2017年3月17日金曜日
「分からない」ことの、苦痛
先日、
久々に、
「あぁ、分からないな。
どうしたら、いいんだろう?
どうしよう。
たいへんだ!
辛い。 苦しい ... 」
という想いをしました ^^; 。
思い返えしてみれば、
完全なる「思考タイプ」の僕は、
これまでは、しょっちゅう、
この「苦しみ」を感じ、
ときに、頭を掻きむしり
(だから、こんな頭になったのかな? ^^ )、
ときに、押しつぶされそうになり、
「分からない、どうしよう?」
「分からない、知りたい!」
という人生を、送ってきました。
ところが、最近は、
そんな機会が、無くなっていたので、
それが、どんな感覚か、
すっかり、忘れてしまっていたのですが、
今回、
それを感じる機会があり、
そして、
それを、感じてみると、
途轍もなく、
辛く、苦しい、感覚ですね。
僕は、
もう、勘弁です ^^; 。
さて、
今回、この感覚を感じてみて、
では、
「なぜ、この感覚を感じることになるのか?」
を、
チェックしてみたのですが
(そして、その後、
ゆっくりと、無理ない範囲で、浄化しました)、
僕の場合、
それは、
「しなければ、いけない」から
「できなければ、いけない」から
である、
と、
認識しました。
この感覚を感じるケースには、
まず、前提として、
「これを、しなければいけない」
「そして、それを、ちゃんとできなければいけない」
という、想いがあります。
ところが、
それを上手くやるには、
「どうしたらいいか、分からない!」
ので、
「どうしよう?」
「あぁ、困った!」
と、なっているのです。
つまり、
まず、前提として、
「やらなきゃ」
「できなきゃ」
という、
『自我ちゃん』が、『ミニ自我』ちゃんが、
やって来ていて、
思考を支配していて、
身体を乗っ取っていて、
そして、
「その『自我ちゃん』が」、
取るべき方法を、把握できていないから、
すべきことを、明確に、掌握できていないから、
見通しがきかなくて、
先が、未来が、明確に見えなくて、
それゆえに、
焦り、不安になり、困っている ...
そんな状態なのだと、
認識しました。
これまでにも、
「分からないのですが、どうしたらいいでしょうか?」
とか、
「知りたいという気持ちを、抑えられなくて、
考えてばかりなのですが、どうしたらいいでしょう?」
というような、
そんな、お悩みや、ご相談を、
交流会や、個人セッションの場で、
数多く、お聞きしてきました。
僕自身も、
かつては、まさに、そうでした。
そのようなケースでは、
基本的には、
その、
「分からない」「どうしよう」「知りたい」という気持ちそのもの
を、
浄化していただくことを、
お薦めしたり、
お手伝いしたり、
実践したり、してきました。
ただ、
こういうケースでは、
他の浄化の場合と比較して、
その場で、効果がはっきりと感じられない事例が多いと、
変化が感じられず、繰り返してしまうケースが多いと、
感じてきました
(そのために、そのような場合に、
「浄化」とは、逆のアプローチを、お薦めしているのが、
過去記事『 考えてください(思考が止まらない方へ) 』です)。
その、効果が薄く感じられる理由、繰り返してしまう理由が、
今回、分かったような気がしました。
その理由は、
第一には、
この
「分からない」「どうしよう」「知りたい」という気持ちそのもの
が、
ご本人が実感されているよりも、
あるいは、お手伝いしている僕らが、みなしているよりも、
「エネルギー的に強烈である」から、
という可能性があると、思いました。
自分が、今回、
改めて、体感してみて、
この、
「『分からない』『知りたい』『どうしよう?』」君
は ^^ 、
一見すると、
他の、極めて深刻なブロックに比べれば、
強面(こわもて)ではないし、
そこまで悲壮感も漂ってはいないので、
甘く見てしまいがちなのですが、
実は、
かなり、強烈で、切迫していて、
見た目よりも、エネルギー的に強固なのだと、
思いました。
津留さんが言っているとおりに、
エネルギー的に、あまりに強いものは、
それに支配されてしまうくらいに強いときには、
それを、直接、浄化しようとしても、
逆に、上手く、浄化ができないことがあります。
一見したところとは裏腹に、
意外と、このタイプのブロックは、
エネルギーが「強すぎる」タイプで、
なので、その浄化の場合は、
意外にも、し辛いのかもしれません。
その感覚を、
むしろ、少し減らしてあげてから、落ち着かせてあげてから、
その後で、浄化したほうがいいのかもしれません。
そんなことを、まず、感じました。
そして、
もう一つ、別の理由として、認識したのは、
この感覚を感じているときには、
つまり、
「『分からない』『知りたい』『どうしよう?』」君
が、やって来ているときには、
その前提として、
僕の場合で言う、
「『やらなきゃ』『できなきゃ』」君 が、
すでに、やって来ているのだ
ということを、
明確に認識して、
その上で、
この、「『やらなきゃ』『できなきゃ』」君を含めて、
浄化をしてあげる、
場合によっては、
ケースによっては、
この、「『やらなきゃ』『できなきゃ』」君を、
まず先に、浄化してあげる、
そうするのが良いのかも、
と、思いました。
いえ、
もう少し、正確に言うと、
この、
「『分からない』『知りたい』『どうしよう?』」君
を感じているのは、
本当は、
「『やらなきゃ』『できなきゃ』君、そのもの」
なんですね。
本当は、
「『やらなきゃ』『できなきゃ』」君
が、
「分からない」
「知りたい」
「どうしよう」
と、感じ、
騒いでいるんですね。
騒いでいるのは、苦痛を感じているのは、
『僕』『あなた』ではなく、
「『やらなきゃ』『できなきゃ』君」なんですね。
なので、
とても抽象的な話・表現になりますが、
だから、
『僕』『あなた』が、
「『分からない』『知りたい』」君を、浄化しようとしても、
ちょっと、上手くできないのかも、しれません。
「『分からない』『知りたい』」君を、浄化するに際しては、
「『やらなきゃ』『できなきゃ』」君込みで、セットで、
浄化してあげる必要があるのではないか、
と、感じました。
あるいは、
これは、今回、僕が上手く行った方法ですが、
ひとまず、
「『分からない』『知りたい』」君のことは、置いておいて、
そのうえで、
「『やらなきゃ』『できなきゃ』」君に、アプローチして、触れて、
そして、
「その子」を、癒してあげる、理解してあげる、
そうしてあげる必要があるのではないか、
と、感じました。
もし、
これをお読みの、みなさんの中に、
「どうしても、考えちゃう」
「どうしても、知りたい」
という方がいらしたら、
まず、
「なぜ、知りたいのか?」
「どうして、知りたいのか?」
を、
改めて、調べてみてください。
あるいは、
「『誰』が、知りたがっているのか?」
を、
考えてみてください。
それをこそ、考えてみてください。
「その子」は、『誰』で、
なんと、言っていますか?
「『僕』が分からないと、人生が、破綻しちゃう」
と、
「『私』が、きっちりと、理解していないと、
『私』は、死んじゃう」
と、
言っていますか?
その子の存在を、まず、明確にし、
その子に、きっちりと、対面し、
そして、
その子の『言い分』を、しっかりと、聞いてあげてください。
ただ、
聞いてあげてください。
「その子」の恐れを、怖さを、
分かってあげてください。
寄り添ってあげてください。
僕の場合は、
僕の中の、「『やらなきゃ』『できなきゃ』」君が、
「だって、『できない』と、
ダメな『自分』に、なっちゃう。
もっと、だめになっちゃう。」
と、言っていました。
「『やらなきゃ』『できなきゃ』」君が、
「ダメな『自分』」にならないように、
恐れ、怯え、そして、必死に、頑張ってくれていました。
ぼくは、「その子」に、「『やらなきゃ』『できなきゃ』」君に、
しっかりと、向き合い、
その話を聞いてあげたうえで、
「そうか、そうだったんだね。
怖かったね。 辛かったね。 大変だったね。
頑張ってくれてたんだね。 ありがとう。
でも、大丈夫だよ。
ダメな『自分』でも、いいんだよ」
と、
声をかけ続けました。
そうしてあげることで、
「『やらなきゃ』『できなきゃ』」君は、
少し、安心し、
そのおかげで、
僕は、ずいぶんと、スッキリし、楽になりました。
(「ダメな『自分』」については、こちら をお読みください)。
みなさまの浄化のお役に立てばと思い、
シェアさせていただきました。
ご参考にしていただければ、嬉しいです。