2013年10月25日金曜日

ブッダやマザー・テレサになって『あがり』というわけではない

(「 自分自身の体験を話しなさい 」の続きです)

 神が、人間を体験するために、この社会にやってきた。
 だから、体験し終わったら、元に還っていくのです。

 この感覚は、
 例えば、私たちが、アメリカ旅行へ行くようなものです。

 アメリカへ行く必要性は、別に、無いのだけれど、
 おもしろそうだから、遊びに行くわけです。

 行ったことの無いアメリカを「体験したい」
 という気持ちからです。

 「神に還っていく」なんて聞くと、
 私たちの感覚としては、
  「段々と進化を遂げて、最終的に覚醒する」
 と思いがちですが、
 究極のところから見ると、そういうわけではないようです。

 例えば、魂の遍歴を重ね、進化して、
 最後は、ブッダや、マザー・テレサのような心境になって『あがり』
 と思っている人がいますが、
 単に体験しに来ているのですから、
 あらゆる体験ができたときが、『あがり』なのです。

 アメリカ大陸すべてを旅行するとき、
 アメリカの隅々まで見学が終わったら、帰って来るでしょう。
 最後の旅行先として、カリフォルニアから帰る人もいれば、
 ニューヨークから帰る人もいます。
 または、テキサスや、ユタという田舎から帰ってくる人もいるでしょう。

 ゴール地点は、みなさん、それぞれ、違うのです。
 最後の体験がどこになるかは、人によってまちまちです。

 すべての人が、ブッダやマザー・テレサになって
 『あがり』というわけではなくて、
 体験し残してることが「自殺」だったら、自殺を最後に還っていくし、
 教祖様をやったことが無い人は、
 やり残している「教祖様」を体験してから還るのです。

 ですから、
  「今、自分のいるところが、ゴールに一番近い」
 と、思ってください。
 誰か、「他の人」になろうとしない。
 偉い人のようにならなくてもいいのです。

 魂が進化していくのにベストな状況が、
  「今、この瞬間、自分の目の前にある」
 と、思ってください。

 神に還る一番の近道が、今、目の前にあるのです。

 それを信じたら、
 目に映るものは、すべて、喜びです。
 すると、こころがブレません。
 こころがブレないと、そのときに必要な情報は、降り注いできます。

 こころが豊かで、解放されていると、
 頭であれこれ考えたり、がんばったりしなくても、
 そのままの状態で、最高の人生を生きられるようになっているのです。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より