「もっと優しくできるはずなのに...」
そんな想いを、みんな、体験したことあるんではないかと思うんですが。
それはどんな時か、っていうと、
私の場合は、こういう時だったんですね。
会社の中で、人に優しくできなかった時というのは、
たいがい、
「そんなこと、できて当たり前だろ」
という想いがありました。
「このぐらいのことは、して当たり前」
「できて当たり前」
それができない人に対しては、
当たり前のことができない人に対しては、
どうしても、優しくしてないんですね。
自分が、
「こんなの、できて当たり前」
「給料もらってんだろ? だから、このぐらいのこと、できて当たり前」
そんな時に、どうしても、優しくないんですね。
だったら、その、
「できて当たり前」
っていうのを手放したら、どうなるか?
「できなくても、構わない。」
えぇ、夫婦関係のトラブル、
たいがい、見てると、
「このぐらいのこと、やってよ」
っていう想いですね。
「このぐらいのこと。」
当たり前と思ってることができないと、
イラつくわけです。
そして、実は、
当たり前と思ってることができない人を見ることによって、
自分の中に葛藤が起こるわけですね。
人を責めてしまいます。
意地が悪い自分を発見します。
その時、どうするかっていうと、
そのイライラを収めるために、
人は、「怒る」っていう感情を使うんです。
自分の中に湧いてきたマイナスの感情を、
何とかしたいと思うんです。
そして、それをバランスを取るために、
もう一つ別の感情を持ってくるんですね。
たいがい、それは「怒り」です。
マイナスの感情を、別の感情でバランスを取ろうとするんです。
外に怒りを発するということで、
内の、内側のフラストレーションを、
外に怒りを爆発させることによって、
クリア、ニュートラルにしようとしてるんですが、
これ、どちらもマイナスですから、
外に出したマイナスの想念、
ちゃんと自分に戻って来るわけですね。
そして、余計イライラしてくるわけです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より