(「 神が、「『神ならざる者』に成る」以外に 」の続きです)
もういっぺん、言いますよ。
神が、自分の完全さを喜びとして感じたかったから、
不完全な者に成ったわけですね。
で、私たち全員、違う欠点を持っているんです、実は。
一人ひとり、全員、違う欠点を持ってます。
それが、存在理由なんです。
すなわち、神から分離した時に、
私たちが抱いた欠点、
これこそ、宇宙にとって、もっとも必要なものなんですね。
みなさんがたの欠点は、
宇宙にとって、一番必要なものなんです。
だから、それを克服しようとか、変えようとかするのは、
神に対する冒涜(ぼうとく)なんですね(笑)
うまく行くはずがありません。
困るから、こっち(神)は。
「おい、やめろよ」
って言って、
うまく行かないんです。
欠点克服した人なんか、いないはずですね。
だから、
「欠点があるから、喜びが生まれるんだ」
だったら、どうすればいいのか?
丸まま、認めればいいんです。
目の不自由な人は、この目を治そうと思ったら、地獄ですね。
他人のことは、よく分かるでしょ?
「目の不自由な人は、目の見えない状態を楽しめばいい」
って、分かるでしょ?
ところが、自分のことは、
欠点を直そう直そうとしたり、
それから、旦那の欠点を直そう直そうとしたりしますよね?
他人の欠点を直そうとするのは、
「自分の欠点を直さなければならない」という誤解から来るわけです。
「欠点こそが、神に与えられた栄光である」
「私は、このまま、ここに居る」
だから、克服すべき欠点なんか無いんです。
津留晃一 講演会CD『 鏡 』 より