2015年8月26日水曜日
「しなければいけない」こと(『仕事』についての補足)
前回、
「仕事」について、「『仕事』に関する悩み」について、
書かせていただきました
(よろしければ 「「仕事」に関して、お悩みの方へ」 をご覧ください)。
今回は、
それについて、いくつか、補足をさせていただければと、思います。
さて、前回お伝えした内容を、一言で言えば、
「『仕事』に関する悩み・辛さは、
『仕事』を、『しなければならないこと』と認識していることに、起因している」
ということです。
もちろん、
その仕事の「内容」であったり、「上司」「同僚」であったりが、
『表面的』な問題ではあるのですが、
しかし、
その『本質的』な問題は、
ご自身がお持ちの
「しなければいけない」
「やらなければいいけない」
「しない訳にはいかない」
という、認識です。
この点に関して、
津留さんが言っていた「例」を、いくつか、以下に、
お伝えしたいと思いします。
お伝えしたいことを、
より、ご理解していただけやすいのではないかと思います。
「主婦のみなさんは、たいてい、食事を作るのが、苦痛です。
でも、結婚前は、その彼に、
頼まれていもいないのに、ルンルンしながら、料理を作ってあげたでしょ?
そのときには、楽しかったでしょう? ^^」
「(小さな)こどもは、何をしていても、楽しそうです。
それは、こどもには、『しなければいけないこと』が、ないからです。
だから、何をしても、それは、『しなくてもいいこと』をしているのです。
こどもは、すぐに、『わたしもやる!』と言って、家事を手伝おうとしますね。
そして、それを、本当に楽しそうに、やりますね。」
「『しなくてもいい』けれど、していること、のことを、
『趣味』と呼ぶのです。
だから、趣味は、楽しいのです。」
苦しい・辛い、幸・不幸に関しては、
「『何』をするか」
よりも、
「その『すること』を、『どう認識してしているか』」
が、重要である、
ということを、その可能性を、
どうぞ、認識・検討なさってみてください。
また、その正反対のような事例についても、
ここで、お伝えさせていただきます。
以前、このブログで、
「浄化をしていたら、テレビゲームばかりしていた弟さんが、働き出した」
という体験談を、ご紹介させていただきました
(過去記事「いただいた、個人セッションのご感想」)。
その方から、その後、
もう少し、詳しいお話を、お伺いすることができました。
その弟さんは、以前、
寝ても覚めても、テレビゲームばかりを、なさっていたのだそうです
(なにか、前回の、「ゲームオタク」の例と、そっくりで、
興味深いですね ^^ )。
そのことに対して、その弟さんの状態に対して、
それまでは、ずっと、
咎(とが)めの気持ちを、お持ちだったのだそうです。
ところが、
そのことに対して、浄化を徹底的に行った結果、
その咎めの気持ちが、困ったという認識が、
いつしか無くなり、
そのうちに、
「よ〜し、やれやれ。思う存分、やれ!」
とさえ、思うようになり、
実際に、そう声をかけて、応援もされたのだそうです ^^ 。
その結果、弟さんも、
「おう、やるやる!」
と、心置きなく、思う存分に、ゲームを遊び ^^ 、
そして、ゲームをさんざんやり尽くした結果、
「もう、飽きた」
と言って、
そして、ちょうどそのタイミングで、友人から仕事を紹介され、
そして、その仕事を、することにされたのだそうです。
それはまるで、
蝶々が、
「菜の葉」に飽いて、「桜」に止まるように、
その弟さんは、
「ゲーム」に飽きて、「仕事」を始められたのです。
「仕事」というものを、『しなければいけないこと』と認識していない、
その弟さんにとっては、
「ゲーム」と「仕事」は、
等価なのですね。
違いは、無いのですね。
そうすると、
「ゲーム」をすることと同じように、
「ゲーム」に飽きたからと、「仕事」をできるのです。
そして、そうすると、
「仕事」をすることは、苦しくないのですね。
案の定、
その弟さんは、現在、楽しそ〜に、仕事に行かれているそうです ^^ 。
もちろん、
その弟さんが、いつ、その仕事を辞めてしまうかは、分かりません。
ゲームを止めたときのように、
「飽きた」
といって、突然、サッと、辞めてしまうかもしれません。
でも、
そんなだからこそ、
「仕事」を、『しなければいけない』『続けなければいけない』と、
認識していないからこそ、
仕事が、苦しくないわけです。
仕事が、楽しいわけです。
とても興味深く、
そして貴重な実例を、
ここに、みなさまに、シェアさせていただきます。