2013年9月7日土曜日

道、草むら、ゴミ

今朝、道を歩いていると、
 「ガシャン」
という音がしました。

目を向けると、
男性が、手と身体を、
横から正面へ向けているところでした。

その動きと音から、
 「何か、道に落ちていたゴミを、横の草むらへ投げたのでは」
と思いました。


そのとき、昨日目にした光景が、思い出されました。

地方では、道端に草が茂っていることが、よくあります。
さまざまな理由で、地権者が手入れをできていないのでしょう。
そのような場所を、自治体が刈ることがあります。

昨日目にしたのは、まさにそんな場所で、
道の脇の、高く茂っていた草が刈られて、
 「とてもスッキリしたなぁ」
と感じました。

でも同時に、
草が茂っていたときには見えなかった、
その中に捨てられていたゴミ・空き缶などが現れてきて、
こんどは、それが、はっきりとした不快感を感じさせます。


道路自体は、舗装されていて、スッキリきれいで、
ゴミも落ちていません。

でも、その横には、手入れをされていない草むらがあり、
普段から、その茂り具合が、道を通る時に、
なんとなくモヤモヤと、なんとなく不快にさせます。

そして、草を刈ってみると、
そこには、いろいろなゴミが存在していることが分かります。
中には、今朝のゴミと同じく、
道路自体をきれいに保つために、
そこにあったものが、投げ込まれた、ということもあるでしょう。


私たちの意識できるところをきれいに保つことは、
比較的、簡単です。
「見えている」「意識できている」から。

でも、
道に落ちたゴミは、
しっかりと処分してしまわないと、なくなりません。

道端の草むらの中へ、ポイッと捨ててしまっても、
それは、隠してるだけ、見えなくなっているだけです。

そして、それは、
見えないけれど、不快な感覚を放ち続けます。

そして、機会があると、しっかりと姿を現し、
まだゴミとして存在していることを認識させます。
不快の原因として、存在していることを認識させます。


顕在意識、潜在意識、そして、潜在意識の中へ隠された感情ブロック。
その関係が、よく見えた気がしました。

草を刈り、その中に隠れていたゴミを見つけ出し、拾い・処分する。
それが、「浄化」なのですね。