2014年8月22日金曜日
『細胞』と『人間』
先日、
『小我』と『大我』について、
書かせていただきました
(過去記事「常に、二つの見方 (30℃の考察)」)。
そこでお伝えしたかったことは、
「『小我』の視点と、『大我』の視点の、両方から見ること」
の重要性、有用性について、です。
ところで。
「わたしたちは、
『小我』であり、
同時に、
『大我』である」
「わたしたちは、
『人間』であり、
かつ、同時に、
『神そのもの』である」
って、どんな感じなのか、
なかなか、イメージがつかない方、
いらっしゃいませんか?
僕の場合、
ずいぶんと長い間、
よく分かりませんでした。
で、
その感じを、
ある程度『体感的』に理解するには、
ある程度『体感を持って』理解するには、
やはり、
どうしても、『浄化』が必要になると思います、
僕の体験からすると。
『浄化』を、ある程度すると、
かかっていた靄(もや)が、すこし、晴れてくる感じで、
「あぁ、そうか。そういうことか」
と、
『体感的』に、理解できる部分が、出てくるのではないかと思います。
僕の場合は、
まだ、あくまでも、「ほんの少し」ですが、
そうでした。
ですが、
頭だけで、左脳だけで、
「だいたい、こんな感じ」
「こんなイメージ」
というのを、理解することも、
もちろん、可能だと思いますし、
そして、
そのようなときには、
僕の場合は、
次のような比喩によって、
認識する・とらえるように、しています。
さきほどの、
「わたしたちは、
『人間』であり、
かつ、同時に、
『神そのもの』である」
というのを、
ここでは、
一段下げるというか、
一段小さくして、
「わたしたちは、
『細胞』であり、
かつ、同時に、
『人間そのもの』である」
というふうに、
考えてみます。
もし、
わたしたち一人一人が、
それぞれ、
ある、一人の『人間』の中の、
一つの『細胞』だとしたら ...
いま、
わたしたちは、『細胞』です。
知覚できるのは、
『自分自身』である、
一つの『細胞』のことだけです。
そして、
自分のことを、
「わたしは、『細胞』だ」
と、
思っています、認識しています。
周りには、
他の『細胞』たちが、います。
もし、あなたが、
「心臓の『細胞』」だとしたら、
あなたは、
他の、多くの『細胞』たちとともに、
「心臓」を形成し、
そして、
「心臓」を機能させていることでしょう。
ちなみにですが、
この、
「心臓」というグループは、
「家族」であるとか、
あるいは「会社」「職場」などと、
とらえてみることができるかもしれません。
そして、
日ごろ、こう、思っているかもしれません。
「自分は、すごいんだぞ。
一番忙しい、一番重要なことを、やってるんだぞ」
「あの、『膵臓』の細胞は、なんで、あんな怠けてるんだ?
わたしは、休みなく、こんなに、働いてるのに」
「あの、『目』の細胞は、いいなぁ。
いろいろなこと見えて、外の世界が見えて、いいなぁ」
「あの、『右心室』の細胞は、どうして、僕を批判するんだ?
僕だって、精一杯、やってるよ!」
そんなことを思いながら、
一(いち)『細胞』として、
『自分』に誇りを持ち、あるいは自慢し、
『他者』を批判し、とがめ、
『他者』に憧(あこが)れ、羨(うらや)み、
『他者』から批判さて、悩み、苦しみ、恨(うら)み ...
そして、
ストレスを感じています。
ところで、
一『細胞』としては、
まったく、認識していませんし、感知できていませんが、
でも、
『本人』の認識・自覚にかかわらず、
その『細胞』は、
いつでも、どんなときでも、
『人間』の、一部です。
『人間』そのものです。
ですよね?
そして、
その『細胞』が、
そこに存在し、
かつ、
その役割を果たすことによって、
はじめて、
全体としての『人間』は、
生きていくことができます。
その『細胞』が、
「『その』細胞」として機能して、
はじめて、
その『人間』は、生きていくことができます。
また、
その『細胞』が消滅したら、
その瞬間、
その『人間』は、死んでしまいます。
『人間』の身体は、
空間があると、死んでしまうのだそうです。
ですから、
その『細胞』の消滅は、
即、
その『人間』の死を意味します。
まるで、
津留さんのメッセージ、
「あなた一人がもし欠けたとしたら、この宇宙はその瞬間消滅すると伝えられました。」
(津留晃一メッセージ集 新人類の覚醒進化プログラム 『 在る 』)
そのものですね ^^ 。
(ちなみにですが、
知花敏彦先生のお弟子さんの、飯島秀行さんによると、
このように、体内に空間を作らないようにするために、
『ガン細胞』が異常増殖して、
きちんと更新できなかった細胞を、バックアップしているのだそうです。
さらに、ちなみにですが、
知花先生ご本人が、そう、おっしゃっていたのかどうかは、存じ上げません)
ただ、
『細胞』としては、
まったく、分からないことがあります。
なぜ、
ときおり、
『自分』が、
あるいは、
周りの『細胞』たちも含めて、みんなが、
「周期的に、上下運動をしながら、
時速5kmで、動く」
のか、
ということが。
「どうして、そんなことになるのか」
ということが、分からないことに、
ストレスを感じ、苦しんでいます。
そして、
「時速5kmで、動いている」
その間は、
自分が、いつもより、さらに懸命に動かなければならないことに、
とても、悩み、苦しんでいます。
なので、
『細胞』として、
必死になってに、
「時速5kmで、動く」
ことがないように、努力しています。
「時速5kmで、動く」
ことがないように、
『念じて』います。
『意識を向けて』います。
『創造』しようとしています。
ところで。
この、
「時速5kmで、動く」
ということ。
『人間』からみれば、
じつは、それ、
ただ単に、
『歩いている』
というだけことです。
ただ、
それだけのことです。
そして、
『歩く』のは、ときどきです。
24時間、常に、歩いているわけではありません。
なので、
『歩く』をやめれば、
『心臓』は、『細胞』は、
また、ゆっくりと動けばよくなります。
そのことの理由を知ったり、
また、
そうならないようにコントロールしようとしたりする必要は、
一『細胞』としては、
ありませんよね。
そうなったなら、
そうなったときに、
ただ、『細胞』として、自分のすべきことを、
ただ、すればいいだけのことですもんね。
あるいは、
そうコントロールしようとすることは、
『細胞』としては、極めて難しいことだと思います。
だから、
全体のことは、
ただ、
『人間』に、まかせておけば、いいのです。
『人間』は、『人間』として、
目で見て、
音を聞いて、
空気を肌で感じて、
あるいは、情報を収集して、
そして、
その上で、
最善だと判断したことを、しているのです。
一『細胞』には、
まったく、知覚・認識できないことを、
全部、分かった上で、
その上で、
最善だと判断したことを、しているのです。
もしかしたら、
『人間』は、
「歩く」ことによって、
場所を移動して、
そして
『人間』としての生命の危機を回避している、
という場合だって、あるわけですよね。
『細胞』としての『願望』が『実現』していたら、
『人間』として、死んでしまっていたかも、しれませんよね。
「わたしたちは、
『小我』であり、
同時に、
『大我』である」
という感覚は、
ここでは、
「わたしたちは、
『細胞』であり、
かつ、同時に、
『人間』である」
という感覚ですが、
それを理解するためには、
まず、
『細胞』が『人間』の一部であることを確信し、
かつ、
以上のようなことを、
情報として、頭で理解した上で、
「『細胞』としては、知覚認知できないことがある」
ということを、
しっかりと認識し、
そして、
「でも、『人間』としては、それは、知覚認知できている」
ということを知り、
なおかつ、
「『人間』は、『人間』として、最善を尽くしている」
ということに関して、信頼をする、
「『人間』を信頼する」
ということだと思います。
そして。
さきほどが、
一段下げた、
一段小さくした、
その『仮定』を、
今度は、
一段上げてみます。
一段大きくしてみます。
わたしは、『人間』であり、
かつ、
わたしは、『地球』の一部であり、『地球』そのものだ
と。
遠くから見てみれば、
遥か高いところから見てみれば、
『人間』は、
まさに、
『地球』の『細胞』のようなものですよね。
そして、
その、
「上げる」「大きくする」動きを、
さらに、さらに、
続けていきます ...
わたしは、『地球』そのものであり、
かつ、
わたしは、『太陽系』の一部であり、『太陽系』そのものだ
わたしは、『太陽系』そのものであり、
かつ、
わたしは、『天の川銀河』の一部であり、『天の川銀河』そのものだ
わたしは、『天の川銀河』そのものであり、
かつ、
わたしは、『宇宙』の一部であり、『宇宙』そのものだ
そして、
わたしは、 ...