2018年1月1日月曜日

はじめに言葉ありき ( 宇宙を分つもの )


    初めに言葉があった。
   
    すべてのものは、これ(注:言葉)によってできた。
    できたもののうち、一つとしてこれ(注:言葉)によらないものはなかった。
   
     ( 新約聖書:「ヨハネによる福音書」1章1節および3節)
       [ 参照: こちら ]
    
    
    初めに、神は天地を創造された。
   
    神は言われた。「光あれ。」
    こうして、光があった。
   
     ( 旧約聖書:「創世記」1章1節および3節)
       [ 参照: こちら ] 
 
 
 
 「すべてのもの」は、
 「言葉」によって、出来(でき)・創られました。
 
 言葉によらず、出来たもの・創られたものは、ありません。
 
 また、
 「光」は、
 「光」という「言葉」によって、創られました。
 
 
 ところで、
 「すべてのもの」は、
 『どこから』、生まれたのでしょうか?
 
 
 『無』からです。
 
 
 では、
 その、『無』とは、
 
 何なのでしょうか?
 どういう意味なのでしょうか?
 
 
 一つには、
 あえて言葉で表せば " nothing " 、
 
 文字通り、
  「何も無い」状態
 と、認識できると思います。
 
 僕も、
 かつては、そう理解していましたし、
 
 一般的には、
 そう、理解されているのではないか、と、思います。
 
  「はじめ」「原始」「原初」は、
  「何も無」く、
  そこに、「すべてのもの」が、創造された
 
 という、認識です。
 
 
 ところが、もう一つ、
 別の、違う認識も、できると思います。
 
 それは、
 『無』とは、
 『空』と呼ばれるもの(「色即是空」の『空』ですね)。
 
 津留さんは、これを、
 『神さま』と、呼び、
 
 また、別の表現としては、
 「ホワイトノイズ」と呼びました
 (過去記事「 『ホワイトノイズ』という『神』 」)。
 
 僕は、このブログでは、過去に、
 「無色透明」という事例で、表しました
 (過去記事「 最驚のパラドックス 」)。
 
 
 それは、
 先の、「何も無い」 " nothing " としての『無』とは、
 反対で、
 
 それは、
 『すべて』です。
 
 『すべて』であり、
 かつ、「『未分化』のもの」、です。
 
 そこから、
 「すべてのもの」が、生まれました。
 
 『すべて』から、
 「すべてのもの」が、生まれました。
 
 
 はじめに、神が、居ました。
  
 その『神』が、創造されたのです。
  
 『神』が、『言われた』のです。
 
 であれば、
 「はじめに、神が、居ました」。
 
 そう、捉えるのが、
 むしろ、自然なのではないか、
 と、思いますが、
 
 それは、
 僕の個人的な認識ですので、
 その、「どちらのほうが」は、置いておきましょう。
 
 
 さて、
 はじめに、神が、居ました。
 
 はじめに、
 『神』という『すべて』が、ありました。
 
 「すべてであり、一つであり、未分化」の、『すべて』が、ありました。
 
 そこから、「すべてのもの」が、生まれました、
 神の『言葉』によって ...
 
 
 「ホワイトノイズ」は、
 「チューニング(周波数の特定)」によって、
 特定の音が、聞こえるようになります。
 
 「無色透明」は、
 「プリズム」によって、
 七色の色が、見えるようになります。
 
 それと同じように、
 
 『すべて』から、
 「言葉」によって、
 「すべてのもの」が、できました。
 
 「光あれ。」の言葉によって、
 「光」が、できました。
 
 
 「言葉」とは、
 何でしょうか?
 
 岩波書店『広辞苑』によれば、
 「言葉」とは、
   「人の音声の意味を持っているもの」
 のこと、
 
 つまり、
 「言葉」とは、
 
 『意味』であり、
 『概念』であり、
 『定義』です。
 
 「光あれ。」の言葉によって、
 「光」が、意味付けられ、定義され、
 
 『すべて』のうち、
 「光」に該当するものが、「光」とされました。
 
 これが、
 「こうして、光があった。」の、意味するところです。
 
 こうして、
 「光」が、『できました』。
 「光」が、『生まれました』。
 
 
 と同時に、
 「光あれ。」の言葉によって、
 
 「『光』ならざるもの」が、意味付けられ、定義され、
 
 こうして、
 「『光』ならざるもの」が、『できました』。
 『闇』が、『生まれました』。
 
 
 「光」という『言葉』により、
 「光」と「光ならざるもの(闇)」とが、生まれました。
 
 
 『言葉』により、
 『意味』により、
 『概念』により、
 『定義』により、
 
 「それに該当するもの」が、できました。
 
 
 『すべて』が、
 
 「それに該当するもの」と、
 「それに該当しないもの」とに、
 
 分けられました。
 区切られました。
 隔てられました。
 
 
 それが、
 『できた』『生まれた』
 ということです。
 
 
 『言葉』『名前』
 『意味』『定義』
 『概念』『考え』『価値観』 ...
 
 それらにより、
 『すべて』が、
 
 「それに該当するもの」と、
 「それに該当しないもの」とに、
 分けられました。
 
 
 「善」という言葉によって、
 すべては、
 「善」と「悪」に、分けられ、
 
 そして、はじめて、
 「善」と「悪」が生み出されました。
  
 「正しさ」「正義」という概念によって、
 すべては、
 「正しい」ものと「誤った」ものに分けられ、
 
 そこで、はじめて、
 「正しい」ものと「誤った」ものとが、誕生しました。
 
 「良い」という言葉によって、
 すべては、
 「良い」ものと「悪い」ものに分けられ、
  
 「成功」という言葉によって、
 すべては、
 「成功」と「失敗」に分けられ、
 
 「地球」という言葉によって、
 宇宙は、
 「地球」と、それ以外の宇宙とに分けられ、
 
 「陸」という言葉が生まれ、
 それによって、「地球」は、
 「陸」と「海」とに分けられ、
 
 「人間」という言葉によって、
 「生き物」は、
 「人間」と「動物・植物など」に分けられ、
 
 さらに、
 「人間」は、
 
 「性別」という言葉によって、
 「女」と「男」に分けられ、
 
 「年齢」という言葉によって、
 「子ども」「大人」「高齢者」に分けられ、
 
 「国籍」「人種」という言葉によって、
 「日本人」「黄色人種」などに、分けられました ...
 
 
 このような見方、
 このような認識の仕方、
 このような捉え方、
 
 それが、
 津留さんのいう、
  「私たちは、はじめ、『神さま』だった」
 という、
 見方であり、
 
 そして、それが、
 その見方に沿った、
 『宇宙の誕生』です。
 
 
 この見方によれば、
 『私たち』は、
 
 そもそもは、
 『言葉』の前に存在していたものです。
 
 「はじめに言葉ありき」
 の、
 
 " はじめ " の前に、存在していた『もの』です。
 
 " はじめ " を、『はじめたもの』です。
 
 まず、それが、
  「私たちは、はじめ、『神さま』だった」
 ということの、意味です。
 
 
 そして、
 その、「 " はじめ " を『はじめたもの』」は、
 
 「『すべて』であると、体験できないこと」を、体験するために、
 『すべて』であることを、辞めました。
 
 『言葉』によって、
 自らを、分化すること、分割すること、分裂させることにより、
 
 『すべて』では、なくなりました。
 
 『部分』に、なりました。
 
 それが、
 『言葉』の、
 『意味』の、
 『概念』の、
 『定義』の、
 
 『名前』の、
 『知識』の、
 『情報』の、
 『価値観』の、
 『道徳感』の、
 
 意味であり、役割です。
 
 
 さあ、
 ここで。
 
 もし、
 
 分割を、
 分裂を、
 孤独を、
 対立を、
 止め、
 
 融合を、
 結合を、
 連帯を、
 友好を、
 はじめ、増やすには、
 
 どうしたら、いいのでしょうか?
 
 
 まず、
 「融合」「結合」は、
 
 『成れの果て』では、なく、
 『努力の結果』では、なく、
 
 『そもそもの、元の姿』である、
 ということ。
 
 「分裂」こそが、
 「孤独」こそが、
 「対立」こそが、
 
 『元』では、なく、
 『はじまり』では、なく、
 『そもそも』では、なく、
 
 それらこそが、
 『果て』であり、
 『努力の結果』である、
 ということ。
 
 それを、知ること。
 それを、思い出すこと。
 
 あるいは、
 それを、選択すること、です
 (過去記事「 選択 」)。
 
 
 そして、
 そのうえで、
 
 一つ、一つ、
 『言葉』を、
 『意味』を、
 『概念』を、
 『定義』を、
 無くしていくことです。
 
 『名前』を、『知識』を、『情報』を、
 『価値観』を、『道徳感』を、
 消していくことです。
 
 ただし、
 それは、何も、
 完全に消し去ること、消去すること、を、
 する必要は、なく、
 
 それに、
 囚われないこと、
 
 ただ、
 それだけ、です。
 
 そこから、
 切り離せるようになること、なっていること、
 
 ただ、
 それだけ、です。
 
 
 そのとき、
 「『自分』でないもの」が、無くなります。
 
  自分でないもの
  分からないもの
  ありえないもの
 が、無くなります。
 
 そのとき、
 『自分』が、
 
 元の、そもそもの、『すべて』に、
 戻り、還ります。