2014年6月19日木曜日

そのままの自分


 「自分が、自分自身でいる以上に、完璧なことなど、あるだろうか」

そんな感覚を、感じることが、あります。
そんなことを、ときおりですが、感じたりします。

今朝も、朝日を身体の正面に受けながら、
そんなことを、全身で感じていました。

ここでいう『自分自身』というのは、
 「今、そこの、そのままの、自分」
といった感じの意味です。

 まだ執着を握っている、まだ『ミニ自我』を抱えている、現状の自分
といった感じで、
かつ、
 今ある特徴、今までの経験、そんなものを持っている自分
そんな感じです。

 「自分が、そんな、今の、そのままの自分でいる以上に、完璧なことなど、あるだろうか」

そんな想いに、ときおり、包まれることがあります。
そんな温かさが、内側にしみ出ているときがあります。


それは、
たとえば、何もしていないときだったりします。
いえ、「ちゃんと」『何もしていない』からこそ、感じられるのでしょうね ^^ 。

あるいは、
家族と、おバカな話をして、笑い合っているときだったりします。
僕が言ったことで、みんなが笑ってくれているときだったりします。

あるいは、
今からお伝えするようなことが、起きたときだったりします。


少し前のことになりますが、
浄化実践講習会に参加してくださった方から、
会に対しての、ご意見・アドバイスをいただきました。

そのアドバイスの内の一つは、
とても的確で、自分でもそうだと感じるものでしたので、
実際に、次回から、採用させていただきます。

そのときには、それ以外にも、
 「もう少し、メリハリ・抑揚をつけると、いい」
 「もう少し、おもしろく伝えると、いい」
そんなアドバイスもちょうだいしました。

また、
同じく浄化実践講習会に関してでしたが、
妻から、二度、指摘を受けました。
その内容は、
 「言い方が、丁寧すぎる」
というものでした。

妻からの指摘を受けたときには、
正直に言えば、
 「いや、それじゃぁ ... 」
と、むくっと起き上がり、自動反応するエゴちゃんも居たのですが ^^ 、
でも、同時に、一つの意見・見解として、ただ、受け入れることもできたので、
ありがたく拝聴いたしました ^^ 。

ただ、変えはしませんでした。

でも、それでも、
 「そうか、そうなのかぁ」
 「真面目すぎるかなぁ」
 「丁寧すぎて、だめかなぁ」
そんな想いは、湧きました。


そんなことがあった後、
つい先日、
ある方が、個人セッションを受けてくださいました。

その方から、
 「ブログを読んでます。参考になるので、ありがたいです。」
と、おっしゃっていただきました。
そして、その方が、その後で、
 「○○さんのブログは、ちょっとオチャラケているので、読めないんです。」
と、ある方のブログについて、おっしゃっていました。

それをお聞きしたとき、
本当に
 「僕だから、受け入れてくれる人、合う人が、いるんだ」
 「自分は、自分のままでいいんだ」
 「この『自分』だからこそ、いいんだ」
ということを、しっかりと確認できました。

 「自分は、自分のままでいい」
 「いや、自分が、自分のままでいるからこそ、宇宙は完璧なのだ」
そんな想いを、強くしました。
そんなことを、強く体感しました。


私たちは、みな、ひとりひとり、ジグソーパズルのピースです。

みな、それぞれが、
それぞれの形で、
それぞれの模様で、
それぞれの向きで、
それぞれの場所に居て、

それで、
それでこそ、
全体が成立しています。
宇宙が成立しています。
宇宙が『完璧』なものとなっています。


そのままの、ピース、すべてに、幸あれ。