2017年3月21日火曜日

2017ハワイ旅行2 始まりの前に(経緯編)


 今回の、ハワイ旅行は、
 前回のアメリカ旅行ほどでは、ありませんでしたが、
 
 しかし、僕にとっては、
 やはり、また、
 「起きてきた」ような、
 そんな類いの、「旅」でした。
 
 
 まず、最初、
 はじめにあったのは、
 
 裕子さんの中の、
  「(シャスタの)次は、ハワイ」
 という、想いです。
 
 これについては、
 前述 しましたが、
 
 前の、アメリカ旅行が、終わった際に、
 裕子さんの中に、
  「次は、ハワイに行きたい」
  「次は、ハワイに行く『べき』だ」
 というような想いが、
 あったそうで、生まれたようで、
 
 それを聞いて、
 僕の中にも、
  「たしかに、いずれ、行きたいな」
  「いつか、行けたらいいなぁ」
 という想いは、出てきていました。
 
 それまでにも、存在を知っていた、
 ハワイを紹介するテレビ番組を、
 アメリカから帰ってきて以来、
 録画して、観るようにも、なっていました。
 
 とはいえ、
 僕の中では、あくまでも、
  「いずれ」「いつか」
 であって、
 
  「たらいいなぁ」
 であって、
 
 だから、
 具体性の一切無い、
 「なんとなく」の想いに、過ぎませんでした。
 
 
 ところが、
 裕子さんにとっては、
 そうではなかったようです。
 
 今回は、前回と違い、
 事前に、僕に、確認が入りました。
 
 それは、
 時期としては、確か、昨年末だったと思うのですが、
 
 裕子さんから、
  「私一人で、ハワイに行ってきていい?」
 という、質問でした。
 
 滝沢泰平さんが企画した、
 『立春に、ハワイ島で、祈りの旅をする』
 というツアーに、参加したい、
 とのことでした。
 
 その前に、そのツアーがあることは知らされていたので、
 そう、尋ねられたときに
  「ああ、行きたいんだな」
 と思い、
 
  「僕は、OKですよ」
 と、返事をしました。
 
 
 ただ、
 「裕子さん一人で」となると、
 当然のことながら、
 その期間、子どもたちのことを、
 僕一人で、見なければなりません。
 
 面倒を見ること、そのものは、
 大変だろうけど、どうにかなると思いましたので、
 「僕は」、賛成できたのですが、
 
 問題は、
 「子どもが」、どう判断するか、です。
 
 案の定、
 下の娘が、
  「えぇ! ママ無しで、1週間は、無理 ... 」
 との、返答でした ^^;
 
 裕子さんとしては、
 その返答は、まあ、想定内だったようで、
 
 それを聞いて、
 すぐに、諦めていました。
 
 
 ところが、
 諦めたことは、諦めたようだったのですが、
 
 それは、
 「『そのツアー』に参加すること」についてだけ、
 で、
 
 「ハワイ島に行くこと」
 「立春の時期に、裕子さんの誕生日に、ハワイ島に行くこと」
 は、諦めてなくて、
 決意は、揺らがなくて、
 
 むしろ、その瞬間から、
 「家族で、ハワイ島に行く」計画が、
 動き出したのでした。
 
 
 今回も、また、
 だからといって、
  「じゃあ、みんなで行こう!」
  「スケジュールを決めて、予約を取ろう」
 などという言明はなく、
 
 裕子さんが、一人で、
 行動を開始したのですが、
 
 今回は、
 その前の、意思表明と、確認がありましたので、
 
 何をしているのかは、分かっていて、
 それを、距離を持って、見ている状態でした。
 
 そして、あるポイントで、
 具体的な相談があり、
 
 宿や、レンタカー、航空券の予約などを、
 手伝いました。
 
 
 宿や、レンタカーは、
 キャンセルが、無料で、簡単に、できるので、
 
  「代替案も、キャンセルも、視野に、考慮に、入れながら、
   とりあえず、予約する」
 といった感じで、
 予約することができたのですが、
 
 航空券に関しては、
 キャンセルができないものでしたので、
 
 最後に、それを予約する段では、
 わたしたちの意思を、
 改めて、確定しなければいけませんでした。
 
  「よし、行こう!」
 
 という、裕子さんの声とともに、
 予約ボタンを、クリックして、
 わたしたちの、ハワイ行きが、決まったのでした。
 
 
 その夜。
 
 夜半過ぎに、浅い眠りから、目が覚めました。
 
 背中が、ゾクゾク、ゾワッと、しています。
 
  「本当に、行っていいのか?
   大丈夫なのか?」
 
 背中の寒気は、
 そう、繰り返し、つぶやいています。
 
 
 「いいのか?」「大丈夫なのか?」は、
 
 一つには、
 『金銭的』に、
 「いいのか? 大丈夫なのか?」です。
 
 これは、 僕にとっては、
 顕在意識でも、よく理解できる、
 分かりやすい、恐れです。
 
 それを感じている自分は、
 納得がいきます。
 
 
 しかし、
 そのときに感じた、そのときに出てきていた、
 「いいのか? 大丈夫なのか?」は、
 
 それ以外の理由からも、
 生まれていました。
 
 
  「そんなに、頻繁に、海外旅行をして、
   悪く思われないか?」
  
  「両親をはじめ、周りの人々に、
   悪く思われないか?」
 
 という、
  「他人の目から見て」「他人の価値観からして」、
  それが、正しいか? 間違っていないか?
 という心配が、
 意外にも、とても大きく、出てきていました。
 
  親や周りの人々からの承認、助けがなければ、
  生きていけない
  人々からの否定・拒絶があったら、
  生きていけない
 
 という類いの、
 「村八分」を恐れるような、恐れでした
 (過去記事『 「成功したくない」想い 』も、ご参照ください)。
 
 
 続いて感じられたのは、
 
  「その決断は、判断は、正しいのか?」
  
  「まず、『金銭的』に、大丈夫な判断か?
   将来、困ったことに、ならないか?」
  
  「『金銭的』には、大丈夫だったとしても、
   なら、もっと行くべき、他の場所があるのではないか?」
 
 という、
  『判断』『決断』が、正しいか? 間違っていないか?
 という、
 恐れ、心配でした。
 
 これは、
 僕が、自分自身を、
 自分自身の行動を、振る舞いを、判断を、思考を、在り方を、
 常に、
  「正しいか? 間違っていないか?」
 と、
 監視・チェックしていること、評価していることを、
 物語っていました。
 
 
 そして、
 おそらく、僕に特徴的で、
 僕にとって、とっても大きく、強かったのが、
 
  「僕が、ハワイにも、行っていいのか?」
  
  「この間、シャスタ・セドナに、行ったばかりで、
   こんなにすぐに、ハワイにも、行っていいのか?」
  
  「そんなに、贅沢していいのか?
   こんな素晴らしい想いを、していいのか?
   受け取っていいのか?
   自分は、それに値するのか?」
 
 という、恐れ、心配、怖さです。
 
 これが、
 今回の中では、
 
 一番、底にあり、底辺にあり、
 そして、
 一番重く、
 もっとも曖昧(あいまい)な感覚で、
 もっとも、厄介な、苦しいものでした。
 
 直接的ではなく、鋭くはなく、曖昧だけれど、
 もっとも重苦しく、厄介な、迷惑な、感覚でした。
 
 それを、この段階で、
 明確に、感じさせられていました
 (よろしければ、過去記事『 I do NOT deserve more ! 』をご参照ください)。
 
 
 その晩は、
 いつまでも、決して晴れることなく、温まることなく、
 その寒気に、背中を覆われ続けましたが、
 
 しかし、
 それを感じ、見つめ、
 可能な限り、溶かしていると、
 いつの間にか、意識がフェードアウトして行きました。
 
 
 翌朝目覚めると、
 そのときには、
 
  「よ〜し、ハワイに行くぞ!」
 と、
 言えている自分がいました。