2014年5月2日金曜日

どっちでもいい

津留さんが言っていることで、
少し、分かりにくいというか、
ピンと来るのに理解が必要な言葉だったり概念だったりが、
みなさんそれぞれに、おありだと思うのですが、

僕の場合は、
 『ニュートラル』
という言葉が、そうでした。

津留さんは、『ニュートラルな状態』を、
 「とりあえずの目標」というか、
 「とりあえずの目指すべき地点」だ、
と言っているのですが、

それが、いまひとつピンと来ないというか、
いまひとつイメージしづらく、把握しづらく、
ちょっと理解が滞(とどこお)った経験があります。

みなさんは、いかがですか?

僕と同じような方がいらしたら
少しヒントになるかもしれませんので、
すこし書いてみます。


では、その『ニュートラル』というのは、
どういう意味なのでしょうか?

津留さんのメッセージ集や書籍に出てくる説明によれば、
『ニュートラル』というのは、
2極のどちらでもなく、その真ん中で、
物差しを、判断する基準を、捨てた、手放した状態のことです。

この説明が、
僕にとっては、
頭では何となく分かるけれども、
どうもすっきりしないというか、
有り体(ありてい)の表現でいえば「腑に落ちない」というか、
よく分かりませんでした。

ところが、
津留さんのDVDの中で、
とても分かりやすい説明に出会いました。
それを観て以来、すっきりと理解できました。

その説明によれば、『ニュートラル』というのは、
 『どっちでもいい』
ということです。

わたしたちの、当面の目指すべき点は、この
 『どっちでもいい』
の場所です。
心境です。

 『どっちでもいい』
というのが、物差しを捨てられた状態です。
判断基準を、価値観を、手放せた状態です。


例えば、
『お金』について『ニュートラル』であるとは、
どんな状態でしょうか?

それは、
 「お金が有っても、お金が無くても、どっちでもいい」
という状態です。
お金持ちでも、貧乏でも、どちらでもいい、
という心境です。

ここで、ちょっと誤解しがちなのは、
『お金』に対して価値観を手放せると、
「お金が無くてもいい」と思えると同時に、
「お金が有るのはいけない」「お金持ちは良くない」
となると、思ってしまいがちなことです。

でも、この状態は、
 「お金が無いと困る」
 「お金が無いのは良くない」
という価値観を手放せただけの状態で、

逆に、
 「お金が有るのは良くない」
 「お金持ちは良くない」
 「お金は卑(いや)しいものだ」
という価値観を握ったままの状態です。

『お金』に関する価値観を手放し、
『お金』に関して『ニュートラル』な状態では、
 「お金が無くてもいい」し、
 「お金が有ってもいい」し、
さらに、
 「お金持ちじゃなくてもいい」し、
 「貧乏じゃなくてもいい」
という心境です。

ほんとうに、
 『どっちでもいい』し、
 『どうでもいい』
という状態です。


先に触れたDVDの説明の中で、
津留さんは、
 「ニュートラルであれば、相手に、選ばせることが出来る」
といっています。

目の前に、二つのものがあって、
それらを、自分と目の前の人とで分け合うとした場合、
それらのものに関して『ニュートラル』であれば、
相手に、好きなほうを、自由に選ばせることが出来ます。

自分のものは、『どちらでもいい』からです。

もし、そう出来ないとしたら、そう思えないとしたら、
それは、それらのものに関して、
 「こちらのほうがいい」とか、
あるいは、
 「あちらでは嫌だ」
と思っているということです。

この、
「こっちがいい」「あっちじゃ嫌」がなくなった状態が、
『ニュートラル』であり、
つまりそれは、『どっちでもいい』という状態です。

いかがでしょうか?
ずいぶんと分かりやすいのではないでしょうか。


そして、先のたとえでは、
「目の前の人」と、
「二つのもの」を分け合い、自分が一方を手にしましたが、

これを、
『宇宙(神、ハイヤーセルフ、集合意識)』と、
『あらゆるもの』『あらゆること』に関して分け合い、
宇宙が差し出したものを自分が手にする、
としたら...

つまり、
宇宙が決めたもの・こと・状況・環境・結果について、
自分が手にするもの・こと、自分が享受すること、すべてに関して、
自分は『どちらでもいい』『どうでもいい』
と思えたら...

それこそ、
すべてにおいて『ニュートラル』な状態であり、

つまり、それは、
『無執着』な状態であり、
『悟れている(差取れている)』状態だ、
ということです。

宇宙に、すべてを、委ねられている状態です。