2017年3月6日月曜日

アクセルとブレーキ

 
 前々稿 では、
 僕が、
  「上手く行っては、だめだ」
 という、
 強い想いを持っていたことについて、
 書きました。
 
 そして、続く 前稿 では、
 その、
  「上手く行っては、だめだ」
 という想いについて、
 すこし、補足しました。
 
 そして、それらでは、
 あえて、触れなかったのですが、
 
 その前  と さらにその前 には、
  「ダメな『自分』では、だめだ」
 という、
 とても強い想いを持っていたことについても、
 書いていました。
 
 それらの、
  「ダメな『自分』では、だめだ」
 という想いと、
  「上手く行っては、だめだ」
 という想いとは、
 
 もちろん、
 ご覧のとおり、
 お気づきのとおり、
 相反する、正反対の、想いです。
 
 
 意外に思われるかもしれませんが、
 これは、
 僕に限った、珍しい、おかしなケース、ではなく、
 
 実は、
 わたしたちは、
 とても多くのケースで、
 この、
 
  相反する
  対立する
  矛盾する
 「正反対の想い」を、有しています。
 
 このことは、
 普段、多くの場合、あまり、意識していませんし、
 それどころか、ほとんどのケースでは、
 認識すら、できていませんが、
 
 しかし、意外にも、
 多くの方の、多くの場合に、
 このような、「正反対の想い」が、存在しています。
 
 そして、
 気がづいてみると、しっかりと認識してみると、
 この事実は、
 とても重要で、とてもポイントとなっています。
 
 
 たとえば、
  「有名になりたい」
 と、望んでいる人がいるとします。
 
 この人の場合、
 表面的には、強く、激しいまでに、そう、望んでいるとしても、
 
 たとえば、どこかで(多くの場合には、「潜在的に」)、
  「でも、有名になると、自由が無くなるかも、煩わしいかも ... 」
  「みんなに、いろいろと、批判されるかもしれない ... 」
 などと、
 それを望まないような想いも、持っていたりします。
 
 このようなケースであれば、
 日ごろは、
  「有名になりたい」
 と、欲求を感じ、
 
 その方向に進めないと、
 ストレスを感じ、
 
 しかし、その実、
 今度は、その方向に進めたとしても、
 
 今度は、怖さが湧いてきて、
 やはり、ストレスを感じたりして、
 場合によっては、
 自ら、その流れを壊してしまったり、受け取らなかったりして、
 また、元の状況に戻り、
 
 そして、それを、延々と繰り返す、
 といったことに、なったりしがちです。
 
 
 あるいは、別の例として、
 僕の場合の事例でいえば、
 
  「お金が欲しい」
  「収入が増えて欲しい」
 という想いを、明確に、持っているのですが ^^ 、
 
 しかし、同時に、
  「でも、収入が増えることが、怖い」
  「増えたら増えたで、煩わしいに違いない」
  「自分は、高収入には、値しない」
  「自分が豊かになると、付随して、あの気に入らない人間も豊かになってしまう」
 などというような、
 それを否定するような想いも、数多く、持っています。
 
 いえ、僕の、このケースでいえば、
 「拒否する」とさえ言えるような、
 強い想い(恐れ)も、持っています。
 
 このような場合では、
 収入を増やすような行動を、無意識に、避けていたり、しないようにしていたり、
 「お金」そのもののことについて考えることを、無意識に、避けていたり、
 あるいは、お金を受け取るシチュエーションで、不必要な遠慮をしたりと、
 表面意識での欲求とは裏腹な行動を、
 無意識的に、しかもいつも、とっていたりします ^^; 。
 
 
 お金に関する、似たようなケースは、
 個人セッションの場面においても、
 お聞きしたことがあります。
 
  「より多くの収入を得たい」
 という、現在の表面意識での欲求とは、裏腹に、
 
 よくよくお聞きすると、
 かつて、高収入であったときに、
  「自分は、この収入に見合った、活躍が出来ていない」
  「だから、『収入を減らしたい』」
  「『お金は、いらない』。そうして、気持ちを楽にしたい」
 という、
 強烈な想いを、持っていたことを思い出され、
 
 そして、
 かつての、その、想いそのものが、
 現在も、まだ、浄化し切れていないし、
 
 したがって、
  「今よりも、収入が増えること」に対して、恐れがある
 ということを、
 そのとき、はっきりと、自覚されたのでした。
 
 
 これらのような、
 お金に対して、相矛盾する想いを持った状態で、
 たとえば、お金が必要な状況になると、
 
  「お金が欲しい、必要だ」
 という想いが、より顕在化し、強まりますが、
 
 しかし、それに続いて、
  「でも、お金が入るのが、怖い」
  「お金が得られたら、大変だ」
 という想いも、強まってきます。
 
 場合によっては、
 人によっては、ケースによっては、
 この、後者の想いは、
 顕在意識レベルでは、認識できないことが多いかもしれませんが、
 
 こうなると、
 『想っているとおりを、体験する』観点からすれば、
  潜在意識レベルの恐れを現象化し続けて、
  いつまでも、収入が増えない
 と、
 いえるかもしれませんし、
 
 あるいは、別の観点からすれば、
  潜在意識での恐れから、
  お金が増えるようにする行為を、無意識に回避していたり、
  お金を受け取れそうになっても、無意識に拒否(遠慮)したりする
 と、
 いえるかもしれません。
 
 いずれにせよ、このように、
 相矛盾するような想いを持っているケースは、
 探ってみれば、
 実は、意外にも、それほどには、珍しくはないのです。
 
 
 今回の記事は、
 まず、このことを、知っていただければと思い、書きました。
 
 このことを、ご存知だと、
 ご自分で浄化をなさる際に、
 それを進めて行かれる際に、
 とてもご参考になるのではないかと、
 とてもお役に立つのではないかと、思います。
 
 特に、
 何か、望みや、欲求を持っているのだけれど、
 それが、なかなか叶わなかったり、
 状況が、なかなか変化しなかったりする場合には、
 
 まず、自分の持つ「望み」に対して、
 自分の中に、実は、それを恐れる気持ち・想いがないか、
 ぜひ、観察してみてください。
 
 何かのブロックを、浄化しているんだけど、
 どうにも、うまく、浄化できない。
 
 そんな場合にも、
 そのブロックと、相反する、相矛盾する想いがないか、
 ぜひ、探ってみてください。
 
 よく、よ〜く、見つめてみると、
 驚くような、恐れの想い、反対の想いに、気づかれるかもしれません。
 
 この気づきは、
 浄化に際しても、日常生活においても、
 大変に役立つものとなるはずです。
 
 
 せっかくなので、
 すこし、話を続けさせてもらいます。
  
 
 僕は、このような、
 相反する想いを強く持った状態を、
 
  「アクセルを、踏むにつれ、
   ブレーキも、踏んでしまう」
 ような状態だと、感じています。
 
 そして、
  「アクセルを、強く、踏めば踏むほど、
   ブレーキも、合わせて、強く、踏みしめてしまう」
 ような状態だと、感じています。
 
 こんなとき、
 エンジンは、回転数を上げ、激しくうなり、振動し、高温になり、
 ガソリンは、大量に消費され、
 ブレーキは、悲鳴を上げ、熱を持ち、
 タイヤも、摩耗していきます。
 
 各所が、すべてが、消耗していき、
 エネルギーが、消費されていきます。
 浪費されていきます。
 
 車は、激しく、摩耗し、消耗し、
 エネルギーも、大量に、消失していきますが、
 
 しかし、
 車そのものは、まったく、進んでいません。
 
 その場で、
 ただただ、激しく、消耗していきます。
 
 行動は、起こせず、
 状況は、何も変化せず、
 ただただ、激しく、
 身体が、こころが、消耗していきます ...
 
 
 同じことは、
 相撲に、相撲の力士に、
 例えることも、できます。
 
 鬱(うつ)を経験され、
 それを克服し、
 いまは、その治療にかかわっていらっしゃる方が、
 
 以前、
 このように、教えてくださったことがあります。
 
  「鬱というのは、
   二つの考えが、がっぷりと、組み合い、
   互いに、反対方向に押し合って、
   そして、それが、膠着(こうちゃく)してしまって、
   動きが止まってしまっている・取れなくなってしまっている状態です」
 
 相撲で、
 二人の力士が、
 がっぷり四つに組み合い、
 
 互いに、押し合い、技を繰り出し合うも、
 決め手が無く、膠着してしまっている。
 
 そんなとき、
 二人は、力を出し続けているのですが、
 消耗して、疲労して、
 どうにも出来なくなってしまっています。
 
 相手が、降りないかぎり、
 自分も、引くわけにはいかず、
 ただただ、取り組みが続いていきます。
 
 ただ、消耗し続けていきます。
 
 
  「これをやらなければ行けない」
 というシチュエーションになったときに、
 
  「よし、これをやるぞ」
  「だって、やらないわけには、いかないんだから」
 という、頑張り屋の『力士』が、土俵に上がりますが、
 
 続いて、すぐに、
  「でも、どうしても、やりたくない」
  「いや、どうしても、できない」
 という、
 それと相反する、正反対の性質の、
 自分の感情・感覚にとても正直な『力士』が、土俵に上がって、
 
 両者は、がっぷりと組み合い、膠着し、
 いつまでたっても、決着はつかず、
 ただ、エネルギーだけが、浪費されていく ...
 
 わたしたちが、
 何かの件に関して、問題に関して、
 なかなか、行動を起こせなかったり、
 なかなか、本気を出せなかったり、
 なかなか、進展を見いだせなかったりするとき、
 
 実は、このようなことが、
 自分の内側で、起きているかもしれないと、考えてみてください。
 
 
 そんなとき、
 その状況を変えていくための、まず第一歩は、
 
  自分の中で、
  自分の中に居る、二人の『ミニ自我』ちゃんが、
  相撲をとっているんだ
 
 ということに、気づいてあげることです。
 そのことを、認めてあげることです。
 
 まず、
 そう、認識なさってください。
 
 内側の状況を、内側で起きていることを、
 しっかりと、把握すること。
 
 それが、第一歩です。
 
 
 続いて、
 もし、それが、しっかりと、できたなら、
 認められたのなら、
 
 その次には、
 その、二人の『ミニ自我』ちゃんが、
 それぞれ、
  「何と言っているのか」
  「何を思っているのか」
  「なぜ、戦っているのか」
 を、聞いてあげることです。
 理解してあげることです。
 分かってあげることです。
 
 
 このプロセスは、
 もう一つの比喩でいえば、
 
 まず、アクセルを踏んでいること、
 同時に、ブレーキも踏んでいること、
 それに気づき、それを認め、
 
 そして、
 では、なぜ、アクセルを踏んでいるのか、
 なぜ、ブレーキを踏んでいるのか、
 その理由を、聞いてあげること、
 理解してあげること、
 受け入れてあげることです。
 
 これができると、
 内側が、格段に整理され、
 内側への理解が、格段に進みますし、
 
 自分の取れる行動が、取れる対応が、変わってくる、
 ケースによっては、状況・外側のほうが、変わってくる、
 そんな流れになってくると思います。
 
 
 そして、そんなときに、
 とても大切になってくるポイントが、
  『ただ』聞いてあげること
  『ただ』認めてあげること
  『ただ』受け入れてあげること
 です。
 
 批判することなく、
 否定すること無く、
 ましてや、
 修正したり、是正したり、更生させようとしたりすることなく、
 
 『ただ』、聞いてあげ、認めてあげ、受け入れてあげることです。
 『ただ』、寄り添ってあげることです。
 
 もし可能であれば、
 理解してあげ、分かってあげられれば、よりベターですが、
 しかし、まず、必要なのが、
 そのままを、認めてあげることです。
 
 否定や是正は、
 彼らに、相撲を続けさせる方向に、刺激を与えてしまいます。
 
 否定すること無く、ただ、話を聞いてあげれば、
 彼らは、相撲を中断することが、止めることが、休むことが出来ます。
 
 なによりも、まず、
 それをさせてあげてください。
 
 
 そして、もう一つ、
 これも、できるならば、よりベターなのですが、
 
 その、二人の『力士』は、
 その、二人の『ミニ自我』ちゃんは、
 
 確かに、
 「『自分』の中」には居ますが、
 しかし、それは、
 『自分自身』ではない、
 
 そう、はっきりと、認識なさってください。
 
 あなたの中に、居るとしても、
 しかし、それは、
 『あなた』では、ありません。
 
 あなたの中に居る
 「人格」「キャラクター」「性質」「エネルギー」『ミニ自我』
 であり、
 それは、
 『あなたそのもの』では、ありません。
 
 そのことを、明確に、認識なさってください。
 
 もし、そうすることができると、
 それらの「存在」に対して、
 これまで以上に、距離を置いてあげることがきます。
 
 それらの「存在」の言い分を、想いを、
 より、そのまま、聞いてあげられ易くなりますし、
 より、そのまま、受け入れてあげられ易くなります。
 
 だって、
 『自分自身』とは、別のものなのですから。
 
 また、
 もし、そうすることができると、
 「自己否定」「自己批判」「自己嫌悪」が、減ってきます。
 
 もし、それらの「存在」への、否定感が残っていたとしても、
 それらの「存在」は、『自分自身』ではないのですから、
 「自己否定」「自己嫌悪」をすることは、ないですよね。
 
 
 実は、この、
 「『自己嫌悪』の想い」こそが、
 彼らを存在させ続け、彼らを育て上げる、エネルギーの素です。
 
 なので、
 それが減れば、減らせれば、
 
 彼らが、徐々に、大人しくなってきます。
 落ち着いてきます。
 休戦の方向へ、和解の方向へと、動いていきます。
 動かし易くなります。
 
 
 相反する、二つの想いが、
 いろいろと、難しく、複雑にしている。
 
 そのことに、
 ぜひ、着目なさってみてください。
 
 ご自分の状況を整理把握する際に、
 ご自分の内側を観察するときに、
 ご自分の浄化に当たって、
 ぜひ、ご参考になさってみてください。
 
 きっと、
 お役に立つことがあるでしょう。
 
 
 そして、その先の、あるときには、
 こう、思われることでしょう。
 
  「あぁ、このおかげで、
   ここまで深く、重く、複雑な、
   『人間体験』を、することができたんだなぁ」
  
  「より深く、重く、複雑な、
   『人間体験』をするために、
   『感情を味わう』ために、
   自ら、手に入れ、握り締めていたんだなぁ」
  
  「でも、もう、十分に、
   『体験』したから、『味わった』から、
   もう、手放そう」
  
  「おかげで、すごい『体験』ができました。
   『ありがとう』
   でも、もう充分です。
   『さようなら、おつかれさま』」