2017年3月14日火曜日
I do NOT deserve more !
ハワイから帰国して以来、
すっかり、ハワイに魅了され、
ハワイに関するテレビ番組や、本ばかり、
見ています ^^ 。
先週は、裕子さんが、
ハワイに関するDVDを2本、借りてきて、
二人で、繰り返し、観ていました。
一つは、
裕子さんが、ブログ で、既述のとおり、
『プリンセス・カイウラニ( Princess Kaʻiulani )』で、
ある視点から見た、
ハワイ王朝の最期を、
少し、知ることができました。
もう一本は、
『ファミリー・ツリー( The Descendants )』。
ジョージ・クルーニー主演の、
ファミリーもので(おそらく、フィクション)、
カメハメハ1世の、直系子孫として、
親族たちとともに、
広大なハワイの土地を相続している、主人公が、
その土地を売却するかどうか ...
という、その時期に、
奥さんが、事故で危篤状態になり、
しかも、その奥さんが、浮気をしていたことが分かり ...
オアフ島、ハワイ島、カウアイ島を舞台に、
『家族』が、離れ、繋がる様子を、描いています。
さて、
この、後者、『ファミリー・ツリー』では、
奥さんのお父さん(主人公にとっての、義父)が、
キャラクター的に、アクセントとなっていて、
彼の存在と、言動が、
ストーリーに、
刺激と、深みを、与えています。
そして、その彼が、
娘(主人公の妻)に関して、
" She deserves more. "
と、何度か、口にします。
主人公は、
代々、膨大な遺産を相続していますが、
自らの父の教えに従い、
遺産には手を付けず、
自分が稼いだ分だけで、生活しています。
とはいっても、
不動産専門の、弁護士さんなので、
僕から見ると、
十分に、リッチなのですが ^^ 、
でも、贅沢はせず、
派手な暮らしは、していません。
そんな彼の方針・姿勢に対し、
義父は、こう、言います。
「金持ちのくせに、ケチケチして、
俺の娘には、欲しがるものを、買ってやらないだろ。」
「娘は、とても良い子だ。
しっかりと、働いてもいる。」
「だから、
『彼女は、もっと、与えられて、当然だ』。」
" She deserves more. "
『彼女は、もっと、与えられて、当然だ』
『彼女は、もっと、受け取るに値する』
日本語にすると、
ちょっと、固くなりますが、
こんな感じの意味になると思います。
日本(語)では、
ちょっと使わない表現、考え方ですが、
英語では、
この、" deserve " という単語は、
とても良く、使われますね。
テレビ・映画でも、
よく、耳にしますし、
ニュージーランド滞在中にも、
何度か、耳にしたことがあります。
「(それに)値する」
「(それだけの)価値がある」
「(それに)ふさわしい」
そんな感じの、意味ですね。
この映画を観ている間、
観終わった後、
僕の頭の中では、
この単語が、何度も、リフレインされていました。
前回の記事にも、書いた項目なのですが、
僕の中には、
「もっと、お金が欲しい」
という、欲求・想いがあると同時に、
それとは裏腹の、
「でも、もっとお金を得るのも、ダメだ」
という、恐れの想いも、あります。
ハワイで、
「ダメな『自分』では、だめだ」
という、自分の中の想いに、
これまでよりも、近く・深く、
触れることができて以来、
僕は、
自分の中の想いに、
特に、自分の中の『恐れ』に、
これまで以上に、
気づくことができ、
見つめることができるように、
なっている状態なのですが、
そのおかげで、
これまで、表面的に認識していた以上の、
「でも、もっとお金を得るのも、ダメだ」
という恐れの、
より深く、細かく、繊細な想いを、
感じ、見つめ、触れることが、できています。
そんなタイミングで、
そんな状態で、
この、
" She deserves more. "
という言葉に、接したので、
とても良い機会だと思い、
あるとき、
自分で、自分自身に向かって、
" I deserve more. "
と、言ってみることにしました。
「お金を得るのも、ダメだ」
と想っている自分に対して、
「いや、もっと得るに値する」
と、言い聞かせてみようと、思ったのです。
" I deserve more. "
" I deserve more. "
" I ...
3度目が、言い始まるか、始まらないか、
そんなタイミングで、
自分の内側から、
猛烈な震えが、湧き上がってきました。
自分で、自分に、
本当に、ビックリしてしまったのですが、
心の中から、
ハートの下のほうから、
強烈な震えがやって来て、
身体全体を、震わしました!
そして、
自分の内側の、『誰か』の、叫び声が、
鳴り響きました。
「そんな訳、ないだろ!」
「とんでもない!」
「『もっと』なんて、ありえないだろ!」
身体が震えるほどに、
自分で、自分を、否定していることに、驚きながら、
しかし、冷静に、
その『誰か』の『声』を、
『訴えている内容』を、
もう少し、より詳細に、聞いてみることにしました。
「そんなこと、ありえないだろ。
だって、お前は、
『それだけのことを、やってないんだから』
だって、お前は、
『いつも、怠けているんだから』。」
声の主は、
そう、叫んでいました。
そうだったんですね。
僕の中には、
『お金』を受け取れるか、
『何か』を受け取れるか、それに値するか、
は、
何をしたか、
それによって、どれだけの成果を出せたか、
ということに、依存している
という想いが、考え方が、価値観が、
厳然と、強硬に、存在していました。
特に、
僕の場合に、特徴的だと、感じたのは、
「成果・結果が、大切だから、
成果・結果が出れば、得られれば、それでいい」
という感じではなく、
「結果はともかく(あるいは、結果は当然のこと)、
まず、なによりも、しっかりと、やる。
それが、重要。
それが、当然。」
という、想いであることです。
「すること」
が、必須です。
なので、
「しない」自分は、
「怠けている」自分のことは、
強烈に、猛烈に、咎(とが)めています。
そんな自分が、
「何かを受け取る」
なんて、
しかも、
「これ以上(more)受け取りたい」
なんて、
ありえません!
「もう、十分に、
不当なまでに、得られているじゃないか!」
そう、想っていることを、
強固なまでに、そう、想っていることを、
強烈に、認識・体感させられました。
ちなみに、
これは、当然の流れなのですが、
僕は、なので、
「しない」他人
「怠けている」他人
のことも、
強く、否定しています。
これも、
僕にとっては、重要なブロックです。
さて、そして、
僕の場合には、
僕の中の、この、
「しなければいけない」
「怠けてはいけない」
は、
既述 の、
「人生は、苦労するべきもの」
「生きる以上、苦労しなければ、苦しまなければいけない」
という想いから、生まれてきていることを、感じました。
僕の場合は、
結構深いところに、
「生きる」とは、
「人間」とは、
苦しむもの、苦労するもの
という考え方・情報が、
厳然と、居座っていますね、
まるで、牢名主(ろうなぬし)のように ^^ 。
(これは、「他生」「他星」の影響も、ありそうです ^^; )
だから、
「怠けている者」は、認められませんし、
さらに、
「苦労せずに、受け取っている者」も、許せないですね。
これは、
既述の、父の想いと、合致していると感じます。
なので、
「自分が受け取ること」を、
猛烈に、強烈に、
自ら、認めていない・許していないのですね。
津留さんの、
「あなたは存在している事に価値があります。」
(メッセージ集『覚醒進化プログラム』 在る より)
は、
おそらく、
みなさんにとっても、そうでしょうけれども、
僕にとっては、
とっても遠い、メッセージです。
今回の、
「何もしない人間には価値がない」
「人の役に立たなかったら生きている価値がない」
「働かざるもの食うべからず」
に関連する価値観は、
僕にとっては、
相当に深いところに入り込んでいる、
ベースとなる『価値観』の一つであり、
僕にとっては、
この、『人間ゲーム』における、
キーとなる『プログラム』なんだなと、
キーとなる『トラップ』なんだなと、
今回、改めて、認識させられました。
みなさんも、
よろしければ、ぜひ、
ご自分で、ご自分に向かって、言ってみてください。
きっと、何か、
感じられることが、
気づかれることが、あると思います。
" I deserve more. "
「自分は、もっと、受け取るに値する」
「自分は、もっと、豊かで当然だ」
「何かをする必要なんて、ないんだ」
「自分は、存在に、価値がある」
「自分が、もし欠けたとしたら、この宇宙はその瞬間消滅するんだ」