2016年8月8日月曜日
2016アメリカ旅行1 序章
「どうして、アメリカ旅行に行ったの?」
「どうして、このタイミングだったの?」
「どうして、それらの訪問地だったの?」
「どうして、その順序だったの?」
「どうして、他の場所・国ではなかったの?」
もし、仮に、
それらの質問を、僕が、受けたとしたも、
僕には、一切、
答えられません。
というのは、
今回の旅行そのものが、
僕にとっては、
「起きてきたこと」
だからです。
これは、
あくまでも、
「『僕の宇宙』での、出来事」
なので、
ゆうこさんは、
また、別の、認識・記憶を持っているかもしれませんが、
『僕の宇宙』では、
また、僕が記憶している限りでは、
それは、
起きてきました。
ある日、
ゆうこさんと一緒に、
東京に出かけて以来、
ゆうこさんが、パソコンで、
なにやら、盛んに、
いろいろと、調べごとをしたり、
いろいろと、予約・購入をしていることは、
なんとなく、分かっていました。
でも、
ゆうこさんのほうから、
「こういうことを、している」とか、
「こうしようと、思っている」とか、
「こうしたいんだけど、手伝って」とか、
そのような告知・要請は、
一切、無かったので、
僕としては、
積極的に、関わらずにいました。
積極的に、そのままにしていました。
そして、それから、数週間後。
「どうしても、よい航空券が、無い」
という趣旨のことを、
ゆうこさんが、発言・発音しました。
この段階で、はじめて、
僕としては、
ゆうこさんが、
アメリカ旅行を、計画していることを、
明確に、知りました。
そして、その段階では、
もう、すでに、
旅程が決定されていました。
目的地、
滞在日数、
宿泊先、
移動手段などが、
決まっていました。
そのすべてが、
予約済みでした。
航空券だけが、
取れていない状況でした。
そこで、
航空券の予約を、僕が、しました。
その後、旅程を見、
いくつかの変更の提案と、
いくつかの宿泊先の予約(変更)を、
僕が、しました。
でも、
僕がしたことは、
それだけ、でした。
そして、
それ以外のすべてが、「決められていて」、
それ以外のすべてが、「そこに広げられて」いました。
僕にとっては、
「旅行」とは、
自ら意図し、
自ら計画し、
自ら手配する、
その、最たるものです。
小学3年生のときに、
友人たちと、電車に乗って、日帰り旅行をして以来、
僕にとっては、
常に、そうでした。
ところが、
今回は、
すべてが、「定められて」いました。
ゆうこさんが、
すべてを、与えてくれた
のと、同時に、
すべてを、
宇宙が、
もたらしてくれた
そんな、感覚があります。
「起きてくる」
「定まっている」
「与えられる」
今回は、
実際の旅行に先立って、
まず、そんなことごとを、
体験・体感をすることができた、
僕にとっては、
とてもユニークな、旅でした。