2013年10月31日木曜日

『常識』が最大の敵

(「 マイナスの感情を、別の感情でバランスを取ろうとする 」の続きです)

 今の説明でもお分かりのように、
 大切なことは、
 自分が傷つかないこと。

 じゃあ、「どうすれば傷つかないのか?」というと、
 そんなとこをチェックしてほしい。

  「自分は、何を当たり前だと思っているか?」

 え~、常識というのは、まさにそうです。
 「できて当たり前」の世界です。

 だから、実は、
 みなさんを動かしているのは、
 関東大震災や、落盤事故で落っこった、
 あんな途方もない、珍しい出来事ではなくて、

 いつもいつも付き合ってる『常識』が、
 みなさんの最大の敵なんですね。

 自分の常識を疑ってくださいね。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年10月30日水曜日

マイナスの感情を、別の感情でバランスを取ろうとする

  「もっと優しくできるはずなのに...」
 そんな想いを、みんな、体験したことあるんではないかと思うんですが。

 それはどんな時か、っていうと、
 私の場合は、こういう時だったんですね。

 会社の中で、人に優しくできなかった時というのは、
 たいがい、
  「そんなこと、できて当たり前だろ」
 という想いがありました。

  「このぐらいのことは、して当たり前」
  「できて当たり前」

 それができない人に対しては、
 当たり前のことができない人に対しては、
 どうしても、優しくしてないんですね。

 自分が、
  「こんなの、できて当たり前」
  「給料もらってんだろ? だから、このぐらいのこと、できて当たり前」
 そんな時に、どうしても、優しくないんですね。

 だったら、その、
  「できて当たり前」
 っていうのを手放したら、どうなるか?

  「できなくても、構わない。」

 えぇ、夫婦関係のトラブル、
 たいがい、見てると、
  「このぐらいのこと、やってよ」
 っていう想いですね。

  「このぐらいのこと。」
 当たり前と思ってることができないと、
 イラつくわけです。

 そして、実は、
 当たり前と思ってることができない人を見ることによって、
 自分の中に葛藤が起こるわけですね。

 人を責めてしまいます。
 意地が悪い自分を発見します。

 その時、どうするかっていうと、
 そのイライラを収めるために、
 人は、「怒る」っていう感情を使うんです。

 自分の中に湧いてきたマイナスの感情を、
 何とかしたいと思うんです。

 そして、それをバランスを取るために、
 もう一つ別の感情を持ってくるんですね。

 たいがい、それは「怒り」です。

 マイナスの感情を、別の感情でバランスを取ろうとするんです。

 外に怒りを発するということで、
 内の、内側のフラストレーションを、
 外に怒りを爆発させることによって、
 クリア、ニュートラルにしようとしてるんですが、

 これ、どちらもマイナスですから、
 外に出したマイナスの想念、
 ちゃんと自分に戻って来るわけですね。

 そして、余計イライラしてくるわけです。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年10月29日火曜日

あまりに大きすぎるために、見えてないだけ

 その存在は、
 実は、みなさんが探し求めているものなんですけれども、

 小さいから見つからないわけではなくて、
 高い所にいるから、自分が登っていかないと見つからないとか、
 そういうもんなんではなくて、

 実は、いつもそこに居るんですが、
 あまりに大きすぎるために、見えてないだけなんですね。

 え、顕微鏡で、-略- 誰でもあるかと思うんですね、
 顕微鏡でのぞく。

 顕微鏡でのぞいたとき、どうですか?
 「それ」を「それ」と認識できないんじゃないでしょうか?

 例えば、ノミの触角を顕微鏡でのぞいているときに、
 それがノミだなんて、誰も分からないわけですね。

  「それは、ノミの触角です」
 と、第三者から説明を受けて、はじめて、
  「そうなのかなあ?」
 と、思うんですけれども、

 それと同じで、
 実は、みなさんは、
 いつも、巨大な我(われ)と一緒に居るんですけれども、

 その巨大な我は、
 え、あまりにも大きいんで、
 感じが分からないんですね。

 でも、いつも居るんです。


津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より


2013年10月28日月曜日

神さまより劣った人間なんていない

 ○○さんは、最初から、神さまだったんです。

 で、人間になりたかったら、なったんです。

 だから、人間になれた、ということは、
 すばらしいことなんです。

 神さまが、退歩するわけないでしょ?

 神さまが、進歩して、ここに来たわけです。

 だから、
 神さまより劣った人間なんて、いないんですよ。

 誤解してるんです。


津留晃一 講演会CD『 問題解決 』 より


2013年10月27日日曜日

「人間である」と想ったから

 こういう話、今までしたことがありませんが、
 人間というのは、自分の想いに、どれほど自分がしばられているか。

 この「想いの力」っていうのは、
 ものすごく強力なんですね。

 自分が想ったら、すぐ、その想いにしばられるんです。
 その想念の中に入ってしまうわけです。

 -略-

 例えば、子供と一緒にいて、食事に行こうと思いますね。
   「食事に行こう。」
 で、子供を連れて出て。

 そうすると、-略-
 すぐ、こう、寄り道するわけです。

 目の前に、歩きながら、興味あるものに スーっと行くわけです。
 お花が咲いていたら、お花のほうに パッと行きます。

 そうすると、
 ふーっと手を引いて、
 レストランのほうへ引っぱって行く自分に気づいたんですね。

 いわゆる、
 私は、「食事に行こう」と思ったら、思った瞬間、
 子供が、今そこで、せっかく道端で楽しく遊んでるのに、
 「早く連れて行こう」とするんですね。

 「行こう」と思った瞬間、
 「早く連れて行こう。」

 え、それが、時間が無くて早くするわけじゃないんです。
 時間がたっぷりあるときも、同じこと、やるんです。

 あの、子連れのお母さんを見てると、よくそれやってます。

 「公園に行こうか」って言って、
 遊ばせるために、子供と「公園に行こう」って決めます。

 と、今、楽しそうに遊んでるのに、
 「早くしなさい。」「早くしなさい。」

 今、遊んでるんだから、そこでいいはずなのに、
 早く連れて行こうとするんです。

 -略-

 こういうふうに、自分の考えにしばられるんです。

 で、私たちは、今、
 「人間である」と、ただ想ってるんです。
 最初に、それ、教えられたからなんです。

 で、「人間である」っていう考え方に、ただしばられてるだけなんです。

 この大いなる私が、
 宇宙の創造主が、
 「人間である」という想いを持った瞬間に、
 こんなにすべての力を失くすほどの状態になってしまうんです。

 どうやってなったのか?
 「人間である」と想ったからなんです。

 たったそれだけなんです。
 それほど、想いの力って強力なんです。

 なのに、いつも自分がいろんなこと想って、
 それをほったらかしてるんですね。

 だから、
  「自分が、今、何を想っているか?」
 これだけが大切なことなんです。

 それで、
  「想念観察をしてください。」

 そうしたら、必ず、もっと今より幸せを感じるチャンスが増えます。


津留晃一 講演会CD『 問題解決 』 より


2013年10月26日土曜日

あんでるせん

以前、マジックをする、喫茶店のマスターの話を書きました
(「 『しよう」と思って行為することは、うまくいきません 」 )。
書籍『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』から、引用しました。

津留さんのCDを聞いていたら、その素であろう部分が出てきたので、
以下に書き起こしてみました。

前のものを消して、書き起こしに取り替えようか、とも思いましたが、
やめました。

読み比べていただくと、
津留さんの講演の、話し言葉の、生き生きとした感じを、
より、体感していただけるのではないか、と思ったからです。

それから、
書籍『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』にしても、
『多くの人が、この本で変わった。』にしても、
編集が入っています。

そうすると、どうしても、編者の想いなり、エネルギーなりが、
不可避的に、入ります。

もちろん、その方が読みやすい、理解しやすいという方もいらっしゃるでしょうし、
別に、良い悪いの問題ではありません。

ただ、津留さんの意図・エネルギーからは、
若干にせよ、不可避的に、離れてしまいますので、
できれば、津留さんのエネルギーそのものに
できるだけ近いものを体感していただきたく、
交流会では、はじめに、講演会DVDを観ていただいてます。

その方が、『覚醒進化プログラム』などを読んでも、
より理解がしやすいのではないかと思います。
文章を読んでいても、津留さんの声が聞こえてきて、より分かりやすいのでは、
と思います、自分の体験からして。

そんなことも、読み比べから、感じていただければなぁ、
と思いました。

といいながら、下の書き起こしにしても、
僕の判断なり、エネルギーが、入ってしまっているんですけどね^^



 「できる」と思ってることだけが「できる」。
 ただ単に、このことだけを覚えておいてください。
 「できる」と思ってることだけが「できる」。

 疑いのこころが入った途端に、
 できていたことも、できなくなります。

  「できていたことも、できなくなります」
 これについてですね、あの、
 あそこに来ている ○○さんという女性が、
 この間、おもしろいことを教えてくれたんです。

 あの、「あんでるせんに、私が行った」っていう話をしたら、
 あんでるせんの マスターに起きたことを、
 話として聞いたんですけれどもね。

 え、私、「きっとそれ、本当だろうな」と思ったのは、
 あの、あんでるせんの マスターっていうのは、
 この、コインにですね、タバコで、こう、穴を開けるんです。

 で、シューって、通しちゃうんですね。
 コインにタバコで穴を開けるんです。

 これ、どうやって練習したか、っていうと、
 「コイン」と想ってると、穴が開かないそうです。

 で、これを、あの、
 「紙のようだと想う」って、「イメージする」って、いうんです。
 「これ、紙だ」って、コインを「紙だ」って、イメージする。

 で、こちら、タバコを、
 え、ボールペンをイメージするんですね、ボールペン。
 何でもいい、硬いものなら。
 千枚通しでもいいんですよ。

 タバコを「千枚通し」ってイメージできて、
 コインを「紙だ」とイメージできたら、
 入るっていうんです、スーっと。

 だから、練習は何をしたかっていうと、
 入れようとする練習をしたわけじゃないんです。
 タバコを持って、それを万力(まんりき)ってイメージできるかどうか、
 を、訓練したそうです。

 で、
  「イメージできたときには、できる」
 っていうんですね。

 で、あの芸当を、あんでるせんの マスターって、
 毎日、やってるんですよ、毎日。
 来るお客さんの前で、毎日。

 ところが、あるお金持ちの人がですねぇ、
 500万、札束を目の前に積んで、
  「オレの前で、タバコでコインに穴を開けたら、これ、500万、やるよ」
 っていって、言ったんだそうです。

 そうしたら、できなかったそうなんですよ(笑)

 おもしろい話でしょ?

 これ、人間ここで、
 ここなんですよ。

  「やんなきゃ」
 欲が出るわけです。

 だから、自我が「やろう」としたんです。
 自我が働いたんです。

 で、なんとか「やろう」って。
 で、できないんです。

 イメージすること、忘れちゃうんですね。

 これが人間なんですね。
 やろうとすることはできないんです、本当に。


津留晃一 講演会CD『 問題解決 』 より


(参) 「万力」は、普通、棒などを挟み込む道具のことですが、
   先のとがった、釘のような形のものもあるようです。
   http://store.shopping.yahoo.co.jp/anyoujiya/man-01.html


2013年10月25日金曜日

ブッダやマザー・テレサになって『あがり』というわけではない

(「 自分自身の体験を話しなさい 」の続きです)

 神が、人間を体験するために、この社会にやってきた。
 だから、体験し終わったら、元に還っていくのです。

 この感覚は、
 例えば、私たちが、アメリカ旅行へ行くようなものです。

 アメリカへ行く必要性は、別に、無いのだけれど、
 おもしろそうだから、遊びに行くわけです。

 行ったことの無いアメリカを「体験したい」
 という気持ちからです。

 「神に還っていく」なんて聞くと、
 私たちの感覚としては、
  「段々と進化を遂げて、最終的に覚醒する」
 と思いがちですが、
 究極のところから見ると、そういうわけではないようです。

 例えば、魂の遍歴を重ね、進化して、
 最後は、ブッダや、マザー・テレサのような心境になって『あがり』
 と思っている人がいますが、
 単に体験しに来ているのですから、
 あらゆる体験ができたときが、『あがり』なのです。

 アメリカ大陸すべてを旅行するとき、
 アメリカの隅々まで見学が終わったら、帰って来るでしょう。
 最後の旅行先として、カリフォルニアから帰る人もいれば、
 ニューヨークから帰る人もいます。
 または、テキサスや、ユタという田舎から帰ってくる人もいるでしょう。

 ゴール地点は、みなさん、それぞれ、違うのです。
 最後の体験がどこになるかは、人によってまちまちです。

 すべての人が、ブッダやマザー・テレサになって
 『あがり』というわけではなくて、
 体験し残してることが「自殺」だったら、自殺を最後に還っていくし、
 教祖様をやったことが無い人は、
 やり残している「教祖様」を体験してから還るのです。

 ですから、
  「今、自分のいるところが、ゴールに一番近い」
 と、思ってください。
 誰か、「他の人」になろうとしない。
 偉い人のようにならなくてもいいのです。

 魂が進化していくのにベストな状況が、
  「今、この瞬間、自分の目の前にある」
 と、思ってください。

 神に還る一番の近道が、今、目の前にあるのです。

 それを信じたら、
 目に映るものは、すべて、喜びです。
 すると、こころがブレません。
 こころがブレないと、そのときに必要な情報は、降り注いできます。

 こころが豊かで、解放されていると、
 頭であれこれ考えたり、がんばったりしなくても、
 そのままの状態で、最高の人生を生きられるようになっているのです。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より

2013年10月24日木曜日

自分自身の体験を話しなさい

(「 神が『神ならざるもの』を体験する 」の続きです)

 こういう本やお話もそうですが、
 体験に基づいて書かれた話は、
 私たちを変える力が、一番あるようです。

 私は、内なる自分から、常に言われていました。

  「 体験していないことを、しゃべってはいけない。
   完全に自分のものになったことだけを、話すように。

   そうでないと、単なる『教え』になってしまう。

   あなたの仕事は、これまでの価値観や常識を壊して、
   意識を解放することなのだから、
   先生になって教えを説いてしまったら、
   単に、別の価値観を握らせるだけではないか。

   先生ではなく、自分自身の体験を、
   『一人の人間』として、話しなさい 」 と。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より


以前、津留さんが、自分が体験したことを話している、
そして、だから説得力がある、という趣旨のことを書きましたが
(「 体験したことを語る 」)、
津留さん自身が、はっきりと、そのことをおっしゃってました。


2013年10月23日水曜日

神が「神ならざるもの」を体験する

 この世界は、
 神が、「神ならざるものを体験する」
 ことを目的として、創られています。

 まず、神が、神ならざる部分を体験し、
 より高き神へと還っていく。
 そのプロセスが、宇宙の仕組みなのです。

 ところが、この「体験する」という考え方を、
 みなさん、頭で理解しているだけなんですね。

 思考上の話であって、本当に、
  「体験するために来たんだ」
 と、こころから感じ、腑に落ちてる人は、
 どれほどいらっしゃるでしょう?

 もし、この話が本当で、
 「体験するため」の人生だとしたら、
  「そんなことしちゃ、いけないよ」
 と言うのは、何かおかしいと感じませんか?

 私たちは、「神ならざる体験」をするために、
 人間をやっているのです。

 ところが、普段の生活を振り返ってください。
 そういう目で見ていないのです。

  「親しい人が病気になった」
  「子供が不登校だ」
 というときに、
  「病気や、不登校を、体験してるんだなぁ」
 という目では、見られないはずです。

  「気の毒に」
 とか、
  「困ったなぁ」
 なんていう感情が、
 どうしても入ってしまうでしょう。

 しかし、「体験」という観点から、
 すべてのものを見られるようになったら、
 どんな出来事も、否定しなくなります。
 否定する意味が無くなるのです。

 「体験すること」が、私たちの一番の目的だとしたら、
  「あえていろいろな想いを持たなくてもいい」
 ということになりませんか?

 「幸せになろう」とか、
 「悟ろう」とか、
 「より良くなろう」とか、
 「向上しよう」とかは、
 どうでもいいことでしょう。

 大切なのは、
 今、目の前にあることを、
 ただ、体験することです。

 宇宙というのは、常に、変化して流れていますから、
 ただ、そこにいて、
 毎瞬毎瞬、「今」という瞬間を味わっていれば、
 私たちが存在している目的が遂げられるのです。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より

2013年10月21日月曜日

白昼夢

妻が、本を読んでいました。
手に持つ本には、手作りのカバーがつけてあり、
そこに書かれている文字が、ふっと、目に入りました。

 「私たちは生まれたこともなく、ゆえに死ぬこともない、永遠の存在です。」
 - Gudni Gudnason(グッドニー・グドナソン)

その言葉を見て、別の言葉を思い出しました。

『津留さん交流会』を始めることを決めてから、
「会の運営の参考になれば」と、知花敏彦先生のDVD鑑賞会に、参加しました。

そこで、『健康について』というタイトルの講演会DVDを拝見しました。

その中で、知花先生が、
 「寝ているときには、あの世に入っている。
  自分は、あの世で、働いている。
  寝ている時と、起きている時で、意識が続いている。」
という趣旨のことを、おっしゃっていました。

そして、そういう意識状態からすると、
起きている時というのは、まさに、
『白昼夢』を見ている状態なのだそうです。

 「『夢』と『現実』というのは、実は、逆なんだ」
という話は、各所で、いろいろと、耳に・目にしたことがありましたが、

知花先生の使われた『白昼夢』という言葉・単語が、
とても強烈で、とても辛らつで、そして、とても的確であると感じられ、
とても強く、こころに残りました。


それにしても、
本当に、本当に、この世界はパラドックスな世界、なんですねぇ。

そして、そんな『夢』の中で、
 「自分は、いったい、何をそんなに握り締めているんだ?」
 「自分は、いったい、何をそんなに手放せないんだ?」
そんなことを感じました。

2013年10月20日日曜日

全部、宇宙がやっている

 「ルーズな人がいる」
 時間にルーズで、約束 破って。

 あの、忘れるんですね、
 そういう人はね、
 本当にね、
 ルーズな人っていうのは。

 で、
 私たちの自我っていうのは、
 本当は、空っぽなんです、
 ここ(頭)が。

 いろんなエネルギーがあって、
 ミニ自我っていう、エネルギーがあって、
 いろんな情報を送り込んでくるんですね。

 でも、
 宇宙のシナリオを書いてる人は、一人なんですね。

 で、
 彼女が、「約束をすっぽかされて、イライラする」
 っていう体験をするためには、
 彼女の友達は、約束を忘れる必要があるわけですね。

 でも、「約束を忘れる」っていうのも、
 その宇宙がやってることなんです。

 思い出させないようにするんです。
 絶対に、思い出せないんです。

 いわゆる、
 全部、宇宙がやっている、と思ってくださいね。

 それと同じように、
 誰かが、誰かを好きになる、っていうのは、
  「自分が恋をした」
 とんでもない勘違いです。

 一番当たってるのは、
  「キューピッドが、恋の矢を撃った」
 これが、ぴったしの表現なんです。

 だから、
 自分がある体験をするために、
 ある特定の体験をするためには、
 誰かを好きになった方がいいし、
 好きにならないとできない体験っていうのが、
 たくさんあるんですね。

 そうすると、
  「なんで、こんな人が...」
 って思うような人を、好きになっちゃうんです。

 これ、みんなに聞いたら、
 必ず、それ、納得できるはずです。

 意思に基づいて、
 打算に基づいて、
 好きになるわけじゃあ、ないんです。

 すべては、意識の流れ。
 大いなる私が、したい体験をしようとしてるわけですね。

 だから、誰かを好きになるのに、つらくなるっていうのは、
  「自分が好きになっちゃった」
 と思ってるからなんですね。

 もっと客観的に見てください。
 -略-
 で、分かるわけです、矢を撃たれたのが。
 突然、好きになって。

 だから、まずそのことは、
 そのことで自分を責めるなんて、
 ナンセンスで、まったく意味が無い、
 っていうことですね。

 全部の問題は、ただ、
 自分がそうなってしまって、罪悪感を感じていることから、
 起きてくるわけですね。

 すなわち、
 その罪悪感を体験したかったわけですね。

 だから、
 ただ、体験していけばいいんです。


津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座11 』 より

2013年10月18日金曜日

個人セッション体験記

先週、妻の個人セッションを受けました。


当初は、つけ始めた「想念観察日誌」をもとに、
個人セッションを受ける予定でしたが、
僕の要望で、僕が今、自ら浄化したいと思っている項目・想念の浄化を、
手助けしてもらう形にしました。
そして、妻の発案で、まず、その想念に対して強く影響を及ぼしているであろう、
僕の過去の体験を浄化する、という方法をとりました。

妻の誘導で、目の前に、地下に降りて行く階段をイメージしました。
そして、その階段を降りて行きます。
下まで降りたところで、目の前に空間をイメージし、
さらにそこに、扉をイメージしました。

 「扉の向こうには、今のあなたに一番影響を与えている過去の体験があります」
 「その扉を開けて、その先へ進んでください。」
妻の声は、そう、誘導します。
ところが、その扉は開きそうにありません。

 「扉は開けられないけど、扉の上から、その向こうの景色は見えてます。」
そう伝えると、
 「では、その景色の中には、入っていけますか?」
と、妻。
僕は「はい」と答え、
その風景の中へ入って行きました。

 「そこには、誰かいますか?」
 「あなたと関係の深そうな人を、見つけられますか?」
妻の質問に、そのイメージの中の景色に、意識を集中し続けます。
しばらくして、今の僕とは関係のない人物が、一人、
薄っすらとだけですが、現れました。
僕たちは、その人物が、いわゆる過去生の僕かもしれないと判断しました。

 「その人物と話ができますか?」
 「その人物は、何か伝えてきますか?」
 「その人物が、その人生で学んだことは、どんなことですか?」
妻の誘導が続きます。

 「話はできそうにありません。でも、一つだけ、伝わってくる想いがあります。」
微かですが、何となく、その人物から感じられる想いのようなものがありました。

 「では、その想いを、しっかりと、感じてあげてください。」
その言葉に従い、僕は、ただ、それを感じました。
しばらくの間、ただ感じていると、ある時、その感覚はスーッと消えて行きました。
そして、その人物をイメージで抱きしめ、感謝の念を送りました。
その人物も、やがて、白くフェードアウトしていきました。

そんな工程を、数回、行いました。

いくつかの光景や人物が、イメージに出て来ました。
でも、どれも今の自分とは関連がなく、またそれら相互に関連・脈略もなく、
自分から出てきたイメージながら、意外でした。
また、現れるイメージそのものも、非常に薄っすらとしたもので、
それが今の自分とどう関係があるのかについて、
何か確信のようなものを持てるものは、一つもありませんでした。

また、そこで感じられる感情のようなもの、想いのようなもの、そんなものも、
どれも、とても薄っすらとしたもので、
しかもその内容がとても唐突に感じられ、
それが本当に今の自分と関わりがあるものなのかどうか、よく分かりませんでした。

ただ、それらの感情・想いは、
感じてあげると、消えて行く実感がありました。
そして、それが消えると同時に、
少しだけ、自分が軽くなった感覚もありました。


また、過去の体験の浄化のほかに、
普段の生活で頻繁に感じる痛みについても、取り除いてみることにしました。

僕は、普段、漠然とした不安感を、
軽い動悸を伴って、胸に感じることが多々あります。
また、時折、喉にも痛みを感じて、
それが深刻なときには、声が出にくくなることがあります。

「緊張感」と、とても似た感覚なのですが、
漠然と、それが僕の中の自分自身に対する「罪悪感」「自己否定」から来ていることは、
分かっていました。
ただ、その罪悪感の元となる想念については、
いくつか候補が挙げられるものの、はっきりとした確信がなく、
また、その時、ちょっとした誘導で、胸の動悸をはっきりと感じられたので、
妻のサポートの下、それを見つめて感じることにしました。

 「これは何? この感覚は何? これは何?」
少し間隔を置いて、継続的に、妻が声を掛け続けてくれます。
その声にサポートされ、僕はその胸の感覚を見つめ続けます。
何分か経つと、その不快感は、フェードアウトして行きました。

ところが、今度は、喉に痛みが現れました。
その痛みは、部分的に、とてもするどく現れています。
胸の痛みと、喉の痛みが、つながっていることが、明確に理解できました。

そこで、続いて、喉の痛みを感じ続けて、そしてそれを消し去ろうと試みます。
しばらく見つめ続けると、それはほとんど消えてなくなりましたが、
今度は、胸の痛みが、少し復活しています。

そこで、もう一度、胸の痛みを感じてあげる。
続いて、喉。
そんなことを、数度、繰り返しました。
しばらく後には、どちらもほとんど感じられなくなっていました。


そのほか、
M2テクニックを使ったエネルギーブロックの浄化も行いました。
「内杉式」、「津留式」、どちらも行いました。

妻の誘導サポートの下、
いくつかの感情を、自分から引き出し、見つめ、
いくつかの価値観を、自分から引き出し、宇宙へ手放し、
そして、反転したエネルギーを、自分の中に抱き入れました。

普段、M2を使った浄化は、一人で、していますが、
妻からの誘導があったほうが、よりスムースにできたと思います。
M2を使った浄化においても、
他者からの適切な誘導が、とても効果的であることを実感しました。


今回の個人セッションで、
どの程度の浄化ができたのか、どの程度の効果があったのかについて、
はっきりとした実感のようなものは、まだ、ありません。
ただ、動悸を伴った漠然とした不安感のようなものや、喉の痛みは、
それ以来、今のところ、ほとんど感じられなくなっています。

その効果は、今後、特に今後の僕の行動によって分かるのだと、思っています。


妻は、このあと、数名のモニターさんを募集して、 もう少し実践経験をした後、
本格的に個人セッションを開始する予定です。

ご興味がおありの方は、どうぞ、今後の案内をお待ちください。

2013年10月17日木曜日

二人の宇宙が違う

 対立するのは、
 「相手のことが理解できないから」
 なんですね。

 自分が住んでいる世界が、相手と違っていたら、
 理解できないのは当たり前なのです。

 私なりの表現で言いますと、
  「二人の宇宙が違う」
 のです。

 あなたは、あなたの宇宙空間に住んでいます。

 それは、
  「あなただけの宇宙」
 なんです。

 その世界で、ひたすら、自分にとっての正義を通しているのです。

 自分の主義主張、正しさを押し付けると、
 相手は怒ってきますよね。
 それで、夫婦喧嘩となるわけです。

 怒りだして対立した状態、というのは、
 同じ家の中で、「二つの宇宙空間」があるのです。

 だから、どんなにあなたが正論を言っても、
 空間が違っていて、波長が合わないのですから、
 相手は受け入れないのです。

 「分かり合える」というのは、
 相手と波長を合わせることなのです。
 波長が合ったときに、空間が一つになります。
 相手と調和している状態です。

 あなたが、自分の正しさを主張しているときは、
 向こうは、同じ力で、自分の正しさを主張してくるでしょう。

 この力は、まさに、『作用反作用の法則』で、
 あなたが押す力と同じ力で、相手も押し返してきます。
 ですから、力や感情で、相手を押さえ込むことはできないのです。

 しかし、あなたが相手を肯定し、波長を合わせてあげれば、
 瞬時に、同じ宇宙空間に戻り、一つに溶け合います。

 相手と対立したり、裁いていると、苦しいですよね。
 でも、肯定し、受け入れると、楽になります。
 それが、相手と波長を合わせることになるのです。

 これは、
  「自分の波長を下げる」とか「上げる」、
 ということではありません。
  「空間を拡げて、包み込んでしまう」
 ということです。

 自分の空間が広がると、相手の周波数も入ってきますから、
 相手の感情を理解することができます。

 それは、
  「100%、相手を受け入れてる状態」
 ともいえるでしょう。

  「周波数が拡大する」
 すなわち、
  「自分の空間が広がる」
 というのは、
  「目の前にあるものを、どれだけ、肯定しているか」
 だと言えます。

 あなたの空間に否定するものは、本来、何も無いのです。

 私たちは、
  「どれだけ、目の前の現実を肯定できるか」
 という旅を、続けているのです。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より

2013年10月16日水曜日

「しよう」と思って行為することは、うまくいきません

 おもしろいマジックを見せてくれることで
 有名な喫茶店が、九州にあります。

 私も何回か行ったことがあるのですが、
 穏やかな人柄のマスターが、
 いろんなマジックを見せてくれます。

 その中に、
 タバコでコインに穴を開けて、シューっと通してしまう、
 というのがあるんですね。

 どうしてそんなことができるのでしょうか?

 マスターは、
 「コインだと思っていると、穴は開かない」と言うのです。

 まず、コインを紙だとイメージします。
 で、タバコを千枚通しとかボールペンのように、
 硬くて先のとがったものだとイメージできたら、
 スッと入っていくのだそうです。

 そのイメージの練習を、マスターは、毎日やっているんですね。

 で、ある日、お金持ちの男性が店に来て、
 「オレの前でタバコでコインに穴を開けたら、500万円やるよ」と言って、
 500万円の札束を目の前に置いたんだそうです。

 そうしたら、できなかったそうです。
 ここがとても人間らしいところで、
 やっぱり、欲が出るわけです。

 だから、自我が働こうとするのです、
 「なんとかしよう」として。

 頑張って「しよう」「しよう」とするのは、
 「できないかもしれない」と疑ってる、とも、言えます。
 だから、できないのです。

 自我は、いつも、「しよう」と考えるのですが、
 なんであれ、「しよう」と思って行為することは、うまくいきません。


津留晃一 『 津留さんが、心から、伝えたかったこと 』 より

2013年10月15日火曜日

「悪いことではない!」勇気を持って、ジャッジしてみる

(「 マイナスは雪だるまのように拡がっていく 」の続きです)
 

 で、もう、痛みを感じた時に、
 その理由をすぐ考え出す自分に気づいてほしいんですね。

 で、理由を探さないんです。

 「理由を探さないようにする」
 っていうのはどういうことか、っていうと、
 理由を探すっていうのは、
 それを「悪いことが起きてる」と理解するわけです。

 え~、頭痛がしだしたら、どうですか?
 すぐ理由を考え出しませんか?

 「あ、働きすぎだ」とか、
 「あ、ここの肩がこってる」とか、
 「なんでだろうか?」って、
 すぐ考えると思うんですね。

 で、考えても、何も、実は、埒(らち)が明かなくて、
 考えて原因が見つかると、
 原因を否定して、自分が否定される。
 それで、また、その痛みは拡大していく、
 という循環をとるんです。

 で、ポイントはですね、
 「悪いことが起きてる」、
 ただ頭痛がするだけで「悪いことが起きてる」って、
 こう判断するわけです。

 けども、え、
 「悪いことではない!」
 勇気を持って、ジャッジしてみてください。

 頭痛だけじゃない、どんなことでも、
 痛みがあったら、
 「悪いことではない」
 「ただ、痛みが起きてる」

 じゃあ、どうすればいいか?
 「あっ、これを少し感じてみよう」

 そして、そのエネルギー、
 まず、「あっ、ここに痛みがある」っていうことを、事実を認識します。

 頭が痛かったら、「ここに痛みがある」って事実を認識します。
 認識すると、はっきり「他」としてながめられるようになる。
 しっかりそれを認識したら、そのエネルギーの中に、
 スッと入ってみるんですね。

 で、これがうまくできるようになると、
 エネルギーと一体化します。
 一体化すると、不思議なことにですね、
 どんな痛みのエネルギーも、そのエネルギーと一体化したら、
 それを「痛み」と感じないんですね、一体化してしまえば。

 え、これは本当ですから、ぜひ、挑戦してみてくださいね。

 まず痛みがあったら、「どうしてか?」って考えないんですね。
 そして、感じることです。
 まず感じてみる。

 「あぁ、痛みがある。痛みがある。痛みがある」
 じっと感じていると、はっきりそのエネルギーそのものを
 認識できるようになります、感じてたら。

 「あ、ここにエネルギーがある」
 認識できます。
 え、対象物として。
 自分の痛みを、エネルギーとしてはっきり認識できるようになります。
 認識できたら、サッとその中に入る。
 そうすると、一体化します。
 一体化したら、痛みを感じなくなります。

 これは、今、頭痛のことを話しましたが、
 そべてのことが、そうなんですね。

 そうすると、逆に、気持ちよくなってくるんですね。
 そうすると、悪いことが起きてるように感じなくなる。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より


2013年10月14日月曜日

マイナスは雪だるまのように拡がっていく

(「 蚊とか蜂とか 」の続きです)

 で、本当は、そういうエネルギーの集大成として、
 自分が人を、こころの中で攻撃して。

 え、1日10回攻撃する。
 1年経ったら、3,650回攻撃することになるわけですね。

 で、当然それは、自分に返って来るわけですね。
 「与えるものは、受け取るもの」として。

 で、ど~っと攻撃されると、
 攻撃された人そのものを、こう、非難しますよね。

 だから、ここが大切なところなんですけれども、
 -略-
 え、みなさん、自我の日常の働きっていうものを
 知ってほしいんですけれども、
 まず、日常生活で、自我が考え始める瞬間っていうのは、
 こころに痛みを感じた時なんです。

 こころに痛みを感じた時に、すぐ、自我が考え始めます。
 何を考えるか?
 痛いんだから、理由を考えるんですね。

 で、今日、これだけ、ぜひ、持って帰ってほしいんです。

 痛みを感じた時に、「どうしてだろうか?」って理由を考える。
 これを、もう、止めようと思ってほしいんですよね。

 どうしてかっていうと、
 理由を考えると、すぐに犯人探しを、原因探しを始めます。

 原因探しを始めて、
 「ああ、自分が悪かった」と思ったら、自分をとがめます。
 え、それが、ある病原菌だったら、病原菌をうらみますね。
 ガンのウィルスをうらんだりします。

 何であれ自分ですから、
 原因を見つけると、それをとがめて、
 とがめると、そのとがめは自分に返って来るわけですね。

 そこで、まず、痛みが来ると、頭で原因を探して、
 原因探しで原因が見つかると、それをとがめるんです。
 とがめると、とがめ返される。
 そこで、痛みが倍加されるわけですね。
 もともと痛いものが、倍加されます。

 こうして、マイナスは雪だるまのように拡がっていくんです。
 これが、みんさん、普段体験していることなんです。

 もともと根っこにあるのは、実にささいなことです。
 チクッと痛んだ時に、バンッと攻撃してしまう。
 攻撃すると、攻撃が返って来て、
 その痛みが倍になっていく。
 倍になるから、また攻撃する。
 また攻撃される。
 で、雪だるまのように、進んでいきます。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より

2013年10月13日日曜日

蚊とか蜂とか

 新しい地球に、え~、私は、
 蚊とか蜂とか、いらないなぁと、思うんですね。

 そう思いませんか?
 蚊とか、蜂とか。

 「じゃ、あれ、なんだろうか?」って、
 ぜひ考えてほしんです。

 チクチクチクチク刺しますね。
 私たちの集合意識に中に、あの性質がある、
 ということを物語っているだけなんです。

 で、よ~くよ~く、自分のこころをチェックしてみてください。

 家の中にいて、
 「またこんなところに靴下脱ぎ散らかして」
 「また散らかしたまんまだ」
 「また電気つけっぱなしで」

 こころの中で、四六時中、
 チクチクチクチク、人を攻撃してるんです。

 ぜひ、そのことを、気づいてください。

 これがある限り、蚊は存在し続けることになるんですね。

 で、離婚とか、失業とか、失恋とか、大きな問題になると、
 みなさん、真剣に考えますね。
 で、反省もします。

 大きな問題は、反省もしますから、
 考え方も変えようとします。

 ところが、けっこう、え、
 「あの人、あんなしゃべり方して、口汚いわねぇ」とか、
 「なにあの人は。センス無いわねぇ」とか、
 日常、かなり、自分の価値観で、
 人をチクチクチクチク、こう、刺してます。

 それに対して、実は、ほとんど気づいてない方が多いんですね。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より


2013年10月12日土曜日

「こうあるべきだ」の掃除

(「 今、目の前に、あるんです、悦びは 」の続きです)

 「しないといけない」「しなくていい」
 いわゆる、これ、「良い」と「悪い」なわけです。

 で、「良い」と「悪い」という価値観に基づいて、
 自我は、「良い」ことをしようとして行動していきます。

 それは、その反対が必ずある、っていうことだから、
 一枚のコインを手に入れようとすると、
 長所と短所があるわけですね。

 みなさん、今まで、自我の追い求めるもの、
 名誉であれ、地位であれ、
 どんな喜び、追い求めるものには、
 必ず、反対があるんですね。

 で、本当は、
 その反面、裏っ側が、
 その喜びを作り出してるんです。

 ところが、その反面を、
 みなさん、悪しきものだと思ってますから、
 必ずそれで、しっぺ返しが来ます。

 で、この「良い悪い」の掃除、もっと、
 ぜひ一番最初に取って欲しいのは、
 よく聞くことだと思うんですけれども、
 「良い」の強いやつで、
 「こうあるべきだ」。

 「夫は こうあるべきだ」
 「職場では、従業員は こうあるべきだ」
 「社長は こうあるべきだ」
 「上司は こうあるべきだ」
 「先生は こうあるべきだ」
 「生徒は こうあるべきだ」

 これもね、あの、まだまだ、
 この職場とか、家庭の中では、
 たくさん持ってるんです。

 たとえば、主婦の方で、
 料理・夕飯の支度をして、
 「よくやった!」と思う人はいないと思うんですね。

 普通の「良い」だと、
 料理をして、で、料理ができたら、
 本当は喜びを感じるんですね。

 「良い」と思ってるだけだったら、
 良いことをして、それが、料理が完成したとき、
 喜びを感じます。

 ところが、
 「主婦とは料理を作るべきだ」と思ってると、
 料理を作るのが当たり前になっちゃってるわけです。

 だから、この「べき」の場合にはですね、
 良い場合の「喜び」が生まれないんです。
 「当然」なんですね。
 「して当たり前」。

 ところが、今度逆に、反面が出た時には、
 「とんでもない!」
 「料理サボるなんで、とんでもない!」
 「とんでもないことだ!」
 極端にとがめて。

 「べきだ」っていう考え方は、
 もう「とがめ」以外、存在しないんです。

 「良い」だったら、
 まず、「良い」と「悪い」で、
 これ、ご破算(はさん)になるんですよね。
 「良い」と「悪い」でご破算になるんです。

 「努力したら、報われる」
 どんなに努力がきつくても、
 努力に比例して、その結果が、良い結果が出たら、
 報われるでしょ?

 報われると、
 その努力の苦しみっていうのは、
 全部一緒にご破算で、きれいに消えちゃうんですね。

 ところが、
 「職場では、仕事して当たり前」
 「こうあるべきだ」
 って思ってると、
 仕事やったことに対して、あんまり喜びがないわけですね。
 当たり前になっちゃってる。

 そして、サボる罪悪感だけが、こう、倍加してくるわけなんですね。

 で、あの、こういう話もいつもしてることですけれども、
 日常、それをほったらかしてて、
 で、よ~く気づいてみると、
 しょっちゅう、人をとがめたり、自分をとがめたりしてるんですね。

 あの、ぜひ、
 その「とがめる自分」に気づいて、掃除していく、
 ってことを、やってください。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より

2013年10月11日金曜日

今、目の前に、あるんです、悦びは

 ぜひね、もう少し、自分に意識を向けてください。
 で、これからの人生、 -略- 
 どれだけ自分に意識が向いてるか、
 これをチェックして欲しいんです。

 人のことなんか、ど~~~~でもいいんです。
 -略-
 私たちの目は、外を向いてます。
 そして、そういうことに興味を持っているのは自我で、
 実は、そういう自我が、常に日常の中で、
 例えば、テレビをつけてみたり、
 本を読んでみたり。

 あの、今ここにある、
 今、ここ、目の前に、みなさん、
 神を見、神を聞き、神に触れている。

 なのに自我は、
 常にここから意識をそらすことばっかりやってるんです、
 日常的に。
 常に、何かしようとします。
 今この瞬間から意識をそらすんです。

 それを、強制的に、今ここに戻す。
 それをぜひやって欲しいですね。

 で、この話は、本当に根気よくしなくちゃいけないことなんですけど、
 日常生活をよ~くチェックしてほしいんです。
 自分がいつも何をしているか。

 常に暇さえあったら、「今度何しよう?」と、考えてますね。
 で、この世界で何かをするってことは、
 もうほとんど価値の無いことなんですね。

 自分の中にある神を発見していく、この悦(よろこ)び。
 これはもう絶対的で、微動だにしないものなんです。

 しかし、ほとんど、日常生活の中で興味があるもの、
 例えば、ステキな彼がいたら、その人のことばっかり考えてる。

 確かに、いいものはその人に喜びを与える。
 しかし、それは二極のものであって、それが無くなる苦しみ。
 今までのこの二極の世界っていうのは、
 必ず、得て、失っていく。
 手に入れて、無くしていく。

 けど、そんなものじゃなくて、
 絶対に無くならないものがあるんです。
 目の前に。

 で、ぜひその、いつも意識、
 目の前、ここにあるすばらしいものから意識をそらそうそらそうとしてる
 自我の働きに気づく訓練をしてくださいね。

 山の頂上にあるわけじゃあないんですね、悦びは。
 今、目の前に、あるんです。

 ところが、自我は、「そんなはずはない」って思うんですね。
 「今ほどつまんないものはない」って。

 それは、長い間感じなかったせいであって、
 いつも今がつまらないのは、
 今ここにいるチャンスに、「明日どうしようか?」っていうことを
 考えているためなんですね。

 ぜひぜひ、この瞬間瞬間に意識を戻す訓練を。
 これだけは、報いられますからね。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より

2013年10月10日木曜日

自分に気づく訓練・儀式・アファメーション

 今、一生懸命考えてるでしょう?
 これが、自分の今の一つの問題だと思ってください。

 日常たくさんのことで、
 さっき私が、例えば、
 「またこんな所に靴下脱ぎ散らかして」とか、
 「またこんな所にかばん置いて」とか、
 それから、
 「もうちょっと静かにしてよ」とか、
 「いま忙しいんだから静かにしててよ」
 こういう想いを、日常、振りまいてるんです、みんなね。

 で、思い出せないでしょ?
 すなわち、気づきもしないわけです。
 これが最大の問題なんです。

 とことん自分自身を痛めつける、
 その否定的な想いっていうのは、
 全部自分に返ってくるんだから、
 全部自分を痛める想いなんです。

 その総和として、実は、そういう現象が起きてるんです。
 だから、それを直そうと思っても、ダメなんです。

 で、まず、浄化するためには、気づかないといけないわけです。
 自分が否定的な、何かをチクッと刺すような想いを出した瞬間に
 まず気づけないことには。
 それで必ずチクッとここが痛んでるんですねぇ。

 で、気づく訓練をまず最初にしてください。
 気づけば、掃除ができるんです。

 で、掃除するためのテクニックは、
 その、テクニックだから、
 そんなに難しくはないんです。
 やれば取れるんです。

 ただ、気づかないものはどうしようもない。
 まず、気づく訓練。

 で、気づく訓練の最初にやるべきことは、
 「私は もう絶対に 何も とがめない」って、
 まず、決心からです。
 最初にやることは。

 一度、儀式をやってください。
 自分の目の前に、自分のハイヤーセルフっていうのをイメージするんです。

 どんな姿を与えてもいいんです。
 エネルギーですから。
 どんな姿でもいいんです。
 自分の好きなイメージを与えて。
 神々しい姿がいいでしょう。

 で、自分の内なる神に向かって宣言するんです。
 「私はもう絶対に 自分をとがめない。人をとがめない。何もとがめない。」
 「私は絶対に 何も否定しない。自分を否定しない。人を否定しない。」
 そういう宣言をするんです。
 こういう儀式です。

 で、その後、まだする必要があります。
 えぇ、「気づく」っていう作業も、実は、自我がやるしかないんです。
 そこで、自分の中で、自分の中から出てくる否定的な想念を気づかせる
 見張り番を作る必要があるんです。
 新しい自我です。
 え、審判員ですね。
 ピピッ って笛を吹いてくれる審判員。
 それを作る必要がある。

 それを作るのは、アファメーションを使うといいですね。
 アファメーション。
 え~、毎日、朝晩、50回ずつ、今の言葉を言うんです。
 毎日毎日。
 「私はもう 自分を否定しない。人を否定しない。何も否定しない。」
 これを50回、朝晩。
 毎日これを50回。

 これをどのくらいやればいいかっていうと、
 もうちゃんと、否定的な想念が出たら、
 パッと「あっ、否定してる」って気づけるようになるまで。

 そうしたら、もう必要ないです。
 もう、自我が育ってますから。

 で、最後は、その自我も取ることになるんですけれども、
 それまでずっと、これから1年くらいは、
 その自我が活躍してくれます。
 そうしたら、ちゃんと気づけるようになります。

 だから、まず、すぐ気づける強~い自我を、
 エネルギー体として、作り上げる必要があるんですね。

 ぜひやってみてください。


津留晃一 講演会CD『 「新創世記」大阪編 』 より

2013年10月9日水曜日

明日することが自然に

 (「 自分に気づく 」の続きです)

 今、呼吸に意識を向けてください。
 呼吸に意識を向けたら、
 自分が今、息を吐いているのか、吸っているのか、
 どちらかですよね? ね?
 それ、すぐ分かるでしょ?

 それを、絶対に忘れないんです。
 自分が今、吐いてるのか、吸ってるのか。

 起きてる時間のすべて、それに気づいていられるようになれば、
 もう、悟った人になるんです。
 簡単なんです。

 言うのは簡単ですね。
 後は、できるかできないか。

 これがまた、まず、私もやりましたけど、
 3年以上かかりましたね(笑)

 で、ふぅー っと反応した時には、
 反応心の中に埋没しちゃってるわけなんです、もう。
 その時には、思考がもう、グルグルグルグル回ってます。

 それからすぐ出る、という努力。
 まず気づく。

 どうするかっていうと、呼吸に意識を向ける。
 この努力を四六時中すれば、必ず自然に変わってきます。-略-

 そうしたら、え~自然に、
 明日することが自然に、ポンポンッ と。
 呼吸を見張ってたら、内側から行動要求がポンッと来るわけです。

 必ず来ます。
 内側から。
 未来の自分から。
 次は何をするか、もう決まってるわけですから。
 未来の自分からポンッと行動指図(さしず)が来るわけです。

 行動指図っていうより、
 「したい」っていう、
 「ああ、これしよう」っていう想いですね。

 強い欲求じゃあないんです。
 してもしなくてもいいんです、私たちは。
 ただ、こうしようっていう想いが、ポンって来ます。

 で、それがパッとできればいいんです。
 パッと来たものを、パッとする。
 そうするといつの間にか、
 「あっ、これが、私、したかったことだ」って、後から気づきます。

 そして、その仕事、ずっと続けた方がいいのかどうかとか、
 それが自然に起きてきます。

 続けているかもしれないし。
 え~、昇進の仕事、
 引き受けてるかも知れないし、引き受けてないかもしれませんね。

 で、その時、本当に、分かりますよ。
  「あっ、ごめんなさい。お断りします。」
 ポッ と口から出てきますから、ほっといても。
  「あ、ありがとうございます。やらせていただきます。」
 って、口から出てきます。

 それで分かります。
  「へぇ~、あ、オレ、これやるのかぁ」
 言葉が出てきますから。
 いつも観察してたら分かります。
  「あぁ、そうか」

-「じゃあ、あんまり頭でゴチャゴチャ考えないほうがいいんですね?」

 考えてかまわないけど、考えても、何一つ生産されないんです。
 生産されると思い込んでるんですね。
 意外な答えでしょ?(笑)

 あの、行動することはどちらでもいい、って思ってください。
 どちらでもいい。
 どちらでもいいと、思えるかどうかですね。

 恐れがあったら、そうはいかないわけですよね。


津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座10 』 より


自分に気づく

 今ね、今、自我が働いたんです。
 自我はすぐ「しよう」とするんですね、何かをね。

 「恐れはいらない」と思ったら、
 恐れを「取ろう」「取ろう」とし始めるわけです。
 ここで知識として「恐れはいらないんだ」って分かったら、
 自我は知識を使って、それを取ろうとし始めます。

 ところがですね、よくできてます。
 これ、パラドックスなんです、この世界は。
 だから、自我が取ろうとすると、取れないんです。

 もういっぺん言いますよ。
 取ろうとするものは、取れないんですよ。
 自我のやろうとすることは、上手くいかない。

 今日、絶対、これだけしっかり頭に入れて。
 自我がやろうとすることは、上手くいかない。

 これがまた、難しさでもあるんですね。

 すぐ自我が出てきます。
 すぐ、「じゃあ、どうすればいいか?」って聞いて、
 それをしようとするわけです。
 でも、なかなかそれ、上手くいかないんです。

 で、恐れがここに来たら、
 取ろうとしたら育ててしまうんです。
 だから、自分のその反応に気づく必要があるんですね。

 ただ、恐れが来た。
 「ああ、来た来た来た」って見てる分には、消えていくんです。

 「あ、やだやだ。何とかしなきゃ。
  あ、そうだ。津留さん、ああ言ってたから、これ取ろう。
  あ、見ればいいって言ってたから、ようし。」
 これ、取ろうとしてますから、、エネルギーを育ててしまうんです。

 そこで、ちょっとそのクセが直るまで、
 まず私が勧めるのは、自分に気づくことを勧めるわけです。

 「何とかしよう」とするんじゃなくて、
 すぐ何かしようとしますから、
 そうしたら、すぐそれに気づく。

 だから、気づくことに意識を向けていくんです。
 気づこうとするんです。
 常に自分に気づく。
 何かをしようとする自分にだけじゃなくて、すべて。
 いわゆる、自分に見張り番を立てる、っていうことです。

 どうしてかっていうと、
 私たちの意識は、いつも他人方向に向いています。
 外側に向いているんです。
 目が外側に向いているから。

 これは、ただ観察してるだけなんです、外の世界を。
 ただ観察してるだけなんです。

 観察してる対象を変えようとしてるわけなんですね、
 人間というのは。
 ただ観察してるだけだから、観察して、当面、観察して、
 何かが起きると パッ と自分の中に反応が来ます。

 ポッ と波打ったり、
 「またぁ~」とか、
 いろんな反応が来ます。

 その、自分の中に生起する、その反応に気づく努力をするんです。
 最初はまず気づくことだけ。
 見張り番を立てる。

 それのやり方として、私が勧めてるのは、
 呼吸に意識を向けてください、って言ってるんです。

 呼吸に意識が向けてたら、
 ピッ と こう 反応した瞬間が分かるようになります。
 呼吸に意識を向けてると、ちゃんと向いていれば、
 自分の中の反応が、すぐに分かります。

 ところが、意識が外に向いてると、自分の中の反応に気づかない。


 津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座10 』 より


2013年10月6日日曜日

恐れがあるから、できない

 自我というのはですね、
 何かを「しようとする」んですね。

 そして、なかなかやらないんですね(笑)
 しようとする自我は、「どちらがいいだろうか?」って、
 まず、考えはじめるわけですね。

 「やりたいことをやりたい」という想いがあるでしょ?
 だから、やりたいことはすればいいだけだから、
 悩むような問題ではないんですよね。
 このポイントが分かるかどうか。

 ただすればいいんですよね。
 でもほとんど、
 「どうやって?」
 「ほんとうにいいのかしら?」
 考えてる時間はあるんですね、それね。

 で、やりたいことをちっともやらないんですね。
 「うまくいくだろうか?」って、考えてるんです。

 「うまくいくだろうか?」って考えて、幸せになります?
 ならないでしょ?

 「うまくいくだろうか?」
 これ、悩みの状態なんですね。
 だから、考え始めたら、悩みをふくらませるわけ。
 悩みの世界に こう 意識を送り込むわけだから、
 自分の悩みの空間を拡げてるだけなんです。

 で、自我はそんなことしたいと思ってないんです。
 したいことがあったら、すればいいんです。
 ただ、すればいい。

 で、それができないのは、恐れがあるからなんです。
 ここをみんな、はきちがえてるんですね。

 恐れがあるから、しようと思ってもできないんだ、って、
 知らないんです。
 だから、考えるんです。

 でも、考えてもダメなんです。
 したかったら、ただすればいい。
 それを妨げるのが、恐れなんです。

 で、その恐れをしっかりキャッチする必要があります。

 で、恐れは、やりたいことをし始めたら、
 これ、始めなくてもいいんです、
 「やる」って決めてしまった段階で、
 「やろう」って行動しようとすると、
 グーッと、恐れが出てきます。

 だから、まず、やりたいことをする、って決めることです。
 「自分は自分らしく生きたい」っていうことを、まず決めるんです。
 で、「やろう」って、一歩踏み出そうとしたら、
 必ず、恐れの方がグーッと来ます。


津留晃一 講演会DVD『 幸せテクニック講座10 』 より


2013年10月5日土曜日

集合意識・全体性

妻が、昨日、ブログを更新しました(「 ある日の体験 」)。
とてもすばらしい内容で、その気づきに、体験に、感銘しました。

前半では、みんなで一人なんだ、全体で一つなんだという気づき、
その体感について、書いていました。

いわゆる、「集合意識」について触れていますが、
僕の場合、この概念が、長い間、どうも、理解できませんでした。
理屈的にはわかっても、どうも腑に落ちない・体感できていない感じでした。

スピリチュアルな学びの中で、そのうちの頭での理解の中で、
いくつか、壁となって、しばらくそこで理解が進まなかった概念があるのですが、
「集合意識」というのは、その一つです。

ちなみにいえば、もう一つには、「タイムライン」の概念があります。
機会があれば、それについても、書きたいと思います。

逆に言えば、これらのことが理解できた時、
一山越えたかのように、すーっと、その他の理解も進んでいきました。
ただ、おそらく、これは、僕の個人的な体験です。
みなさんは、また、違った経緯をお進みのことでしょう。

さて、集合意識といった概念や、すべてが一つであるといった考え、
あるいは、すべてが神であるという考え、そういったものへの理解・納得は、
僕の場合、今年に入って、急速に進みました。

この春、知花敏彦先生や、そのお弟子さんの飯島秀行さんの本を、
立て続けに何冊か読んだのですが、そのうちの1冊を読んでいるときに、
突然、「あぁ~~、そうかぁ~」と、身体全体で理解するように、
すぅ~っと、身体の中に入ってきました。
曇りがちな空から降りてきた、やわらかい陽ざしが差し込める、電車のシートの上で、
本を手にしながら、その理解に、体感に、至福を味わっていました。

 見えるものも、見えないものも、すべては同じものでできている。
 すべては同じである。
 すべては一つである。
 すべては神である。

今、この時点では、その時の体感のようなものは、
正直、ずいぶんと薄れてしまっていますが、
それ以来、その理解への確信は、身体の中に留まっています。

よく言われていることですが、
おそらく、地球全体が、今、そのようなエネルギーになっていて、
つまり、「分離」の時代から「統合」の時代に移って来ていて、
そういうこと、全体性や一体感について、理解しやすい状況なんでしょうね。

妻のブログを読んで、そんなことを思いました。

2013年10月4日金曜日

強い北風に

普段、ジョギングや散歩に使う道は、南北に一直線の道です。
いつも、行きは北に、帰りは南に進むので、
北風が強いときには、往路はずっと向かい風、復路はずっと追い風になります。

今朝のジョギングは、まさにそんな状況でした。

あまりに強い北風に、行きは、
「どれだけ前傾しても倒れないか」と、
「一歩がどれだけ風に押し返されて短くなるか」を、
ただ、自然と、楽しんでいました。

帰り道は、普段よりも上に跳ねるようにして、
「どれだけ前に押し流されるか」を楽しみました。

今朝、僕は、自然と、往路も復路も楽しんだのですが、
考えてみれば、これ、「ポジティヴ・シンキング」と同じですね。

津留さんが言っていたように、
どんな物事にも、プラス面とマイナス面を見つけ出すことができます。
そして、解釈によって、常にプラス面を見出すことが、
ポジティヴ・シンキングですね。

ただ、津留さんが続けて言っていたのは、
プラスを生めば、必ず、マイナスを生む。
プラスの解釈をすれば、必ず、同じ基準によって、マイナスの解釈を生み出す。
ということです。

何かの考え・基準を持てば、必ず、プラスとマイナスの両方を生み出す。
そして、考え・基準を持たなければ、手放せば、
ただそこには客観的な現象があるだけだということ。

今朝、そこにあったのは、ただ、「風が強い」という状況でした。

それを「楽しむ・苦しむ」のも、「いい・悪い」と解釈するのも、
すべて、自分の中の考え・基準・条件を通してです。

そして、もちろん、何も考え・基準を持ち出さず、
ただ、その風の強い状況を体験する、ということもできます。

それらを決めているのは、すべて、自分です。
自分の内側であり、外的な状況ではない、ということです。

「どうすべきか」の話ではありません。
それを決めるのは、個人の選択です。
ただ、そのようになるのは法則だ、ということです。

今朝の強い北風に、そんな津留さんの言っていたことを思い出しました。

2013年10月3日木曜日

3次元から5次元に上がるトンネルを掘ってる

 自分にハイヤーセルフがいることを信じてください。
 ポイントはこれだけです。

 そして、今ある現実がベストだっていうことですね。
 「今あるこの瞬間がベストだ」って、ここを信じた人だけができるんです。

 ベストというのは、グッド - ベター - ベスト って言って、最上級なんですね。
 今、職が無いのは、ここがベスト、最上級なんです。

 で、そのお金の無い怖さを体験する必要があって、体験して、
 これが怖くなくなったら、今、何が怖いんです?ね?
 お金克服できたら、強いですよねぇ。 -略-

 これ、誰かが克服する必要があって、
 先に克服しようと決めた人だけが、私の話を聞きに来るんですよね。

 そして、私たちの生活ぶりを見て、他の人が、
 「あんなことして生きていけるんだったら、私もやってみよう」と、
 後からついて来ることができるわけです。

 ちょうど私は、3次元から5次元に上がるトンネルを掘ってる状態なんです。
 一人で先頭で土を落として、私は真っ暗闇の中を進んでいるんです。
 先は誰もいないんですね。

 でもそれ、私がかき出した土を、誰かが運び出してくれる必要があるんです。
 こうやって、みなさん、聞きに来てくださるみなさんが、運び出してくれるんですね。

 そうすると、みなさんが土を運び出してくれたら、
 その真っ暗なトンネル、後から、「じゃあ俺も」と言って、
 ロウソクをつけて次の人は歩いて、まだ次の人もまだ恐る恐るですね、
 ロウソクで歩いて来ます。

 そうすると、ロウソクで歩いて来た人が、
 「向こう、すばらしい世界だったよ」と言うと、
 「じゃあ投資しようか」と言って、電線を張り、電気をつける、
 投資してくれる人が出てくるんです。
 この道が整備されるんです。

 そして、大多数の8割の人は、ゆうゆうと、
 みなさんが作ったトンネルを、楽しみながら歩いて来るんです。

 で、その人たちがいるから、我々は金銭のことを心配せず、
 今、食っていけるんです。
 さっき言った、最低何もしなくても食っていける状態は、
 やっぱり8割の方が経済活動をしてくださっているからなんです。

 だから、役割なんです。
 先に覚醒して、お金の要らない社会を作るために、
 お金なんて無くて生きていけるんだって実践する人を、
 今の日本の経済人が支えてくれてるんです。
 だから、一緒に行くのと同じなんですね。

 だから、今、目の前にあることをやってください。
 何をすればいいか、考えないでください。


津留晃一 講演会CD『 在る 』 より


2013年10月2日水曜日

黄金と虹と

2013年10月1日撮影

 幻想的な光景に出会いました。

 夕刻、夕陽が雲の一部を照らしていました。
 照らされた雲は、流れ落ちるように、南アルプスに垂れかかっていました。
 輝いた部分の左下には、うっすらですが、虹の輝きが現れています。
 下の黄色は、収穫が直前に迫った、黄金色の稲です。

 これから現れる「黄金文明」をくっきりと表し出しているかのようでした。
 それを支えるのは「虹色の戦士たち」なのでしょうか。