2017年11月13日月曜日

幸せな幼少期


私たちの個人セッションに来てくださる方の、多くは、

幼い頃、
たとえば、感情表現の激しいお母さんや、とても厳しいお父さん、
などに育てられ、

その結果、
未解決の感情や、揺るぎない価値観、強烈な思い込み、
などを、抱え込み、身に付け、

それゆえに、
辛い、過酷な人生を、歩んでこられています。


ところが、
ほんとうに、稀(まれ)に、ですが、

その反対に、

幼い頃は、
とても優しくて、穏やかな、ご両親に、
しかも、経済的にも恵まれた環境で、育てられ、

その結果、
ほとんど、ブロックらしいブロックも、身につけることなく、

何一つ、苦労も不満も無く、
平和で、順風満帆で、幸せな人生を、
送られて来られた方が、いらっしゃいます。


ところが。

では、何で、そのような方が、
私どもの個人セッションに、いらしてくださるのか、
というと、

そのような方の場合、
今度は、たとえば、結婚後に、

 「夫が ... 」
 「義母が ... 」
 「相手方の親戚が ... 」

これまでの、実父母とは、正反対に、
ブロックだらけの人で、

それらの人々との関わりで、
非常に辛い、強烈な体験をし、

それゆえに、
過酷なストレスを、味わわれておいで、
だったりするのです。


実は、
津留さんの姉であり、
私にとっての義母、故・山口潤子の体験も、
その口で、

裕福な家庭で、優しい両親のもと、
優秀な娘・学生として、

とても幸せな、『理想的』な、
前半生を送ったにも関わらず、

婚後、
夫と義母と、
反りが合わず、認められず、大切にされず、

苦痛と屈辱に満ちた、
結婚生活を送ったのでした。


義母のケースも含めて、
このようなタイプの方の場合には、

たとえば、
前半の、
幸せな、恵まれた、理想的な環境、

それゆえに、かえって、そのギャップから、

後半の環境が、より一層、
辛く、厳しいものと、感じられがちです。

前半の環境、それゆえに、
「不幸」や「辛さ」に対する『免疫』『抵抗力』が弱い分、

かえって、より一層、

後半の環境が、辛く、感じられがちです。

一度、望ましい状態を、体験してしまっているからこそ、
そしてそれを、『基準点』『標準点』『当然』としてしまっているからこそ、
かえって、

後半の境遇が、受け入れられず、信じられず、
「どうして! どうして ... 」
と、
嘆き、苦しみがちです。


あるいは。

「自分の人生」そのものは、相変わらず、幸せだけれど、
ないしは、
「自分の家庭」は、相変わらず、平和で幸福だけれど、

仕事で、職場で、社会で、
関わっている人々の多くが、
自分とは反対に、不幸な家庭で育ち、
ブロックを多く身に付けた人々だと
(そのようなケースは、多いと思います)、

そのような人々の心情が分からず、理解できず、
それゆえに、
それらの人々に、
どのように接したらいいか、
どのように恊働したらよいか、
どのように導いたらよいのか、
分からず、

それゆえに、苦しんだり、苦悩したりするケースも、
見受けられます。


このようなタイプの人生を歩まれた方々の存在や、
このようなタイプの人生のありようを、
お聞きになられて、

 お感じになること
 お思いになること
 気づかれること
は、
みなさん、さまざまであろうと、思います。

僕が、ここで、特にお伝えしたいと思うのは、
次のような、二つの点です。


一つ目は、

この記事の最初に書いたように、
人生に苦しんでらっしゃる、多くの方は、

幼少期、恵まれない環境に生まれ、育たれ、
それゆえに、
当時の環境・境遇を、憎んだり、恨んだりされ、

そして、
 「もし、母親が、もっと、こうだったら ... 」
 「もし、父親が、もっと、ああじゃなかったら ... 」

などと、
お思いになられることが、多いと思います。

もちろん、
そうお思いになられること、
それは、至極当然なこと、自然なことです。

そして、もちろん、
もし、過去の体験が、
そのような、望むような過去だったとしたら、

当時も、そして今も、
もっと、幸せだったかもしれません。


ですが、
仮に、もし、望みどおりの過去だったとしても、

いえ、
「望みどおりの過去だった」からこそ、
トータルとしては、よけいに、なおさら、

辛い体験をするかもしれない、

という、可能性があることについて、
一度、しっかりと、検討・熟考なさってみてください。

今、お読みになられた事例を踏まえ、
一度、ちょっと、検証・熟慮なさってみてください。

これまでの固着した考えや、
いま感じていらっしゃる、動かしがたい辛さが、
すこし変わられる可能性が、おありなのではないかと思います。


そして、二つ目は、
僕としては、これが、もっともお伝えしたいことですが、

僕は、過去に、このブログで、
お子さんをお育て中の方(あるいは、過去に、育てられた方)に向けて、

 価値観を与えてしまうことを、
 ブロックを与えてしまうことを、
 あまり、恐れないでください。

と、書きました
(過去記事「 子育てに当たって、「このごろ思うこと」 」)。

もう、4年近く前に書いた記事ですが、
今も、僕は、ほぼまったく同じことを、思っています。


そして、それに加えて、
今日、ご紹介したような事例があることを、
ぜひ、ご勘案さなってみてください。

一般的に言うような、
スピリチュアルな世界で、言われているような、
あるいは、自分が考えているような、
理想的な状況を、

『ご自分は』、
お子さんに与えられたとしても、

それが、必ず、ご自分の子さんにとって、
『最善』であるのか?

あるいは、
『ご自分は』、それを与えられないと、
お子さんにとっては、ダメなのか?

改めて、すこし、
考えてみてください。


ご自分が、そもそも、お子さんに、
理想的な状況をもたらしたかった、
その動機となった想いは、

果たして、
「ブロックを与えない」ということを、ご自分が、ちゃんともたらせたところで、
ちゃんと、果たされるのでしょうか?

改めて、すこし、
考えてみてください。


また、

このことは、
先に紹介した、過去記事 にも、書きましたが、

場合によっては
(というか、『体験』と言う観点からは、
 基本的に、そうなのですが)、

 「ブロックを与えることこそが、親の役割」
だったりします。


妻の裕子さんが、よく言っているのですが、

自分の子どもとして、
同じように接して、同じように育てても、

子どもによって、
受け取り、握る、ブロックは、
それぞれ、まちまちです。

場合によっては、
こちらからブロックを与えようとしても(たとえば、特定の道徳観念など)、
子どもの方で、断固、受け取りを拒否する場合があります。

上の子は、受け取ったのに、
下の子は、受け取らなかったりします。

あるいは、場合によっては、
自分(親)が持っていないブロック(たとえば、自分と正反対の道徳観念)を、
自分の言動を通して、
子どもの方で、勝手に(誤解して)、身につける場合もあります。

そのようなやり取りを思い返してみると、
子どもというのは、
親との関係を通じて、
自分に必要なブロックを、自分の都合で、自分で選択して、身につけるんだなぁ、
と、思わざるを、認識せざるを、得ません。


自分(妻)の身体から、生まれい出てきて、
それを、厳然たる『事実』として、体感し、目にし、認識していて、

しかも、
自分が世話をしなければ、何もできない、生命そのものが危うい、

そんな状態・関係を、たゆまず経過して来た、体験して来た、
その対象である、自分の子どもに対しては、

まず、そもそも、
無条件に可愛く、
だからこそ、できる限り、最善の状態になってもらいたい、
という願望があって、当然ですし、

加えて、
 「自分が、育てている」
 「しかも、子どもは、無力だ・非力だ・よく理解できていない」
 「だから、自分に、責任がある」
 「自分が、最善をもたらさねば」

という発想が、湧いてきて、
そんな想いを握っていて、
当然です。


ですが、
『結果』、どのようなことになるのか、は、
基本的に、「親」の想いや、行動、責任の範疇を超えたものである、
と、認識せざるを得ない。

そんなふうに、思っています。


ですから、
決して、望んだような、ベストな、子どもに対する対応ができなかったとしても、
ときに、自らの想いとは反対の行為を行ってしまうことがあったとしても、

そのことを、過剰に恐れたり、
そのことで、ご自分を、過剰に責めたり、
そんなことをされる必要は、ありません。

「親」である私たちも、『人間』であり、
『人間体験』の最中である存在です。

どうぞ、そのことにこそ、堂々となさってください。

また、そう思えると、
過去、ご自分が「子ども側」だった時の、
「親側」だった人々への想いも、
すこし、スッキリとされてくるのではないかと思います。

そして、
過去記事 の繰り返しになりますが、

大切なのは、
ブロックがあったとしても、それは、手放せること、浄化できること、
それを、親であるあなたが、自信を持って、知っていること、
だと思います。


同じ、子育て中の身として、仲間として、
子育てに関して、迷ったり、苦しんだりされている方のご参考になればと、
そう思い、それらの方々に向けて、書かせていただきました。

ご参考になることがあれば、
お役に立てることがあれば、
嬉しいです。












2017年11月12日日曜日

はじめての「再誕生ワークショップ」


昨日、
2017年11月11日、土曜日、
はじめての「再誕生ワークショップ」を、無事、行えました。


「無事、行えました」といっても、
企画、会場の手配から、当日の進行まで、
すべて、裕子さんが行いましたので、

僕がしたのは、
当日の、荷物運び、会場設営・片づけの手伝いくらい。

始まるまで、内容も、一切知らないままでしたので、
他の参加者の方々と、まったく同じように、
ワークショップに参加させてもらった感じです。

なので、
一参加者として、たっぷりと、楽しませてもらいました。


さて、今回は、3名の方々に、ご参加いただきました。
お一人は、長野県松本から、ご参加くださいました
(遠方からお越しくださり、ありがとうございました)。

ですので、
私たちを含めても、5名での、ワークショップで、

少人数での、
落ち着いた、和やかな雰囲気の中で、

お話・ご感想などをお聞きしながら、
ゆったりと進めることができました。

先の、名古屋での「『お金』ワークショップ」でも、そうでしたが、
 少人数でのワークショップは、
 それはそれで、特有の楽しさがあるなぁ
と、
認識を深めました。


また、内容も、
普段、僕が主体的に行っているワークショップに比べて、

身体を動かしたり、「スピリチュアル」な内容だったり、で、
 「あぁ、こういうワークショップも、ありだなぁ」
と、
個人的には、とても参考になると同時に、新鮮に楽しめました。

具体的には、

前半では、とくに身体を意識して、
体操などで身体を動かしたり、
サウンドツールを活用したりして、
チャクラを整えたり、活性化させるワークなどを行いました。

昼食の休憩をはさんだ、
後半には、

M2や、イメージングを活用して、
「過去の未消化の感情」や「思い込み」「価値観」などを浄化すること、
また、アファーメーションを活用して、
過去の自分を手放して、積極的に新たな自分に再誕生するワーク、
などを行いました。


さて、
今回の会場は、36畳の和室を借りることができました。

その半分で、ワークショップを行い、
残りの半分で、食事をしたり、休憩したり、荷物を置いたり、しましたので、
終日、ゆったりと、ここちよく、過ごすことができました。



また、会場の部屋の窓からは、
とても見晴らしよく、眺望きく景色が見られました。



あいにくの、小雨降る予報でしたが、
結局、幸いにも、雨には降られず、

逆に、その、分厚い雲のおかげで、
ときおり、光り降り降りる様子を、眺めることもできました。




さて、朝、会場での準備を終え、
その、見晴らしきく眺望を、裕子さんと二人で、眺めていたとき。

窓の外、下方から、
真っ白な、羽根が、一枚、浮かび上がってきました。

おそらく、鳩の胸羽でしょう、
小さめの、ほわほわとした、羽根です。

このブログのにも、書いたことがあると思いますが、
僕は、常々、個人的に、
「虹」とともに、「羽根」を目にすることを、
「OK」「それで良し」のサインと、決めているので、

まず、
それを目にしたことで、
こころが、和らぎました。


そのまま、その羽根の動きを眺めていると、
それは、私たちの目線の高さで、浮上を止め、
そのまま、その高さ近辺で、フワフワと漂い続けた後、
しばらくすると、横に流れるように、視界から消えていきました。

その動きが、
僕には、映画「フォレストガンプ」を、思い出させました。

その想念が、
その映画のことを、津留さんが好きだった、という情報を、引き出しました。

 「あぁ、津留さんが、挨拶に来てくれたのかなぁ。
  応援してくれてるのかなぁ」

そんなことを思うと、こころがさらに和みました。


そうして、無事に、ワークショップも進み、
終盤を迎えた、夕刻。

開けていた窓から、夕日が、差し込みます。

窓に寄り、外を見ると、
夕日が、富士山の横から、姿を見せてくれています。

その日は、終始、太陽そのものを見ることはできませんでしたが、
最後に、その姿を、現してくれた感じです。

 「再誕生 ... 」

そんなことを、感じ、
その日の内容に相応わしい幕引きを、見させていただいた気になりました。






とっても素敵なご感想をいただきました。
こちらの「 過去の 再誕生ワークショップ 」のページに、掲載させていただきました。










2017年11月10日金曜日

「ブロック」の装着


朝方、
まったきの静けさの中に、目覚めることがあります。


しーんと静まり返った、
「何も気配がない」という、気配。

動かぬ空気。

身体を有しているという、淡い感覚は感じられるものの、
感情は、そこには、存在していません。


そんなとき、
自分が誰なのか、分かりません。


思考は、動かさなければ、動かない状態。

そんな中で、
まず、
 「自分が誰なのか?」
を、探し始めます。

そのことに、思考を使います。


すると、
ひとつ、またひとつ、と、
ゆっくり、

記憶が、やって来ます。


そして、それと同時に、
感情が、胸に、到来します。

感情が、
ひとつ、またひとつ、と、やって来て、

それらを、
ひとつずつ、感じるようになってきます。


記憶に、感情が結びついていることが、実感できます。


またひとつ、
またひとつ、
と、
記憶が、やって来ます。

それは、まるで、
マジンガーZ系のロボットの身体に、
装備が、
ひとつ、またひとつ、と、
装着されていくように、

外から飛んで来ては、
身体に、
パシッ、パシッ、と、
くっ付いていきます。


それにともなって、
『自分』が誰であるのか、
思い出していきます。

『自分』が、
構築されていきます。


その結果、
まず、「昨日の自分」が出来上がり、

続いて、それが、
「それまでの自分」という、
「過去の自分の記憶のライン」の上に、乗っかり、はまり込みます。

そうして、
『自分』が、「連続した記憶」に結びつき、

「過去からの連続した『自分』」に、成ります。

そして、
そのときには、
「昨日までの感情」が、「いつもの感情」が、
完全に、復活しています。


『自分』が、

「記憶」と、
そして、「記憶」に付着した「感情」によって、
できあがっている、

そのことを、体感をともなって認識させられます。


そんな過程を、感じることがあります。



先日、
過去記事「 津留さんお墓参り2017 」を読んでくださった方から、
こんなメールを頂戴しました
(許可をいただきましたので、以下に、掲載させていただきます)。


  実は、当方も、最近(特に夜明け)
  「体感できる『反応』が、無い」 「認識できる『反応』が、無い」
  という感覚に浸ることが増えてきております。
  何を思っているかさえ、何を感じているかさえ、意識に上ってこないのです。
  
  想いや想念が湧きあがってこずに、ただそこに浸っている感じです。
  しいて言えば、そこに浸っている自分を観ていることだけの感覚です。
  
  津留さんが何度も仰っていた「ただ想念を観る。それだけです」
  折にふれて、それを意識続けておりましたが、
  その真意が分かりかけてきたような気がいたします。


そのメールを拝読し、
自分も、「朝方」に、その状態になることを、思い出し、
今日、記事にしました。


ところで、その方は、
「想念観察」を、ひたすら続けることで、
その状態になられ、
その感覚を感じられるようになられたそうです。

「自分に湧き上がる、想念の観察」
ご興味がお有りの方は、
ぜひ、なさってみてください。












2017年11月9日木曜日

「委ねられない」なんて、すごい!


先週でしたか、
いつものように、
何かを、懸命にしていました。

『現実』問題として、
僕が、それをしないと、
「それ」は、形になりません。

僕が、「しない」と、
それは、「現れません」。
「存在しません」。

だから、僕は、
何の違和感も無く、当然のこととして、
それを、していました。


しかも、そのときには、
それが、上手くできていないと、
望んだ結果が得られないと、思っていました。

だから、少しでも、上手くできるように、
懸命になって、作業をしていました。

上手く出来上がれば、
望んだ結果に、近づくと、

上手く出来上がらなければ、
望んだ結果とは、離れてしまうと、

心から、思っていたからです。


そこで、突然、
ふと、
このように、思いました。


  あれ、僕は、
 「自分がしないと、上手く行かない」って、心から、思い込んでいるんだな。
  そんな風に、思い込めているなんて、
  それって、逆に、すごいな!
 
 「自分がしている」って、思い込めているなんて、僕、すごい!
 
 「委ねられていない」なんて、僕、すごい!


これまでは、
「『委ねられていない』自分」が、当然で、
「『委ねられていない』自分」が、基点で、

そこから、
「委ねる」方向へ、進んでいく、進んでいこう、
と、

無意識のうちに、
その方向にだけ、意識が向いていたわけですが、

そのときは、
人生ではじめて、

「『委ねている』自分」の視点から、
「『委ねられていない』自分」を見て、

そんな自分に成れていることに、
そんな自分に成り切れていることに、

感心する感覚を、感じました。


私たちは、
「委ねている」人を、見て、
「委ねられている」人のことを、聞いて、

その人たちのことを、「すごい!」と、
無条件に、感心しますが、

考えてみたら(改めて認識してみると)、
「委ねられていない」って、
それもまた、同様に、すごいことですよね。

だって、
「自分は、人間だ」と、
「自分がしないと、どうにもならない」って、
100%、思い込めているわけですから ...


何きっかけで、そのように思ったのか、感じたのか、
よく、覚えていないし、認識できていないのですが、

そんなことを、
僕の人生では、はじめて、感じました。


僕は、
めでたく、
望みどおりに、
「『人間』に成り切れている」のだと、
そう、分かりました。










2017年11月1日水曜日

うさと展 はじめます


2018年1月から、
レムリアの記憶 " という屋号で、

うさとの服 展示販売会(通称「うさと展」)の、
主催をします。


個人セッションや、津留さん交流会など、
これまで、みなさまと接する機会には、
いつも、「うさとの服」を着ていました。


タイとラオスの、農村に暮らす女性たちが、
天然素材を、手紡ぎ・草木染め・手織りで織り上げ、作られる、
手間と愛情のこもった、ナチュラルな服。

携わる人、すべてが「アーティスト」であり、
出来上がった服は、まさに芸術作品。

でありながら、
そのナチュラルな素材とデザインゆえの、リラックスできる着心地。
日用品・普段着として着られる、デザイン・ラインナップと、価格帯。

そんなうさと服が、大好きで、
これまで、いつも、身に付け、楽しんできました。


その、「うさとの服」を、
ご覧いただけ、ご購入いただける、
「うさと展」を、

今後、
私たちが主催し、開催するできることになりました。


第1回目の会場は、
いつも、個人セッションや、津留さん交流会などを行っている、
「スペースあむりた」です。

ご興味がおありの方は、
どうぞお越しください。







 うさとの服展 @ 本八幡スペースあむりた(千葉県市川市)
 
  期 間: 2018年1月12日 〜 1月14日(3日間)
  時 間: 10:00 〜 18:00
  会場名: スペースあむりた
  最寄駅: 本八幡駅(JR総武線・都営地下鉄新宿線)/ 京成八幡駅(京成本線)徒歩10分

  詳細は、こちら のページをご覧ください。










2017年10月23日月曜日

イメージをしながらの、記憶の浄化


先週の個人セッションには、
以前、職場で、人間関係に関して、辛い思いをした、
という方が、いらしてくださいました。

その、個人セッションでは、
裕子さんが誘導をして、
その方の、そのことに関する浄化を、お手伝いさせていただきました。

裕子さんが誘導してくれている間、

僕は、
ちょっと、僕の個人的な浄化を、させてもらいました。

僕も、職場で、
特に人間関係に関して、辛い思いをした経験があり、
そのことが、そのとき、思い出されたからです。

なので、その方の浄化と並行して、
僕は、僕の体験に関するブロックの、浄化をさせてもらいました。


目をつぶり、
頭の中で、かつての その職場の様子を、イメージしてみます。

すると、すこし、カビ臭くすらあるような、薄暗い、職場が、
イメージされました。

実際は、窓が多く、もちろん、カビなど生えていませんでしたが、
しかし、そんなイメージが、出てきました。


すると、今度は、イメージの中での視線が、
ある特定の方位に、自然と、向けられます。
もっとも苦手だった、上司の席のある方向です。

そして、その先(奥)には、
次に苦手だった、その上司の上司の席があります。

その方向は、とても、苦手でした。

イメージ中で、その方位に視線を持って行っただけで、
胸に、締め付けられるような、重さ・苦しさ・やるせなさ・絶望感 ...
そんな感覚が、蘇(よみが)り、湧き上がって来ます。

頭の中では、そのイメージを見つめながら、
意識では、その、湧き上がって来た感覚を、しっかりと感じます。

胸にある、その感覚に、意識の矢印を、向けます。
向け続けます。


頭の中では、そのイメージを見つめ続けることで、
感覚が、湧き続けてくれます。

感覚が、湧き続けてくれるように、
イメージを見つめ続けながら、
感覚に、意識を向け続けます。

感覚に変化があるまで、
感覚の強さが弱まるまで、
感覚の大きさが小さくなるまで、
感覚の鋭さが和らぐまで、
その感覚に、意識を向け続けます。
感じ続けます。

しばらくすると、
それらの感覚が、弱まって来ました。
弱まって来たものに、意識を向けるのは、少し、難しくなりますが、
それでも、集中を切らさず、むしろ、集中をより高め、
さらに、その感覚を、感じ続けます。
その感覚に、入り込むかのように、矢印を鋭くさせます。

今回は、その辺りで、
ほぼ感じられなくなるまで、感覚が小さくなっていきました。


そのとき、
頭の中のイメージに、変化が起こりました。

イメージ全体が、
徐々に、白く、明るくなっていったのです。

視線を向けていた方向、
もっとも苦手だった方向、
イメージの中では、もっとも暗く、歪んでいるかのような不快な方位が、
とくに、明るく、輝いてすら いるくらい、白く明るくなってきます。


続けて、視線を、ぐるりと、動かしてみると、
部屋全体が、さらに明るくなって来ています。

そのとき、
ある方向に、人の気配を感じました。

浄化をする前に、最初にイメージした瞬間には、
職場の中には、人の気配が、まったく、感じられなかったのに、
ある方向に、「気配」があります。

職場内で、比較的気の合った、部署の人達が座っていた方向です。

その人達そのものは、イメージに現れませんが、
でも、その人達の「気配」が感じられます。

それは、その人達が、
明るく、笑っている気配です。

「笑顔」「笑い声」の気配が、感じられました。


すると、
それにつられるかのように、

その他の方位・場所でも、
明るい気配が、現れてきました。

他に、同僚たちが座っていた場所から、
明るい気配が、感じられるようになってきました。

その場で関わった、すべての人達から、
明るい気配を、感じられているかのようでした。


そして、ついには、
苦手な上司がいた場所からも、
明るい気配が感じられました。

まるで、嫌いだった上司すらも、笑っているかのような、
そんな気配を、感じました。

その場所は、
さらに、白く明るく、輝いていきました。

「眩しい」とか、「目が開けてられないくらい」とまでは、行きませんでしたが、
しかし、最終的には、
はじめの「暗い」「カビ臭い」イメージからは、かけ離れた、
明るく、柔らかい、雰囲気のイメージ映像に、なりました。

そこで、その浄化を、終えました。

目を開けると、
気分が、軽くなっていました。


イメージをすると、ネガティヴな感覚を感じられる記憶がお有りならば、
このように、浄化をしてみてください。

もちろん、これは、
数ある浄化方法のうちの、一つのやり方で、
他の方法でやっていただいても、もちろん、結構ですが、

一例として、具体的に、お分かりいただきやすいのではないかと思い、
記させていただきました。


また、このように、
過去の出来事・状況に関する記憶(に結びついている感情)を浄化すると、
自分の、その過去に関する印象が変わります。

いえ、
「自分の中」の、記憶そのものが、変わります。

今回の件に関していえば、
僕の中の記憶そのものは、以前のままで、

まだ、「嫌な上司が居た」「辛い職場だった」という記憶は、
消えていないし、別の認識に変わってもいません。

今回の浄化のおかげで、
それらに対する印象(思い出したときに感じる感覚)は、
かなり、軽やかで明るいものに、変わりましたが、

記憶・認識そのものは、変わっていません。


しかし、過去記事「 最驚のパラドックス 」でも、書いたとおり、
ケースによっては、人に、事例によっては、
『過去』そのものが、変わります。

自分自身でも、そのような体験を、幾度も、していますし、
個人セッションの場でも、そのようなケースを、幾多、目にしてきました。


とくに、今回の、僕のケースのように、
「その過去」に関わる人々と、一切、関係が無くなっている場合などは、

仮に、
 『あるがままの事実』としての『過去』
  関係者全員に共通した、「客観的事実」としての過去
というものが、存在しているのだとしても、

それがどのようなものであったのかを、
確かめる術(すべ)は、ありません。

であれば、
『過去』というものは、完全に、
「自分の頭の中」、『記憶』にしか、ありません。

そうなれば、
その、『記憶』が、自分の中で、変わってしまえば、

『過去』そのものが、(実質的に)変わってしまっています。


これを、ある種の、スピリチュアルな人々は、
 「別の(泡)宇宙になった」
 「別の並行宇宙に行った」
 「別のタイムラインに入った」
などと、認識・表現しているのだと、理解していますが、

いずれにせよ、
『過去』は、変わってしまっていますので、

『今』が、
変わった後の『新たな過去』^^ に基づいた『今』になっており、
そして、『未来』は、
その『今』を起点とした『新たな未来』に、進んでいきます。


すなわち、
浄化をするたびに、
『過去』が、『今』が、『未来』が変わります。

浄化とは、
そういう行為、なんですね。


また、となれば、

『今』において、浄化という行為をすることに、
自然、意識が向いていきます。

『過去』も、『未来』も、
『今』(の浄化)次第だからです。

それが、
 「『今・ここ』しかない」
という話が示しているところの、別の意味、
なのだと、認識しています。













2017年10月19日木曜日

津留さんお墓参り2017

 
 今年の「秋の長雨」は、かなり本格的ですね!
 
 急に冷え込んで来てもいますし、
 どうぞ、体調にはお気をつけください。
 
 
 さて、一昨日、10月17日は、
 津留さんの命日でした。
 
 当日は、個人セッションがありましたし、
 天候も、雨でしたので、
 行かなかったのですが、
 
 昨日、18日は、
 朝から、久しぶりの、見事な、快晴!
 
 そこで、
 この日に、津留さんのお墓参りに、行ってきました。
 
 
 周辺の建物に、大きな変化があって、
 墓地の雰囲気には、変わった感じを受けたものの、
 
 初めて訪れてから、12年超、
 お墓そのものは、いつもの、見慣れた感じで、
 
  「今年も、この時期になったなぁ」
 
 といった感覚を持ちながら、
 お墓参りを済ませてきました。
 
 
 さて、
 前回、昨年の命日に、お墓参りをしたときには、
 
  「悟っちゃっても、いいんですよ」
 と、
 
 なにか、そんなことを、言われたような、
 なにか、そんな感覚を、受けたんですが
 (過去記事「津留さんお墓参り2016」)、
 
 今回、お墓を訪れたときには、
 そのような感覚を、まったく、感じませんでした。
 
 前回、そのような感覚を受けた背景には、
 僕の中に、
 「悟ること」「悟っていること」を、特別視している認識がありました。
 
 「悟っていること」と、「悟っていないこと」とが、
 並列では、ありませんでした。
 
 だから、
  「悟っても、いいんだよ」
 という表現で、ニュアンスで、
 「悟る」ということが、
 僕の中で、フォーカスされていました。
 
 
 ところが、今回、お墓を訪れてみて、
 前回は、そんなことがあったことを、思い出してみて、
 
 しかし、自分の中に、
 「悟る」とか、「悟っていない」とかに、反応する感覚が、
 自覚できる範囲では、ほとんど無いことに、気づきました。
 
 別の表現をすると、
 自分が、どのようなブロックを持っていようと、いなかろうと、
 どのようなブロックを手放していようと、いなかろうと、
 
 そのことを、
 自覚できる範囲では、ほとんど、気にしていないように、感じました。
 
 ようやく、
 このブログのタイトルである、
  「迷悟一如」
 を、
 体感できたような気がしました。
 
 2017年の、津留さんの命日になって、
 ようやく、それを体験できた気がしました。
 
 
 もちろん、
 僕の中で、「悟っていること」と、「悟っていないこと」とが、
 完全に、差のないことになったわけでは、ありません。
 
 「悟り」というものが、
 まったく、意識にのぼらないものになったわけでは、ありません。
 
 だからこそ、
 こうして、そのことをテーマにして、記事を書いているわけです。
 
 状況によっては、対象によっては、
 今後も、そのことを、強くすら、体感することでしょう。
 
 ですが、今回、
 津留さんのお墓の前で、そのことを、意識にあげてみて、
 
 しかし、はじめて、
 「体感できる『反応』が、無い」という状態になりました。
 
 「認識できる『反応』が、無い」という体験をしました。
 
 これは、
 僕の、『人間体験プロセス』においては、
 とても画期的なことです。
 
 とても存在感のある、
 一里塚、マイルストーンです。
 
 そんな状態を体験できたことに、
 とても感慨深いものがありました。
 
 
 これは、ひとえに、
 これまで、個人セッションを受けてくださったみなさま、
 浄化実践講習会・ワークショップを受けてくださったみなさま、
 交流会に来てくださったみなさま、
 みなさまのおかげです。
 
 みなさまに、機会あるごとに、
 
  「私たちは、『人間』を体験しに来ている存在です」
  「『人間』に成っている存在です」
  「『迷う』体験を、わざわざ、望んでしている、『悟りきった』存在です」
 
 ということを、
 津留さんが遺してくれた、この、認識を、アイデアを、
 
 機会あるごとに、お伝えさせて来ることができた、おかげです。
 
 みなさまに、繰り返し、お伝えさせていただくことで、
 なにより、自分自身が、それを、吸い込み、
 なにより、自分自身に、それが、染み入っていきました。
 
  「自分は、自分の意思で、主体的に、
   この、『迷っている』体験を、しているんだ」
 
 という思い込みが、
 まったく、違和感無く、染み込んでいるようです。
  
  「だから、『迷う』体験をしてもいいし、しょうがないし、
   でもだから、『迷う』ことを十分体験したなら、苦しいなら、
   それを終えても、終えようとしても、それもいい」
 
 そんなふうに、
 深くから、思っているようです。
 
 
 2017年の、津留さんの命日に、
 そんなことを、感じました。










2017年9月23日土曜日

Facebook はじめました


 2017年秋分の日、おめでとうございます。
 
 今日、この日、このときに、
 地球に、肉体を持って存在し、
 
 みなさんとともに、
 この体験をできていることを、
 
 こころから感謝するとともに、
 こころからの祝福を申し上げます。
 
 
 さて、
  「いまさらながら ... 」
 ですが ^^; 、
 
 今日、この日を機会に、
 
 『集合人編集局(津留晃一の世界)』として、
 Facebookをはじめました。
 
 
  「集合人編集局(津留晃一の世界)」
    https://www.facebook.com/tsurukoichicom/
 
 
 裕子さんの発案・管理・運営で、
 
 私たちが開催するイベントの情報や、
 私たちが得られた気づき、
 みなさんから頂戴したご感想 などや、
 そして、もちろん、津留さんのメッセージも、
 
 Facebook を通じても、
 お伝えしていく予定です。

 どうぞよろしくお願いします。
 
 
 もともとのサイト
  「津留晃一の世界」
    http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/
 にも、
 
 新しいサイト
  「津留晃一の世界」
    http://tsurukoichi.com
 にも、
 
 Facebookページを、
 一部、表示させています。
 
 よろしければ、
 そちらもご覧になってください。
 
 
 以上、どうぞよろしくお願いします。
 














2017年8月23日水曜日

いただいた 個人セッションのご感想(名古屋イベントで)


先日の、名古屋での個人セッションを受けてくださった方から、
とっても嬉しいご感想を、お手紙でいただきました。

ご本人のご了解をいただいたきましたので、

半分は、みなさんに自慢するつもりで ^^; 、

半分は、これから個人セッションを受けてくださる場合の
ご参考になればと思い、

ここに、掲載させていただきます。

よろしければ、読まれてみてください。


○○さん、ありがとうございました! ^^

  ひで




 こんにちは。
 先日、名古屋で 個人セッションを受けさせていただきました、○○と申します。

 すばらしいセッションを、ありがとうございました。
 いつも このような お礼状を書くことは あまりないのですが、
 とても嬉しかったので、お礼の気持ちを伝えたく、お手紙させていただきました。

 セッションの申し込みを せていただき、その時は 迷う気持ちも あったのですが、
 その後いただきました メールの返信に とてもほっとして、
 セッションの日を たのしみに待つことが できました。

 そうして 受けた 浄化セッション。
 わたしの 小さなひとことから、
 どうしてこんなにも 適確に気持ちを とり出してもらえるのか、
 そして、こんなにたくさんの感情に、
 こんなに大きく深く 寄りそうことが できる人がいるなんて、すごいなぁ!と
 本当に驚きました。
 たくさんの感情を 癒していただき、いっぱい泣いて、すっきりとしました。

 セッション中に、わたしが 宇宙から来た魂であると 言っていただき、
 それを聞いた時に、子供の頃に感じていた すべてのことが 一瞬でつながって、
 「あぁ、そうだったのか」と、
 いつも抱えて 手にあまっていた、たくさんの思いを理解し、
 「あってよい感情だったんだ」と許すことができました。
 本当に心底 救われた気持ちです。

 その後しばらくは ホームシックのようにさみしくて、
 帰りたい気持ちが 強く出ましたが、
 つらさの中でも 不思議とあたたかな雰囲気で、
 お会いしたことはありませんが、津留さんが そばにいてくれるような感じでした。

 わたしにとって、この世界で生きる つらさの理由が わかったことは、
 本当に大きなことで、
 このことは きっと これから人生を生きる道を支えてくれるだろうなと感じています。
 本当に すばらしいセッションを ありがとうございました。
 感謝と感動の気持ちを 上手く伝えることが できませんが ...
 また、ワークショップに参加してみたいなと思っています。
 またその時にお会いできましたら うれしいです。

 それでは、このようなすばらしい活動の 更なるご発展をお祈りいたしまして、
 結びの言葉とさせていただきます。
 本当にありがとうございました。
 またお会いできる日を たのしみにしております。
 (M2も 不馴れながら ぼちぼちやっております ... )











2017年8月13日日曜日

第7回大阪イベント 開催のお知らせ


2017年11月17日(金)、18日(土)、19日(日)、
大阪市で、
「個人セッション」「『お金』浄化ワークショップ」「津留さん交流会」を行います。


大阪で、7回目となるイベントを、
11月に、行います。

今年は、4月に、大阪で開催し、
昨年も、同じ、11月に開催したので、

ちょうど、
「年2回」「半年に1回」のペースです。

このように、頻繁に、大阪に伺えることを、
とっても嬉しく、感じています。

そして、今回は、
大阪で、はじめて、
「『お金』浄化ワークショップ」を開催します。

丸一日かけて、
『お金』に対して持っているブロックを探り、見つめ、
それらを、浄化していきます。

また、
『お金』をとおして、
『自分自身』『仕事』『親』『社会』などに対して持っている意識に、
気づいていきます。

そして、従来の「浄化実践講習会」同様に、
『浄化』というものについても、
その実践方法・テクニックをお伝えすること、
浄化を行っていく上でのポイントなども、
詳しく、お伝えします。

ですので、
主催側としては、
かなり内容の濃いものとなっていると、自負しています。

また、
「個人セッション」「津留さん交流会」も、
これまで同様に、行います。

浄化のお手伝い、
みなさんとの語らい、
とても楽しみにしています。

大阪のみなさま、関西地区のみなさま、
どうぞよろしくお願いします。

11月に、お会いできること、
楽しみにしています。


 詳細・お申し込みは、『 第7回 大阪イベント 』 のページをご覧ください。


2017年8月13日 集合人編集局 裕子・ひで