2013年10月23日水曜日

神が「神ならざるもの」を体験する

 この世界は、
 神が、「神ならざるものを体験する」
 ことを目的として、創られています。

 まず、神が、神ならざる部分を体験し、
 より高き神へと還っていく。
 そのプロセスが、宇宙の仕組みなのです。

 ところが、この「体験する」という考え方を、
 みなさん、頭で理解しているだけなんですね。

 思考上の話であって、本当に、
  「体験するために来たんだ」
 と、こころから感じ、腑に落ちてる人は、
 どれほどいらっしゃるでしょう?

 もし、この話が本当で、
 「体験するため」の人生だとしたら、
  「そんなことしちゃ、いけないよ」
 と言うのは、何かおかしいと感じませんか?

 私たちは、「神ならざる体験」をするために、
 人間をやっているのです。

 ところが、普段の生活を振り返ってください。
 そういう目で見ていないのです。

  「親しい人が病気になった」
  「子供が不登校だ」
 というときに、
  「病気や、不登校を、体験してるんだなぁ」
 という目では、見られないはずです。

  「気の毒に」
 とか、
  「困ったなぁ」
 なんていう感情が、
 どうしても入ってしまうでしょう。

 しかし、「体験」という観点から、
 すべてのものを見られるようになったら、
 どんな出来事も、否定しなくなります。
 否定する意味が無くなるのです。

 「体験すること」が、私たちの一番の目的だとしたら、
  「あえていろいろな想いを持たなくてもいい」
 ということになりませんか?

 「幸せになろう」とか、
 「悟ろう」とか、
 「より良くなろう」とか、
 「向上しよう」とかは、
 どうでもいいことでしょう。

 大切なのは、
 今、目の前にあることを、
 ただ、体験することです。

 宇宙というのは、常に、変化して流れていますから、
 ただ、そこにいて、
 毎瞬毎瞬、「今」という瞬間を味わっていれば、
 私たちが存在している目的が遂げられるのです。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より