第7回 津留さん交流会を、2014年1月11日(土)に開催します。
詳細、お申し込みについては、
「 第7回交流会お申し込み 」のページでお願いいたします。
みなさまとお会いできることを、楽しみにしています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
追記:
募集定員に達したため、締め切りました。
ありがとうございます。 12月4日記載
2013年11月29日金曜日
2013年11月27日水曜日
昇りたての月
11月18日、朝方に立ち込めていた雲は、午後には晴れ切り、
この日は、昇り来る満月を、何にも邪魔されることなく、
頭の先を水平線に現すところから、ずっと眺めることができました。
普段、東の空、低いところに見つける満月は、
とても大きく、そして「黄金色」と言いたくなるような黄色をしていることが多いですが、
水平線から、まさに「昇りたて」のときには、
さらに色濃く、赤に近い色をしていました。
波音だけが響く中、
その色や大きさの移ろい行くさまを、ただ、見ていました。
この日は、昇り来る満月を、何にも邪魔されることなく、
頭の先を水平線に現すところから、ずっと眺めることができました。
普段、東の空、低いところに見つける満月は、
とても大きく、そして「黄金色」と言いたくなるような黄色をしていることが多いですが、
水平線から、まさに「昇りたて」のときには、
さらに色濃く、赤に近い色をしていました。
波音だけが響く中、
その色や大きさの移ろい行くさまを、ただ、見ていました。
ある方の、津留さん活用体験談
もうすでに、妻のブログでご紹介済みですが(「 Tさま体験談 」)、
交流会にご参加くださっている方から、
とってもステキなメールをいただきました。
ご本人の許可を得て、ここに、シェアさせていただきます。
普段の生活の中で、津留さんのCDをいつも聞いていらっしゃって、
そして、自分の内側を見つめ、浄化に励まれているそうです。
何か、みなさまのご参考になることがあれば、幸いです。
津留さんの世界観は奥深く、
聞けば聞くほど魂の奥深い場所に私を運んでくださいます。
何回も何回も聞くことが大切だなぁ と感じています。
聞くたびに発見があり、腑に落ちることがあり、
私は静寂と共にいる事が出来るのです。
津留さんの言葉で好きな言葉は たくさんありますが、
私は何か感情が湧くと、その言葉を思い出し実践します。
それは最初は大変に難しいことでした。
いろいろな本を読み、セッションを受け、
津留さんの講演会CDを聞き、
必死に自我を使い理解しようとしていましたが、
昨年の10月からは外側の現象が変わらない事に苛立ち、 怒りを爆発させ、
やがて絶望感に覆われていた日々でした(>人<;)
でも、その絶望感でさえ、
津留さんは目出度いことだと講演会CDで話していました(^-^ )
それを信じて私は、ただ ただ内観に務めました。
その頃は自我は、もう出る幕もありませんでした。
その絶望感からも、最近やっと抜け出せたかなぁ と感じています。
今月の始めに熱が出まして、
それが終わってから とってもスッキリしましたよ(^-^)
大きな浄化が終わったようです☆
最近 思うことは、
浄化を経て、自分への慈しみが生まれると、
自然と他者への思いやりが生まれるということに気がつきました。
自分を超えたところに愛はあるなぁ と。
それに気が付くと、落ち着きは自然となりますね(^-^)
心が落ち着いているのだから、 外側も落ち着くのは当たり前なのですが☆
源への帰還を経て、
これからハイヤーセルフが、この肉体を使い、 何をするのか楽しみであります*\(^o^)/*
交流会にご参加くださっている方から、
とってもステキなメールをいただきました。
ご本人の許可を得て、ここに、シェアさせていただきます。
普段の生活の中で、津留さんのCDをいつも聞いていらっしゃって、
そして、自分の内側を見つめ、浄化に励まれているそうです。
何か、みなさまのご参考になることがあれば、幸いです。
津留さんの世界観は奥深く、
聞けば聞くほど魂の奥深い場所に私を運んでくださいます。
何回も何回も聞くことが大切だなぁ と感じています。
聞くたびに発見があり、腑に落ちることがあり、
私は静寂と共にいる事が出来るのです。
津留さんの言葉で好きな言葉は たくさんありますが、
私は何か感情が湧くと、その言葉を思い出し実践します。
それは最初は大変に難しいことでした。
いろいろな本を読み、セッションを受け、
必死に自我を使い理解しようとしていましたが、
昨年の10月からは外側の現象が変わらない事に苛立ち、
やがて絶望感に覆われていた日々でした(>人<;)
でも、その絶望感でさえ、
津留さんは目出度いことだと講演会CDで話していました(^-^
それを信じて私は、ただ ただ内観に務めました。
その頃は自我は、もう出る幕もありませんでした。
その絶望感からも、最近やっと抜け出せたかなぁ と感じています。
今月の始めに熱が出まして、
それが終わってから とってもスッキリしましたよ(^-^)
大きな浄化が終わったようです☆
最近 思うことは、
浄化を経て、自分への慈しみが生まれると、
自然と他者への思いやりが生まれるということに気がつきました。
自分を超えたところに愛はあるなぁ と。
それに気が付くと、落ち着きは自然となりますね(^-^)
心が落ち着いているのだから、
源への帰還を経て、
これからハイヤーセルフが、この肉体を使い、
2013年11月20日水曜日
『ホワイトノイズ』の中の自分のシナリオが現れる
(「 『自分の想念』を取れば、『神』を体験する 」の続きです)
なのに、いいですか?
さっきのように、
「こんなにのんびりして、いいのかしら?」
って想念があったら、
その想念しか、もう、無いわけです。
神は、そこに、もう、出て来られないわけです。
そうでしょ?
で、
「こんなんじゃ、いけないんじゃないかしら?」
って、想ってると、
ちゃんと、お母さんとかにね、
「あんた、少しだんなさん、働いてサポートしたら?」
とかいう言葉を聞いてしまうわけですね。
「想ってる通り」を体験しますから。
「あぁ、やっぱり。
そうよね。こんなことしてて、いいわけないよね。」
そして、仕事、
「じゃあ、何、仕事探そうか?」
って、頭をまた使うでしょ?
使うでしょ?
「どの仕事すればいいか?」
って、自分の想念を出すでしょ?
だから、
その想念の世界が、また、与えられるわけですよ、自分に。
そこで、想念を止めたら、
初めに○○さんが、
「どんな体験したいか」
って書いてあるシナリオがあるわけです。
ホワイトノイズの中に、
ちゃんと入ってるわけです。
自分のシナリオが。
だから、
それがポンッと、こう、来るんです。
「あっ。これをやってみよう。」
津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より
なのに、いいですか?
さっきのように、
「こんなにのんびりして、いいのかしら?」
って想念があったら、
その想念しか、もう、無いわけです。
神は、そこに、もう、出て来られないわけです。
そうでしょ?
で、
「こんなんじゃ、いけないんじゃないかしら?」
って、想ってると、
ちゃんと、お母さんとかにね、
「あんた、少しだんなさん、働いてサポートしたら?」
とかいう言葉を聞いてしまうわけですね。
「想ってる通り」を体験しますから。
「あぁ、やっぱり。
そうよね。こんなことしてて、いいわけないよね。」
そして、仕事、
「じゃあ、何、仕事探そうか?」
って、頭をまた使うでしょ?
使うでしょ?
「どの仕事すればいいか?」
って、自分の想念を出すでしょ?
だから、
その想念の世界が、また、与えられるわけですよ、自分に。
そこで、想念を止めたら、
初めに○○さんが、
「どんな体験したいか」
って書いてあるシナリオがあるわけです。
ホワイトノイズの中に、
ちゃんと入ってるわけです。
自分のシナリオが。
だから、
それがポンッと、こう、来るんです。
「あっ。これをやってみよう。」
津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より
2013年11月19日火曜日
『自分の想念』を取れば、『神』を体験する
(「 『ホワイトノイズ』という『神』 」の続きです)
そのホワイトノイズという、
まあ、モノにたとえれば、
ホワイトノイズの上に、
私たちの想念波動が乗っかってる状態なんですよね。
これは、だから、
ラジオで81.3MHzって、チューニング合わせますね。
そうすると、
81.3MHzの電波の上に乗っけた音楽だけが聴こえてくるでしょ?
聴こえてくるでしょ?
で、別のとこにチャンネル回したら、
別の音楽になりますよね?
だから、それぞれの周波数帯域に、
いろんな音楽が乗っかってるわけです。
でも、どの周波数帯域であれ、
その電波が届かなくなったら、
車で山の中入って行って、
その電波が届かなくなったら、
「ザー」って、そこ、ホワイトノイズに替わるわけです。
だから、
『ホワイトノイズ』は、どの周波数にもあるんですね。
で、トンネルの中入って、聴こえなくなって、
トンネル出た瞬間に、
ホワイトノイズが、パッと音楽に切り替わるでしょ?
音楽。
そこに「電波がある」ということですよね。
「電波がある。」
そうすると、ホワイトノイズはかき消されてしまうでしょ?
電波があったら、ホワイトノイズはパッと消えるわけです。
電波がなくなった瞬間に、これがパッと出てくるわけです。
だから、『無』は無じゃないんですよね。
我々の想念の影に、完全に隠れてる。
これを、
「潜在化してる」
って言うわけです。
内に隠れてるんです。
だから、自分の想念をパッて取ったら、
ポンッて出てくるんです。
そうしたら、それを体験し始めるんです。
「これをしませんか?」
っていうのが、
こう、私の伝えたいことなんですよね。
こんな簡単なことなんですよ。
津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より
そのホワイトノイズという、
まあ、モノにたとえれば、
ホワイトノイズの上に、
私たちの想念波動が乗っかってる状態なんですよね。
これは、だから、
ラジオで81.3MHzって、チューニング合わせますね。
そうすると、
81.3MHzの電波の上に乗っけた音楽だけが聴こえてくるでしょ?
聴こえてくるでしょ?
で、別のとこにチャンネル回したら、
別の音楽になりますよね?
だから、それぞれの周波数帯域に、
いろんな音楽が乗っかってるわけです。
でも、どの周波数帯域であれ、
その電波が届かなくなったら、
車で山の中入って行って、
その電波が届かなくなったら、
「ザー」って、そこ、ホワイトノイズに替わるわけです。
だから、
『ホワイトノイズ』は、どの周波数にもあるんですね。
で、トンネルの中入って、聴こえなくなって、
トンネル出た瞬間に、
ホワイトノイズが、パッと音楽に切り替わるでしょ?
音楽。
そこに「電波がある」ということですよね。
「電波がある。」
そうすると、ホワイトノイズはかき消されてしまうでしょ?
電波があったら、ホワイトノイズはパッと消えるわけです。
電波がなくなった瞬間に、これがパッと出てくるわけです。
だから、『無』は無じゃないんですよね。
我々の想念の影に、完全に隠れてる。
これを、
「潜在化してる」
って言うわけです。
内に隠れてるんです。
だから、自分の想念をパッて取ったら、
ポンッて出てくるんです。
そうしたら、それを体験し始めるんです。
「これをしませんか?」
っていうのが、
こう、私の伝えたいことなんですよね。
こんな簡単なことなんですよ。
津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より
2013年11月18日月曜日
『ホワイトノイズ』という『神』
(「 地球に居るすべての人間の『想念』を見ている 」の続きです)
じゃあ、その想念が無くなったら、どうなるのか?
その想念が無くなったら、
元々あった『神の想念』だけが現れるわけです。
私たちが存在する以前にあった想念。
だから、考えるのを止めればいいわけです。
それを、普段、私たちは、
え~、生活の中でよく体験する、
ラジオっていうのがあるでしょ?
え~、カーラジオつけてて、
今、携帯電話でも、そうですね、
トンネル入ったら、どうなります?
「ガガガガ」って、言い始めるでしょ?
ラジオもそうですよね。
「ガー」って、言い始める。
あれを、『ホワイトノイズ』っていうんですね。
『ホワイトノイズ』。
「ホワイトノイズっていうのは何か?」
っていうと、
「すべての周波数が均一に入っている波」
なんです。
すべての周波数が均一にあったら、
ホワイトノイズとして聴こえるんです。
で、元々、すべての周波数が均一にある。
これは『神』なんですけども、
元々あるんですよね。
私たちが何もしなくても、
ここに、元々、ホワイトノイズがあるわけです。
津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より
じゃあ、その想念が無くなったら、どうなるのか?
その想念が無くなったら、
元々あった『神の想念』だけが現れるわけです。
私たちが存在する以前にあった想念。
だから、考えるのを止めればいいわけです。
それを、普段、私たちは、
え~、生活の中でよく体験する、
ラジオっていうのがあるでしょ?
え~、カーラジオつけてて、
今、携帯電話でも、そうですね、
トンネル入ったら、どうなります?
「ガガガガ」って、言い始めるでしょ?
ラジオもそうですよね。
「ガー」って、言い始める。
あれを、『ホワイトノイズ』っていうんですね。
『ホワイトノイズ』。
「ホワイトノイズっていうのは何か?」
っていうと、
「すべての周波数が均一に入っている波」
なんです。
すべての周波数が均一にあったら、
ホワイトノイズとして聴こえるんです。
で、元々、すべての周波数が均一にある。
これは『神』なんですけども、
元々あるんですよね。
私たちが何もしなくても、
ここに、元々、ホワイトノイズがあるわけです。
津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より
2013年11月17日日曜日
地球に居るすべての人間の『想念』を見ている
(「 あるのは『想念エネルギー』 」の続きです)
想念エネルギーっていうのは、波なんですよね。
え~、波というのはですね、
場所が特定されないんですよ。
ギターの弦があって、
ピッてはじいたら、はじいたとこだけ振動します?
全部が揺れるでしょ?
空間全体が振動するんですよ。
そうですね?
自分が想った想いは、
この宇宙全般に、パンッと、瞬間に存在してるわけですよ。
これが、
「想念が宇宙に遍満している」
っていうことなんです。
だから、
「神の想いは、宇宙に遍満している」
って、当たり前なんですよ。
波って、そういうものなんです。
かたよって存在できないんです、波っていうのはね。
だから、私の想いも、○○さんの想いも、その隣の人の想いも、
全部、ここで振動しているわけですよ。
だから、地球に居るすべての人間の想念を見ているわけです。
津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より
想念エネルギーっていうのは、波なんですよね。
え~、波というのはですね、
場所が特定されないんですよ。
ギターの弦があって、
ピッてはじいたら、はじいたとこだけ振動します?
全部が揺れるでしょ?
空間全体が振動するんですよ。
そうですね?
自分が想った想いは、
この宇宙全般に、パンッと、瞬間に存在してるわけですよ。
これが、
「想念が宇宙に遍満している」
っていうことなんです。
だから、
「神の想いは、宇宙に遍満している」
って、当たり前なんですよ。
波って、そういうものなんです。
かたよって存在できないんです、波っていうのはね。
だから、私の想いも、○○さんの想いも、その隣の人の想いも、
全部、ここで振動しているわけですよ。
だから、地球に居るすべての人間の想念を見ているわけです。
津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より
2013年11月15日金曜日
あるのは『想念エネルギー』
見えてる通りのものが、
あるわけではないんですよ。
見えてるのは、脳の中の映像なんです。
いいですか?
聞こえてくる言葉は、
耳の細胞が振動を感知して、
脳の中で、言葉を合成しているわけですよ。
分かりますか?
言葉は、脳の中で合成してるんですよ。
それ、合成できるのは、
自分しかいないでしょ?
外にどんなものがあるかなんて、
分かんないわけですよ。
どんな振動があるのか。
じゃあ、
「外に何があるのか?」
「外には、何があるのか? ここには?」
「自分の目の前には、何があるのか?」
ここに、エネルギーがあるんですよ。
エネルギーがあるから、感じるわけです。
そのエネルギーの感じ方が、
イルカと人間で違うし、
トンボも違うし、
レントゲン星人でも違うわけですね。
エネルギーあることだけは、確かなんです。
じゃあ、この目の前にあるエネルギーっていうのは、何なのか?
これが『想念』なんです。
『想念エネルギー』なんです。
津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より
あるわけではないんですよ。
見えてるのは、脳の中の映像なんです。
いいですか?
聞こえてくる言葉は、
耳の細胞が振動を感知して、
脳の中で、言葉を合成しているわけですよ。
分かりますか?
言葉は、脳の中で合成してるんですよ。
それ、合成できるのは、
自分しかいないでしょ?
外にどんなものがあるかなんて、
分かんないわけですよ。
どんな振動があるのか。
じゃあ、
「外に何があるのか?」
「外には、何があるのか? ここには?」
「自分の目の前には、何があるのか?」
ここに、エネルギーがあるんですよ。
エネルギーがあるから、感じるわけです。
そのエネルギーの感じ方が、
イルカと人間で違うし、
トンボも違うし、
レントゲン星人でも違うわけですね。
エネルギーあることだけは、確かなんです。
じゃあ、この目の前にあるエネルギーっていうのは、何なのか?
これが『想念』なんです。
『想念エネルギー』なんです。
津留晃一 講演会CD『 幸せテクニック講座7 』 より
2013年11月14日木曜日
「他人」を消すと、「自分」も消えてしまう
(「 『外には何も無く、すべて内側にしかない』という価値観だけでも、ちゃんと生きていける」 の続きです)
その時、
「外が幻である」
ことが分かります。
今までのみなさんの価値観だと、
幻とは、思えないわけです。
「現実じゃないか!」
って言うわけです。
でも、反対から見ると、
これ、ただの幻なんです。
映像なんですね、
反対から見ると。
で、
これが「映像だ」と分かることによって、
我々は、神意識を取り戻していくんです。
元々、一つの神だったものが、
現実を創るために、
内を見えなくしたわけです。
だから、
半分の見方で、
え~、神から遠ざかってきたんです。
神に近づいていくためには、
逆の見方をする必要があるわけですね。
「いっさい、外には何も無い」
「だから、自分の見てるもの、自分の見てるもの全部、自分しかいない」
「自分しかいない」
って、他人を消すと、
実は、自分も消えてしまうの、分かりますかね?
「自」と「他」っていうのは、
対比した言葉ですよね。
「自分」と「他人」。
え~、よく
「自我を消せ」
って言うの、聞いたことあるでしょ?
「自我を消すと、楽になるよ」
でも、自分は消すの、たいへんですね、なかなか。
だって、ここに居るんだから。
で、自分を消す方法として、
他人を消したら、
自分しか居なくなるんですね。
自分しか居なかったら、
他人はどこに居るんですか?
「他人は存在しない」
っていうことは、
自分という概念が消えてしまうんです。
全部、自分。
これは、自分の身体の中で考えてみればいいですね。
例えば、
「不公平がこの世の中にある」
と思ってるでしょ?
え~、私、車 運転するとき、
今、オートマですから、
右足しか使わないんですね。
左足は、じっとしてます。
でも、右足は、左足に対して、
「おまえ、もっと働けよ!」
「不公平だ」
っていう想いは、絶対に出ないんです。
一つだと思ってるからなんです。
で、人殺しのシーンが見えたとします。
「それが『自分だ』という認識が持てたら、どうかるか?」
っていうことですね。
すべてが自分なんです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
その時、
「外が幻である」
ことが分かります。
今までのみなさんの価値観だと、
幻とは、思えないわけです。
「現実じゃないか!」
って言うわけです。
でも、反対から見ると、
これ、ただの幻なんです。
映像なんですね、
反対から見ると。
で、
これが「映像だ」と分かることによって、
我々は、神意識を取り戻していくんです。
元々、一つの神だったものが、
現実を創るために、
内を見えなくしたわけです。
だから、
半分の見方で、
え~、神から遠ざかってきたんです。
神に近づいていくためには、
逆の見方をする必要があるわけですね。
「いっさい、外には何も無い」
「だから、自分の見てるもの、自分の見てるもの全部、自分しかいない」
「自分しかいない」
って、他人を消すと、
実は、自分も消えてしまうの、分かりますかね?
「自」と「他」っていうのは、
対比した言葉ですよね。
「自分」と「他人」。
え~、よく
「自我を消せ」
って言うの、聞いたことあるでしょ?
「自我を消すと、楽になるよ」
でも、自分は消すの、たいへんですね、なかなか。
だって、ここに居るんだから。
で、自分を消す方法として、
他人を消したら、
自分しか居なくなるんですね。
自分しか居なかったら、
他人はどこに居るんですか?
「他人は存在しない」
っていうことは、
自分という概念が消えてしまうんです。
全部、自分。
これは、自分の身体の中で考えてみればいいですね。
例えば、
「不公平がこの世の中にある」
と思ってるでしょ?
え~、私、車 運転するとき、
今、オートマですから、
右足しか使わないんですね。
左足は、じっとしてます。
でも、右足は、左足に対して、
「おまえ、もっと働けよ!」
「不公平だ」
っていう想いは、絶対に出ないんです。
一つだと思ってるからなんです。
で、人殺しのシーンが見えたとします。
「それが『自分だ』という認識が持てたら、どうかるか?」
っていうことですね。
すべてが自分なんです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
2013年11月13日水曜日
「外には何も無く、すべて内側にしかない」 という価値観だけでも、 ちゃんと生きていける
あの、今までは、あの、
「外に他人がいる」
という価値観で、生きてきたと思うんですね。
で、実は、
両方正しいんですね。
あの、つながってるんですね。
点と無限大は、つながってるわけなんです。
そして、その、そういう構造を、
あの、『ホロニック』、『ホロン的宇宙』っていう表現、使うんですけれども。
「『すべての個の中に、全体がある』で『全体の中に、個がある』」
という価値観で、価値観を使って、
今まで、こういう「下り」を動いてたわけですね。
一つであったものが、他人を創ることによって、
「自分の外に他人がいる」
っていう価値観で、生きてきましたね。
それは、実は、1/2(二分の一)の見方なんですね。
『ホロン的宇宙』っていうことを信じるならば、
「内側に、全宇宙がある」
これも、真理なんです。
「自分の外に、すべてがある」
のと同じように、
「内側に、すべてがある」
のも、真理です。
そして、今まで、全部、
「外に世界がある」
という観点から、
この宇宙を見て、体験してきたと思うんですね。
そこで、新たに、
「外には、何も無い」
という価値観を、今、伝えようとしてるんです。
「私が」、なんですけれども。
伝えようとしてるんです。
「外には何も無く、すべて内側にしかない」
という価値観だけでも、
ちゃんと生きていけるんです。
もう、「外に他人がいる」のは、十分知ってますから。
その考えを手放しても生きていけるし、
その時、今までと違う体験が始まります。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
「外に他人がいる」
という価値観で、生きてきたと思うんですね。
で、実は、
両方正しいんですね。
あの、つながってるんですね。
点と無限大は、つながってるわけなんです。
そして、その、そういう構造を、
あの、『ホロニック』、『ホロン的宇宙』っていう表現、使うんですけれども。
「『すべての個の中に、全体がある』で『全体の中に、個がある』」
という価値観で、価値観を使って、
今まで、こういう「下り」を動いてたわけですね。
一つであったものが、他人を創ることによって、
「自分の外に他人がいる」
っていう価値観で、生きてきましたね。
それは、実は、1/2(二分の一)の見方なんですね。
『ホロン的宇宙』っていうことを信じるならば、
「内側に、全宇宙がある」
これも、真理なんです。
「自分の外に、すべてがある」
のと同じように、
「内側に、すべてがある」
のも、真理です。
そして、今まで、全部、
「外に世界がある」
という観点から、
この宇宙を見て、体験してきたと思うんですね。
そこで、新たに、
「外には、何も無い」
という価値観を、今、伝えようとしてるんです。
「私が」、なんですけれども。
伝えようとしてるんです。
「外には何も無く、すべて内側にしかない」
という価値観だけでも、
ちゃんと生きていけるんです。
もう、「外に他人がいる」のは、十分知ってますから。
その考えを手放しても生きていけるし、
その時、今までと違う体験が始まります。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
2013年11月8日金曜日
根本治療、対処療法、応急処置
津留さんの、
「外側に働きかけないで下さい」
というメッセージ。
このメッセージを強く握り締め、
そして、この言葉に惑わされている方が、
多くいらっしゃることと推察します。
これまでの4回の交流会において、
2度、
この点についての質問がありました。
なにより、
僕自身が、よく理解できてなく、
とらわれてしまっている一人です。
昨日、ジョギングをしているとき、
このメッセージことが、フッと、頭に湧いてきました。
意識的に思考に入り、この点について、考えてみました。
一応の、自分なりの理解みたいなものは、
以前から、持ってはいます。
しかし、それに対しては、確信のようなものは持っていないし、
経験に基づいた納得のようなものも得ていません。
そこでは、その理解以外に、何か浮かんでくるわけではなかったので、
この点について考えるのを止め、
また、意識をジョギングに戻しました。
すると、次の瞬間。
前方に、砂地が現れました。
その横を通り過ぎるとき、
思わず、顔がゆるみました。
そこには、
大~きなニコちゃんマークが描かれていたからです。
誰かが、砂地に絵を描いて遊んだのでしょう。
その時。
そのニコちゃんマークが、
この問題に対する自分の理解への
OKサインだと、感じました。
そして、
それを外に伝える、表すことへの
推奨・後押しであると、受け取りました。
今朝、そこを通ったときにも、
ニコちゃんは、変わらず、大きな微笑を携えていましたので、
よく分かっていないし、
納得や経験的裏づけはありませんが、
あえて、
現時点での、自分なりの理解を、
ここに書いてみたいと思います。
「外側に働きかけない」
内側の、心象世界が、
外側の、現象世界を創り出している。
原因は内側にあるのだから、
外側の現実に対処するのではなく、
内なる想い・ブロック、こちらに働きかけて、解決してください。
津留さんの言ってたことは、そういうことだと思います。
その、津留さんの言っていたことを、
「文字通り」に受け取ると、
そして、「その通り」にするとすると、
確かに、
「外に対して、何もしてはいけない」ように思ってしまいますよね。
この点について。
「心象世界を変えることによって、外なる世界を変えていくこと」を、
津留さんは、どこかで、
『根本治療』って、表現していたと思います。
そこで、こんなたとえで、表してみたいと思います。
今、出血しているとします。
血管が非常にもろくなっているために、
出血しているとします。
血管がもろくなっているのだから、
今、出血している血管部分に、何らかの治療をしたところで、
いずれまた、別の血管から出血することは、目に見えています。
ここでは、「血管そのものを強くすること・正常に戻すこと。」
それが、『根本治療』でしょう。
そして、出血している血管部分に対して、何かの治療をしたところで、
それは、『対処療法』に当たり、
それでは、根本的な解決にはならない。
ということだと思います。
知花敏彦先生や、飯島秀行さんは、これを、
「結果を結果で解決することはできない」
と表現されてました。
ただし。
「じゃあ、対処しても意味が無いのか?」
「対処してはいけないのか?」
それは、ここでは、
出血しているという現実に対して、
出血したまま、何もしない、放っておく、
ということに当たると思います。
しかし、出血しているのだから、
血が流れ出ていくに任せる必要はありません。
とりあえず、傷口を手で押さえる、絆創膏を貼る、
あるいは、縫合するなどして止血するということは、
きわめて合理的だと思います。
あるいは、もし、止血しなければ、
そのまま、息絶え、
根本治療をする時間も得られないかもしれませんね。
そもそも、根本治療は、時間がかかる方法です。
食事を変えたり、生活習慣を変えたり、
あるいは、こころのあり方をかえなければなりません。
腰をすえ、覚悟を決め、じっくりと向き合っていかねばなりません。
浄化も、同じですよね。
ひとつのブロックを消すことは、即座にできることですが、
関連するブロックすべてを見つけ出し、それを浄化することは、
ときに、とても時間のかかることです。
また、『心象世界』が『現象世界』に反映されるにも、
タイムラグが存在しますよね。
また、さらにいえば、
出血している血管部分に対する治療も、
それが『対処療法』であり、『根本治療』ではないことを把握した上で、
とりあえずの、更なる状況悪化を防ぐために行うのであれば、
そして、後に、『根本治療』を行うのであれば、
それはまた、充分に意味のあることではないか思います。
つまり。
『対処療法』を取ったところで、根本解決にはならない。
いずれまた、同じ問題は起こってくる。
必要なのは、『根本治療』である。
しかし、当座、必要であれば、とりあえず『応急処置』をすればよい。
そんな理解でいかがでしょうか。
津留さんが言いたかったことは、
「『対処療法』によって治そうとはしないでください。」
「ちゃんと、『根本治療』を行ってください。」
ということであり、
「『応急処置』をしないでください。」
「『対処療法』をしてはいけません。」
ということではない。
ということだと、思います。
ご参考になれば幸いです。
「外側に働きかけないで下さい」
というメッセージ。
このメッセージを強く握り締め、
そして、この言葉に惑わされている方が、
多くいらっしゃることと推察します。
これまでの4回の交流会において、
2度、
この点についての質問がありました。
なにより、
僕自身が、よく理解できてなく、
とらわれてしまっている一人です。
昨日、ジョギングをしているとき、
このメッセージことが、フッと、頭に湧いてきました。
意識的に思考に入り、この点について、考えてみました。
一応の、自分なりの理解みたいなものは、
以前から、持ってはいます。
しかし、それに対しては、確信のようなものは持っていないし、
経験に基づいた納得のようなものも得ていません。
そこでは、その理解以外に、何か浮かんでくるわけではなかったので、
この点について考えるのを止め、
また、意識をジョギングに戻しました。
すると、次の瞬間。
前方に、砂地が現れました。
その横を通り過ぎるとき、
思わず、顔がゆるみました。
そこには、
大~きなニコちゃんマークが描かれていたからです。
誰かが、砂地に絵を描いて遊んだのでしょう。
その時。
そのニコちゃんマークが、
この問題に対する自分の理解への
OKサインだと、感じました。
そして、
それを外に伝える、表すことへの
推奨・後押しであると、受け取りました。
今朝、そこを通ったときにも、
ニコちゃんは、変わらず、大きな微笑を携えていましたので、
よく分かっていないし、
納得や経験的裏づけはありませんが、
あえて、
現時点での、自分なりの理解を、
ここに書いてみたいと思います。
「外側に働きかけない」
内側の、心象世界が、
外側の、現象世界を創り出している。
原因は内側にあるのだから、
外側の現実に対処するのではなく、
内なる想い・ブロック、こちらに働きかけて、解決してください。
津留さんの言ってたことは、そういうことだと思います。
その、津留さんの言っていたことを、
「文字通り」に受け取ると、
そして、「その通り」にするとすると、
確かに、
「外に対して、何もしてはいけない」ように思ってしまいますよね。
この点について。
「心象世界を変えることによって、外なる世界を変えていくこと」を、
津留さんは、どこかで、
『根本治療』って、表現していたと思います。
そこで、こんなたとえで、表してみたいと思います。
今、出血しているとします。
血管が非常にもろくなっているために、
出血しているとします。
血管がもろくなっているのだから、
今、出血している血管部分に、何らかの治療をしたところで、
いずれまた、別の血管から出血することは、目に見えています。
ここでは、「血管そのものを強くすること・正常に戻すこと。」
それが、『根本治療』でしょう。
そして、出血している血管部分に対して、何かの治療をしたところで、
それは、『対処療法』に当たり、
それでは、根本的な解決にはならない。
ということだと思います。
知花敏彦先生や、飯島秀行さんは、これを、
「結果を結果で解決することはできない」
と表現されてました。
ただし。
「じゃあ、対処しても意味が無いのか?」
「対処してはいけないのか?」
それは、ここでは、
出血しているという現実に対して、
出血したまま、何もしない、放っておく、
ということに当たると思います。
しかし、出血しているのだから、
血が流れ出ていくに任せる必要はありません。
とりあえず、傷口を手で押さえる、絆創膏を貼る、
あるいは、縫合するなどして止血するということは、
きわめて合理的だと思います。
あるいは、もし、止血しなければ、
そのまま、息絶え、
根本治療をする時間も得られないかもしれませんね。
そもそも、根本治療は、時間がかかる方法です。
食事を変えたり、生活習慣を変えたり、
あるいは、こころのあり方をかえなければなりません。
腰をすえ、覚悟を決め、じっくりと向き合っていかねばなりません。
浄化も、同じですよね。
ひとつのブロックを消すことは、即座にできることですが、
関連するブロックすべてを見つけ出し、それを浄化することは、
ときに、とても時間のかかることです。
また、『心象世界』が『現象世界』に反映されるにも、
タイムラグが存在しますよね。
また、さらにいえば、
出血している血管部分に対する治療も、
それが『対処療法』であり、『根本治療』ではないことを把握した上で、
とりあえずの、更なる状況悪化を防ぐために行うのであれば、
そして、後に、『根本治療』を行うのであれば、
それはまた、充分に意味のあることではないか思います。
つまり。
『対処療法』を取ったところで、根本解決にはならない。
いずれまた、同じ問題は起こってくる。
必要なのは、『根本治療』である。
しかし、当座、必要であれば、とりあえず『応急処置』をすればよい。
そんな理解でいかがでしょうか。
津留さんが言いたかったことは、
「『対処療法』によって治そうとはしないでください。」
「ちゃんと、『根本治療』を行ってください。」
ということであり、
「『応急処置』をしないでください。」
「『対処療法』をしてはいけません。」
ということではない。
ということだと、思います。
ご参考になれば幸いです。
2013年11月7日木曜日
現実を変えようとしなくなると、3次元ゲームが終わる
(「 あえて、何もしない 」の続きです)
それで、このゲームを開始するために、
神から分離して、
え~、神から分離した途端に、欠乏感を感じ、
「『足りない』と思った意識は、どうするか?」
っていうと、
「このままではいけない」
という感覚が湧いてくるんですね。
そこで、「このままではいけない」という感覚が、
この社会、3次元世界を動かしてきたわけです。
すなわち、
「このままではいけない」という考えが、
この無限の神から、3次元の自我を作る、
この下向きの行動の原点になってるんですね。
で、
これから、神に対して、還っていくんです。
これ、上向きなんです。
この原点が、
「このままで何も問題ない」
っていう価値観なんですね。
「このままではダメだ」
という考えを進めていくと、
神から分離する方向に行きます。
だって、神さま、
「このままじゃいけない」なんて
思ってるはずないですですからね。
ですから、どんなニュースを見ても、
「このままで何も問題ない」
という意識で見られるようになったら、
問題がすべて消えてしまうわけですね。
「問題が無い」わけですから。
問題が無くなる。
問題が無くなったら、
現実を変えようとしなくなる、
操作しなくなる、
コントロールしなくなるんです。
現実に対して、操作しなくなる。
そうしたら、この現実社会、
必要なくなるわけです。
分かりますかね?
この現実社会に対して、一切、
「こうしよう」「ああしよう」という想念が湧かなくなったら、
この3次元ゲームが終わっちゃうんです。
することが無くなるわけです。
「このままじゃいけない」と思ったら、
することがあるわけです。
世の中、え~、悪い人がいるから何とかしようと思ったら、
ゲームが続けられるんですね。
ですから、
みなさんが「このままでいい」と思った時、
することが無くなって、
え、じゃあ、最初に言った
「規格を変えよう」「5次元ゲームを今度はやろう」と。
肉体も、この肉体じゃなくなってきてですね。
で、別のステージが用意されるわけです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
それで、このゲームを開始するために、
神から分離して、
え~、神から分離した途端に、欠乏感を感じ、
「『足りない』と思った意識は、どうするか?」
っていうと、
「このままではいけない」
という感覚が湧いてくるんですね。
そこで、「このままではいけない」という感覚が、
この社会、3次元世界を動かしてきたわけです。
すなわち、
「このままではいけない」という考えが、
この無限の神から、3次元の自我を作る、
この下向きの行動の原点になってるんですね。
で、
これから、神に対して、還っていくんです。
これ、上向きなんです。
この原点が、
「このままで何も問題ない」
っていう価値観なんですね。
「このままではダメだ」
という考えを進めていくと、
神から分離する方向に行きます。
だって、神さま、
「このままじゃいけない」なんて
思ってるはずないですですからね。
ですから、どんなニュースを見ても、
「このままで何も問題ない」
という意識で見られるようになったら、
問題がすべて消えてしまうわけですね。
「問題が無い」わけですから。
問題が無くなる。
問題が無くなったら、
現実を変えようとしなくなる、
操作しなくなる、
コントロールしなくなるんです。
現実に対して、操作しなくなる。
そうしたら、この現実社会、
必要なくなるわけです。
分かりますかね?
この現実社会に対して、一切、
「こうしよう」「ああしよう」という想念が湧かなくなったら、
この3次元ゲームが終わっちゃうんです。
することが無くなるわけです。
「このままじゃいけない」と思ったら、
することがあるわけです。
世の中、え~、悪い人がいるから何とかしようと思ったら、
ゲームが続けられるんですね。
ですから、
みなさんが「このままでいい」と思った時、
することが無くなって、
え、じゃあ、最初に言った
「規格を変えよう」「5次元ゲームを今度はやろう」と。
肉体も、この肉体じゃなくなってきてですね。
で、別のステージが用意されるわけです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
2013年11月6日水曜日
あえて、何もしない
(「 『しなければいけないことが、なんにもない』ことが、分かってくる 」の続きです)
今は、変化の時なんですね。
変化っていうのは、どうやってするかっていうと、
みなさんが価値観を変えた時に、社会が変化するんです。
今の一番大きな価値観、
「人に迷惑をかけてはいけません」
「戦争はいけません」。
え~、「偉くなりなさい」っていう価値観は、
もう、消えはじめてますよね?
そろそろ。
そして、え、今までの価値観が消えて、はじめて、
次の新しい価値観を持ってくることができるんですけれども、
古い、条件反射する、深いところにしまった価値観を手放すには、
あえて、何もしない、じっとしてる、行動させない、
という時間を取ると、実は、一番早いんですね。
特に、「しなければいけない。」
今、みなさんが一番当たり前、
「だって、働かないと生きていけないじゃないか」
っていう価値観、この価値観を手放すには、
「働かないでいてみる」という体験をしてみない限り、
分からないんです。
「好きなことをしてても、生きていける」という体験をするためには、
ど~しても、そういうチャレンジが必要ですね。
あえて、何もしない。
2日でいいですから。
もう、○○さん、10年20年勤めてるんでしょ?(笑)
2日ぐらい、チャレンジしてみると。
そうすると、また行きたくなりますから(笑)
「やっぱり行こう」って。
で、行きたくて行けばねぇ、楽しいですよね。
「なんで会社来るんだ?」
「来たいから来てんだ」
こうなったら、楽しいでしょ?
「だって他にすることないもん。」
「楽しいから来てるんだ。」
こうやって働いてる人、
もうすでにそうやって働いてる人は、
幸せですよね。
でも、「家族のために働かんといかん」
って思ってる人は、大変ですよねぇ?
家帰って、奥さんにえばらなきゃいけないですねぇ(笑)
「おまえ、態度が悪い」ってことになるわけですね。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
今は、変化の時なんですね。
変化っていうのは、どうやってするかっていうと、
みなさんが価値観を変えた時に、社会が変化するんです。
今の一番大きな価値観、
「人に迷惑をかけてはいけません」
「戦争はいけません」。
え~、「偉くなりなさい」っていう価値観は、
もう、消えはじめてますよね?
そろそろ。
そして、え、今までの価値観が消えて、はじめて、
次の新しい価値観を持ってくることができるんですけれども、
古い、条件反射する、深いところにしまった価値観を手放すには、
あえて、何もしない、じっとしてる、行動させない、
という時間を取ると、実は、一番早いんですね。
特に、「しなければいけない。」
今、みなさんが一番当たり前、
「だって、働かないと生きていけないじゃないか」
っていう価値観、この価値観を手放すには、
「働かないでいてみる」という体験をしてみない限り、
分からないんです。
「好きなことをしてても、生きていける」という体験をするためには、
ど~しても、そういうチャレンジが必要ですね。
あえて、何もしない。
2日でいいですから。
もう、○○さん、10年20年勤めてるんでしょ?(笑)
2日ぐらい、チャレンジしてみると。
そうすると、また行きたくなりますから(笑)
「やっぱり行こう」って。
で、行きたくて行けばねぇ、楽しいですよね。
「なんで会社来るんだ?」
「来たいから来てんだ」
こうなったら、楽しいでしょ?
「だって他にすることないもん。」
「楽しいから来てるんだ。」
こうやって働いてる人、
もうすでにそうやって働いてる人は、
幸せですよね。
でも、「家族のために働かんといかん」
って思ってる人は、大変ですよねぇ?
家帰って、奥さんにえばらなきゃいけないですねぇ(笑)
「おまえ、態度が悪い」ってことになるわけですね。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
2013年11月5日火曜日
「しなければいけないことが、なんにもない」ことが、分かってくる
(「 本当に、これ、ゲームなんです 」の続きです)
この感覚は、あの、結局、
「すべての価値観が消えるとどうなるか?」っていうと、
「しなければいけないことが、なにもない」、わけですよね、
「しなければいけないこと」。
そうすると、どうですか?
「したいことをするだけ」、なんですね。
ただ、「したいことをする」。
「どうしてするか?」って聞かれても、意味の無いもの。
自分のすることに、体験に、意味が無くなってくるんです。
これまでね、子供を偉くしようと思う。
いい大学に行かせようと思ったら、どうしますか?
動機づけをするでしょ?
どうして、いい大学に行かなくてはいけないのか、
動機づけするわけです。
動機づけされた人間は、動き出すわけです。
え、源には、動機がないわけですね。
「したいから、する。」
これは、本当に、価値観を全部手放せたときに、
その感覚が分かってきます。
「しなければいけないことが、なんにもない」ことが、
分かってくるんです。
と、
「ただしたいから、する。」
ちょうど、『遊び』としか、言いようがないんですよね。
「したいことをする」っていうのは、
仕事とは言わないでしょ?
したいことしてるの、『遊び』って言うでしょ?
もし、今、みなさん方が、
「しなければいけないから、してる」ことがあるとしたら、
その感覚っていうのは、絶対に分からないんです。
ですから、その感覚を、もし、味わいたかったら、
自分の「しなければならない」「すべきである」と、
「しかたがない」「やらなければいけない」と、思ってることを、
一度、しっかりチャレンジして、
手放してみるんですね。
で、仕事を手放すっていっても、
簡単には行かないですねぇ。
だから、たとえば、-略-
2日ぐらい会社に行かないで、家にじっとしてみる、
っていう体験。
この時期、このことは、非常に大切なんです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
この感覚は、あの、結局、
「すべての価値観が消えるとどうなるか?」っていうと、
「しなければいけないことが、なにもない」、わけですよね、
「しなければいけないこと」。
そうすると、どうですか?
「したいことをするだけ」、なんですね。
ただ、「したいことをする」。
「どうしてするか?」って聞かれても、意味の無いもの。
自分のすることに、体験に、意味が無くなってくるんです。
これまでね、子供を偉くしようと思う。
いい大学に行かせようと思ったら、どうしますか?
動機づけをするでしょ?
どうして、いい大学に行かなくてはいけないのか、
動機づけするわけです。
動機づけされた人間は、動き出すわけです。
え、源には、動機がないわけですね。
「したいから、する。」
これは、本当に、価値観を全部手放せたときに、
その感覚が分かってきます。
「しなければいけないことが、なんにもない」ことが、
分かってくるんです。
と、
「ただしたいから、する。」
ちょうど、『遊び』としか、言いようがないんですよね。
「したいことをする」っていうのは、
仕事とは言わないでしょ?
したいことしてるの、『遊び』って言うでしょ?
もし、今、みなさん方が、
「しなければいけないから、してる」ことがあるとしたら、
その感覚っていうのは、絶対に分からないんです。
ですから、その感覚を、もし、味わいたかったら、
自分の「しなければならない」「すべきである」と、
「しかたがない」「やらなければいけない」と、思ってることを、
一度、しっかりチャレンジして、
手放してみるんですね。
で、仕事を手放すっていっても、
簡単には行かないですねぇ。
だから、たとえば、-略-
2日ぐらい会社に行かないで、家にじっとしてみる、
っていう体験。
この時期、このことは、非常に大切なんです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
2013年11月4日月曜日
本当に、これ、ゲームなんです
あの~、
「自分が、今、体験してるのは、ゲームだ」
っていう感覚、あります?
-略-
実感としては、ない?
あの、これがゲームと思えるようになると、
すごく気が楽なんですね。
それには、あの、
瞑想なんかしたことありますかね?
瞑想やってると、だんだん実感が分かってくるんですね。
え~、見えない世界に意識を向けていくと、
見えない世界に、いろ~んな体験があるの、
分かるようになります。
そして、本当に、この世のパラレルワールドがあって、
この瞬間にいろんな自分が居て、
別の人生があるのが、分かってくるんですね。
いっぱい、いろんな人生があるんです。
で、そこに入って、追いかけていくと、
ず~っと、そのストーリー、続いていくんですね。
ただ、追ってもキリがない。
そこは、ちゃんとそこで、体験がず~っとあるんです。
自分の今のこの体験と違う体験の世界があるんですね。
そして、いろんな現場を見るようになると、
だんだん、これ、みなさん、
自分の好きな現実の世界に入っていけるようになってくるんです、
これから。
え~、この宇宙、
多次元宇宙なんですね。
パラレルワールド。
平行宇宙。
いろ~んな現実世界があって、
あっちに行ったり、こっちに行ったり、っていう、
することがいろいろできるようになってくるんです。
内側に意識をあわせていくと、
そういうことが、体験が、
できるようになってくるんですね。
本当に、これ、ゲームなんです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
「自分が、今、体験してるのは、ゲームだ」
っていう感覚、あります?
-略-
実感としては、ない?
あの、これがゲームと思えるようになると、
すごく気が楽なんですね。
それには、あの、
瞑想なんかしたことありますかね?
瞑想やってると、だんだん実感が分かってくるんですね。
え~、見えない世界に意識を向けていくと、
見えない世界に、いろ~んな体験があるの、
分かるようになります。
そして、本当に、この世のパラレルワールドがあって、
この瞬間にいろんな自分が居て、
別の人生があるのが、分かってくるんですね。
いっぱい、いろんな人生があるんです。
で、そこに入って、追いかけていくと、
ず~っと、そのストーリー、続いていくんですね。
ただ、追ってもキリがない。
そこは、ちゃんとそこで、体験がず~っとあるんです。
自分の今のこの体験と違う体験の世界があるんですね。
そして、いろんな現場を見るようになると、
だんだん、これ、みなさん、
自分の好きな現実の世界に入っていけるようになってくるんです、
これから。
え~、この宇宙、
多次元宇宙なんですね。
パラレルワールド。
平行宇宙。
いろ~んな現実世界があって、
あっちに行ったり、こっちに行ったり、っていう、
することがいろいろできるようになってくるんです。
内側に意識をあわせていくと、
そういうことが、体験が、
できるようになってくるんですね。
本当に、これ、ゲームなんです。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
2013年11月3日日曜日
毎日、映画を観ているように
(「 「やりたいこと」も消えていく 」の続きです)
そうなると、
毎日毎日、
途方もない、想像もできなかったことが、
起きてきます。
今まで、頭で考えて行動してると、
自分の考えというのは、過去の記憶を使って考えますから、
記憶にないことは、考えることができないんですね。
完全に委ねてると、
ハイヤーセルフが現実を創ってきます。
そうすると、
いつもいつも、新鮮で、 まったく新しい体験ができるようになるんです。
エゴのやってることをチェックするのは、簡単です。
いつもいつも、繰り返し起こってくること。
これは、退屈なことは、
全部、エゴが起こしてます。
「少しでも良くなりたい」
という想いから、
繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し、
同じことをやり始めます。
それに気づいてください。
すべてを手放すと、
この肉体を使って、
ハイヤーセルフが、ゲームを開始するんです。
とてもスリリングで、
毎日、
えぇ、 何十億かけて作ったアメリカの映画のストーリーを追うように、
毎日毎日、
スリルな、想像もできない出来事が、起こってくるようになり、
朝、パッと目が覚めたとき、
三次元立体映画館に入った感覚ですね。
映画館に入ったんですから、
みなさん、
映画館に入ったら、どうしますか?
ただ、観てると思うんですね。
その映画のストリーを変えようとは、思わないはずです。
「次どうなるのかな?」
そう思って観てるはすです。
変えようと思って観ないはずです。
「次の展開、どうなるんだろうか?」
これがおもしろいし、
これこそ、これを体験するために、やって来たんです。
見えない世界から通信を受け始めるようになって、
いつもいつも、
「じゃあ、先はどうなるんだ?」
って、先のことをいつも聞こうとするんですが、
未来のことは、絶対、答えが来ませんでした。
それで、分かったんです。
「ああ、未来のことは、知らない方がいいんだ」
「答えが来ないのが、答えだ」って、分かりました。
ちょうど、その感覚ですよね。
映画を観て、
「次のシーン、どうなるんだ?」
知ってしまうと、価値が半減してしまうんですね。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
そうなると、
毎日毎日、
途方もない、想像もできなかったことが、
起きてきます。
今まで、頭で考えて行動してると、
自分の考えというのは、過去の記憶を使って考えますから、
記憶にないことは、考えることができないんですね。
完全に委ねてると、
ハイヤーセルフが現実を創ってきます。
そうすると、
いつもいつも、新鮮で、
エゴのやってることをチェックするのは、簡単です。
いつもいつも、繰り返し起こってくること。
これは、退屈なことは、
全部、エゴが起こしてます。
「少しでも良くなりたい」
という想いから、
繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し、
同じことをやり始めます。
それに気づいてください。
すべてを手放すと、
この肉体を使って、
ハイヤーセルフが、ゲームを開始するんです。
とてもスリリングで、
毎日、
えぇ、
毎日毎日、
スリルな、想像もできない出来事が、起こってくるようになり、
朝、パッと目が覚めたとき、
三次元立体映画館に入った感覚ですね。
映画館に入ったんですから、
みなさん、
映画館に入ったら、どうしますか?
ただ、観てると思うんですね。
その映画のストリーを変えようとは、思わないはずです。
「次どうなるのかな?」
そう思って観てるはすです。
変えようと思って観ないはずです。
「次の展開、どうなるんだろうか?」
これがおもしろいし、
これこそ、これを体験するために、やって来たんです。
見えない世界から通信を受け始めるようになって、
いつもいつも、
「じゃあ、先はどうなるんだ?」
って、先のことをいつも聞こうとするんですが、
未来のことは、絶対、答えが来ませんでした。
それで、分かったんです。
「ああ、未来のことは、知らない方がいいんだ」
「答えが来ないのが、答えだ」って、分かりました。
ちょうど、その感覚ですよね。
映画を観て、
「次のシーン、どうなるんだ?」
知ってしまうと、価値が半減してしまうんですね。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
2013年11月2日土曜日
「やりたいこと」も消えていく
(「 より有利な条件を得ようとして、いつもいつも判断しています 」の続きです)
だから、目先にあるものに、いつも振り回されるんです。
目先にあるものからの、ロボットになってるんです。
自動ロボットです。
価値観を手放したら、判断しなくなり、
判断しなくなると、思考が流れなくなる。
その時、
内側にあるもう一人の巨大な自分が、分かるようになります。
それは、思考が止まってる時だけなんですね。
考えないで、静かにしてると、
内側の大いなる我(われ)に出会えるようになってきます。
そのための近道が、
「価値観を手放す」ということなんです。
自分が握ってる価値を、チェックする。
もう一つの方法は、
「自分の好きなこと」をチェックしてもいいんです。
自分がやりたいと思ってることがあったら、
「どうしてそれがやりたいのか?」
考えていくんですね。
内側に問うんです。
そうすると、
やりたいこと、好きなこと、というのは、
そのための、やはり『モノサシ』を持ってるわけです。
だから、『モノサシ』を持ってる限り、
「やりたいこと」が出来て来ます。
そうしたら、
反対方の価値観をもたらして、価値観を手放すと、
実は、「やりたいこと」も消えていくんですね。
その時、
「今、この瞬間」に、じっとしていられるようになります。
瞑想しても、雑念が湧いてきません。
この瞬間、起きてくることを、
ただ、ながめられるようになります。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
だから、目先にあるものに、いつも振り回されるんです。
目先にあるものからの、ロボットになってるんです。
自動ロボットです。
価値観を手放したら、判断しなくなり、
判断しなくなると、思考が流れなくなる。
その時、
内側にあるもう一人の巨大な自分が、分かるようになります。
それは、思考が止まってる時だけなんですね。
考えないで、静かにしてると、
内側の大いなる我(われ)に出会えるようになってきます。
そのための近道が、
「価値観を手放す」ということなんです。
自分が握ってる価値を、チェックする。
もう一つの方法は、
「自分の好きなこと」をチェックしてもいいんです。
自分がやりたいと思ってることがあったら、
「どうしてそれがやりたいのか?」
考えていくんですね。
内側に問うんです。
そうすると、
やりたいこと、好きなこと、というのは、
そのための、やはり『モノサシ』を持ってるわけです。
だから、『モノサシ』を持ってる限り、
「やりたいこと」が出来て来ます。
そうしたら、
反対方の価値観をもたらして、価値観を手放すと、
実は、「やりたいこと」も消えていくんですね。
その時、
「今、この瞬間」に、じっとしていられるようになります。
瞑想しても、雑念が湧いてきません。
この瞬間、起きてくることを、
ただ、ながめられるようになります。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
2013年11月1日金曜日
より有利な条件を得ようとして、いつもいつも判断しています
(「 『常識』が最大の敵 」の続きです)
自分の価値観を手放す。
「どうすればいいか?」
っていうと、
「自分が嫌っているもの」をチェックすればいいんです。
「ちょっと好きでないもの」をチェックすればいいんです。
「どうして好きでないのか?」
そこに『モノサシ』があるわけです。
それを「好きではない」と測る『モノサシ』があります。
それが見つかったら、
その反対側を持って来てください。
対極の価値観を持ってきて、
考え方をバランスさせるんです。
「どちらでもいい」
バランスさせると、『モノサシ』が消えますから、
測らなくなるんです。
測らないとは、
判断ができないわけです。
比較ができないですから、
判断が起きない。
比較も判断も起きないと、
思考が流れなくなります。
普段、みなさんの頭は、おそらく、
いつもいつも、忙しく忙しく、考えてると思います。
それは、
瞬間瞬間、
目に見える情報を、
聞こえてくる言葉を、
判断してるからなんです。
何のために判断するか?
「より都合がいいことは何か?」
自分にとって、より有利な条件を得ようとして、
いつもいつも、判断しています。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
自分の価値観を手放す。
「どうすればいいか?」
っていうと、
「自分が嫌っているもの」をチェックすればいいんです。
「ちょっと好きでないもの」をチェックすればいいんです。
「どうして好きでないのか?」
そこに『モノサシ』があるわけです。
それを「好きではない」と測る『モノサシ』があります。
それが見つかったら、
その反対側を持って来てください。
対極の価値観を持ってきて、
考え方をバランスさせるんです。
「どちらでもいい」
バランスさせると、『モノサシ』が消えますから、
測らなくなるんです。
測らないとは、
判断ができないわけです。
比較ができないですから、
判断が起きない。
比較も判断も起きないと、
思考が流れなくなります。
普段、みなさんの頭は、おそらく、
いつもいつも、忙しく忙しく、考えてると思います。
それは、
瞬間瞬間、
目に見える情報を、
聞こえてくる言葉を、
判断してるからなんです。
何のために判断するか?
「より都合がいいことは何か?」
自分にとって、より有利な条件を得ようとして、
いつもいつも、判断しています。
津留晃一 講演会CD『 人間とは 』 より
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