2014年6月19日木曜日

『エネルギーブロック』の生存本能


週末は、平日には走れない人たちが、多数、走るみたいで、
この前の土曜日のジョギング中には、普段とは違う顔ぶれの方々と、多く、すれ違いました。

そんな中の一人に、とても身体の大きな、太めな男性がいました。

その方は、視界に入った時から、ずいぶんなスピードで走っていて、
僕とすれ違うまでの、けっこうな時間、その速さを保っていました。

 「あの身体では、いくらなんでも、もう、スピードを落としただろう」
という、自我の声、思考の声を聞きつつ、
何度か振り返り、その後の彼の走りぶりを追っていました。

案の定、やがて、
その方の速度は落ちて、ゆっくりとしたジョギングになりました。

 「やっぱりね」

そう、ささやく自我の声を聞きつつ、
ハートには、安堵の感覚を感じていました。

そのとき、はじめて、気がつきました。

自分が、目の前で起きていることを、
これまでの『常識』『知識』『記憶』と照らし合わせて、
そして、それらに当てはまっているかどうかを、常にチェックしている、
ということに。

そして、その照合の結果、
これまでの『常識』『知識』どおりであれば、『安心』している、
ということに。

気づいてみて、ちょっと、ショックでした。


僕は、
これまで人類に引き継がれてきた、
さまざまな『常識』や『因習』、『価値観』などを一新して、
愛に基づいた、全体性を有した、
新たな地球文明が興(おこ)ることを望んでいます。

そして、微力ながら、その一翼を担えるようにと、
つまり、他人任せではなく、自ら参画して、行動して、
その流れを創り、後押しできるように、と、意識しています。

自分自身が、日頃から、そのような行動をこころがける、
ということだけでなく、

自分自身のブロックの浄化が、
そして、クライアントさまのブロックの浄化をお手伝いすることが、
直接に、間接に、
その流れを生み出し、加速させることになる、ということも、意識しながら、
日々、自らの浄化や、個人セッションに臨んでいます。

自分自身のことを、そのように認識していながら、
しかし、無意識のレベルでは、
これまでの『常識』が保持されることに『安心』しているのです。

いえ、そういう『ミニ自我』を、保持しているのです。
そして、保持し続けているのです。

そのことに気がつき、愕然(がくぜん)としました。


さて。

そのように気がついてみると、
つまり、そのように、僕自身の理念や意志に反する『ミニ自我』を、
「自らの意思」で「保持し続けていた」ことに気がついてみると、

実は、逆に、
その『ミニ自我』というものが、
実は、
まるで『生物』であるかのように、
自ら意思を持って、自ら存続しようと、生存し続けようと、しているのではないか。

そんな認識を持ちました。


『ミニ自我』『エネルギーブロック』は、
ちょうど、妻が、今日のブログ記事「 自我(エゴ)との対話 」(←必読!)に
書いているとおり、
『自我』とも、『エゴ』とも、あるいは『インナーチャイルド』とも呼べるものであり、
それは、まさしく『生き物』とも認識できる『エネルギー体』です。

ここのところの個人セッションでは、
まさに、そのように『エネルギーブロック』をとらえ、
そして、話しかけるように、話を聞いてあげるように、意識を向け、
それによって浄化することが、とても効果的なケースが、多々見受けられています。

そのような認識のもとに、『エネルギーブロック』に接してみると、
それは、まさしく『生物』のように、自らの『意思』を持っているかのように、
存在し、そして、存在し続けようとしているように、感じられます。


ところで、
もし、そのような認識を持てたならば、

これも、妻が書いているように、
そのような『エネルギーブロック』を、『ミニ自我』を、
 「恨むべきもの」「毛嫌いすべきもの」
 「一刻も早く、取り去るべきもの」
 「削除すべきもの」「消し去るべきもの」
というような感覚でとらえ、扱うのではなく、

きちんと、その『人格』を認めてあげ、『存在』を受け入れてあげ、
そのうえで、しっかりと意識を向けて、会話をし、話を聞いてあげ、
ときに理解し、ときに共感し、ときに同情してあげる、
ということが、とても有効です。

そしてそのうえで、
 「いままで、見て見ぬ振りをして、存在を認めてあげなくて、ごめんね」
 「いままで、ちゃんと意識を向けてあげなくて、ごめんね」
 「もう大丈夫だよ」
 「もう、光に還ろうね」
 「今まで、ありがとうね」
そんな言葉を、そんな意識を、送ってあげることが、効果的です。

その『エネルギーブロック』は、これまで、
否定されていたからこそ、拒絶されていたからこそ、無いものにされていたからこそ、
嫌われていたからこそ、認めてもらえなかったからこそ、
存在し続けたのです。
存在し続けようとして来たのです。

人間側の、
 「嫌だ」
 「怖い」
 「辛い」
という『恐れ』の想いが、
それらの『エネルギーブロック』を縛り付け、縛り付け続け、
そして、それらに、新たなエネルギーを注ぎ続けて来たのです。
栄養を与え続けて来たのです。
だから、存続し続けて来たのです。

でも、
今はもう、そんなエネルギーとも、和解の時です。
その存在を認め、受け入れ、謝罪し、
そして、感謝する時です。

彼らの存在のおかげで、体験できたことがあるということに、
感謝すべき時です。

そして、その体験も、十分にできたので、もう卒業しますと、
宣言すべき時です。

もう、任務は終了しましたから、どうぞ安心してお帰りくださいと、
伝えるべき時です。

そのとき、その存在は、
キラキラと光り輝きながら、大元へと還って行くことでしょう。