ここ数回
(正確に言えば、「これまでずっと」、ですが)、
「『神さま』や『天使』が、
『神さま』や『天使』のままだと、体験できないことを、
体験してみたくて、感じてみたくて、
わざわざ、『人間』になって、
それらを、『体験』している、『感じ』ている」
ということを、
書いてきました。
津留さんが、
『地球人間ゲーム』
と、
呼んでいた、「仮定」について、です。
その際、
その、
「『体験』したいこと」
「『感じ』たいこと」
というのは、
「すべてであり、
全知であり、全能である
存在・状態だと、
『体験』できないこと
『感じ』られないこと」
なので、
基本的には、
いわゆる、『ネガティヴ』なこと、です。
「できない」
「分からない」
「知らない」
「寂しい」「悲しい」
「怖い」「恐ろしい」
「辛い」「苦しい」
「悔しい」「情けない」...
そのような、
『体験』、『感情・感覚』のことです。
このように、お聞きになると、
「では、人生では、
そんな、『ネガティヴ』なことばかりが、待ち受けているのか?」
「じゃぁ、『生きる』ということは、
そんな、『ネガティヴ』なことばかりを、感じることなの?」
「そんな、『ネガティヴ』なことばかりが、
『ハイヤーセルフ』によって、もたらされるのか?」
そう、思われるかもしれませんが、
安心してください、
それだけでは、ありませんよ ^^; 。
確かに、
『基本的には』、
そのような、『ネガティヴ』なことを、
『感じ』たくて、『体験』したくて、
『人間』となり、『人間』をしている
と、言えると、思います。
だって、
「『完全』な存在」にとっては、
そんな、
「『ネガティヴ』なこと」『こそ』が、
もっとも、縁遠く、
もっとも、意味が分からず、理解できず、
それゆえ、
もっとも、興味津々なこと
なわけですから。
それは、
仕方のないこと、では、ありませんか?
ですが、
繰り返しますが、
それだけでは、ありません。
津留さんは、
この、
「『神さま』が、『神さま』のままだと、
『体験』できないことを、
『体験』する」
ことについて、
別の表現で、
このようにも、言い表していました。
「『神さま』が、
自らの『完全さ』を、『実感』『体感』したくて、
『人間』になった」
そもそも、『完全』であると、
はじめから、『完璧』であると、
「『完全』だ」
「『完璧』なんだ!」
ということを、
『実感』することが、『体感』することが、
できませんよね?
わたしたちは、
日ごろ、『健康』であっても、
「あぁ、自分は『健康』だぁ!」
と、『実感』することは、
無いのでは、ありませんか?
あるいは、
もし、あったとしても、
それは、
少なくとも、一度、
『病気』になり、
「『健康』ではない状態」に、なったことがある、から
では、ありませんか?
はじめから、『完全』『完璧』だと、
『感じる』ことのできない、『実感』することのできない、
「自分は、『完全』なんだぁ!」
という気持ち、感情、感覚を、
『体感』してみたくて、
そこで、
わざわざ、はじめに、
まず、一旦、自ら、
「できない」「分からない」「知らない」
という体験を重ねて、
『人間』になった
というのが、
わたしたちの、「今の状態」であり、
かつ、「これまでの過程」だ、
というのが、津留さんの解説です。
つまり、
これまで、
「できない」「分からない」「知らない」という体験を、
重ねて来た
のは、
これから、
「自らの『完全さ』を、『実感』『体感』する」ための、
『準備』
だったのです。
これまでの、『準備』を経て、
はじめて、
わたしたちは、これから、
「あぁ、自分というのは、『完全』だぁ」
と、『実感』する、チャンスを、
得ることができたのです。
津留さんは、また、
「そもそも、『完全』」であった、存在が、
一度、『不完全』になった、ことによって、
「できる『ようになった』」
「分かる『ようになった」
「知ることができる『ようになった』」
という『感覚』を、『体感』することが、
できるようになった、
とも、言っています。
「そもそも、『完全』」で、
そして、「『完全』なまま」、だと、
「できる『ようになる』」
「分かる『ようになる』」
ということは、体験できませんよね?
また、加えて、
「そもそも、『完全』」で、
そして、「『完全』なまま」、だと、
「できて、当然」「分かって、当然」、ですから
「あぁ、できた〜!」
「分かった!」
という『感覚』も、
感じること、味わうことができませんよね。
それらは、
一度、『不完全』になったことによって、
はじめて、
『体感』することが、できるようになりました。
ですから、
「できた〜!」
「分かった!」
「やった!」
「嬉しい!!」
というような、
いわゆる「『ポジティヴ』な感情・感覚」も、
「今、『人間』をしているからこそ、
『感じ』ること、『体感』することができるもの」
なのです。
この、「『ポジティヴ』な感情・感覚」も、
それらを、『感じ』ることも、
わたしたちにとっては、
実は、
「『人間』をしている、目的そのもの」
なのです。
ですから、
どうぞ、
安心なさってください。
安心して、
「嬉しい」「楽しい」「やった〜!」
を、希求され、
安心して、
それらの『感情』『感覚』を、
たっぷりと、体感なさってください ^^ 。
「そもそも、『完全』であった」
という、仮定からすれば、
今現在の、
「『完全』ではない状態」
「『完璧』ではない状態」
は、
その、『すべて』『全部』が、
「『完全』なままでは、『体験』できない」状態
です。
つまり、
この環境、この状態、この状況、『すべて』が、
「『体験』したくて、体験している
『感じ』たくて、感じている
『味わい』たくて、味わっている」
こと、『そのもの』
だ、
と、いうことです。
『人間』という、
全体とは、周りとは、
『分離』された、『個別』の状態で、
『感じる』こと
量的に、極めて限定されている「情報」を基に、
機能的に、極めて限定されている『頭脳』を使って、
『考える』、ということ
『肉体』という、さまざまな制約のある『容れ物』を通して、
『感じる』、ということ ...
そのような、ことごと、すべてが、
一切合切、すべて、全部が、
つまり、
『人間』という状態において、
『感じる』こと、すべて
『行う』こと、すべて
『考える』こと、すべて
それら、『すべて』が、
「『神さま』のままでは、できない、行為」
「『神さま』のままでは、感じられない、感覚」
なのです。
ですから、
「『人間』で居ること」
「『人間』として、存在すること」
「『人間』として、感じること」
「『人間』として、行為すること」
すなわち、
「『人間』をしているということ」
「生きているということ」
そのものが、すべて、
「わたしたちが、こうしている『理由』」
であり、
「わたしたちが、こうしている『目的』」
なのです。
そして、それは、
わたしたちの、
「『状態』如何(いかん)」
「『意識』如何」
「『行為』如何」
「『内容』如何」
に、関わらず
なのです。
前稿(「ハイヤーセルフへの報告」)の最後で、述べました、
「『人間』することが、仕事」
というのは、
文字通り、そのとおり、なのです。
「『人間』という体験、すべて」が、貴重な、目的
なのです。
何を、『感じ』ようと、
何を、『感じなかろう』と、
そのすべてが、目的そのもの
なのです。
大手を振って、堂々と、
ただ、生きてください。
ただ、『人間』をされてください。
「『人間』すること」
それこそが、
あなたが、わたしたちが、
ここに、こうして『存在』している、意味であり、
目的そのものです
(津留さんのメッセージ「在る」も、
また、改めて、お読みください)。
言葉を換えれば、
いま、
「わたしたち」は、「わたしたちの状態」は、
「『神さま』の願望が、叶っている」状態
なのです。
「『神さま』にとっての、『夢』」の状態
なのです。
『神さま』という、
『すべて』であり、『全知』『全能』である存在が、
自ら、望んで、創り上げた、『結果』の状態
なのです。
「わたしたち」は、
これで、『完璧』です。
これこそが、
「『神さま』が、『宇宙』が、
望んだ『結果』そのもの」
なのですから。
わたしたちは、
「その、『結果』を、
『プロセス』として体験している、『意識』」
なのです
( 関連過去記事「望みは、すでに、叶っている」)。
そんな、「わたしたち」が、
「わたしたち」の行うこと、思うこと、考えることが、
「『完璧』でない」わけが、ありませんよね?
ですから、
どうぞ、
すべて、すべて、
安心なさってください ^^ 。