今回の、アメリカ旅行は、
大きく分けると、
前半と後半に、分けられました。
前半は、
グランドキャニオンと、セドナ。
アリゾナ州。
乾いた大地。
乾いた空気。
乾いた、強い陽射し。
赤・黄。
日(陽・火)。
対して、後半は、
ヨセミテと、マウントシャスタ。
カリフォルニア州。
川、滝。
湖。
深い樹々。
青・緑。
水。
ある種、「対照的」と、いうこともできる、
前半と、後半は、
場所的にも、
かなり、離れていました。
事前に調べたところによると、
その距離(走行距離)、
「1,000km」。
「1,000km」というのは、
直線距離でいえば、
東京から、
西方向には、鹿児島・種子島、
北方向には、北海道・サロマ湖。
車で移動するには、
かなりの距離、ですよね。
しかも。
この移動は、
前半の「セドナ」から、
後半開始の「ヨセミテ」まで、
より詳細には、
セドナから、
ヨセミテ近くの「マンモスレイク(Mammoth Lakes)」まで、
になりますが、
予定したルートでは、
渋滞無し、休憩無しでも、
10時間。
しかも、
ルートの大部分は、
往きに通った、
ルート66などの、乾燥・高温地帯。
さらに、
終盤には、
さらに乾燥していて、
さらに高温な、
「デスバレー(Death Vally)」
の横を、
通り抜けなければ、なりません。
その、距離(1,000km)、
その、環境(気温、路面温度、路面状態 ... )。
かなり、不安・心配でした。
そこで、
慎重を期して、
「前半」と「後半」を繋ぐ、この移動に、
丸一日を当て、
その日は、
「移動日」と、しました。
それにしても、
初めてで、
事情が分からないと、
これほど、不安なのか ...
ということを、
今回、この件で、
たっぷりと、味わいました。
そして、
「大丈夫かなぁ ... 」
という気持ちを携えながら、
とにかく、進むことにしました。
しかし、反面、
「これを乗り越え、体験できたら、
それはきっと、素晴らしい経験になるに違いない」
という想いも、どこかに、持っていました。
ボルテックスや、
「バーシング・ケイブ」を訪れることができた、
翌日、
僕たちは、
朝5時に、起床し、
6時過ぎに、ホテルを後にしました。
セドナへの、名残惜しさを背に、
いったん、樹々の茂る地域に入った後、
また、再び、
乾燥・高温地帯に、入っていきました。
この、ルート66が通る地域では、
往き道でも、そして、今回も、
車の、スピードメーター横の、温度計は、
華氏120℃を、
表示しました。
車の温度計が、
どれだけ正確なのかは、分かりませんが、
摂氏でいえば、
約49℃ !
正確ならずも、遠からず、で、
少なくとも、一時的には、
それに近い温度だったことは、
間違いないでしょう。
高速道路の、休憩所で、
車を降りたとき、
そこは、
まるで「天然のドライサウナ」かのようで、
乾いた、高温風が、
全身に、まとわり、
一瞬で、体力気力を、持ち去っていきました。
しかし、そんな、
超高温で、乾き切った、土地に、
強く根を張り、逞しく葉を広げる樹々。
生命の力強さに、
ただ、畏れ入りました。
「サソリ・毒蛇注意」
の標識を目にしても、
怖さなど、微塵も感じず、
むしろ、ただ、
それらの生物に対する敬意を、感じました。
午前中は、
休憩も、最小限にとどめ、
とにかく、
先に進むことに、努めました。
と、言っても、
実際には、6時間近く、ずっと、ドライブ。
感じるもの、受け取るものは、
小さからぬものが、ありました。
風景は、意外ながら、さまざまに、変化しました。
「町」と思える場所も、いくつか、出現しました。
とはいえ、
基本的には、
ずっと、乾燥地帯で、
道路の両サイドには、
人の気配はもちろん、動物の気配も感じられないような風景が、
延々と、続いていました。
「地球って、すばらしく、大きいんだなぁ」
「大地って、すさまじく、広いんだなぁ」
と、感じ入りました。
普段、
日本の都市部で、生活していると、
建物も、ゴミゴミしていて、
人も、溢れていて、
自然と、なにか、
「狭い」
「少ない」
『足りない』
『余裕が無い』
という感覚を、受け取っています。
ところが、
このような風景の中を、
延々、6時間も、進んでいると、
行けども、行けども、
変わらぬ、雄大な、大地の広がりを、目にしていると、
「こんな光景を、目にしている人々には、
『地球は狭い』なんて感覚、無いだろうなぁ」
と、思いました。
「土地にせよ、モノにせよ、
有効に、大事に、利用しなくては、
なんて感覚、生まれないかもなぁ」
「『もったいない』なんて感覚、分からないかもなぁ」
「『時間』もない、なんて、感じないかもなぁ」
と、思いました。
かつて、
オーストラリアを旅行したとき
(そういえば、ちょうど、16年前、
オリンピック開催中の、シドニーに、入ったのでした)、
アデレードから、エアーズロックまで、行ったときや、
アデレードから、パースまで、行ったときに、
同じように、
いえ、もっと極端に、
乾いた大地の上を、延々と、延々と、
移動した経験があります。
とくに、
アデレードから、パースまでは、
「インディアンパシフィック」という列車に乗って、
『42時間』、ずっと、
低木が生える、乾いた赤い大地に、囲まれ続ける、
という経験も、しましたが、
でも、そのときに持ったのは、
「『オーストラリア』って、広いな」
「『自然』って、すごいな」
という、感想で、
今回とは、
ずいぶんと違った、心持ちでした。
今回は、
「自分が有している、
『足りない』『少ない』という、認識も、
たまたま、自分が体験してきた環境・条件から、受け取った、
(複数あるうちの)ひとつの認識に過ぎない」
ということを、
強く、はっきりと、感じました。
自分の中の『制限』『限定』が、
「体験」「外側の環境」によって、
少し、外れ、少し、手放された感じが、しました。
ありがたく、幸せな、体験でした。
これまた、ルート66上の町、
「バーストー(Barstow)」が、
その日のルートの、おおよその、中間点。
そこに、
昼過ぎに、無事、到着しました。
無事に、ほぼ予定通りに、着けた安心感から、
ここでは、休憩を兼ね、
少しゆっくりと、時間を過ごしましたが、
ただ、
晴天下の、乾燥地帯ど真ん中の町は、
とにかく、とにかく、とにかく、暑い!
体感的には、今回もっとも激しい暑さを、
ここで、体験しました。
アメリカに着いて以来、
すっかり、お気に入りとなった、
メキシコ料理の、ランチを済ませ、
スーパーで、
デザート・おやつの、果物を購入し、
水も、大量に、手に入れ、
そして、重要な給油を済ませて、
この町を、離れました。
その先、しばらく、
まだまだ、乾燥地帯。
そして、おそらく、
さらに激しく、さらに厳しい、
乾燥と高温が、
待っているはずでした。
「恐る恐る」の気持ちもありながら、
でも、「どんな場所なのだろう」の好奇心もありながら、
少々複雑な心持ちで、進んでいきました。
ガラス越しに見える風景は、
ますます、『荒野』感を、深めていき、
道路は、視界を超えて、直進していました。
そんな中、
車体は、
とめどなく降り注ぐ、陽射しを、
一身に、受け止めてくれて、
そのおかげで、
車内は、クーラーが効いて、
実に、快適でした。
でも、
興味から、窓を開けてみると、
流れ込んでくる空気は、
あまりの暑さで、重く「厚く」感じるほどです。
このとき、
この文明が、生み出した「モノ」「利器」の、
素晴らしさを、ありがたさを、
こころから、感じました。
そのメリット面を、
抵抗値ゼロで、
享受しました。
恐れていた、「デスバレー」付近も、
結局は、周りと、それほどの差はなく、
路面も、しっかりしていて、
タイヤも、ちゃんと、回ってくれて、
なにより、
僕ら以外にも、たくさんの車が、
そこを、こともなげに、走っていました。
そのことに、
とても、安心しました。
安心すると、
その場所を、その環境を、その道のりを、
より純粋に、味わうことができました。
それまでには、見られなかった、
低木や草すら、一切、生えていない一帯、
塩湖と思われる、
白く、光を反射している一帯、
そんな一帯も、
遠目ながら、眺めつつ、
その様子を、肉眼で、味わいつつ、
しかし、車は、
着実に、進んでいきました。
「予定走路」は、
着実に、「走行済み」に、変わっていきました。
道路沿いに、
はじめ、
3本、大きな樹が現れ、
すぐに、
また、灌木・草だけとなり、
次は、
10本ほど現れて、
でも、すぐまた、元の風景に戻り、
そんなことを繰り返し、繰り返し、
徐々に、
「人家」が、
「村」が、
見られるように、なりました。
「人の気配」が、
感じられるように、なりました。
完全なる乾燥原野に、
「オアシス」が、現れるようになりました。
厳しい自然に、直接、接している、
そのような生活の場は、
僕には、
とても美しく、映りました。
対比ゆえに、
緑が、いっそう、美しく映え、
水分が、いっそう、愛しく感じられました。
「『二極』ゆえ」を、体感しました。
「町」が現れたとき、
ようやく、
真に、安心しました。
そして、
観光案内所を見つけ、
休憩を取りました。
車から降りると、
まだ、信じられないほどの暑さで、
「では、それなら、
先ほどまでの一帯は、どれほどの暑さだったのだろう ... 」
と、
改めて、恐ろしさも、湧きました。
その場所からは、
シエラネヴァダ(Sierra Nevada)山脈を、
裏側(東側)から、雄大に望むことができ、
さらに、
その最高峰、ホイットニー山(Mt. Whitney)を、
拝むことまで、できました。
距離があり、
そして、強い陽射しの、逆光で、
それほど、はっきりと、見ることができたわけではありませんが、
そもそも知っていた、その山を、
これまでに見た中で、もっとも標高の高い(4,421m)その山を、
目にしたとき、
なぜか、とてもこころ高ぶり、
なにか、特別な時間に接している気が、しました。
ここまでくれば、
もう、一息でした。
その先は、
時間にして、あと、1時間半。
次々に、小さな町があることは、
徐々に、環境的に穏やかになっていくことは、
分かっていましたので、
アメリカに来て以来、
もっとも、こころも穏やかに、軽やかに、
「ドライブ」を、楽しむことができました。
相変わらず、
「基本的には」、乾燥地帯でしたが、
スプリンクラーによる、大規模な撒水が見られ、
かなり広大な面積の農場が、幾箇所にも、見受けられました。
「地中海性気候」に分類されるだろう環境になり、
そこでの生活が、豊かなように感じられました。
ずっと、遠方に見えていた、シエラネヴァダ山脈が、
だんだんと、間近になっていき、
それにともなって、
道そのものも、アップダウンが、見られるようになり、
それによって、
これまでとは違った、スケールの大きな風景を、
目にする機会が増えていきました。
日本では、決してできない、
でも楽しい、嬉しい、「ドライブ」でした。
この段階に来て、
裕子さんが、ふと、口にしました、
「今日は、『時間をはずした日』なんだよねぇ」
と。
その日は、
7月25日でした。
少なくとも、僕にとっては、
『偶然』にも、
7月25日でした。
7月26日に、新年を迎える、
「マヤ暦」では、
7月25日は、
『時間をはずした日』と呼ばれ、
「特定の月や曜日を持たず、カレンダーの日付がない日」であり、
「昨日までの一年」にも、含まれず、
「明日からの一年」にも、含まれない、
「特別な、特異な、一日」で、
かつ、
「旧年」と「新年」を繋げる日であり、
そして、
明日からは、
「時間の螺旋階段は、またひとつ次の高みへと上る」新年となります。
それを知ったとき、
僕たちの「行動」が、
マヤ暦に、則している、シンクロしていると、感じました。
前半と、後半とを、繋ぎ・結ぶための、
前半から、後半へと、推移するための、
前半にも、後半にも、属していない、「移動」の一日。
「車での『1,000km』の移動」という、特異な、行為。
「『人間』という生命体」にとっては、
『非現実的』ともいえる環境を、通り抜ける、移動。
終日、乖離・隔離された『密閉空間』の中にいて、
その『非現実』空間を、滑るように、通り抜けていく、行為。
それらが、
マヤ暦の、『時間をはずした日』と、
とてもリンクしている、シンクロしている印象を、受けました。
そして、それゆえ、
この後の、「後半」は、
さらに言えば、
その後続く日々は、
「ひとつ次の高み」
であるように、期待されました。
そんな話が、
裕子さんとの間で、一段落した頃、
僕たちの、大移動も、
無事に、一段落。
その日の宿泊地まで、
あと10kmほどの地点まで、届いていました。
ここからが、
この日一番の、お楽しみ。
無事に、大移動ができた「ご褒美」が、
待っていました。
幹線道路から外れ、
表面がでこぼこの、支線に入り、
そこから、数キロ。
山際から離れ、
草原のど真ん中へ、入り込んで行きます。
すぐに、
ご褒美の目の前にある駐車場に、着きました。
そこには、すでに、車が一台。
続いて、僕らの数分後に、もう一台、
車がやって来ました。
淡い期待を持っていた、
「僕ら家族での独占」
という夢は、消え去りましたが、
しかし、
やはり、その「ご褒美」が、
人気が高いという証拠。
気持ちを、さらに高ぶらせ、
着替えを済ませて、歩いて、現地へ。
そこには、
少々、現実離れしたような、
「夢の空間」が、ありました。
(手持ちに、適当な写真が無かったため、
これは、無断借用した画像です)
広々とした、草原。
遠くに望む、山々。
それだけでも、とても美しい風景なのに、
その中に、ぽつんと置かれた、露天風呂。
しかも、湯加減も、バッチリ! ^^
高めのお湯と、冷たい水と、
両方が、別々のパイプで引かれているので、
中で、好みの温度に、調節が可能でした。
文字通りに、「長旅」で疲れた身体を、
お湯の中に浸しながら、
この光景を見ていると、
意識は、はじめ、
全身で感じる、開放感と、心地よさに、
濃く深く、入り込んで行きますが、
やがて、
やはり、『現実離れ』、という表現がピッタリの、
淡く薄くなめらかな感覚の中を、漂います。
改めて、今日が、
『時間をはずした日』であることを、
この露天風呂が、
その、『時間をはずした日』の、
締めくくりの、ご褒美であることに、
納得がいきました。
僕たちは、
誰一人、そこから離れることができず、
日が沈み行き、
空が薄暗くなるまで、
そこに、身を、沈めていました。
離れがたい気持ちを、
どうにか、コントロールし、
ホテルに向かいましたが、
到着したときには、完全に、日が暮れていました。
宿泊地、マンモスレイクは、
冬場の、スキー・スノーボードが中心の、
リゾート地。
ですが、
標高2,400mということもあり、
夏場も、避暑地として、賑わっているようでした。
とはいえ、
そこは、リゾート地。
夜8時を過ぎて到着し、
荷物を下ろして、街に出たときには、
もう、開いている店は、
ファストフード店を除いては、ほとんど、ありませんでした。
「今日は、ホテルの隣の、マクドナルドか ... 」
と、覚悟を決めつつ、
しかし、車を出して、
店を探してみました。
なかなか、店を見つけられないまま、
街の端まで、たどり着いてしまい、
道を変えて、引き返したとき、
一軒だけ、明るく、開店中の店を、
発見しました
(John's Pizza Works)。
急ぎ、車を停め、店内に入ると、
しかし、そこは、
スポーツバーのような、店構え。
大きなモニターが、幾所にもあり、
それらには、違ったスポーツが、映し出されていました。
客数も、かなり多く、
客層も、かなり若めで、
アルコール片手に、にぎやかに、騒がしく、
「リゾート地」での「バケーション」を、
楽しんでいるように、見受けられました。
僕一人なら、
むしろ、エンジョイできるかもしれない、雰囲気ですが、
子連れの家族には、向かないかも、
と、即座に、判断し、
入ってきたドアに向かって、引き返そうとしたとき、
とても雰囲気の良い、
優しく、しっかりした感じの店員さんが、
さっと、
「いま、すぐ、そこのテーブルを、準備しますね」
と、声をかけてくれました。
その対応の、あまりの雰囲気の良さに、
「とはいえ、他に店も無いんだし、まあいいか」
という気分に、なりました。
裕子さんと、こどもたちに確認したところ、
みんなは、店の様子のことは、まったく気にしていませんでした。
僕一人の、取り越し苦労のような、思考を消し去り、
長い長い、本当に長かった一日を、
ここでの夕食で、
改めて、真に締めくくることにしました。
そのような「流れ」から、
食事の内容やクオリティーについては、
まったく、期待していませんでしたが、
とにかく、食事ができればいいやと、思っていましたが、
いえいえ、どうして!
頼んだピザ( The Pesto )は、
マッシュルームとアーティチョークが、
素晴らしい存在感をはなっていて、
日本で食べても、十二分に、美味しいと思えるもの、
何度か、美味しいピザを口にした、
アメリカの中でも、ベストの味でした。
パスタ(Spaghetti Meatball と Creamy Cajun Shrimp Pasta )についても、
しっかりと、堪能できるクオリティーで、
僕たちは、
時の流れも止めて、
一口一口に、埋没していました。
さすがは、『時間をはずした日』!
最後の最後にも、
もう一つ、ご褒美を、用意してくれていました。
ちなみに、この後、
最後に車を降りるときに、確認すると、
この日の総走行距離は、
「639.0マイル」と、なっていました。
キロに直すと、
「1,028キロメートル」、
きっちりと、
1,000kmを超えていました。