2016年8月8日月曜日

2016アメリカ旅行2 序章2 発熱


 次の記事、「右側通行・左ハンドル」をアップし終えた後に、
 もう一つ、「序章」として書くべきことがあることに、気づきました。
 
 順序を修正して、ここに記します。
 
 
 旅行出発の、ちょうど1週間前だったと思います。
 末娘が、熱を出しました。
 
 それそのものは、それほどには、珍しいことはないので、
 ただ、安静にさせていましたが、
 
 翌日、熱は下がらず、
 しかも、今度は、
  「頭が痛い」
 と、言いはじめました。
 
 「頭が痛い」というのは、
 彼女にとって、とても珍しいことです
 (ほとんど、聞いたことがありませんでした)。
 
 こうなると、
 とたんに、強い不安が、押し寄せてきます。
 
  「もうすぐ、出発だというのに、大丈夫だろうか?」
  「旅行に、行けるだろうか?」
  「中止なんてことに、ならないだろうか?」
 
 熱があり、頭が痛いと言っているとはいえ、
 彼女の反応を見ている限り、
 そこまでには、深刻そうではなかったので、
 
 彼女の容態そのものよりも、
 「旅行」のことが、心配になりました。
 
 時間のあるときには、
 彼女の横に並び、
 彼女を看病しながら、

  「良くなってくれ」
  「必要なら、僕に移って、良くなってくれ」
 
 と、念じていました。
 
 2日もすると、
 彼女は、すっかり、良くなりました。
 
 一安心です。
 
 
 ところが、
 その、翌々日。
 
 夕方になって、突然、
 今度は僕が、頭に痛みを感じます。
 
 痛みに意識を合わせていると、
 それよりもむしろ、
 身体が熱を帯びていることに、気づきました。
 
  「あ、移ったかな」
 
 そう、思いました。
 
 そう、思ってみたところから、
 急速に、状態が悪くなり、
 
 すぐに、
 もう、起きていられない状況になりました。
 
 横になって、熱を計ると、
 その時点で、37℃を超えていました。
 
 その翌日には、38℃を超え、
 出発前夜には、39.6℃になりました。
 
 幸い、旅行の準備は、ほぼ、整っていて、
 フライトも、19時発だったので、
 最終的なことは、当日、する時間があったことと、
 
 ゆうこさんは、元気だったので、
 僕自身のこと以外は、
 いつものように、ゆうこさんがしてくれていたので、
  
 僕は、とにかく、身体を休めることに専念できました。
 
 40℃近い熱なんて、大人になってから、何度目でしょう?
 それが、海外旅行に行く前夜に、出るなんて?
 
 そんなことを思いながら、
 とにかく、寝ていました。
 
 翌朝。
 出発当日。
 
 熱は、36.6℃まで、下がっていました。
 頭の痛さや、身体のだるさ、気持ち悪さは、残っていましたが、
 とりあえず、熱は下がっていて、
 旅行への出発そのものは、問題なさそうでした。
 
 結局、この、熱および頭痛は、
  フライト中は、ほぼ、収まり、
  でも、到着1日目と2日目は、ふたたび悪化し、
  3日目以降に、良くなって行く ...
 という、展開を見せました。
 
 
 さて、この件について、
 読まれたみなさんも、いろいろと、思われたかもしれません。
 
 津留さん的な解釈で言えば、
 まず、はじめに言えるのが、
 
  「恐れというのは、かくも見事に、『現実化』する」
 ということかも、しれません。
 
 娘の発熱・頭痛を目にして、
 僕の中に、
 
 娘の容態によって旅行に行けないかもしれない、という「恐れ」や、
 自分に移れば、娘の容態は良くなるかもしれないという「想念・情報」、
 あるいは、「発熱・頭痛」そのものへの「恐れ」、
 そんなものどもが湧き上がったことは、明白です。
 
 そして、それらが、見事なまでに『現実化』『現象化』した、
 と、言うことが、できそうですね。
 
 そうだとすると、
 僕の、恐れ・ネガティブを『現実化』する能力の高さには、
 僕自身、笑ってしまいます ^^ 。
 
 
 あるいは、こうも言えるかもしれません。
 
 「自ら発熱した」という未来における事実を、
 未来から受け取り、
 過去の時点で、そのことを、恐れとして感じた。
 
 これも、津留さんが言っていたとおりの解釈です。
 
 
 さらにあるいは、こう、言えます。
 
 ただ、発熱し、ただ、頭痛がした。
 ただ、それだけ。
 
 そこに加える意味・理解は、
 すべて、内側における『解釈』である。
 
 
 今回の件に関しては、
 個人的には、
 次のような、極めて津留さん的な解釈が、
 もっとも、しっくりくる気がしています。
 
 今回の、旅行そのものが、僕にとっては「起きてきた」という流れからすると、
 今回、このタイミングで、アメリカに行くこと、
 アメリカの、それらの地に行くことは、定まっていた。
 
 ところが、それらの『予定』されていた事項に対して、
 僕個人の「浄化状況」が、『予定』されていた状態に対して、
 間に合っていなかった(浄化不足であった)。
 
 そこで、『発熱』『頭痛』という、ある意味「強制的手段」によって、
 僕の浄化が行われた。
 
 
 今回の、僕の、旅行に際しての『発熱』『頭痛』に関して、
 どんな「意味」があったのか?
 
 どのような「意味」があったと理解するにせよ、

  「でもそれは、あくまで、『解釈』に過ぎない」
 
 ということは、
 最後に、書き加えさせていただきます。
 
 
 いずれにせよ、
 はじめてのアメリカ旅行にあたって、39.6℃までもの発熱をしたという事実は、
 僕にとっては、
 極めて興味深い体験でした。