(「 『外には何も無く、すべて内側にしかない』という価値観だけでも、ちゃんと生きていける」 の続きです)
その時、
「外が幻である」
ことが分かります。
今までのみなさんの価値観だと、
幻とは、思えないわけです。
「現実じゃないか!」
って言うわけです。
でも、反対から見ると、
これ、ただの幻なんです。
映像なんですね、
反対から見ると。
で、
これが「映像だ」と分かることによって、
我々は、神意識を取り戻していくんです。
元々、一つの神だったものが、
現実を創るために、
内を見えなくしたわけです。
だから、
半分の見方で、
え~、神から遠ざかってきたんです。
神に近づいていくためには、
逆の見方をする必要があるわけですね。
「いっさい、外には何も無い」
「だから、自分の見てるもの、自分の見てるもの全部、自分しかいない」
「自分しかいない」
って、他人を消すと、
実は、自分も消えてしまうの、分かりますかね?
「自」と「他」っていうのは、
対比した言葉ですよね。
「自分」と「他人」。
え~、よく
「自我を消せ」
って言うの、聞いたことあるでしょ?
「自我を消すと、楽になるよ」
でも、自分は消すの、たいへんですね、なかなか。
だって、ここに居るんだから。
で、自分を消す方法として、
他人を消したら、
自分しか居なくなるんですね。
自分しか居なかったら、
他人はどこに居るんですか?
「他人は存在しない」
っていうことは、
自分という概念が消えてしまうんです。
全部、自分。
これは、自分の身体の中で考えてみればいいですね。
例えば、
「不公平がこの世の中にある」
と思ってるでしょ?
え~、私、車 運転するとき、
今、オートマですから、
右足しか使わないんですね。
左足は、じっとしてます。
でも、右足は、左足に対して、
「おまえ、もっと働けよ!」
「不公平だ」
っていう想いは、絶対に出ないんです。
一つだと思ってるからなんです。
で、人殺しのシーンが見えたとします。
「それが『自分だ』という認識が持てたら、どうかるか?」
っていうことですね。
すべてが自分なんです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より