この世界は、
神が、「神ならざるものを体験する」
ことを目的として、創られています。
まず、神が、神ならざる部分を体験し、
より高き神へと還っていく。
そのプロセスが、宇宙の仕組みなのです。
ところが、この「体験する」という考え方を、
みなさん、頭で理解しているだけなんですね。
思考上の話であって、本当に、
「体験するために来たんだ」
と、こころから感じ、腑に落ちてる人は、
どれほどいらっしゃるでしょう?
もし、この話が本当で、
「体験するため」の人生だとしたら、
「そんなことしちゃ、いけないよ」
と言うのは、何かおかしいと感じませんか?
私たちは、「神ならざる体験」をするために、
人間をやっているのです。
ところが、普段の生活を振り返ってください。
そういう目で見ていないのです。
「親しい人が病気になった」
「子供が不登校だ」
というときに、
「病気や、不登校を、体験してるんだなぁ」
という目では、見られないはずです。
「気の毒に」
とか、
「困ったなぁ」
なんていう感情が、
どうしても入ってしまうでしょう。
しかし、「体験」という観点から、
すべてのものを見られるようになったら、
どんな出来事も、否定しなくなります。
否定する意味が無くなるのです。
「体験すること」が、私たちの一番の目的だとしたら、
「あえていろいろな想いを持たなくてもいい」
ということになりませんか?
「幸せになろう」とか、
「悟ろう」とか、
「より良くなろう」とか、
「向上しよう」とかは、
どうでもいいことでしょう。
大切なのは、
今、目の前にあることを、
ただ、体験することです。
宇宙というのは、常に、変化して流れていますから、
ただ、そこにいて、
毎瞬毎瞬、「今」という瞬間を味わっていれば、
私たちが存在している目的が遂げられるのです。
津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より