前回の続きです。
その時、妻が言っていたのは、次のような内容です。
「津留さんは、徹底して、『自己救済』を言っていたのね。
『外には、人はいません。
宇宙には、自分しかいません。
外側を救うのではなく、自分を救済してください』と。
「でも、ほかのスピリチュアルな方、聖人と言われるような方の中には、
他者を救うこと、他者への奉仕をおっしゃっていて、
自らも、徹底して、他者奉仕をしていらっしゃる方もいるじゃない。
「その関係というか、
そういうことについて、ちょっと考えてたんだけど。
「それで、ブログのあの記事を読んで、
津留さんが、講演の中で、
『自分を責めてしまう人には、こういう話をするけど、
でも、わがままな人には、また別の話をしますよ』
って言ってたのを思い出したのね。
「そうか、津留さんは、自分を責めてしまう、そういう人担当なのね。」
何か問題やトラブルを認識したときに、
傾向として、他者を責めるよりは、自分を責めてしまう人。
普段から自分を否定してしまう人。
他人を犠牲にしてまで自分の幸せをつかみとれる人でなく、
むしろ自分の幸せを遠慮してしまうような人。
そういう人々が、津留さんの主な担当だったんだろうと思います。
そして、そういう方々に対して、
まず、とにかく、自分を救うこと、自分が幸せになること、を説き、
そのための具体的な方法を伝えること。
それが津留さんの主な役割であったんだろうと思います。
実際、これまでの「津留さん交流会」でも、
自分を強く強く責めて続けて、自殺まで考えた方とか、
自分を強く強く否定し続けた人生を歩まれた方とか、
そういう方が何人かいらっしゃいました。
そして、そういう方々が、津留さんのメッセージによって救われ、
そして、あるがままの自分をしっかりと受け入れ、認め、肯定して、
いま、とてもステキに生きてらっしゃいます。
津留さんの(メッセージの)やわらかさ、やさしさ、あたたかさ、
純粋さ、ピュアさ...
そういったもの、そういったエネルギーも、
その役割に不可欠なものだったのだろうと思います。
一人ひとりが、まず、自分を救い、幸せになる。
自分のことは、自分の責任なのだから、
その自分を、責任をもって幸せにする。
そして、光り輝いた一人ひとりの光が、内側からあふれる光が、
結果として、外なる世界を照らし、変えていく。
というアプローチが、
津留さんの主な役割・担当だったんだろうと思います。