今朝、道を歩いていると、
「ガシャン」
という音がしました。
目を向けると、
男性が、手と身体を、
横から正面へ向けているところでした。
その動きと音から、
「何か、道に落ちていたゴミを、横の草むらへ投げたのでは」
と思いました。
そのとき、昨日目にした光景が、思い出されました。
地方では、道端に草が茂っていることが、よくあります。
さまざまな理由で、地権者が手入れをできていないのでしょう。
そのような場所を、自治体が刈ることがあります。
昨日目にしたのは、まさにそんな場所で、
道の脇の、高く茂っていた草が刈られて、
「とてもスッキリしたなぁ」
と感じました。
でも同時に、
草が茂っていたときには見えなかった、
その中に捨てられていたゴミ・空き缶などが現れてきて、
こんどは、それが、はっきりとした不快感を感じさせます。
道路自体は、舗装されていて、スッキリきれいで、
ゴミも落ちていません。
でも、その横には、手入れをされていない草むらがあり、
普段から、その茂り具合が、道を通る時に、
なんとなくモヤモヤと、なんとなく不快にさせます。
そして、草を刈ってみると、
そこには、いろいろなゴミが存在していることが分かります。
中には、今朝のゴミと同じく、
道路自体をきれいに保つために、
そこにあったものが、投げ込まれた、ということもあるでしょう。
私たちの意識できるところをきれいに保つことは、
比較的、簡単です。
「見えている」「意識できている」から。
でも、
道に落ちたゴミは、
しっかりと処分してしまわないと、なくなりません。
道端の草むらの中へ、ポイッと捨ててしまっても、
それは、隠してるだけ、見えなくなっているだけです。
そして、それは、
見えないけれど、不快な感覚を放ち続けます。
そして、機会があると、しっかりと姿を現し、
まだゴミとして存在していることを認識させます。
不快の原因として、存在していることを認識させます。
顕在意識、潜在意識、そして、潜在意識の中へ隠された感情ブロック。
その関係が、よく見えた気がしました。
草を刈り、その中に隠れていたゴミを見つけ出し、拾い・処分する。
それが、「浄化」なのですね。