(「 本当に、これ、ゲームなんです 」の続きです)
この感覚は、あの、結局、
「すべての価値観が消えるとどうなるか?」っていうと、
「しなければいけないことが、なにもない」、わけですよね、
「しなければいけないこと」。
そうすると、どうですか?
「したいことをするだけ」、なんですね。
ただ、「したいことをする」。
「どうしてするか?」って聞かれても、意味の無いもの。
自分のすることに、体験に、意味が無くなってくるんです。
これまでね、子供を偉くしようと思う。
いい大学に行かせようと思ったら、どうしますか?
動機づけをするでしょ?
どうして、いい大学に行かなくてはいけないのか、
動機づけするわけです。
動機づけされた人間は、動き出すわけです。
え、源には、動機がないわけですね。
「したいから、する。」
これは、本当に、価値観を全部手放せたときに、
その感覚が分かってきます。
「しなければいけないことが、なんにもない」ことが、
分かってくるんです。
と、
「ただしたいから、する。」
ちょうど、『遊び』としか、言いようがないんですよね。
「したいことをする」っていうのは、
仕事とは言わないでしょ?
したいことしてるの、『遊び』って言うでしょ?
もし、今、みなさん方が、
「しなければいけないから、してる」ことがあるとしたら、
その感覚っていうのは、絶対に分からないんです。
ですから、その感覚を、もし、味わいたかったら、
自分の「しなければならない」「すべきである」と、
「しかたがない」「やらなければいけない」と、思ってることを、
一度、しっかりチャレンジして、
手放してみるんですね。
で、仕事を手放すっていっても、
簡単には行かないですねぇ。
だから、たとえば、-略-
2日ぐらい会社に行かないで、家にじっとしてみる、
っていう体験。
この時期、このことは、非常に大切なんです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より