もう一度ここで、念のため、
「欠点」について、
お話したいと思うんですけれども。
私の言う「欠点は無い」というのは、
「『克服したり、修正したりすべき』欠点は無い」
と言ってるんですね。
え~、ある意味で、事実として、
私たち全員、欠点を持っています。
「どういう欠点か」というと、
この、"こちらの世界"ですね、
この『神の世界』とか『無の世界』とか言います。
当然、ここは「パーフェクトな世界」ですね。
「完全なものが、なんで人間に成ってきたのか?」
「どうして力を無くして、ここに居るのか?」
この答えに当たるんですけれども、
聞いたことあるかもしれませんが、
え~、もう一度説明します。
私には、この5本の指がありますね。
これは、完全に機能してます。
私のこの5本の指は、
手という観念・価値観の中で、
パーフェクトに機能しています。
みなさんの手も、そうだと思います。
でも、私はそのことを嬉しいとは、
普段、思いません。
今まで、どういう時、
この完全であることが嬉しかったかというと、
中学生の時、
この2本の指を突き指しましてね、
1ヶ月ほど使えなかったんですね。
で、使えるようになった時、
もう、こころから
「よかったなぁ」
と思いましたね。
いわゆる、
「『完全である』という喜び」
を感じたんです。
もともと完全で、
最初から完全であって、
そのことに何の喜びも無かった。
ここ(神の世界)と同じなんですね。
まず、存在してたわけです、
神として。
完全な存在として。
喜びなんか、あるはずありません。
私は、手が、突き指という不完全になった時、
その時に、
「あぁ、よかった」
という喜びが生まれました。
喜びは、
この『不完全さ』から、生まれて来たんですね。
神が、神自身を知るのに、
「『神ならざる者』に成る」以外に、
自分の喜びを知る術は無いわけです。
津留晃一 講演会CD『 鏡 』 より