2013年12月20日金曜日

神が、「『神ならざる者』に成る」以外に

 もう一度ここで、念のため、
 「欠点」について、
 お話したいと思うんですけれども。

 私の言う「欠点は無い」というのは、
  「『克服したり、修正したりすべき』欠点は無い」
 と言ってるんですね。

 え~、ある意味で、事実として、
 私たち全員、欠点を持っています。

 「どういう欠点か」というと、
 この、"こちらの世界"ですね、
 この『神の世界』とか『無の世界』とか言います。
 当然、ここは「パーフェクトな世界」ですね。

  「完全なものが、なんで人間に成ってきたのか?」
  「どうして力を無くして、ここに居るのか?」

 この答えに当たるんですけれども、
 聞いたことあるかもしれませんが、
 え~、もう一度説明します。

 私には、この5本の指がありますね。
 これは、完全に機能してます。

 私のこの5本の指は、
 手という観念・価値観の中で、
 パーフェクトに機能しています。

 みなさんの手も、そうだと思います。

 でも、私はそのことを嬉しいとは、
 普段、思いません。

 今まで、どういう時、
 この完全であることが嬉しかったかというと、

 中学生の時、
 この2本の指を突き指しましてね、
 1ヶ月ほど使えなかったんですね。

 で、使えるようになった時、
 もう、こころから
  「よかったなぁ」
 と思いましたね。

 いわゆる、
  「『完全である』という喜び」
 を感じたんです。

 もともと完全で、
 最初から完全であって、
 そのことに何の喜びも無かった。

 ここ(神の世界)と同じなんですね。

 まず、存在してたわけです、
 神として。
 完全な存在として。

 喜びなんか、あるはずありません。

 私は、手が、突き指という不完全になった時、
 その時に、
  「あぁ、よかった」
 という喜びが生まれました。

 喜びは、
 この『不完全さ』から、生まれて来たんですね。

 神が、神自身を知るのに、
 「『神ならざる者』に成る」以外に、
 自分の喜びを知る術は無いわけです。


津留晃一 講演会CD『 』 より