2016年11月18日金曜日

2016アメリカ旅行24 シャスタ2日目 マウントシャスタ山中へ


 シャスタの街の中から、
 間近に、その全容を、
 しっかりと、眺めることができましたので、
 
 その日の、夕方、
 いよいよ、
 ついに、
 
 シャスタ山の中腹まで登り、
 そして、
 シャスタに、ご挨拶をすることにしました。
 
 
 マウントシャスタへは、
 車で、
 その中腹まで、登って行くことができます。
 
 バニーフラット( Bunny Flat )という、
 標高、約2,100mの、
 5合目に当たる場所までは、
 
 通年、
 車でのアクセスが可能です。
 
 そこには、ゲートが設けられていて、
 雪の期間は、閉鎖されていているそうです。
 
 開放されているのは、
 7月から10月の、限られた期間。
  
 僕たちが訪れたときには、
 ちょうど、
 1週間ほど前に、
 ゲートが開けられたようで、
 ラッキーでした。
 
 ゲートが開いていれば、
 さらにその先の、
 標高、約2,390m地点にある、
 この道の終点の、
 オールド・スキー・ボウル( Old Ski Bowl  ) 駐車場まで、
 車で上がって行くことができます。
  
 シャスタシティからは、
 直線距離的には、すぐなのですが、
 高度としては、約1,400mほど、上るので、
 およそ30分くらいの時間は、掛かりました。
 
 
 その地点からは、
 マウントシャスタの、山頂が、
 もう、「目の前」という感じで、見えました。
 
  「マウントシャスタに、来た!」
 
 という、濃い実感が、
 身体の中心から、湧きました。




 
 
 昼間、
 心置きなく、買い物をしましたので、
 
 時間は、
 もうすでに、夕刻も過ぎ、
 ほぼ、日暮れ。
 
 空も、周りも、
 刻々と変化する「光」に、
 独特の姿を、色合いを、映していました。



 
 
 そこは、
 森林地帯を越えた、高山地帯で、
 草も、花も、
 特有の、可憐な姿を、見せていました。


 
 ここにも、
 また別の種類の、
 「幸福の青い鳥」が、居ました。


 
 
 また、
 眼下に目をやると、
 正面に、
 レイクシスキューや、
 キャッスルレイクが、
 肉眼には、くっきりと、見られました。



 
 
 駐車場からは、
 山頂方向に向かって、
 トレイルルートが、見られます。
 
 距離として、300mほど、
 高度にして、40mほど、
 まっすぐ上に、登ったところに、
 
 間欠に流れてくる、
 湧き水が、ありました。
 
 土管の中を、
 冷たく、柔らかい、澄んだ水が、
 断続的に、駆け下りてきていました。


 
 僕たちは、各々、
 手に取り、
 喉に、流し込みました。
 
 マウントシャスタの、体液を、
 いただいているような、気持ちになりました。
 
 それを、
 自分の体内に、
 取り込んでいるように、感じました。
 
 この場所に、
 とけ込めたような、気になりました。
 
 
 息子と、二人、
 さらに上に、登ることにしました。
 
 時間の許す限り、
 より、山頂近くに、
 より、懐の奥深くに、
 進みたいと思いました。
 
 この日も、また、
 暑さの厳しい日でした。
 
 街中も、
 その暑さが、容赦なく、
 道路からの照り返しも、激しいものでした。
 
 夕刻を過ぎ、
 しかも、
 標高2,400mを越えたこの地点でも、
 
 まだ、身体は、火照ったままで、
 先ほどの水で、
 ようやく、一息つけた感じでした。
 
 末娘は、
 まだ、暑さに、バテていました。
 
 そこで、
 息子と、二人、
 彼女に、雪を、持って帰ってあげようと、
 計画しました。
 
 
 湧き水の場所からは、
 一番近くに見える、雪の場所までも、
 30分以上は、離れているように、感じられましたが、
 
 実際に登ってみると、
 案外、すぐに、たどり着くことができました。
 
 夏ながら、そこに残された雪に触れ、
 それを、
 ひとすくい、口に含むと、
 
 もう一段、
 マウントシャスタと融合できたような、気になりました。


 
 そこからの、
 シャスタ上部は、
 さらに、一段、近くに見えました。


 
 山頂に、山全体に、
 ゆっくりと、時間を取って、
 ご挨拶と、感謝を、伝えました。
 
 
 駐車場の上方には、
 僕たち家族しか、居ませんでした。
 
 風もなく、静かで、
 自分の息づかいが聞こえ、
 耳を澄ますことができました。
 
 時が止まったようでした。
 
 明るさだけが、刻々と変わり、
 それだけが、動いているようでした。
 
 この地上に、
 僕たちだけが、存在しているようでした。
 
 マウントシャスタに、
 僕たちだけが、取り残されているようでした。
 
 周りのすべてと、
 浅く、薄く、なめらかに、静かに、
 繋がっているようでした。
 
 ある周波数帯域を、
 周りすべてと、山と、
 共有しているようでした。
 
 ここに来てしか、
 このタイミングでしか、
 体感できないものを、味わっているようでした。
 
 「『山』と『谷』」のある、二極の感覚とは、
 また別の、
 細やかな平坦さに、
 僅かながら、触れられた気がしました。
 
 
 ハンカチ一杯に、雪をすくい、
 娘と裕子さんのところまで、戻りました。


 
 娘は、
  「天然の、かき氷だね」
 と、
 口一杯に、何口も、
 食べていました。
 
 
 車に戻ると、
 西空は、最後の彩りを放っていて、
 見上げた空には、
 もう、無数の星々が、煌(きら)めいていました。


 
 夏の夜の、はじまり。
 
 こころは、
 静まり、満たされ、穏やかでした。