2019年1月25日金曜日
『人間』という決め込み
先週の「津留さん交流会」でお聞きした話で、
興味深かったもの、
そして、そこから僕が想ったことなどを、
いくつか、シェアさせてもらいます。
今回、その話を聞かせてくださったのは、
津留さんが活動していた時代に、
津留さんの講演会を聴きに行ったことがあり、
そして、その内容に感激して、
ご自分で主催者となって、津留さんを呼び、
津留さんにワークショップをしてもらったことがある、
という方でした。
さて、その方のお話というのは、
その、主催されたワークショップの際に、
ご自分の体調的なことに関して、疑問に思っていることを、
津留さんに、質問してみたんだそうです。
そうしたら、津留さんは、
何か答えのようなものを教えてくれるのではなく、
代わりに、
「『どうして?』『どうして?』と、
ご自分の内側に問いかけてみてください」
と、
返答した、とのこと。
これ、
やっぱり、津留さんにとっては、
最もオーソドックスで、普遍的な方法・手段だったんでしょうね。
それを、確認できた気がしました。
ちなみに、その方、
津留さんにそう言われて、
帰宅してから、しばらく、
「『どうして?』『どうして?』」と、されたのだそうです。
そうしたら、
今回の人生では、ご自分とはまったく関係・所縁のない、
ある歴史的事件の名称が、ふっと、脳裏に浮かび、
そこから、
軽くなられたのだそう!
みなさんも、何か疑問が湧いたら、
外側に答えを探すのを、一旦、保留にして、
「『どうして?』『どうして?』」と、
自分の内側に問いかける
というのを、やってみてください。
思わぬ成果が得られるかもしれませんよ。
コツのようなものとしては、
津留さんが説明してくれているように、
答えを得ようと、思考を使うのではなく、
ただ、内側に向かって、問いかけ続けてください。
今回ご紹介した方の事例だと、
たまたま、「答え」のようなものを手に入れられて、
そして、その結果、軽くなられた(浄化できた)わけですが、
それは、『たまたま』だと、思ってみてください。
答えのようなものを受け取れる、
というケースもあるでしょうし、
そういうものは分からないけれど、受け取れなかったけど、
でも、気持ちが軽くなった、
というケースも多いと思います。
思考を使わずに、
内側に、深く入り込む
あるいは、
ハートの、疑問を感じている蟠(わだかま)りの部分に、
『どうして?』『どうして?』」という文言をふりかけ続ける
みたいな感覚でも、いいと思います。
ぜひ、やってみてください。
続いて、
その方からお聞きした、とても興味深いお話ですが、
その方は、
数年前に、「覚醒した」のだそうです。
その方曰く、
現状としては、
「覚醒」の状態と、「人間」の状態とを、
比重を変えながら、行ったり来たりしている
状態だそうです。
で、
僕が、とても興味深く感じたのは、
その、最初に「覚醒した」時、
どうやって覚醒したか、というと、
「自分は『人間』だ」というのも『判断』だ、と気づき、
その判断を手放した
ことによって、
覚醒状態になったのだそうです。
以降は、僕なりの理解・解釈なので、
その方の体験や、その方の認識とは、違うかもしれませんが、
その話を聞いて、
僕は、
「『人間』だ」と思っているから、『人間』なので、
その思い込み・決め込みを無くすと、人間ではなくなる
ということ、
なのだと思いました。
そして、これは、やはり、
『そもそも』は、「『人間』ではない」から、
「自分は『人間』だ」と思うのを止めちゃうと、人間ではなくなる
ということを、
『そもそも』は「『人間』ではない」存在が、
『人間』をしてみたくて、自発的に、
「自分は『人間』だ」と思い込むことによって、
人間をできているけれども、人間に成れているけれども、
その思い込みがなくなってしまうと、
そもそもの、元の、「『人間』ではない」状態に戻ってしまう
ということを、
意味しているように思いました。
あるいは、
そう捉えると、より自然なように、感じました。
このあたりの捉え方、解釈については、
過去記事「 「できる」ということ 」もご参考にしていただけると、
より、面白いのではないかなぁ、と思います。
さあ、
加えて、もう一つだけ。
その方が、「覚醒した」という話を披露してくださったのを受けて、
別の方が、関連する話をしてくださいました。
その、別の方は、
「悟る」「覚醒する」ためのワークとして、
「ロウソクの炎を見つめて、炎と一体になる」
というのを、
かつて、されたことがあるのだそうです。
そのワークでは、
見事、炎と一体になると、
悟った状態になれるらしいのですが、
その方は、そのとき、
「もう、炎とほとんど一体化している」
という状態まで行ったのそうなのですが、
「もう、完全に一体となる」
という寸前まで進んだところで、
怖くなって、止めてしまった、
のだそうです。
そのとき、その方からお聞きした話は、
そこまでで、
それ以上、詳しくはお聞きしなかったので、
その方が、どのように「怖かった」のか、とか、
そのときのことを、今、どのように捉えているか、
などは、お聞きしなかったので、
以降は、
これまた、僕なりの理解・解釈・興味を持ったこと、ですが、
まず、
「怖かった」ということですけど、
「覚醒しよう」「覚醒したい」と思って、ワークをして、
そして、めでたく、その直前まで行けたのに、
でも、そこで、自ら、ブレーキを踏んでしまわれた、
ということなんだと思います。
おそらく、そういうことなんだと思いますが、
それって、とても興味深く、面白いですよね。
そして、これって、
僕の解釈からすると、
あるいは、もし、僕の身に起こったことだったとしたら、
おそらく、
自分の中に、自分を『人間』で居させ続ける自動装置があり、
それが作動した
というような感じに思われます。
「まだ、『人間』体験が足りてないから、終わり切ってないから、
もう少し、『人間』のままでいましょうね」
もう少し言っちゃえば、
「せっかく頑張って、『人間』に成り切れているんだから、
もう少しこのまま、『人間』をやって、やりたい『人間』体験をしましょう。
悟っちゃうのなんて、元の状態に戻るだけだから、いつでもできるから」
みたいな感じで、
自分の中で、
今の『人間』をしている状態をキープさせようとする方向の力が、自動的に働いた
みたいな感じに、思われます。
あるいは、
もしそうだったとしたら、とても納得でき部分があるように思います。
あと、
今回の、この方のケースには、当てはまらないと思いますが、
私たちの中には、
「決して、望んでいる状態なのではないけれど、
とはいえ、そんな現状でも、
ありがたいところ・安心できるところ、があり、
なので、
そんな現状から離れること、そんな現状を手放すことを、
自ら、止めてしまう」
っていうこと、ありますよね。
もっと言ってしまうと、
「現状は、決して望ましくなく、
もっと良い状態を積極的に望んでいるんだけど、
でも、そうでありながらも、
その状態から変化すると、
より悪い状態になってしまう場合・可能性もあり、
そのために、
現状で居続けることを、自ら無意識に選択してしまう」
っていうこと、ありますよね。
個人セッションの場面などでも、
「良い状態になることを明確に望んでいて、
行動もとっているのに、
どうしても、上手く行かない。」
というケース、
場合によっては、
「よく分からないんだけど、
上手く行きそうになると、自分から壊しちゃう。」
というケースを、
実は、とてもよくお聞きします。
そういう場合には、
そういうことが、自分にも思い当たる場合には、
ぜひ、
ご自分が恐れていることを、探してみてください。
あるいは、
上のようなケースの場合には、
自分が上手くいくことを、良くなることを、
自分で許していないところがないか?
自分で自分を罰しているところがないか?
というあたりのことを探してみることも、
とても効果がある可能性があります。
良くなりたい、上手くいきたいと、
顕在意識では、明確に、そう思っているし、
行動もとっているかもしれないけど、
でも、その実、
潜在意識のところでは、
自分がそうなってないけない、と、
「自分にはその価値がない」
「自分がそんな良い目にあってはいけない(誰それに申し訳ない)」
と、
自分が、密かに、自分自身を、
許していなかったり、罰していたり、
そんなことがないか、
探ってみられると、
思わぬことに気づかれ、
思わぬ進展がある、
なんてことに、なられるんではないかなぁ、と、思います。
以上、ご参考まで。
今回の話を交流会で提供してくださった方々、
交流会にご参加くださったみなさまに、
感謝いたします。