2019年1月25日金曜日

『人間』という決め込み

 
先週の「津留さん交流会」でお聞きした話で、
興味深かったもの、

そして、そこから僕が想ったことなどを、
いくつか、シェアさせてもらいます。
 
 
今回、その話を聞かせてくださったのは、

津留さんが活動していた時代に、
津留さんの講演会を聴きに行ったことがあり、

そして、その内容に感激して、
ご自分で主催者となって、津留さんを呼び、
津留さんにワークショップをしてもらったことがある、

という方でした。
 
 
さて、その方のお話というのは、

その、主催されたワークショップの際に、
ご自分の体調的なことに関して、疑問に思っていることを、
津留さんに、質問してみたんだそうです。

そうしたら、津留さんは、

何か答えのようなものを教えてくれるのではなく、
代わりに、

 「『どうして?』『どうして?』と、
  ご自分の内側に問いかけてみてください」

と、
返答した、とのこと。

これ、
やっぱり、津留さんにとっては、
最もオーソドックスで、普遍的な方法・手段だったんでしょうね。

それを、確認できた気がしました。
 
 
ちなみに、その方、
津留さんにそう言われて、

帰宅してから、しばらく、
「『どうして?』『どうして?』」と、されたのだそうです。

そうしたら、
今回の人生では、ご自分とはまったく関係・所縁のない、
ある歴史的事件の名称が、ふっと、脳裏に浮かび、

そこから、
軽くなられたのだそう!
 
 
みなさんも、何か疑問が湧いたら、

外側に答えを探すのを、一旦、保留にして、

 「『どうして?』『どうして?』」と、
 自分の内側に問いかける

というのを、やってみてください。

思わぬ成果が得られるかもしれませんよ。
 
 
コツのようなものとしては、
津留さんが説明してくれているように、

答えを得ようと、思考を使うのではなく、
ただ、内側に向かって、問いかけ続けてください。

今回ご紹介した方の事例だと、
たまたま、「答え」のようなものを手に入れられて、
そして、その結果、軽くなられた(浄化できた)わけですが、

それは、『たまたま』だと、思ってみてください。

答えのようなものを受け取れる、
というケースもあるでしょうし、

そういうものは分からないけれど、受け取れなかったけど、
でも、気持ちが軽くなった、
というケースも多いと思います。
 
 
 思考を使わずに、
 内側に、深く入り込む
 
あるいは、

 ハートの、疑問を感じている蟠(わだかま)りの部分に、
 『どうして?』『どうして?』」という文言をふりかけ続ける

みたいな感覚でも、いいと思います。

ぜひ、やってみてください。
 
 
続いて、
その方からお聞きした、とても興味深いお話ですが、

その方は、
数年前に、「覚醒した」のだそうです。

その方曰く、
現状としては、

 「覚醒」の状態と、「人間」の状態とを、
 比重を変えながら、行ったり来たりしている

状態だそうです。
 
 
で、
僕が、とても興味深く感じたのは、

その、最初に「覚醒した」時、
どうやって覚醒したか、というと、

 「自分は『人間』だ」というのも『判断』だ、と気づき、
 その判断を手放した

ことによって、
覚醒状態になったのだそうです。
 
 
以降は、僕なりの理解・解釈なので、
その方の体験や、その方の認識とは、違うかもしれませんが、

その話を聞いて、
僕は、

 「『人間』だ」と思っているから、『人間』なので、
 その思い込み・決め込みを無くすと、人間ではなくなる

ということ、
なのだと思いました。
 
 
そして、これは、やはり、

 『そもそも』は、「『人間』ではない」から、
 「自分は『人間』だ」と思うのを止めちゃうと、人間ではなくなる

ということを、

 『そもそも』は「『人間』ではない」存在が、
 『人間』をしてみたくて、自発的に、
 「自分は『人間』だ」と思い込むことによって、
 人間をできているけれども、人間に成れているけれども、
 
 その思い込みがなくなってしまうと、
 そもそもの、元の、「『人間』ではない」状態に戻ってしまう

ということを、
意味しているように思いました。

あるいは、
そう捉えると、より自然なように、感じました。
 
 
このあたりの捉え方、解釈については、
過去記事「 「できる」ということ 」もご参考にしていただけると、
より、面白いのではないかなぁ、と思います。
 
 
さあ、
加えて、もう一つだけ。

その方が、「覚醒した」という話を披露してくださったのを受けて、
別の方が、関連する話をしてくださいました。
 
 
その、別の方は、
「悟る」「覚醒する」ためのワークとして、

 「ロウソクの炎を見つめて、炎と一体になる」
というのを、
かつて、されたことがあるのだそうです。

そのワークでは、
見事、炎と一体になると、
悟った状態になれるらしいのですが、

その方は、そのとき、
 「もう、炎とほとんど一体化している」
という状態まで行ったのそうなのですが、

 「もう、完全に一体となる」
という寸前まで進んだところで、

怖くなって、止めてしまった、
のだそうです。
 
 
そのとき、その方からお聞きした話は、
そこまでで、

それ以上、詳しくはお聞きしなかったので、

その方が、どのように「怖かった」のか、とか、
そのときのことを、今、どのように捉えているか、
などは、お聞きしなかったので、

以降は、
これまた、僕なりの理解・解釈・興味を持ったこと、ですが、
 
 
まず、
「怖かった」ということですけど、

「覚醒しよう」「覚醒したい」と思って、ワークをして、
そして、めでたく、その直前まで行けたのに、

でも、そこで、自ら、ブレーキを踏んでしまわれた、
ということなんだと思います。

おそらく、そういうことなんだと思いますが、
それって、とても興味深く、面白いですよね。

そして、これって、
僕の解釈からすると、
あるいは、もし、僕の身に起こったことだったとしたら、

おそらく、

 自分の中に、自分を『人間』で居させ続ける自動装置があり、
 それが作動した

というような感じに思われます。
 
 
 「まだ、『人間』体験が足りてないから、終わり切ってないから、
  もう少し、『人間』のままでいましょうね」

もう少し言っちゃえば、

 「せっかく頑張って、『人間』に成り切れているんだから、
  もう少しこのまま、『人間』をやって、やりたい『人間』体験をしましょう。
  悟っちゃうのなんて、元の状態に戻るだけだから、いつでもできるから」

みたいな感じで、

 自分の中で、
 今の『人間』をしている状態をキープさせようとする方向の力が、自動的に働いた

みたいな感じに、思われます。

あるいは、
もしそうだったとしたら、とても納得でき部分があるように思います。
 
 
あと、
今回の、この方のケースには、当てはまらないと思いますが、

私たちの中には、

 「決して、望んでいる状態なのではないけれど、
  とはいえ、そんな現状でも、
  ありがたいところ・安心できるところ、があり、
 
  なので、
  そんな現状から離れること、そんな現状を手放すことを、
  自ら、止めてしまう」

っていうこと、ありますよね。

もっと言ってしまうと、

 「現状は、決して望ましくなく、
  もっと良い状態を積極的に望んでいるんだけど、
 
  でも、そうでありながらも、
  その状態から変化すると、
  より悪い状態になってしまう場合・可能性もあり、
 
  そのために、
  現状で居続けることを、自ら無意識に選択してしまう」

っていうこと、ありますよね。
 
 
個人セッションの場面などでも、

 「良い状態になることを明確に望んでいて、
  行動もとっているのに、
  どうしても、上手く行かない。」

というケース、

場合によっては、

 「よく分からないんだけど、
  上手く行きそうになると、自分から壊しちゃう。」

というケースを、
実は、とてもよくお聞きします。

そういう場合には、
そういうことが、自分にも思い当たる場合には、

ぜひ、
ご自分が恐れていることを、探してみてください。
 
 
あるいは、
上のようなケースの場合には、

 自分が上手くいくことを、良くなることを、
 自分で許していないところがないか?
 自分で自分を罰しているところがないか?

というあたりのことを探してみることも、
とても効果がある可能性があります。
 
 
良くなりたい、上手くいきたいと、
顕在意識では、明確に、そう思っているし、
行動もとっているかもしれないけど、

でも、その実、
潜在意識のところでは、
自分がそうなってないけない、と、

 「自分にはその価値がない」
 「自分がそんな良い目にあってはいけない(誰それに申し訳ない)」

と、
自分が、密かに、自分自身を、
許していなかったり、罰していたり、
そんなことがないか、
探ってみられると、

思わぬことに気づかれ、
思わぬ進展がある、

なんてことに、なられるんではないかなぁ、と、思います。
 
 
以上、ご参考まで。

今回の話を交流会で提供してくださった方々、
交流会にご参加くださったみなさまに、
感謝いたします。










2019年1月17日木曜日

正論


『アメトーーク!』というテレビのバラエティ番組が大好きで、
いつも録画して、保存して、そして何度も観ているのですが ^^; 、

その中に、
 「ついつい(〜)芸人」シリーズ
 「(食べ物)大好き芸人」シリーズ
という、

内容と出演者が似た、
一連の回があります。
 
 
具体的には、
 「ついつい食べ過ぎちゃう芸人」
 「ついついダラしなくなっちゃう芸人」
 「ついつい甘いモノ食べちゃう芸人」
 「アイスがなきゃ生きてイケない芸人」
 「揚げ物大好き芸人」
 「ハンバーグ大好き芸人」
  ・・・
など。
 
 
それらに、
特に共通している、コアな内容としては、

 「ついつい、節度なく食べてしまう ... 」
という芸人さんたちが、

その対象である食べ物の種類や具体的商品を、
その食べてしまう状況・様子・心理などを、
面白おかしく紹介します。

 「ついつい、ポテトチップスを口にしてしまう ... 」
 「大福は、まずあんこを吸ってから ... 」
 「唐揚げを、大皿で ... 」
など、

自分が特に大好きな食べ物と、
その美味しさと、美味しい食べ方と、

そして、
それをたくさん食べてしまう様を、止められない様子を、

各自、熱弁していきます。
 
 
一方、
それらの話を聞き、そして番組を進行して行く、司会者の、
その横には、

それとは対象的に、
しっかりとした節度と自制心を持った、
ついつい食べ過ぎてしまうことなどない芸人が、
一人、座っています。

具体的には、
アンジャッシュ・渡部氏なのですが、

彼は、司会者からは、
「ミスター・自己管理」と呼ばれるほど、
強い意志と自制心を持っているため、

「ついつい」芸人たちとは、相容れず、
彼らが語る、食べ過ぎる様を、
呆れながら聞いています。
 
 
食べ過ぎてしまう芸人たちは、
自らの、それらの行動を、

様々に、面白おかしく、
「正当化」しようとします。
 
 
例えば、
サンドウィッチマン・伊達氏は、

独自の『サイズ理論』を展開します。

 「柿の種は、一つひとつが、こんなに小さい。
  それをいくつ食べたところで、太るわけがない」
とか、

 「カステラは、押しつぶしたら、こんなペッタンコになる。
  それが、太るわけがない」
とか。

その後は、さらに飛躍して、

 「ドーナツは、真ん中が無いから、カロリーゼロ」
とか、

 「揚げ物は、油で揚げてあるから、カロリーが飛んでしまっている」
とか、

そんな、オリジナルの『カロリーゼロ』説を、
様々な食べ物に、当てはめていきます。
 
 
また、
ブラックマヨネーズ・小杉氏は、

 「弁当(食事)を食べてないから」
と、
スナックや甘味などのお菓子を、大食いしたり、

 「空手をやってたから」
と、
食べ物を残すことができず、無駄にすることができず、
ついつい食べてしまうのだと、語ります。
 
 
そのような、
「ついつい」芸人たちの、

自分たちが食べ過ぎてしまうことに対しての、
それらを正当化することに対しての、
数々の、詭弁(きべん)・屁理屈(へりくつ)に対し、

渡部氏は、
当然の「正論」で、
それを諌(いさ)めます。

 「そんなことでは、カロリーは無くならない」
とか、
 「ご飯(食事)を食べないで、お菓子を食べるのが、一番太る」
とか。

渡部氏としては、
体型のみならず、健康状態などを含めて、
相手のことを心配して、そのように諌め、

 「食べる順番も、気にしたほうがいい」
など、
アドバイスまで、するのですが、

そのような展開になると、決まって、
諌められる側の小杉氏が、拗(す)ねてしまいます。
 
 
こんなとき、
拗ねてしまっている小杉氏を見て、
司会者を含めた出演者全員が、
渡部氏のほうを悪者にし、そして謝らせます。

 「ついつい言い過ぎて、ごめんなさい」

と、
渡部氏が謝罪することで、
小杉氏の機嫌が直り、
その場が一段落となります。
 
 
もちろん、
全体としては、バラエティ番組であり、
「面白い」ということが、最優先されますから、

これらの悶着も、
各位想定のもとに、ワザと、やり合うわけですが、

そして、だからこそ、
やる側も、観る側も、

正論を言っている側の渡部氏が謝らせられる展開となることが、
面白く感じられる訳ですが、

一件落着し、みなで笑顔になった後に、
「ついつい」側の出演者の一人である、
アンタッチャブル・山崎氏が、

締めに、面白さを最後に増幅させる言葉を、
渡部氏に、言い渡します。

 「渡部さん、『正論』を言うときは、言い方に気をつけてもらわないと」
 
 
昨日、
この言葉が、

唐突に、
頭の中に、リフレインしました。

そして、そのとき、

この言葉は、

番組中で、語られた、あの言葉は、

僕に向けて吐かれた、
僕のための言葉であると、分かりました。
 
 
もちろん、
 「この宇宙には、自分一人しか居ない」
のですから、

僕にとっては、全ての言葉が、
(僕によって)僕のために、語られているわけですが、

しかし、そうであっても、
特にあの言葉は、特別に、
僕に向かって、僕のために、吐き出され、届けられた言葉であると、

昨日、分かりました。
 
 
前回、新年のご挨拶で
(過去記事「 あけましておめでとうございます(2019年) 」)、

年末年始に、体調を崩し、
特に、ひどく咳き込んでいたこと、

そして、その「咳き込む」という行為は、
何らかのブロックを吹き払うために、
身体が行なっていた自浄行為だろうと思う旨を、書きました。

ようやく、その咳が止まり、
鼻水・痰も、収まってきたところで、
自らの体調や色々な感覚を見るに、

確かに、
何らかのものたちは、吹き払われたのだろうと、
やはり、思うのですが、

しかし、
昨日、その言葉が、自分に向けられた言葉であると認識したとき、

主に吹き払っていたのは、『蓋』だったのだろうと、

言うことが・吐き出すことができなかった、
無数の、大量の、『正論』を、
僕の中に、封じ込めるために必要とされていた『蓋』だったのだろうと、

昨日、分かりました。
 
 
咳が止むなり、

僕の中からは、
止め処なく、止まることなく、大量の、無数の、『正論』たちが、
湧き上がり、たぎって来ていました。

それらを、半ば驚き・呆れ、半ば当然と同意しつつ、
見つめ、それらに向き合っている最中に、

あの言葉が、僕に向けられた言葉だったことが、分かったからです。
 
 
 「『正論』を言うときは、言い方に気をつけないと」
 
 
正論は、正論であるが故に、
言う側は、ついつい、はっきりと、あるいは強めに、
言ってしまいがちです。
 
 
ところが、
言われている側は、

言われていることが、『正論』であるが故に、
言われたときの反応・対応が、強く・強固になります。
 
 
言われている側が、
それを『正論』であると思っていない場合には、

言われている、その理屈は、
その人にとっては、邪論です。

邪論を、強めに言われたのであれば、
自らにとっての正論を、言い返したくなります、
より強く。
 
 
あるいは、
言われている側が、

それを『正論』であると、分かっているときには、
同意しているときには、

しかし、
正論だと分かっていながら、それをしていない自分を、正当化します、
強固に。

あるいは、
正論だと分かっていながら、それをできない自分を、弁護します、
堅強に。
 
 
いずれにしても、
『正論』は、

出した以上の強さで、自らに返ってきます。

だから、気をつけなければいけないのです、
 「『正論』を言うときには」。

あるいは、
言えないのです、言ってはいけないのです、
 「『正論』こそ」。
 
 
ところが、
『正論』であればあるほど、

特に、倫理的に、道徳的に、
あるいは、『愛』の観点から、『反エゴ』の観点から、

『正論』であればあるほど、
言わずにはいられないエネルギーが、
強靭なのです。

そんなときには、
相手は、屁理屈屋で、詭弁家で、

こちらが、黙ることが、
こちらが、そのまま受け入れることが、
理不尽で、不条理で、横暴で、

膨大なエネルギーを要す、
苦痛に満ちた作業となります。
 
 
そうやって、
耐えに耐え、耐え忍んで来た、
僕の中の人格が、

押さえ込んできた正論たちが、

年末年始の咳き込みで、蓋が取れて、
抑えが効かず、無くなり、

暴れ出し、
湧き溢れ出て来てしまったのです。
 
 
もう、その子(その人格・その感情)と、
向き合わない訳には行きません。

その子を、蔑(ないがし)ろには、
これ以上、もはやできません。
 
 
この10年余、
僕が、潜在意識の領域で、
一番、向き合ってきたのが、
実は、この子でした。

この10年余、
僕の頭の中で、一番、鳴り響き、繰り返し叫ばれていたのは、
この『正論』でした。


これまで、この子を蔑ろにして来たのは、
それはそれで、仕方のないことでした。

それは、これまでは、
最善で、必要な対処でした。

また、それによって、
このような体験ができました
(この体験をするためには、そうすることが必要でした)。
 
 
しかし、今、これからは、
もう、これ以上は、
蔑ろには、できません。

一秒たりとも、1mmたりとも、
見ぬふり、居ないふり、無かったことには、できません。

今、ここに、
この子以上に、大切な存在は居ません。

この子以外、宇宙には、誰も居ません。


ハワイに行って、
ハワイ島サウスポイントで出会えた子 の、下には、

こんな子が、

幾多の理不尽を、
数多(あまた)の不条理を、

一人、抱え込んでくれながら、
傷つき、血を流し、満身創痍で、
憤り、泣き叫び、絶望していました。
 
 
この子が、
特に虚しく、特に絶望していたのは、

僕が、この子に向き合わず、
正論を言わなかったから、
だけではありません。

僕は、むしろ、
自らの正論を、それがむしろ間違っているのだと、

正論を否定し、
この子を否定して来たからです。
 
 
スピリチュアルなことを学び、
『愛』『反エゴ』へ過傾倒することで、

生来の誠実さとも相まって、
相手の立場・事情を、過剰に慮(おもんぱか)ることを行い、

生来の公正さとも相まって、
「自分にだって、こういう後ろめたい点があるじゃないか」と、
自分の立場を、必要以上に蔑(さげす)み貶(おとし)め、

相手の立場・事情を、
自らよりも重視することを行なってきたからです。
 
 
津留さんを学び、浄化を知り、
むしろ、自分の想い・価値観を消し去ることを良しとして来た結果、

自分の正論(の存在)の方を否定し、
この子(の存在)を否定して来たからです。
 
 
加えて、
ときおり、正論がこぼれ出してしまう折には、

かえって、むしろ、何倍もに、
痛い思いをして来たからです。
 
 
 「『正論』を言うときは、気をつけてくださいよ」
 「『正論』こそ、言ってはいけませんよ」
 
 
「『正論』を言うほうが正しい」のは、
「人間に成る」サイクルでの話です。

「『正論』を言う方が良い思いをする」ことで、
みなで、『正論』を確たるものとし、
『正論』を握りしめることができたからです。

今の、この、
「神に還る」サイクルにおいては、

「『正論』を言うほうが誤っている」のです。

「『正論』は、言えば言うほど、傷つく」のです。
 
 
しかし、とはいえ、
これらのことで深く傷ついた、
『正論』を抱え込んだ子を、
無視してはいけません。

傷つき、痛み、苦しんでいるのは、
事実だからです。

傷つき、傷んだ、
その子は、
現に存在しているのです。
 
 
『正論』(それを生み出す「基準」「価値観」)は
手放しつつ、

しかし、かつ、
その子を無視せず、
その子と、どう、向き合うのか。
どう、付き合うのか。

それこそが、
「『神』に還る」道、なのですね。







2019年1月14日月曜日

日食(2019年1月)

 
2019年になって、6日目の、
1月6日、

日食がありましたね。
 
 
みなさんのところでは、
見られましたか?
 
 
その日に日食があることを知った、
1週間ほど前の時点では、

ここ千葉の、その時間帯は、
「曇り」の予報で、
恐らく見られない、とのことだったので、

とても残念に思いながら、
年末年始を過ごしていたのですが、

蓋を開けてみると、
当日は、朝から快晴で(!)、

僕たちは、
見ることができました。
 
 
以前、金環日食を見た際に購入した
(もう、6年も前の、2012年5月のことでしたね)、
日食グラスを引っ張り出してきて、

体調的には咳き込みながらでしたが、
日食開始から、何度も何度も、観察していました。
 
 
日食グラス越しに、
iPhoneで写真を撮ると、

どうしても、
太陽そのものをくっきりと撮影することは、できなかったのですが、



でも、
反射した光の部分に、

一部が欠けた太陽の形が、
しっかり写り、撮れました。


 
 
欠け始めから、
最も欠ける時間までは、

ときおり雲が出つつも、
見事に晴れてくれていたのですが、

終わりのほうの時間になると、
急に雲が多くなり、

やがて、
太陽は見えなくなってしまいました。
 
 
事前の天気予報を知っていた身からすると、
その一連の流れ・現象・状況が、
何か、「見せてくれた」感を感じましたので、

そんな認識から、
上手く撮れたものではないですが、
先の写真をシェアさせていただきました。










2019年1月11日金曜日

第10回大阪イベント 開催のお知らせ

 
 2019年4月19日(金)、20日(土)、21日(日)、
 大阪市で、
 「個人セッション」、「浄化ワークショップ」および「津留さん交流会」を行います。
 
 
 ありがたいことに、
 「年2回」「半年に1回」のペースで、伺えている、
 大阪ですが、
 
 昨年の、5月および10月に続き、
 今年は、
 まず、4月に伺うことになりました。
 
 
 前回の10月には行わなかった、
 「浄化ワークショップ」ですが、
 
 今回は、
 大阪でははじめてとなる、
 「『一緒に浄化しようか』浄化ワークショップ」を行います。
 
 
 これを書いている時点では、
 まだ未開催のワークショップですが、
 
 3月に、こちら千葉で、一度行ってから、
 大阪での実施となります。
 
 
 内容としては、
 
 ワークショップというよりは、
 「グループセッション」のような内容中心の、
 
 でも、
 前半では、講義的なことも行って、
 
 楽しく、かつ、とても実践的な、
 『浄化』についてのワークショップとする意向です。
 
 
 ご参加くださるみなさんと、
 一緒に作り上げていく形になっていますので、
 
 ご興味ある方のご参加を、
 心よりお待ちしています。
 
 どのような方がご参加くださり、
 どのような内容・展開になるのか、
 
 とても楽しみにしています。
 
 
 また、
 「個人セッション」ならびに「津留さん交流会」は、
 
 これまで同様の内容で、
 実施いたしますので、
 
 こちらも、
 ご参加・お申し込み、お待ちしています。
 
 
 それでは、
 大阪のみなさま、関西地区のみなさま、
 お会いできることを楽しみにしています ^^
 
 
 2019年1月11日 集合人編集局 ひで

 
 
  詳細・お申し込みは、『 第10回 大阪イベント 』 のページで。








「『一緒に浄化しようか』浄化ワークショップ」開催のお知らせ

 
 2019年3月9日(土)に、
 新しい「浄化ワークショップ」を行うことにしましたので、
 ここにお知らせします。
 
 
 「ワークショップ」というか、
 いわば、「グループセッション」。
 
 みんなで、一緒に、浄化をしましょう!
  
  
 中心的な内容としては、
 
 参加してくださったみなさまに、
 現在抱えていらっしゃる 悩み・問題点・課題を、
 ご提示していただきます。
 
 それらについて、
  「何を、どう、浄化したらよいか?」
 を、
 
 こちらから、具体的にお伝えし、
 そして、その場で実際に浄化していただきます。
 
 「個人セッションの簡易版」のような形です。
 
 また、
 それに当たっては、
 
  「どうして、そのような問題を抱えてしまうのか?」
  「どうしてそれを、苦しく感じてしまうのか?」
  「どう捉えれば、楽になるのか?」
 という、
 左脳的理解に関する部分についても、
 
 場合によって、必要があれば、
 付加的にお伝えいたします。
 
 この辺りまでは、
 津留さんが行なっていた講演会『幸せテクニック講座』と、
 イメージ的に近いものになると思います。
 
 そして、もし、
 他の参加者の方の、悩み・課題が、
 ご自分にも、思い当たるようでがあれば
 (おそらく、多少は、あるはずです)、
 
 浄化も、その方がなさるタイミングで、
 ご一緒に、なさってみてください。
 
 きっと、思わぬ効果を得られることでしょう。
  
  
 以上の、本ワークショップの中核部分に先立っては、
 
  「浄化とは、何なのか?」
  「ブロックとは、何なのか?」
  「浄化は、どうやったらよいのか?」
 
 という、
 浄化一般に関しての、ガイダンスを行います。
 
 それによって、
 
 『浄化』というものを、
 頭でご理解いただき、
 
 また、「浄化」がなぜ効果があるのか、も、
 納得していただき、
 
 そして、どう行為したらいいのか、も、
 認識していただきます。
  
  
 そして、最後には、
 「まとめ」と「質疑応答」の時間を設けるとともに、
 
 私たちの多くが、共通して持っているような、
 とても一般的なブロックについて、
 
 こちらからの誘導のもと、
 みなさんご一緒に、浄化していただきます。
 
 今、最も直面している課題そのものではないけれども、
 でも、少なからず問題となっていること、や、
 
 あるいは、今直面している課題のベースとして、
 多くの私たちが影響を受けているブロック、
 
 例えば、
  「お金が無いと、生きていけない」
  「働かざる者食うべからず」
  「人に迷惑を掛けてはいけない」
  「自分には、その価値が無い」
 などといった、
 とても普遍的・一般的な、価値観・思い込み・決めつけなどを、
 
 この機会に、みなさんで、ご一緒に、浄化しましょう。
  
  
 これらを通じて、
 
  1.「浄化」一般についての理解を持っていただくこと、深めていただくこと
 
  2. ご自分の悩みを、具体的に実際に浄化していただくこと
 
  3. 他の参加者の方々の悩みを聞き、その浄化の様子を見ることにより、
    浄化のやり方を、より深く具体的に理解していただくこと
 
  4. 私たちに共通するブロックを知っていただくこと、それらを浄化していただくこと
 
 を意図した内容となっています。
  
  
  「自分の今の悩みや苦しみを(ある程度)告白することは、できる。
   そして、それを、ぜひ、浄化したい」
 
  「他の方々は、具体的にどのようなことに悩んでいるのか、知りたい。
   その方々の浄化の様子を拝見したい」
 
  「それらを、実際に、どのように浄化するのか、見たい・知りたい」
 
 そのようなみなさまに、ご参加いただければと思います。
  
  
 それでは、ワークショップでお会いできることを、楽しみにしています。
 
 みなさんで、ご一緒に、浄化をしましょう。
 
 
2019年1月11日 集合人編集局 裕子・ひで

 
 
  詳細・お申し込みは、「 『 一緒に浄化しようか』浄化ワークショップ 」 のページで。










2019年1月7日月曜日

あけましておめでとうございます(2019年)

 
あけましておめでとうございます

本年も、みなさんにとりまして、
素晴らしい一年となりますよう祈念いたします。


おめでたい画像だと思いますので、再使用 ^^



松も明ける、
1月7日に、
ようやくの、新年のご挨拶。

ほとんど更新のない、このブログですから、
別に、なんの驚きもないことですが ^^; 、

さすがに、年末か年始には、
いつも、ご挨拶していますので、

今回も、そうしようと思っていたのですが...


実は、この年末年始、
クリスマス明けから今日まで、
体調を崩していて、

それで、
今日、ようやくのご挨拶となりました。


体調不良、
といっても、

まず、
寝込むことはなかったですし、

お腹の具合や食欲は、
まったく、いつもどおりで、

クリスマス、年末の年越しそば、
そして、おせち料理も、
これまたいつもどおりに、たらふくいただきましたが ^^; 、

ただ、
「熱」と「頭痛」と「鼻水」が、そこそこで、
慢性的に寒気がして、頭が痛くて、鼻が出る状態で、

画面の前に座ってのパソコン作業などは、
極力、控えていました
(作業すると、特に頭痛が増しました)。

加えて、
「咳」がちょっとひどくて、

特に、夜寝ているときにも、咳で起き、
そうなると、その後しばらく咳き込む、
そんな日が続いて来ました。


昨日、1月6日が、小寒、
この後、1月20日が、大寒。

まだまだ寒い日が続きますので、
というか、これからが、寒さ本番でしょうから、

みなさまも、どうぞお身体にお気をつけください。


さて、
そんな日々が続いて来た、
2日前の、早朝。

やはり、そのときも、咳で起き、
そして、咳き込んでいました。


そのとき、
ふと、想い(アイデア)がやって来ました。

 「咳き込んでいるのは、
  喉が、猛烈な勢いで、吹き出したいからではないか?」

 「飲み込んだ『想い』『言葉』、
  出さずにしまい込んだ『感情』、
  それらを、『喉』が(肉体が)吐き出したくて、
  それで、咳が続いているのではないか?」
 
 「しかも、普通に出すだけでは足りず、
  猛烈な勢いで、思いっきり、出したいから、
  ここまでの咳が、出ていて、続いているのではないか?」

そんなアイデアが、
「閃く」という感じではなく、
ただ、やって来て、

そして、
そう思ってみたら、

不思議に、
喉の違和感は消え、
咳も出なくなり、
そこから、深い眠りに入りました。

咳が止まり、喉の違和感が消えていたのは、
ほんの数時間で、

翌朝、起きてみれば、
状態は、以前に戻っていましたが、

しかし、そのときは、
そういう肉体現象・肉体感覚が、やって来ました。


津留さんも、

 「言えずに飲み込んだ『想い』『言葉』が、
  喉に溜まり、喉を塞いでいて、

  その詰まりがあるから、
  頭で理解できたことでも、
  なかなか『腑に落ちない』(腹まで落ちない)」

と、言っていましたね。

今回の僕の咳は、
その詰まりを緩和するべく起きた、
 「身体の自浄作用」
 「感情の自消作用」
なのではないか。

そうみなしてみると、
僕のエゴは、納得するようです。

2019年という、新たな年を迎え、送るに当たり、
これまでに既に浄化できているべきブロックで、
しかし、まだ、浄化できていなかったものを、

「咳」という動作を通じて、
強制的に、浄化した ...

そんなふうにみなしてみると、
少し、納得がいく感じがします。


そして、
そう、みなしてみると、

では、
「鼻水」は、というと、

これは、
 「嗅ぎたくなんかなかったのに、
  嗅がされてしまった『悪臭』、
  吸い込みたくなんかなかったのに、
  吸わされてしまった『不快なもの』の(肉体的な)記憶を、
  垂れ出す」
ということなのではないかなぁ。

 タバコ
 人工香料
 加齢臭
 埃
 ・・・

思い当たるもの・こと、
いっぱいありますねぇ。

それらを嗅がされ、吸い込まされたときの、
そのときの(肉体的な)不快さと、
そして、そこで味わった感情を、

水分に溶け込ませ、
垂れ出した ...

鼻に関する、同じく、
 「身体の自浄作用」
 「感情の自消作用」
とみなすと、

やはり、
納得できるものがある気がします。


もしかしたら、
何かの、誰かの、ご参考になるかと思い、

ちょっと、
書かせていただきました。


それでは、改めまして、
本年も、どうぞよろしくお願いします。


  ひで









2018年11月27日火曜日

富士山 お裾分け


私たち、
日本人にとって、

『富士山』って、

やはり、何か、
「特別」な感じがしません?
 
 
東京都内の、
富士山が見える地域で、
生まれ育った僕には、

「常に」ではないけど、

晴天時には、
特に、冬場の晴天時には、

ふと、視界に入ることがある、
そんな存在で、

そして、見えたら
 「ラッキー」
と、感じるので、

なので、
なんとなく、いつも探してしまう ...
 
 
そんな存在です。


10月の、
大阪イベントの際には、

あいにくの曇り空で、
往路の新幹線の中から見えず、

悶々とした気持ちをつのらせ、

11月の、
名古屋イベントの際には、

おかげさまの快晴で、
往路の新幹線の中から見えたものの、

しかし、
逆に、
 「もっと見たい!」
気持ちが増してしまっていました。
 
 
そんな中迎えた、
先日の、晴天日。

そもそもあった予定を、
そんな気持ちゆえに、
急遽、ちょこっとだけ変更して、

お膝元まで伺って、
富士山を拝見してきました。
 
 
そのときに撮れた富士山を、
ちょっと、みなさんに、お裾分け ^^ 。
 


 
 
美しい、
そのお姿は、

今や、
私たち日本人だけでなく、

海外の、多くの方々をも、
惹きつけてやまないようですね。
 
 
この日、
富士山近くでは、

まるで、
最近の、京都や大阪市街地並みに、

多くの海外からの人々で、
溢れかえっていました。
 
 
そのことにも、
ちょっと、
特別な感慨を持ちました。














2018年11月8日木曜日

『第6回 名古屋イベント』を終えて


 2018年11月2日(金)、3日(土)、4日(日)の3日間、
 名古屋で6回目のイベントを、開催することができました。
 
 
 前回、名古屋に伺ったのが、
 昨年の8月。
 
 1年以上ぶりの、開催でした。
 
 
 また今回は、
 先月の大阪でのイベント同様、
 
 「浄化ワークショップ」を行わず、
 「個人セッション」と「津留さん交流会」を行いました。
 
 結果、
  個人セッションに2名、
  交流会に7名、
 計9名の方々に、お越しいただきました。
 
 
 個人セッションには、
 
  「子供がいて、千葉には行けないから、
   開催されるのを、心待ちにしていました」
 
 という方がご参加くださり、
 とても嬉しく、そして伺った意義を実感できました。
 
 
 また、交流会では、
 
 みなさん、初対面の方々を相手に、
 ご自身の体験や境遇を、
 とても赤裸々に語ってくださり、
 
 それゆえに、
 とても活発に会話が進み、
 とても深い内容になり、
 
 その場に居た一人として、
 まず、
 純粋に楽しかったとともに、
 
 とても感銘することができ、
 気づき・学びも、多く得られました。
 
 
 今回も、たくさんの方にお会いでき、
 そして、たくさんのお話を伺えて、
 とても嬉しかったです。
 みなさん、ありがとうございました。
 
 またお会いできる機会があると嬉しいです。
 
 
    集合人編集局 ひで











2018年10月20日土曜日

「サイト非表示」の件で

 
 10月10日夜、
 一通の問い合わせがありました。
 
  「津留晃一さんのメッセージ集のサイトが、
   突然、見られなくなってしまったのですが、
   改善されるのでしょうか?」
 
 
 その、お問い合せ内容に、ビックリして、
 サイトを確認すると、

  "  Forbidden "
  "  You don't have permission to access ... "
 
 と表示されるだけで、
 
 トップページも、
 メッセージ集も、
 表示されません。
 
 
 実は、その時は、
 翌朝早くから大阪に向けて経つ、
 その準備を終えたところ、
 といった状況で、
 
 準備を終えた、とはいえ、
 翌朝も早いので、
 
 きちんとした対処を取る時間が、
 あまりありませんでした。
 
 
 取り急ぎ、
 最低限の対処をし
 
 (お問い合せへの返答と、
  サーバ管理会社への問い合わせ、
  ならびに、新サイト及びこのブログでの状況告知)、
 
 後は、裕子さんにお任せすることにして、
 就寝。
 
 翌朝は、
 早朝に、大阪へ出発する予定でした。
 
 
 翌朝。
 
 予定より、早めに目が覚めたため、
 
 改めて、サイトを確認すると、
 やはり、まだ、"  Forbidden " 表示のまま。
 
 それを確認できても、
 まだ、時間があったので、
 
 そこで、
 いつもよく見ている、
 スポーツ関係のサイトやブログに、
 
 いつものように、
 一通り、さっと目を通すと、
 
 そのうちの、一つのブログに、
 なんと、
 
  「 "  Forbidden " 表示となり、ご迷惑をおかけしました」
 
 なる記事が!
 
 
 その、あまりのシンクロぶりに、
 思わず声を漏らして、笑ってしまいながら、
 その記事を読み進めると、
 
 そのブログの場合には、
 レンタルサーバへの料金不払いが、原因だったとのこと。
 
 
 そこで、
  「ということは、 もしや、やはり?」
 という気になりました。
 
 
 というのも、
 
 今回、非表示となってしまった、
 メッセージ集を掲載している、
 元々の「津留晃一の世界」サイトについて、
 
 先月、
  「利用料が支払われていません」
 という、料金未納の請求書を、
 受け取っていたからです。
 
 なので、
  「もしかしたら、その件と関係があるかな?」
 とは、
 薄っすら、思っていたのですが、
 
 しかし、
 その請求に関しては、
 即座に、支払いを済ませていたため、
 
  「でも、まさか ... 」
 という感じで、思っていたのでした。
 
 
 ところで。
 
 そもそも、
 その、「料金未納」の件ですが、
 
 料金は、
 毎月、クレジットカードからの、自動引き落としになっていて、
 
 本来なら、そもそも、
 料金未納が起こるはずがありません。
 
 なので、
 請求が来たときには、
 理由が分からず、
 
 頭の中いっぱいに、クエスチョンマークを浮かべ、
 二人して、途方に暮れていたのですが、
 
 あるとき、
 裕子さんに、閃きがやって来ました。
 
 
 その、クレジットカード、
 数ヶ月前に、
 新たなカードが送られて来ていたのです。
 
 そう!
 
 分かってしまえば、
 なんてことない話なのですが、
 
 登録していたカード情報の、有効期限が切れてしまって、
 それで、引き落としができなかったのでした。
 
 
 でも、あれ、
 カードの更新に伴って、
 
 登録カード(情報)も、
 自動的に更新される、のでは、ないんですね!
 
 こっちで、
 書き換えないと、いけないんですね。
 
 それを、
 全く知りませんでした。
 
 それが理由で、
 「料金未納」に、なっていたのでした。
 
 それに気づき、
 カード情報の更新と、
 未払い分の振り込みとを、済ませたのが、
 
 今から、数週間前。
 
 ということで、
 その一件は、
 落着しているはずです。
 
 
 そんな中、
 今回起こった、出来事。
 
 そのような事情から、

 先の、「カード有効期限切れ」マターとは、
 今回の件の原因が、結びつかなかったし、
 
 また、
 もし、それが原因だったとしても、
 
 もうすでに、
 カード情報も更新しているし、
 未納分の振り込みもすませているので、
 
 やはり、
 それが原因とは、思えませんでした。
 
 
  「であれば、
   振り込み済みなことが、
   あちらで、確認できてないのかな?」
 
 そう思い、
 改めて、その旨(振り込み済みである旨)を先方に伝え、
 
 そこで、
 大阪に経ちました。
 
 
 タイミング的には、
 大阪に入って、宿に向かっている最中でした。
 
 サーバ会社から、
 連絡のメールが来ました。
 
  「振り込み済みの件、確認しました。
   しかし、その前月の支払いが、まだ、確認できていません」
 
 なんと、
 その前の月も、
 未納のままでした。
 
 そして、
 それこそが、原因でした。
 
 その未納ゆえ、
 サーバの利用を止められてしまっていたのでした!
 
 
 その、さらに前月の未納分についても、
 請求書を郵送している旨が、
 
 しかも、
 2度も、送付している旨が、

 その返信メールには、書かれていました。
 
  「えっ!」
 
 慌てて、
 裕子さんに連絡します。
 
  「そんなハガキ、受け取ってた?」
 
 1通だけなら、
 もしかしたら、ありうるかもしれません。
 
 ここのところ、
 特に、雨が多く、
 
 郵便受けも、びしょ濡れになって、
 郵便物が濡れたり、郵便受けに張り付いてしまっていたり、
 
 ということが、
 あったからです。
 
 でも、2度も??
 
 
 調べてみても、
 やはり、そのようなハガキ、
 手元には、ありません。
 
 しかも、この件、

 ハガキ(郵送)での請求書が、
 送られているそうですが、
 
 メール(eメール)では、
 そもそも、送られて来ていないんですよね ...
 
 
 というようなことで、
 
 改めて申し上げますが、
 このたびは、
 ご迷惑をおかけしました。
 
 また、現在は、
 きちんと表示されていると思います。
 
 引き続き、
 ご愛顧ください。
 
 
 とは、申しはしましたが、
 
 というような事情ということで、
 
 私たちとしては、
 なんというか、
 
 避けようがなかった、というか、
 
 もっとはっきり言っちゃうと、
 こちらには、落ち度はなかった、というか ...
 
 そんな心持ちです。
 
 なんというか、
 
  「(宇宙に)非表示に『させられた』」
 
 といった、
 
 なんというか、
 そんな感じで、捉えています。
 
 
 今回の件に関しては、
 個人的には、
 
  「自動引き落としにしているものでも、
   ちゃんと、気をつけていないといけない」
 
 という、
 教訓を授かりました ^^ 。
 
 
 そして、
 もう一つ。
 
 お金のことを、
 何か、
 委ねちゃっている、というか、
 任せちゃっている、というか。
 
 いえ、もう少し正確には、
 委ね過ぎちゃっている、というか。
 
 いえ、さらに正確には、
 気に留めないようにしちゃっている、というか、
 見ないようにしちゃっている、というか ...
 
 何か、
 そういった、自分の面を、直視せざるを得ない、
 そういった、自分の側面に、向き合わざるを得ない、
 
 そんなタイミングであることを、
 指摘されているように感じました。
 
 そう、捉えました。
 
 
 今回の、大阪での津留さん交流会の中でも、
 そう、感じ、
 その場でも、お話しした内容なのですが、
 
 どうも、僕は、
 
  「想いを消滅させる」
 という方面に関しては
 (表現を変えると、「浄化」)、

 これまで、
 ある程度、きっちりして来たつもりですが、
 
  「想いを遂げる・満たす」
 ということに関しては
 (表現を変えると、「願望実現」「引き寄せ」)、
 
 何にか、
 軽視しているというか、
 蔑視しているところがあるというか、
 
 そんな感じを、
 印象として、持っていて、
 
 どうも、そんなことから、
 そこに、きちんと向き合ってこなかった、
 対応してこなかった、
 
 さらにいえば、
 挑戦してこなかった、というか、
 つまり、
  「体験が不足していた」。
 
 そんな印象を、
 ここのところ、頓(とみ)に、感じていました。
 
 
 過去記事「 見つめる 」でも書きましたが、
 
 やはり、
  都合の悪いこと、苦手なこと、好きじゃないこと
 は、
 
 見ないようにしてしまいます。
 
 お金のことに関しても、
 やはり、見ないように、気に留めないように、
 無意識のうちに、してしまうところがあります。

 特に、
  「たくさん稼ぐ」
 ということや、
  「『いっぱい欲しい』という願望を認め、
   それを叶える方向で対処してみる」
 ということに関しては、
 
 先に述べた、
  「想い(欲)そのものを消して行く」
 という方向性と、
 正に、反するものである、ということがあり、
 
 どうも、
 軽視し、蔑(ないがし)ろにし、
 
 それを加勢に、
  向き合わない、対処しない、挑戦しない
 というところが、あります。
 
 
 もちろん、
 それは、何も問題はありません。
 
 中期的には、
 誰しも、
 「想いを消滅させる」方向に進むし、
 
 自分の場合も、
 その方向に、着実に、進んでいるところがある、
 
 と、思っています。
 
 そして、
 それによって(その方向に進んで来たことによって)、
 
 僕は、確実に、楽になって来ているからです。
 
 基本的には、
 僕は、今後も、
 その方向に進んで行くことでしょう。
 
 
 ですが、
 であればこそ、余計、
 
 その前段階において、
 やり残していること、
 体験し残して来ていること、
 
 それゆえに、
 納得し尽くせていないこと、
 理解し損ねていること、
 
 そんなことがあって、
 
 それ故に、かえって、
 今、進んでいる道のりが、
 少し、停滞してしまっている ...
 
 
 何か、
 そんな印象を持っています。
 
 
 今回の「事件」は、
 そんな気づきに、
 
 一つ、
 物質的確証を与えてくれた、
 
 というか、
 
 そう進んでみることに、
 きっかけを与えてくれた、
 後押ししてくれた、
 
 というか、
 
 そんなことだったのかなぁ、と、
 捉えているところです。











2018年10月16日火曜日

『第9回 大阪イベント』を終えて

 
 2018年10月12日(金)、13日(土)、14日(日)の3日間、
 大阪で9回目のイベントを、開催することができました。
 
 
 前回が、5月でしたので、
 その半年後の、11月を、当初、検討していましたが、
 
 会場の都合から、
 10月の、この時期での開催となりました。
 
 ですが、結果的には、
 最も気候的に快適で、心地よい、
 この時期に開催できて、良かったです。
 

 今回は、
 「浄化ワークショップ」を行わず、
 「個人セッション」と「津留さん交流会」を行いました。
 
 結果、
  個人セッションに4名、
  交流会に10名、
 計14名の方々に、お越しいただきました。
 
 
 「個人セッション」は、
 「4名」と書きましたが、
 
 実際には、
 「4組、6名」の方々にお越しいただきました。
 
 というのも、
 今回、初めて、
 「グループセッション」を行い、
 
 そのうちの「1組3名」は、
 「グループセッション」だったからです。
 
 僕としては、初めての試みでしたが、
 この3名と僕は、
 何度も顔を合わせている既知のメンバーでしたので、
 
 とても楽しい、
 また、深い気づきの得られる、
 そんな、セッションとなりました。

 また、その他3名方々には、
 いつものように、個人セッションをさせていただき、
 その中で、浄化のお手伝いをさせていただきました。
 
 
 「津留さん交流会」には、
 定員の10名の方々にお越しいただき、
 とても楽しく活発な交流をすることができました。
 
 
 今回も、たくさんの方にお会いでき、
 そして、たくさんのお話を伺えて、
 とても嬉しかったです。
 みなさん、ありがとうございました。

 またお会いできる機会があると嬉しいです。

   集合人編集局 ひで