2014年6月10日火曜日

より純粋な感情へ


 「浄化をしていると、感情を感じなくなっちゃうんですか?」
 「なんか、無味乾燥な人間になっちゃうんじゃないですか?」

これまでに、何度かいただいた、ご質問です。

先週、
立て続けに、2度、この質問をお聞きしました。

そして、
それに対して、妻がご返答しているのを、横で聞いていて、
 「なるほど」
と思うことがあり、
自分なりの考えも、まとまりました。

そこで、ぜひ、お伝えできればと思い、
ここに書かせていただきます。

なので、
今日の内容は、
「ひでの想ったこと」半分、
「pure vision の想ったこと」半分です ^^

それから、
僕は、まだまだ「浄化途中」で、まだまだ「ブロックだらけ」なので、
今日の内容は、
一部、実体験の確認の取れていない情報をお伝えしています。
ご了承ください ^^ 。


まず、
 浄化をしていけば、感情を感じなくなる
ということですが、
そのことは、そのとおりです。

たとえば、
ある人に関する「怒り」の感情を(そのエネルギーブロックを)浄化すれば、
その人に対して、「怒り」の気持ちを感じなくなります。
そして、それに関連している「怒り」なども、感じなくなります。

僕も、長年にわたって憤(いきどお)りの対象だった人物について浄化したら、
もう、その人に会っても、その人のことを思い出しても、
「怒り」が沸いてこなくなりました。

このように、
浄化によって、感情を感じなくなることは、確かです。


では、
 感情を「一切」感じなくなるのか?
というと、
それは、そうではありません。

やはり、感情そのものは、残ります。

これは、津留さんが紹介していた例なのですが
(すみません、どこで言っていたか、思い出せません ... ^^; )、

ある覚者が、自分の母の死去を聞き、涙を流されたそうです。
それを見たお弟子さんが、
 「泣いていらっしゃるのですか?」
と聞いたところ、
その覚者は、
 「私だって、母が死ねば、悲しい」
とおっしゃって、ひとしきり、泣かれたそうです。

そのように、
たとえ覚者といえど、感情は感じるのですね。


このように、浄化を進めても、
 感情が「完全に」なくなる、というわけではない
ようなのですが、

だだ。
感情を感じるにしても、
浄化を進めた場合と、そうでない場合とでは、
大きな違いがあります。


まず、一つ。
先の覚者の例ですが、話に続きがあります。

母の死を聞き、涙を流された覚者ですが、
ひとしき泣かれた後、
サッと、何事もなかったかのように、前の状態に戻られたそうです
(確か、していたことの続きをされた、のだったと思います)。

このように、「尾を引く」ということがありません。

 ただ『感情とともにあり』、
 そして、
 ただ『感情から離れる』
そんな感じなんだと思います。

あるいは、
 『必要な』感情については、それを『感じ』『体感し』、
 それを『感じ終わった』ら、その感情から離れる
そんな感じかもしれません。


それから、
 『感情に飲み込まれてしまう』
 『感情に圧倒されてしまう』
というようなことが、なくなります。

『感情がやって来ている』ということに気づけるようになります。
『感情』が、『感情』という、自分そのものとは別のものだと、気づけます。

そして、
感情を『見ていられる』ようになってきます。
感情から『離れられる』ようになってきます。

そこで、
感情と『一体化』して、それに『飲み込まれてしまう』ということが、
感情に『翻弄(ほんろう)』されてしまうということが、
なくなってきます。

なので、
 「辛(つら)くて辛くて、どうしようもない」
というようなことが、なくなってきます。

このことは、
比較的顕著に、比較的早い段階で、感じられる変化だと思います。


そして、
これもまた、とても顕著に感じられることだと思いますが、

感情を感じているときに、
 「どうしよう」「なんとかしなきゃ」
 「はやく止めたい」
 「うわぁ、やだな」
などと騒ぎ立てる『自我ちゃん』が、いなくなってきます。

そうすると、
感情の発生に伴って、内側のエネルギーを
 『膨らませる』『大げさにする』『過剰にする』『混乱させる』
ということがなくなってきますから、

ただ、
「その」感情「だけ」を、感じられます。

必要以上に、その感情を強く・大きく感じることがなくなります。
他の感情が上乗せされてくることがなくなります。


つまり、
浄化を進めていけば、

 ただ、感情を感じられる
 より純粋に、その感情を感じられる
 
そんなふうになってきます。


また、
浄化を進めた場合、基本的には、
 『重たい感情』
 『強い感情』
 『荒い感情』
から、抜けていきますから、

感じられる感情は、
 より軽いもの
 より細かいもの
 より精妙なもの
に、なってきます。

そして、また、
浄化を進めていくと、
往々(おうおう)にして、

たとえば、これまで、『怒り』を感じていた相手の、
 その相手なりの事情を、理解できるようになってきます。
 その相手に対する『共感』が、できるようになってきます。
 その相手のことを気遣えるようになってきます。

いろいろなことに、気づけるようになってきます。
そういうことを、『感じられる』ようになってきます。

先に出した僕の例で言えば、
『怒り』を感じなくなった後、
僕は、その人に対して、いろいろなことを『同情』できるようなりました。

たとえば、
その人の『わがままさ』と見えていたことが、
その背後にある、その『わがままさ』をもたらしていた『弱さ』のほうが見えてきて、
自然と、同情できるようになりました。

さらには、
逆に、少し『愛おしい』ような感覚すら出てきて、
自然と、その人のことを配慮できるようになりました。

このことは、

 自分を守ることに使っていた、
 自分を保つことに使っていた、
 意識を・エネルギーを、
 もうそのことには使わなくて済むので、
 それを、相手に向けて使ってあげることができるようになるから
 
そんなふうにも、説明ができるかもしれません。


このように、
浄化を進めて行くと、
感情が(感覚が)、
こんな感じに、変わっていくと思います。

ですから、
ご心配な方は、心配などなさらず、
どうぞ、浄化を進められてください。

ご心配な方ほど、
率先して、浄化をなさってください。


そして、最後に。

こういう質問をされる方は、
そういう疑問が湧く方は、
かならず、

 「『無味乾燥』な人は嫌だ」
 「感情が希薄な人には、なりたくない」
 
そんな想いを、持っていますね。
そんな想いがあるから、恐れがあるから、
そんな質問・疑問が湧くわけですね。

ですから、
どうぞ、そんなブロックを、浄化なさってください ^^