ぜひね、もう少し、自分に意識を向けてください。
で、これからの人生、 -略-
どれだけ自分に意識が向いてるか、
これをチェックして欲しいんです。
人のことなんか、ど~~~~でもいいんです。
-略-
私たちの目は、外を向いてます。
そして、そういうことに興味を持っているのは自我で、
実は、そういう自我が、常に日常の中で、
例えば、テレビをつけてみたり、
本を読んでみたり。
あの、今ここにある、
今、ここ、目の前に、みなさん、
神を見、神を聞き、神に触れている。
なのに自我は、
常にここから意識をそらすことばっかりやってるんです、
日常的に。
常に、何かしようとします。
今この瞬間から意識をそらすんです。
それを、強制的に、今ここに戻す。
それをぜひやって欲しいですね。
で、この話は、本当に根気よくしなくちゃいけないことなんですけど、
日常生活をよ~くチェックしてほしいんです。
自分がいつも何をしているか。
常に暇さえあったら、「今度何しよう?」と、考えてますね。
で、この世界で何かをするってことは、
もうほとんど価値の無いことなんですね。
自分の中にある神を発見していく、この悦(よろこ)び。
これはもう絶対的で、微動だにしないものなんです。
しかし、ほとんど、日常生活の中で興味があるもの、
例えば、ステキな彼がいたら、その人のことばっかり考えてる。
確かに、いいものはその人に喜びを与える。
しかし、それは二極のものであって、それが無くなる苦しみ。
今までのこの二極の世界っていうのは、
必ず、得て、失っていく。
手に入れて、無くしていく。
けど、そんなものじゃなくて、
絶対に無くならないものがあるんです。
目の前に。
で、ぜひその、いつも意識、
目の前、ここにあるすばらしいものから意識をそらそうそらそうとしてる
自我の働きに気づく訓練をしてくださいね。
山の頂上にあるわけじゃあないんですね、悦びは。
今、目の前に、あるんです。
ところが、自我は、「そんなはずはない」って思うんですね。
「今ほどつまんないものはない」って。
それは、長い間感じなかったせいであって、
いつも今がつまらないのは、
今ここにいるチャンスに、「明日どうしようか?」っていうことを
考えているためなんですね。
ぜひぜひ、この瞬間瞬間に意識を戻す訓練を。
これだけは、報いられますからね。
津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より