界で一番難しいことなんですね。

 だからみんな、
 座禅をするとか、瞑想をするとか、
 何年もするんですね、
 何十年って、みなさんやるわけです。

 その意識を発見したいからなんですね。
 その心の位置を発見するためなんです。

 でも、なじみ深い所なんです。
 呼吸と共に在ったら、
 もうそれがそこなんですね。

 なんてことはないんです。
 呼吸と共に在りさえすれば、ですね。

 だから、神とつながってない人なんか いないんですね。
 ただ、呼吸といつもいっしょに。

 ただ、忘れてるでしょ、いつも、呼吸を。
 呼吸を無意識になってる。
 これが神からの分離なんです。

 だから、神に還るというのは、
 呼吸を意識的にやる、ということなんです。
 たったそれだけでいいんです。

 ありがたいですね。
 一番簡単なことだったという。

 ただやりさえすればいいんですね。
 やるか、やらないか。
 たったそれだけです。


津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座3 』 より

2013年9月26日木曜日

魂の定位置・指定席

 まず、集合意識の中心。
 この位置を発見することですね。

 そうしたら、意識をそこに持って行くことができるんです。
 でも、今、言葉で、その位置を説明する言葉がないわけですね。
 ここだ、っていう。

 で、一番分かりやすいのは、
 それはどこかっていうと、
 絶対的な位置、一つだけあるんですよ、
 この宇宙に、一つだけ絶対的な位置が。

 「私」という考え方。
 私という存在が、今、ここにいる。
 本当の私。

 これだけは絶対なんです。
 誰の中にもあるんです。
 だから、結局「私」を中心にするしかないんです。

 で、「私」の、じゃあ、中心はどこか?
 呼吸と重なってる位置ですね。
 呼吸と共に在る位置。
 これが魂の指定席だと思ってください。
 定位置。

 どんなことも、呼吸と共にいっしょにいると、
 なんにも起きないんですね。
 あるがままが見えるようになるし。
 えー、現実が変わってきます。

 だから、もうあまり知識を追いかけないで、
 ぜひ、呼吸と共にいる、という訓練をすることです。

 だから、今の時点で私が何かアドバイスをするとしたら、
 何かを作り上げようとしたり、生み出そうとするよりも、
 今は、まずその定点である、
 自分の本当の微動だにしない絶対的位置を発見する、
 それに全エネルギーを注ぐのをお勧めします。


津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座3 』 より


2013年9月25日水曜日

津留さんの提唱する「祈り」

 想いを変えようと思ったって、変えられないんですよね。
 もうエネルギーがあるんですから。

 だから、一番いい方法は、別のものに意識を向けるっていうことなんですね。
 で、何に向ければいいか。

 呼吸に意識を向けるんです。
 呼吸は内なる神がやってますから。
 自分の肉体の働きの心臓を動かしてる、
 すべてをコントロールしているものがやってますから。
 それに栄養を注いでいるんです、内なる神に。

 そうするとどうなるか。
 この3次元世界に自分の内なる神が こう 現れてくるわけです。
 すなわち、自分が神々しくなってくるわけです。
 神のようになってくるわけです。

 これが、私の提唱している「祈り」なんです。

 内なる神を祈りだすんです。
 言葉は要りません。
 ただ見てればいいんです。
 意識ですから、見るということは。

 自分の意識で、自分の内なる神を引っ張り出すんですよ、
 この3次元世界に。

 で、これよりもいいものを、
 私ね、今、思いつかないんで、
 これを勧めてるんです。

 どうせ何かに意識は向いてるんです。
 -略-
 だったら、神とのつきあう時間を増やした方がいいですよね。
 で、呼吸に意識を向けるんです。

 だから、すべて一挙百得ぐらいなんです。
 良い悪いでいうと。
 呼吸に意識を向けていると。

 ただ、マイナスのエネルギーがあると、
 呼吸に意識が向かないんですよ、
 やろうとしても。


津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座5 』 より


2013年9月21日土曜日

エネルギーブロックという汚れを通してのぞいている

講演会DVD『 幸せテクニック講座3 』で、津留さんが、
 「エネルギーブロックという汚れを通してのぞいている」
という表現を使ってました。

 「あぁ、たんぽぽさんと同じ説明をしていたんだぁ」
と、思いました。

そこでの、津留さんの説明は、こういうものでした。

 “現実”には、「あるがままの現実」と「観念的現実」の二つがあり、
 それらが重なり合ってる状態です。
 「観念的現実」というのは、空想によって描き出した現実、つまり幻影で、
 ミニ自我・エネルギーブロックという汚れを通してのぞいた時に見える現実。
 だから、人の数だけある、その人独自のものです。

「人の数だけ宇宙がある」というのも、
こういうことなわけですね。

津留さんの本でお世話になっている英光舎さんが主催した、
たんぽぽの願いさん の講演会を聞きに行ったことがあります。
たんぽぽさん は、
 「思考という曇りを通して世界を見ているから、ありのままの現実が見られない」
 「思考という曇りがあるから、神の光が入ってこない・届かない」
という趣旨のことを話されていました。

そして、
 「チベット密教の『ゾクチェンの教え』が同じ説明をしている」
とおっしゃって、勧めていらっしゃいました。

それから、
ホ・オポノポノでも、同じような説明をしていますよね。
そして、例の4つのことばで、それをクリアしていく...

そういえば、オポノポノのことを最初に知ったのも、
たんぽぽさんのブログに書き込まれた、紹介コメントからでした。

ここでお伝えしたかったのは、まず、
津留さんはあまりこういう説明の仕方をしていなかったので、
ご紹介しました。
この説明が、しっくり来られる方もいらっしゃると思います。
どうぞ、ご参考になさってください。

それから、メッセンジャーの役割として、何度か言ってきましたが、
一つの理解に対しても、同じ理解に対しても、
説明の仕方は、いろいろあるのですね。

おなじ理解をしていても、
メッセンジャーによって、説明の仕方が違っていてたり、
おなじメッセンジャーでも、
状況によって、異なる説明をしたりしているんですね。

津留さんのDVDを観ていて、そんなことを感じましたので、
シェアさせていただきました。


2013年9月20日金曜日

最悪、たかだか、のたれ死ぬだけ

 恐れの原因、「死」ですから。

 私たちが考えてる心配ごとを、突き詰めていくと、
 必ず最悪は「死ぬ」ということに行き当たるんですね。

 「最悪、たかだか、のたれ死ぬだけ」なんですよねぇ。

 たかだか、たかだか、のたれ死ぬだけなんです。

 で、死というのは、魂の飛躍的瞬間になっているわけです。

 そうしたら、死んだっていいじゃないか、って、
 こころから思える人がいます。

 それはどういう人かというと、
 はっきり言って、やっぱり、
 その人、どん底を体験してるんですね。
 どん底。


津留晃一 講演会CD 『 その間にあるもの 』 より


2013年9月19日木曜日

理解と浄化、理論とテクニック、左脳と右脳

想念観察および浄化について、その重要性について、
何度か書きました ( ここここ )。

津留さんのメッセージ集を読むだけだと、
どうしても、
理論を頭で理解すること、左脳を使うことばかりに重心が行ってしまいますが、

CD・DVDを聞いたり観たりすると、
あるいは、本でも、『 幸せテクニック 』を読んだりすると、

津留さんが、
 「行うべきは、浄化」
 「使うべきは、テクニック・右脳」
と言っていることが、よく分かると思います。

実際には、下記の通り、両方とも大切です。
ただ、ほとんどの人が、
特に、津留さんが亡くなった後に津留さんのことを知ったほとんどの人が、
メッセージ集 をきっかけに、津留さんのことを知ったと思います。

そして、そのメッセージの内容に惹かれて、津留さんのことが好きになった人は、
どうしても、「頭で理解しよう」という傾向・意識の強い人が多いと思います。
自分がそうなので、よく分かります。
質問をお聞きしていても、そういう方が多いです。
津留さんも、講演会DVDで、
「私のところに来る人は、頭で理解しようとする人が多い」と言ってました。

そこで、どうぞ、下記の津留さんの文章をお読みいただきたいと思います。
「頭で理解すること」も大切ですから、自己否定などすることなく、
でも、「浄化すること」の重要性をしっかりと認識していただければと思います。



 私たちの脳は右脳と左脳のふたつで出来上がっています。
 そのどちらもかけがえのないものです。
 このふたつの脳をバランスよく使うことによって、真の自己改造が始まります。
 いつもこのことを意識に置いておいて下さい。

 -略-

 左脳を使い、まず知る必要があります。
 理解することが必要です。
 理解がその実質的変化を助けるからです。

 そして右脳を使って、実際にエネルギーを変えていきます。
 -略-
 それを誰かにやってもらうことは出来ません。

 まず理解して下さい。そしてテクニックを実践して下さい。
 実践しない者に変化は訪れません。
 でも無理は禁物です。
 あなたには実践したくなるときがあります。
 やる気が起きないときはどうぞ横へ置いてください。
 そのときがくるまで。

 その時期をあなたは自分で知ることができますから・・・・。
 理解はテクニックの浸透度合いを高めます。
 真に変わりたい人は、どちらもおろそかにしないで下さい。

津留晃一 『 幸せテクニック 』津留晃一のエッセイ&セッション集 より


2013年9月18日水曜日

想念観察(日誌)の目的・意図・効果

津留さんが一番言っていたこと、津留さんの一番の特徴が、
「想念観察」だということを書きました (「津留さんの特徴」)。

想念観察をすること、
その方法として、「想念観察日誌」をつけること、
そのことについて、妻から聞いたことを、今日は書きます。


想念観察日誌をつける目的、
あるいは、想念観察日誌をつけることによって得られる効果が、
主に二つあります。


一つは、自分の思考傾向がはっきり分かること。
そこから、自分の持っている価値観・モノサシを発見できること、
エネルギーブロック・感情ブロックを発見できることです。

もちろん、
その価値観やブロックを浄化することが、一番の目的なわけですが、
それらを発見するために、想念観察は不可欠かつとても有効な手段だ、
ということです。


そしてもう一つが、
意識を内側へ向けること、向け続けようとすること、
そこにあるのだそうです。

意識が外へ、外なる世界へ向いているときには、
人は思考の中に入り、思考と同化してしまいます。

意識を内側に向け、向け続け、
はじめて、思考と離れ、分離し、
「観察者」としての位置にいること、
真の自分と一体化すること、ができます。

そこにいること、いようとすること、
そこにいる時間を増やすこと、
こういった点に、とても効果があるのだそうです。


どうぞ、ご参考になさってください。


ちなみに、私事ですが、
「浄化の実践」「テクニックの実践」をちゃんとすべき時に来たと思っています。

津留さんが、
 「あなたには実践したくなるときがあります。
  やる気が起きないときはどうぞ横へ置いてください。
  そのときがくるまで。
  その時期をあなたは自分で知ることができますから・・・・。」
と言っていますが、
個人的に、その時期が来たと感じています。

想念観察日誌をつけ、妻の個人セッションを受けようと思っています。

どう変わっていけるのか、自分が楽しみです。


2013年9月16日月曜日

津留さん交流会へのご参加について

津留さん交流会へは、
どうぞ、お気軽にご参加ください。

参加資格のようなものは、まったくありません。

 津留さんの本を何冊読んだとか、何回読んだ とか、
 津留さんのメッセージをどの程度理解できてる とか、
 自分にはみなさんに提供できる話がないんだけど とか、
そういうことは、まったく気になさらずに、ご参加ください。

何名かの方から、そんなご心配をされている旨お聞きしましたので、
ここに明記いたしました。


 「津留さんのメッセージについて、よく分からないことを聞いてみたい」
 「浄化テクニックについて、より詳しく知りたい」
 「まだ観たことがないDVDを、どんなものか試しに観てみたい」
 「津留さんのメッセージが好きな人たちって、どんな人たちなのか会ってみたい」

そんな方々に集っていただく機会をご提供したいと思い、
津留さん交流会を開催しています。

津留さんのメッセージや浄化テクニックについて、
ともに学び、ともに実践していくための場になれば...
そんな想いでいます。

どうぞよろしくお願いいたします。

2013年9月15日日曜日

条件づけの外れた人間は

条件づけの外れた人間は、
苦しんでいる人を見ても、楽しんでいる人を見ても
常に同じように対応が出来るようになります。

どちらの場合にも、その人の望むサポートが、
抵抗なく出来るようになります。

あなたの渡したいものではなく、
その人の欲しがっているものを
渡すことが出来るようになります。


津留晃一 『 幸せテクニック 』津留晃一のエッセイ&セッション集 より

あなたも当然に完全です

宇宙は完璧なペースで進んでいます。
どうぞ安心して今にいて下さい。
宇宙は完全です。
ですから宇宙の部分であるあなたも当然に完全です。


津留晃一 『 幸せテクニック 』津留晃一のエッセイ&セッション集 より

2013年9月14日土曜日

体験したことを語る

この夏、ある方に、初めてお目にかかりました。

その方からお聞きして、初めて知ったのですが、
その方は、津留さんと面識のある方でした。

それどころか、津留さんが、講演活動を始めるに当たって、
アドバイスを求めに行った方でした。

 「こう、アドバイスしました。」
とおっしゃる、そのアドバイスの内容を聞いて、
ちょっとビックリしました。

妻が、津留さんから受け取っていたアドバイスと、
まったく同じだったからです!

 「そうか、あのアドバイスの元は、ここだったんだねぇ」
妻と二人で、微笑みました。


 「自分が体験したことを語る」

それが、そのアドバイスの内容でした。


昨日観た津留さんのDVDでは、津留さんが、
 「これは私の体験ではないのですが、ある7年間... 」
と、はっきりと前置きした上で話しているシーンを眼にしました。
津留さんが、基本的には、自分の体験を話している証拠ですよね。

そして、他人の体験を話す場合には、
その方の体験を直接聞き、
しっかりと納得した上で、自分の体験や考えと合致していることを確認した上で、
話してるのだ、ということが、よく分かりました。

津留さんの話・メッセージが持つ説得力に、合点が行きました。


妻は、自分のブログで、
自分の体験したことを伝えています。

僕も、このブログをはじめるに当たっては、
 「体験したことだけを語ろう」
と思っていたのですが、
ついつい、忘れてしまいます。

ついつい、自分の中のエゴさんが、
「僕は、津留さんのメッセージを、これだけ理解できてるんだ」
と示したいエゴさんが、どうも活発に動いてしまいます。


 「体験したことを伝える」
 「本当に納得できたこと、体得できたことだけを伝える」
改めて、肝に銘じようと思いました。

 「読んでくださった方に、何か少しでも、お役に立つ内容であるように」
との想いを、改めて大切にしようと思いました。

2013年9月13日金曜日

僕は、とても蚊に刺されやすいです。

「とても」という言葉が、
自分としては、かなりかなり控えめな表現だと思うくらい、
刺されやすいです。


さて、数年前のことですが、
ある、いわゆる自然農の本を読んでいるとき、
次のような説明に出会いました。

 「雑草は、その土地に不足している養分を増やすために生える。
  虫は、その作物の中の害となるものを取り除くために食べる。
  蚊も、人の悪い状態の血液を良くするために刺してくれる。」

はじめて出会った考え方に、そういうものか、と感心しました。
雑草や虫については、それまでの経験から、とても腑に落ちました。
ただ、蚊については、まだ納得するまでには行きませんでした。


そして、今年の春、どなたかのブログで、
マクロビオティックの世界でも、
やはり同じような考え方がある、という記事を目にしました。

そこには、
マクロビでは、甘いものを食べる人が蚊に刺されやすいと考えられ、
蚊に刺されるということは、
マクロビをちゃんと実践していない証のようなものとみなされること。
とても蚊に刺されやすい自分は、人一倍、甘いものに気をつけているが、
それでも刺されてしまい、
なんだかそんなことに疲れてしまい、マクロビ自体をやめてしまったこと。
そんなことが書かれていました。

その顛末が、僕にはとても興味深く、おもしろく、
とても記憶に残ったのですが、
それが理由かどうかは、自分でも分かりませんが、
そのときには、蚊に刺される理由について、とっても納得が行き、
この夏は甘いものを避けることを徹底しようと思いました。


さて、迎えた今年の夏。
そう、僕は、あまり蚊に刺されませんでした。
確実に、半分以下に減りました。
体感的には、三分の一くらいになりました。

そして、これがとてもビックリしたのですが、
蚊に刺されてもあまり はれることがなく、
なにより、それほど かゆく感じないのです。

そして、刺されてもあまり かゆくないので、
蚊に刺されることへの、蚊への恐れがガクンと減り、
それが、余計に蚊に刺されなくなるという循環を生んだと思います。

これまでは、
 「なんで、こんなに蚊に刺されるんだ」
という、疑問・不満・怒り・恐れだったものが、

 「そうか、蚊に刺されるには理由があるんだ」
 「なんなら、僕のために、蚊は刺してくれてかもしれない」
という意識・納得に変わったことで、
はれ や かゆみが、減ったのだと思います。

自分の中の不満・怒り・抵抗が、
人一倍のはれ・かゆみ、刺されやすさという事実を生んでいたんだと思います。

「想い」というものが、外なる世界を作り上げている。
そんな一例だと、僕は認識しています。
ということで、ここでシェアさせていただきました。


さて、この話には、ちょっとした続きがあります。

この夏、山梨県の八ヶ岳へ、旅行に行ったのですが、
そこでは、草むらでも、ちょっとした林の中でも、
半そで・半ズボン・サンダルで過ごしていました。
刺されにくくなった実感があったので、そんな格好で過ごしていました。

3日ほど経ったときに、まったく蚊に刺されていないことを強く認識しました。
夕方に、外でそんな格好で過ごしていても、刺されないことに気づきました。
 「八ヶ岳は、蚊があまりいないんだなぁ」
などと、思っていました。

あくる日、ある方といっしょに、林の中を歩いたのですが、
そのとき、その方が、あいかわらずの格好の僕に、
 「蚊には刺されない体質なんですか?」
と、おっしゃいます。

 「いえいえ、とても刺されやすいですよ。
  ただ、ここは蚊がぜんぜんいませんねぇ」
と答えながら、なんでそんなことを質問されるのだろうと見てみると、
その方が、真っ赤に はれた腕を かいているのが見えました。

 「そんなことありませんよ。いっぱいいますよ!
  刺されてないのは、たまたまですよ。」
とおっしゃいました。

その時。
 「ああ、そうなんだぁ」
と、その言葉を受け入れてしまいました。

1時間後、みごとに、腕に1箇所、刺されました
(ただ、その後1日間、八ヶ岳では、やはり刺されませんでしたが)。


最後に、「蚊に刺される」といえば、必ず思い出す、
津留さんのメッセージを、ご参考までに。


 別次元のあなたが承諾しない限り、あなたは蚊にさされることさえありません。
 トータルなあなたがOKを出さない限り、あなたには何事も起こらないのです。


津留晃一メッセージ集 新人類の覚醒進化プログラム 『 害をもたらすもの 』 より


2013年9月12日木曜日

津留さんの役割・担当

前回の続きです。

その時、妻が言っていたのは、次のような内容です。

 「津留さんは、徹底して、『自己救済』を言っていたのね。
  『外には、人はいません。
   宇宙には、自分しかいません。
   外側を救うのではなく、自分を救済してください』と。

 「でも、ほかのスピリチュアルな方、聖人と言われるような方の中には、
  他者を救うこと、他者への奉仕をおっしゃっていて、
  自らも、徹底して、他者奉仕をしていらっしゃる方もいるじゃない。

 「その関係というか、
  そういうことについて、ちょっと考えてたんだけど。

 「それで、ブログのあの記事を読んで、
  津留さんが、講演の中で、
  『自分を責めてしまう人には、こういう話をするけど、
   でも、わがままな人には、また別の話をしますよ』
  って言ってたのを思い出したのね。

 「そうか、津留さんは、自分を責めてしまう、そういう人担当なのね。」


何か問題やトラブルを認識したときに、
傾向として、他者を責めるよりは、自分を責めてしまう人。
普段から自分を否定してしまう人。
他人を犠牲にしてまで自分の幸せをつかみとれる人でなく、
むしろ自分の幸せを遠慮してしまうような人。

そういう人々が、津留さんの主な担当だったんだろうと思います。

そして、そういう方々に対して、
まず、とにかく、自分を救うこと、自分が幸せになること、を説き、
そのための具体的な方法を伝えること。

それが津留さんの主な役割であったんだろうと思います。


実際、これまでの「津留さん交流会」でも、
自分を強く強く責めて続けて、自殺まで考えた方とか、
自分を強く強く否定し続けた人生を歩まれた方とか、
そういう方が何人かいらっしゃいました。

そして、そういう方々が、津留さんのメッセージによって救われ、
そして、あるがままの自分をしっかりと受け入れ、認め、肯定して、
いま、とてもステキに生きてらっしゃいます。


津留さんの(メッセージの)やわらかさ、やさしさ、あたたかさ、
純粋さ、ピュアさ...
そういったもの、そういったエネルギーも、
その役割に不可欠なものだったのだろうと思います。


一人ひとりが、まず、自分を救い、幸せになる。
自分のことは、自分の責任なのだから、
その自分を、責任をもって幸せにする。
そして、光り輝いた一人ひとりの光が、内側からあふれる光が、
結果として、外なる世界を照らし、変えていく。

というアプローチが、
津留さんの主な役割・担当だったんだろうと思います。

2013年9月9日月曜日

津留さんの特徴

数日前に、
メッセンジャーの役割・担当
について、思っていることを書いたのですが、

その記事を読んでくれた妻が、
その感想のようなものと、
それに関連して、彼女が想ったこと・考えたことを、話してくれて、
そして、それについて、いろいろと話しをしました。

その内容は、
津留さんの、
メッセンジャーとしての役割・担当のようなものです。


で、
まわりくどいというか、分かりにくくなりますが、
その「 津留さんの役割・担当 」については、
別の記事で書くこととして、

今回は、
その会話の中で、僕が思い出した、
「 津留さんの特徴 」
について、書きたいと思います。


僕は、津留さんが存命のころには、津留さんの存在を知らず、
津留さんにはお会いできませんでした。

なので、津留さんについて、
当時、どういうことをしていたのかとか、言っていたのかとか、
あるいは、こんな場合はどうしてたのかとか、
そのようなことについて、いろいろ、妻に質問します。

で、
あるとき、もうずいぶんと前になりますが、
単刀直入に、こう聞きました。

 「津留さんが一番言っていたことは?」
 「津留さんの一番の特徴は?」

妻は、間をおかず、きっぱりと、答えてくれました。

 「想念観察!」


津留さんのメッセージを読むだけだった僕には、
かなり、意外でした。

そう思われる方も、結構いらっしゃると思います。


でも、そうなんですよね。

実際、個人セッションでしていたことは、
クライアントさんに『想念観察日誌』をつけてもらうこと、
そして、それをもとに、自分の思考傾向に気づいてもらい、
そして感情ブロック(・価値観・モノサシ)を浄化してもらうこと、
だったそうです。


このことを知ると、
津留さんのメッセージを読む・聴くときに、
とっても参考になるのでは、と思います。

僕は、そうでした。

ということで、
ここでみなさんに、シェアさせていただきました。

ぜひ、その事実だけでも、
こころに留めておいてみてください。

2013年9月8日日曜日

ブログタイトル 「迷悟」

このブログのタイトルを、
 『 迷悟(めいご) 』
としました。


これは、
 『 迷悟一如 (めいごいちにょ) 』
という言葉からとったもので、

goo辞書によれば、
 「迷いや悟りといったものに、囚らわれることはないという意」味だそうで、
 「迷いも悟りも本来は同一のもので、たどりつくところは一つであるということ」
だそうです。

また、すてきな書とともに、こんな解説をされてるサイトもありました。
 近藤朱鳳 diary: 迷悟一如
 「迷わぬ者に悟無し」と言われるように、
 「迷い」、「憂い」、「悩み」の中から悟は生まれるもの。
 故に、迷悟は一体であるという意味。


「 たどりつくところは一つである 」

津留さんのメッセージの、もっとも好きな部分が、端的に言い表されていました。


このブログ内の記事の、ここここにすでに引用しましたが、
 
 右の道を行けば右の体験があり、左の道を行けば左の体験がある。
 その体験に、良いも悪いもないのであり、
 それらの体験をし尽くせば、一なる神へと戻っていく。
 われわれは存在そのものであり、存在に価値があり、
 そして、生きること、生きて体験することがその役割である。

このメッセージが、津留さんのメッセージの核心(の一つ)だと思ってます。
もっとも好きで、もっとも楽にしてくれたメッセージです。


それを端的に言い表す言葉から、ブログ名をつけました。

2013年9月7日土曜日

道、草むら、ゴミ

今朝、道を歩いていると、
 「ガシャン」
という音がしました。

目を向けると、
男性が、手と身体を、
横から正面へ向けているところでした。

その動きと音から、
 「何か、道に落ちていたゴミを、横の草むらへ投げたのでは」
と思いました。


そのとき、昨日目にした光景が、思い出されました。

地方では、道端に草が茂っていることが、よくあります。
さまざまな理由で、地権者が手入れをできていないのでしょう。
そのような場所を、自治体が刈ることがあります。

昨日目にしたのは、まさにそんな場所で、
道の脇の、高く茂っていた草が刈られて、
 「とてもスッキリしたなぁ」
と感じました。

でも同時に、
草が茂っていたときには見えなかった、
その中に捨てられていたゴミ・空き缶などが現れてきて、
こんどは、それが、はっきりとした不快感を感じさせます。


道路自体は、舗装されていて、スッキリきれいで、
ゴミも落ちていません。

でも、その横には、手入れをされていない草むらがあり、
普段から、その茂り具合が、道を通る時に、
なんとなくモヤモヤと、なんとなく不快にさせます。

そして、草を刈ってみると、
そこには、いろいろなゴミが存在していることが分かります。
中には、今朝のゴミと同じく、
道路自体をきれいに保つために、
そこにあったものが、投げ込まれた、ということもあるでしょう。


私たちの意識できるところをきれいに保つことは、
比較的、簡単です。
「見えている」「意識できている」から。

でも、
道に落ちたゴミは、
しっかりと処分してしまわないと、なくなりません。

道端の草むらの中へ、ポイッと捨ててしまっても、
それは、隠してるだけ、見えなくなっているだけです。

そして、それは、
見えないけれど、不快な感覚を放ち続けます。

そして、機会があると、しっかりと姿を現し、
まだゴミとして存在していることを認識させます。
不快の原因として、存在していることを認識させます。


顕在意識、潜在意識、そして、潜在意識の中へ隠された感情ブロック。
その関係が、よく見えた気がしました。

草を刈り、その中に隠れていたゴミを見つけ出し、拾い・処分する。
それが、「浄化」なのですね。

2013年9月6日金曜日

エックハルト・トールさん

津留さんのメッセージが好きな方には、
ぜひ、エックハルト・トールさんの本や動画を、
ご覧になっていただきたいと思います。

もう、もう、ビックリするくらい、
津留さんと同じことをおっしゃってます。

特に、「呼吸に意識を合わせる」
ことをおっしゃってる点など、
本当に、みごとに、同じことをおっしゃってます。

そして、彼の持つエネルギーが、
すばらしく、そして、心地いいです。

動画サイトでは、
彼の講演での様子や、メッセージが、
公開されています。

ぜひ、ご覧になってみてください。

新たな気づきや、新たな理解が、
得られるかもしれません。

あるいは、
得ていた確信を、さらに強くできるかもしれません。

とてもお勧めです。

メッセンジャーの役割・担当

おもしろいお話を、立て続けに聞きました。


小林正観さんのそばにいらしたことがある、
津留さん交流会のある参加者の方が、こうおっしゃっていました。

「 正観さんは、もっともっと高尚(こうしょう)なことを
 おっしゃる能力があったのに、
 徹底して、あのように、初心者の方が分かりやすい話をされ続けた。
 その徹底ぶり、潔さは、みごとだった 」


知花敏彦先生のそばで、何度も講演を聴く機会のあったある方は、
こうおっしゃってました。

「 普段、厳しい口調で講演されてましたが、
 『 厳しい言い方しかさせてもらえないんだ 』 と、
 知花先生ご本人がおっしゃってました。
 先生ご自身は、とても明るく、ユーモアのある方でした 」


同じ、スピリチュアルな情報のメッセンジャーであっても、
それぞれに、役割があり、担当がある、
ということだと思います。

そして、それぞれの役割・担当に合わせて、
さまざまに違った表現や説明方法、事例、エネルギーの
メッセージを伝えられてるのだ、と思います。

それぞれに理由があって、
あえて、そのような表現・エネルギーをとっていらっしゃる、
ということでしょう。


そうであれば、なおさら、
大切なのは、その中身、メッセージの内容です。

ですから、表面的な部分で判断をせずに、
ぜひ、積極的に、
本物といわれる方のメッセージに、
いろいろと触れていただきたいと思います。


もっと気づきを与えてくれる方や、
もっと深く入りこんで来るメッセージに、
出会えるかもしれません。

あるいは、
すでに出会っていたメッセージを、
より深く理解できたり、
より好きになったりするかもしれません。

自分自身の体験から、
そう、強く想います。

2013年9月1日日曜日

好きなことをして生きていける社会をつくるには

 今、その社会意識が変わろうとしています。
 『人は労働するために存在しているわけではない。
 存在そのものが人の価値である。
 人の価値は生きることである。
 生きて純粋体験をすることが人の価値である。
 感じることが人の役割である』と。

では、好きなことをして生きていける社会をつくるには
 どうしたらよいのでしょう。
 それは人がそのことをただ信じるだけでそうなります。
 働いて、頑張って、働きぬいた時にそんな社会が訪れるわけではありません。
 今、人々が『働かないと生きていけない』と信じているのと同じか、それ以上に
 『好きなことをしていたら生きていけるのだ』と固く信じた時に
 そんな社会が実現するのです。


津留晃一 小冊子 「地球星はいまみどり色の太陽へ」 より

2013年8月31日土曜日

ひとり覚醒したあなたの振動が

 あなたの内なる魂の輝きが、肉体を透過して表に輝きだし、 
 まわりの人を照らすでしょう。
 あなたは輝くことによって人を変えはじめます。
 あなたの高次のバイブレーションがあなたの隣にいる人の肉体に共振を起こし、
 隣の人を変えずにはおかないでしょう。
それがこの宇宙の物理法則だからです。

 ひとり覚醒したあなたの振動が、まわりの人を呼び覚ましはじめます。
 ひとり、またひとりと、まわりを変えるのに、言葉がいらなかったことに気づくでしょう。
 環境を変える必要がなかったことに気づくでしょう。
 その時、地球人類の集合意識が覚醒をはじめます。


津留晃一 小冊子 『 地球星はいまみどり色の太陽へ 』 より