2014年8月4日月曜日

『感じること』と、『考えること』


『浄化』って、
いったい、
何をしているのでしょうか?

具体的に、
何をしているのでしょうか?


浄化によって、
私たちは、
 エネルギーを、
 「取り除い」ています。
 「捨て去っ」ています。

あるいは、
 エネルギーを、
 「手放し」ています。
 「解放し」ています。

あるいは、
 エネルギーを、
 『流し』ています。


その、
 「取り除き、解放し、流している『エネルギー』」
は、
いわゆる『エネルギーブロック』と呼ばれる「エネルギー」ですが、

それ(『エネルギーブロック』)は、
過去において、
 「ただ『流す』」
ということができずに、
自らの中に、
 「『溜(た)めて』しまったエネルギー」
です。

過去、
その「エネルギー」がやって来たときに、湧き上がって来たときに、

 「ただ、あるがままに『認め』、あるがままに『流す』」
ということができずに、

 「いやだから」
と、『感じ尽くさなかった』エネルギーです。

 「辛(つら)いから」
と、『意識をそむけてしまった』エネルギーです。

 「よくないものだから」
と、『押さえ込み、蓋をしてしまった』エネルギーです。

そうやって、
自ら、自らの中に、
溜めてしまった、留(とど)めてしまった、エネルギーです。

 「『封印してきた』エネルギー」
 「『無かったことにしてきた』エネルギー」
なんていう表現も、できるかもしれません。


そして、
『浄化』とは、

その、
溜めてしまった・留めてしまったエネルギーを、

取り除いてあげる作業です。
解放してあげる作業です。
『流して』あげる作業です。


具体的には、
 「『感じ尽くさなかった』ために、溜まってしまったエネルギー」
なので、
『感じてあげます』。

 「『意識をそむけてしまった』ために、溜まってしまったエネルギー」
なので、
『意識を向けてあげます』。

このように、
 「『感じる』こと」
 「『意識を向ける』こと」
によって、
 「エネルギーを『取り除く』こと」
 「エネルギーを『解放する』こと」
ができます。

 「エネルギーを『流してあげる』こと」
ができます。

『浄化』とは、
そのように、
エネルギーを、流してあげる作業です。

また、
つまり、
 「『感じる』『意識を向ける』」
というのは、

具体的には、
 「エネルギーを『流す』」
ということになります。


ところで。

津留さんの言葉に、
 「『考える』人生から、『感じる』人生へ」
という言葉があるように、

 「『考える』こと」
と、
 「『感じる』こと」
とは、
いわば、「両極」にある、
とても対照的な意味・内容の言葉です。

そして、
それらは、
さきほどの、「エネルギーに対する『作用』」においても、
対照的な働きをします。

 「『感じる』こと」
が、
 「エネルギーを『流していく』作用」
をするのに対して、

 「『考える』こと」
は、
 「エネルギーを『溜めていく』作用」
をします。

『感じている』とき、
エネルギーは、「流れ」、「解放され」、「出て行く」のに対して、

『考えてる』とき、
エネルギーは、「留まり」、「蓄積され」、「溜まって」いきます。

『感じる』と、
内側にあるエネルギーは、「収縮し」、「減少していく」のに対して、

『考える』と、
内側にあるエネルギーは「膨張し」、「増大して」いきます。

『感じている』とき、
私たちの『意識の中心』『意識の核』は、
『エネルギーブロック』の外にあり、
そして、
外側から、『エネルギーブロック』に対して、エネルギーを注ぎます。
外側から、『エネルギーブロック』を覆(おお)い込み、それを収縮させていきます。

それに対し、
『考えてる』とき、
私たちの『意識の中心』『意識の核』は、
『エネルギーブロック』の内にあり、
そして、
内側から、『エネルギーブロック』に対して、エネルギーを注ぎます。
内側から、『エネルギーブロック』にエネルギーを注ぎ込み、それを膨張させていきます。

『考えてる』とき、
私たちは、
『エネルギーブロック』と「一体化」してしまっています。
『エネルギーブロック』の内側に、入り込んでしまっています。

そこで放たれたエネルギーは、
すなわち、
『エネルギーブロック』の内側で放たれ、
『エネルギーブロック』という袋の中で放たれ、
結果、
『エネルギーブロック』そのものが膨張していきます。


『思考』に居るとき、
私たちは、浄化ができません。

それは、
『思考』に居るとき、
私たちは、
 「エネルギーを流し、
  『エネルギーブロック』を解消・消滅させていく」
ということが、できないからです。

それをできるのは、
 「『感じている』とき」
です。

それをできるのは、
 「『思考』から離れ、かつ、『感じている』とき・『意識を向けている』とき」
です。


『思考』に居るとき、
私たちは、
 「エネルギーを溜め込み、
  『エネルギーブロック』を形成・膨張させていく」
ということが、できます、
逆にいうと ...

『思考』に居るとき、
私たちは、
 「心配を増大させ」
 「恐れを拡大させ」
 「怒りを増強させ」
 「悲しみを深化させ」
ることができます。

そうやって、
私たちは、
『エネルギーブロック』を増やし、増大させ、強化して来ました。

そして、
それによって、
私たちは、
 「『人間』らしく」なってきました。
 『人間体験』を増やしてきました。
 『人間』を極めてきました。

それによって、
『神』が、
『神ならざる者』に、成ることができました。

 「『考えること』『思考』」
には、
そんな役割も、ありました。

もちろん、
いまでも、そのような作用は、有効ですので、
ぜひ、ご活用いただきたいと思います、
もし、まだ、「『人間』であること」を、深めていきたいなら ...


 「『浄化』とは、
  いったい、何をしているのか?」

そして、
 「『感じる』とは、『考える』とは、
  いったい、どういうことなのか?」
 「それらは、『浄化』に際して、
  どのような意味を持つのか?
  どのような作用をもたらすのか?」

ということについて、
ある一側面から、
お伝えいたしました。

この部分を理解されると、
 浄化そのものに対する理解が深まり、
 そして、
 浄化がよりスムーズに進むのではないか
と、思っています。

この部分を理解されると、
 「浄化をするときに、どうして、思考から離れる必要があるのか?」
ということについて、
より、ご理解いただきやすいのではないかと思います。

また、
浄化をするときに、
『感じる』『意識を向ける』ことができていると、
よりうまく、よりしっかりと(あるいは、「より効率的に」)、
浄化をすることができるか、ということについて、
より、ご理解いただけるのではないかと思います。

ただし、
たとえば、M2を使った浄化などは、
たとえ、うまく『感じる』『意識を向ける』ことができなかったとしても、
浄化はできますので、ご心配は無用です。

ただ、そのとき、
『考えている』と、『思考』にいると、
やはり、浄化はできません。

 「『思考』から離れる」
という訓練は、ぜひ、なさってくださいね。