2014年6月8日日曜日

観『光』

これまた、斉藤一人さんの本に書かれていたことです。

「観光」旅行という言葉があるように、
人は、『光』を観に(見に)、わざわざ遠方まで足を運びます。

一般に、「観光」という場合の「光」は、
「光景」という場合の「光」と同義で、
「景色」を意味しているそうで、
 (参)http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213038967

「観光旅行」という言葉は、通常、
風光明媚な景色や、神社仏閣などの史跡、お祭りなどの風物などを見に行くことを意味していて、
人に会いにいくことは、「観光」とは言いません。

しかし、一人さんの説明によれば、
人に会いに行く場合でも、その人の『光』を見に行くのだそうです。

商人の心得(こころえ)を説く一人さんは、
 だから、商人たるもの、光り輝かなければいけない。
 光っていれば、お客様は、自然と集まって来る。
 つまり、商売は繁盛する。
 そのためには、具体的には、
 例えば、「和顔愛語(わげんあいご)」で、
 いつも笑顔で、愛のある言葉を話しなさい。
と、おっしゃっていました。

(今、気になって、ネットで調べてみたら、
 「観光」の語源は、『易経』の「国の光を観る、もって王に賓たるに利し」
 という一説が由来で、
 観光の本来の意味は、「国の威光を観察する」ということだそうです。
 (参)http://gogen-allguide.com/ka/kankou.html
 やっぱり、『光』ですね ^^ )


先日、妻の裕子さんといっしょに、
上江洲義秀先生の『光話会』に参加してきました
(子供の送り迎えという時間制約があることを配慮してくださった
 「たんぽぽの会」吉田様みなさま、ありがとうございました)。

『法玉明想』という瞑想のご指導を受け、
上江洲先生のヒーリングを受け、
そして、上江洲先生の『光話』という講話を拝聴して来ました。

そのどれもが、とても素晴らしい内容で、
こころから感銘を受けました。

上江洲先生のお名前や、ご活動内容については、
このブログですでに何度かお名前をお出している知花敏彦先生のお弟子さんということで、
以前から、存じていました。

そして、前回の津留さん交流会で、参加者の一名が、
その直前に、『光話会』に参加されて、ヒーリングを受けられた話をお聞かせくださって、
裕子さんともども、とても興味が湧き、今回の参加となりました。


上江洲先生がおっしゃってることは、僕の理解では、次のとおりです。

 『第三の目』から『白光』を放つイメージする瞑想(『法玉明想』)をしましょう。
 その『白光』によって、『偽我(ぎが)』『エゴ』を焼き消しましょう。
 それによって、意識レベルを上げ、『大我』『真我』に戻りましょう。
 その、『全体意識』を取り戻した自分として、世界平和実現に尽力しましょう。
 『日の本の国』に生まれた私たちが、率先して、邁進(まいしん)しましょう。

『瞑想』と『浄化』という、その「手段」こそ違いますが、
その他は、妻や僕が想っていること、活動の礎(いしずえ)にしていることと、
全く同じです。

なので、こころからの、深い感銘を受けるとともに、
とてもとても、嬉しくなりました。

ご興味おありの方は、ぜひ、ご参加を検討なさってみてください。

特に、「瞑想」に興味がおありの方や、
「瞑想」という手段が自分には向いていると認識されている方には、
とても意義のある、すばらしい体験が待っているものと思います。


ちなみにいうと、
僕は、どうも、瞑想がうまくできません。
それに、瞑想をしたい、という欲求のようなものも、
あまり湧いてきません。

そして、今回、瞑想のご指導を受けていて、
改めて、
 「自分には、津留さんの『浄化』が、とっても向いているんだなぁ」
と、強く感じました。
再認識できました。


僕は、
自分の内側に湧き起こる感情や、エネルギーの変化を、
認識することが、捉えることが、体感することが、
結構、得意です。

内側の感覚を把握することを、
そして、それを表現することを、
割に、得手としています。

何を隠そう、僕は、自他ともに認める、
 完全な『思考型タイプ』『左脳型タイプ』
なので ^^ 、
以前は、
 『感じる』ことは不得意なんだ
と、勝手に思っていたのですが、

あるいは、
裕子さんとの(表面的な)比較で、
そう、判断していたのですが、

きちんと浄化をはじめてみると、
内側をしっかり感じてみると、
自分は、それが、むしろ得意で、長けていることに、
気づきました。
思い出しました。

『浄化』は、
 「(特に、「感情」に伴う)内側のエネルギーを捉え、解放する」
プロセスですので、
基本的には、その、『内側のエネルギー』を感じることが必要です。

あるいは、
そのエネルギーをしっかりと捉え・感じられると、
よりスムーズな、しっかりとした、浄化が行えます。

なので、内側のエネルギーを感じることが苦手ではない僕には、
とても向いている方法です。
そして、それを言葉によって表現することが、結構、得意な僕は、
今の役割が、とても向いているのだと、最近、感じています。

そして、逆に、
 「内側のエネルギーを『感じる』っていうのが、どうも ... 」
とおっしゃる方は、
「瞑想」という手段が、
とても有効である、効果的である可能性があります。

そういう方には、
『浄化』よりも、「瞑想」のほうが、
効果的である可能性があります。

ですので、
もし、ピンと来た方は、
あるいは、何か『感じる』ものがあった方は ^^ 、
ぜひ、参加をご検討されてみてください。


さて。

上江洲先生にお会いして、お目にかかって、
一番に感じたこと。
それは、
その『愛』の深さと大きさです。

優しく、柔らかく、温かく、広く、深く深く、そして、少し子供のように『可愛く ^^ 』。
まさに、その『愛』に、その『光』に、惹きつけられました。

「激しく、強烈に、強力に、引き付けられる(惹きつけられる)」
というよりは、
「柔らかく、優しく、温かく、包み込まれるように、引き寄せられる」
という表現のほうが、ふさわしく感じました。

かけてくださる言葉の優しさ、声色の柔らかさ、温かさ、
笑顔の柔和(にゅうわ)さ、丸さ。
誰に対しても、変えることなく、本当に自然に、そうされているご様子。
もちろん、偉ぶるご様子は、まったくありません。
休憩を取られることなく、何人も、何時間も続くヒーリング。
その最中には、時に、楽とは言えない体勢を取られ続けておられました。
その後、また休みもなく、講話に入られ、
そして、そのまま、瞑想のご誘導 ...
それが、ほぼ毎日、途切れることなく続き、
場所も、日本各地、ときには諸外国でも。

抽象的な表現を使わなくても、
その日頃のご行為で、有り様(ありよう)で、
その『愛』が分かると思います。

いずれにせよ、上江洲先生の『愛』に、『輝き』に、『光』に、
惹き寄せられ、包み込まれ、
芯からの安らぎを感じました。

そして、
 「またお会いしたい」
と、思いました。


斉藤一人さんのおっしゃるとおり、
人は、人の『光』を見ているんですね。

上江洲先生にお会いして、
そう、確信しました。

そして、その『光』は、
過去記事「ハートの光源」にも書きましたとおり、
その人の内側から、放たれているのですね。

そんなことを、改めて、感じました。