2014年8月14日木曜日
浄化をためらわれている方に(浄化の『個人』的側面を超えた部分について)
これは、まだ、
僕自身が、2回しか、経験していないことなので、
ここでお伝えしてよい情報なのか、分かりかねるんですが、
3回目が、いつ、訪れるか分かりませんし、
そもそも、
3回目が訪れるのかどうかも分からないので ^^; 、
ここで、お伝えしておきたいと思います。
たとえば、部屋の中に入ったりして、
ある状況に身を置いてみると、
そこが、
「感情的な『カオス』」
になっている場合が、ありますよね。
そこにいるみんなが、感情を高ぶらせている。
ブロックが刺激されて、感情的になっている。
もうすでに、均衡が崩れて、感情の表現し合い、ぶつけ合いがはじまっている。
そんな場所に、身を置く、
というケースが、ありますよね。
そんなときに、もし、
「完全に、100%、まったく、いっさい、
感情を動かされず、刺激されず、
ただ、その場に存在する。
ただ、その場を、眺めている。」
ということが、できたとすると、
3分も、そのままで居られると、
状況は、激変します。
5分も、そのまま居られれば、
状況は、治まっていると思います。
そこにいる全員の、感情が静まり、
そこにいる全員が、笑顔になり、
そして、
もっとも、感情を高ぶらせ、
もっとも、激高していた人が、
ニコニコと、笑顔を取り戻し、冗談を言っている、
などということに、
なっていたりすることと、思います。
たった2回ほどの体験ですが、
でも、
そんな体験を、2度、しました。
このことについては、
多くの視点から、
多くの見方、説明の仕方が、
できるとは思いますが、
ここでは、
以下のように、
いくつかの見方から、お話をしていきたいと思います。
津留さんのメッセージ集の中に、
こんな言葉ありますよね。
「今、あなたの成すべき、人類への、そして地球への最大の貢献が、
覚醒することであると伝えられました。」
(津留晃一メッセージ集「新人類のための覚醒進化プログラム」『覚醒』)
この、
「覚醒することが、一番の貢献」
「自分が覚醒している以上に、周りに対する、世界に対する、貢献はない」
ということについては、
知花敏彦先生も、そう、おっしゃっていました。
エックハルト・トールさんも、そう、おっしゃってます。
これらの言葉を、読み、聞いたときには、
「そうなんだろうなぁ」
というような感じで、
なんとなく、意味するところは理解できるけれど、
具体的に、どう、作用する・影響することになるのか
具体的に、どう、貢献することになるのか
ということが、
しっかりと、理解することができませんでしたので、
確信を持って、納得を持って、
その言葉を受け取ることができていませんでした。
ですが、
先のような体験を、2度、経たいま、
はっきりと、しっかりと、
その意味が、分かります。
内側に、何の動きも見せない人が、一人、居るだけで、
数人の集団に対して、
それだけの影響を及ぼすことができるのです。
ましてや、
『覚醒した人』が、居た場合、
周りの人々に対して、
いったい、どれほどの影響を与えることができるのでしょう。
その人が、
高い波動を、光を、放ち続けることが、
周りの人々に対して、世界に対して、地球に対して、
いったい、どれほどの影響を与えることになるのでしょう。
その人の存在が、
その人が存在していることが、
そんな人が存在していることが、
周囲に対して、どれほどの影響を与えることになるのでしょう。
津留さんにしても、
知花先生や、エックハルトさんも、
普段、ご自身がその場に存在しているだけで、
人々が、人々の感情が、波動が、
どのように変化するのか、ということを、
日々、常々、
感じておられたことでしょう。
そして、
それ以上に、影響力のある、尊いことはないと、
体感なさっておられたのでしょう。
そんなことを、
しっかりと、理解することができました。
また、
別の観点から、話しを続けたいと思います。
ここ、2回ほど、
「『エネルギーブロック』とは、わたしたちが溜め込んで来たエネルギーだ」
ということを、お伝えしてきました。
「『封印してきた』エネルギー」
というような表現も、使いました。
わたしたちは、
個人個人で、
エネルギーを留め、溜めてきましたが、
一人一人が溜めてきたエネルギーは、
すなわち、
総体として、
集合意識としての『人類』に、『地球』に、
溜め込んできたエネルギーでもあります。
わたしたちが溜め込んだエネルギーは、
すなわち、
『人類』に、あるいは『地球』に、
『封印されてきた』エネルギーでもあるわけです。
それらのエネルギーは、
概して、
「荒い波動」、「重い波動」、
という性質を持っています。
いま、わたしたち『人類』が、
あるいは、
いまの、この『地球』が、
このような状態にあるのは、
それらのエネルギーが溜まったままの状態だからです。
これらの、
重く、荒いエネルギーが留まったままの状態だからです。
いま、盛んに言われているような、
「新たな地球になっていく」
「新しい文明に移行していく」
というようなことや、
あるいは、
言葉としては、すこし、古くなってしまった
「アセンション」
といわれるようなことも、
その、意味しているところは、
地球として、人類として、
「より、波動を高めていく」
「周波数を、より細やかに、精妙にしていく」
ということであり、
それは、とりもなおさず、
「これまで溜め込んできた『荒いエネルギー』を手放していく」
「これまで『封印してきた』『重いエネルギー』を解放していく」
ということです。
わたしたち一人一人が溜め込んできたエネルギーは、
すなわち、
総体として、
集合意識に、人類全体に、地球に、
溜めてきたエネルギーですが、
わたしたち一人一人が、エネルギーを解放していことは、
すなわち、
総体としての集合意識から、人類全体から、地球から、
エネルギーを解放していくことに、他なりません。
すなわち、
わたしたち一人一人の『浄化』は、
すなわち、
人類から、地球から、
エネルギーを解放していくことです。
わたしたち一人一人の『浄化』は、
すなわち、
人類全体から、地球から、
『封印されてきた』エネルギーを解放していくことです。
わたしたち一人一人の『浄化』は、
人類に対して、地球に対して、
直接的に、
責任を果たすことであり、
かつ、
わたしたち一人一人の『浄化』は、
人類の進化に対して、地球の未来に対して、
直接的に、
『貢献』をすることなのです。
このことは、完全な推測でしかないのですが、
おそらく、
「肉体を持った『人間』」が溜め込んできたエネルギーのうち、
ある種のものについては、
「肉体を持った『人間』」が、
『人間』としての責任において、
自らの身体を通して、
自らの意思によって、
手放していくことによってしか、
解放することができないのではないか、
と思っています。
すなわち、
いま、人間として生まれてきて、肉体を持って存在している、
わたしたちにしか、それはできないことであり、
そして、
だからこそ、
わたしたちは、いま、
そのために、それをするために、
ここに、存在しているのだと思います。
存在させていただいているのだと思います。
いずれにせよ、
わたしたちが、『浄化』をしていくということが、
『エネルギー』を解放していくということが、
とても意味のある、とても重要なことである、
ということが、ご理解いただけたのではないかと思います。
さて、
以上、とても長々と、
『覚醒』『浄化』『エネルギーの解放』
について、
話しをしてきました。
じつは、
本題は、ここからです。
すみません、
この先も、長いです ^^; 。
日ごろ、個人セッションをさせていただいていて、
クライアントさまの『浄化』のお手伝いをさせていただいていますが、
ときおり、
「自分だけ、楽になってしまうなんて、できない」
「自分のほうが、あの人(たち)より先に幸せになるなんて、できない」
とおっしゃって、
浄化することをためらわれる方が、いらっしゃいます。
こうおっしゃる方は、たいてい、
ご自身が、過去、ある人たち、
具体的には、それは、お子さんだったり、パートナーだったりするわけですが、
そういった人たちを、苦しめてしまったことに、ご自身が苦しまれていて、
かつ、その苦しめてしまった当人たちが、
まだ、その苦しみから、抜け出せていないことに、さらに、苦しまれています。
そのような場合に、
「自分だけが、先に、楽になってしまうなんて ... 」
とおっしゃる気持ちは、分かります。
こころ優しい方だからこそ、
過去の自分の行為を、猛烈に後悔されて、苦しまれているのですし、
そんな方だからこそ、
「加害者である自分が、被害者である人が、まだ苦しんでいるのに ... 」
と、自らの救済を、幸福を、戸惑い、逡巡(しゅんじゅん)されていわけですね。
ですが、
個人セッションの場面でも、直接、お伝えするのですが、
そんなケースだからこそ、
まず、ご自身が、先んじて、ご自身を救済なさっていただきたいのです。
まず、ご自身が、楽になっていただきたいのです。
加害者が、いつまでも、そのことを引きずっていれば、
被害者は、そのことを忘れ、立ち直ろうとしても、
どうしても、そのことが思い出され、吹っ切ることが、できません。
どうしても、その過去に、引きずられてしまいます。
また、
加害者が、一足先に、楽になり、こころ解放されていれば、
そんな加害者を見た被害者は、
「なんだ、どうしたんだ?」
「どうすれば、あんなふうになれるんだ?」
と、
自らを救い、解放する方向に、意識を向けることができるかもしれません。
そして、その際に、
「具体的に、こうすればいいのよ」
と、アドバイスすることができるかもしれません。
そのようなためにも、
ぜひ、まず、自分のことを、助けてほしいのです。
それに、
人は誰も、『他人』を救うことはできません。
『自分』が救えるのは、『自分』だけです。
同時に、
『自分』のことを救えるのも、『自分』だけです。
『自分』の『エネルギーブロック』は、
『自分』でしか、浄化できないのです。
『他人』に、代わりにやってもらうことはできないのです。
これが、津留さんが言っていた、
「自分が、自分の、『救世主』」
ということの、意味です。
『他人』が救われるかどうかは、救済されるかどうかは、
その方の意思次第であり、決意次第です。
もちろん、
他人が、周りの人が、
手助けをすることが、援助をすることができるということは、
支えることが、励ますことができるということは、
それは、そのとおりであり、
そして、それは、それで、とても大切なことです。
そのことを、否定はしませんし、
むしろ、とても大事なことだと思っています。
ただ、
究極的には、
「救うか、救わないか」
「楽になるか、ならないか」
は、
本人の意思次第であり、
本人の決意・決断次第です。
ですから、
「相手が楽なるかどうか」
は、
自分とは、まったく関係のないことなのです。
自分の『宇宙』とは関係のない、
相手の方の『宇宙』の問題なのです。
ですから、
どうか、そのことは、置いておいてください。
相手の方の苦しみを、幸せを、
気遣って差し上げる「優しさ」を、
「その方を信じる」ということに、
「その方のことはその方に全面的に任せる」ということに、
使ってください。
向けてください。
それに、
そもそも、
この、
「筋書きの『ある』ドラマ」
「シナリオの『ある』ドラマ」
においては、
どちらか一方が、一方的に、加害者になるということは有り得ません。
どちらか一方が、一方的に、被害者になるということは有り得ません。
了解もなく、唐突に、勝手に、
加害者になり、害を加える、などということも、ありません。
相手の了解もなく、事前の承諾もなく、
相手に害を加える、などということも、起こりません。
ですから、
そのような、過去の『ドラマ』での出来事に、
一方的に、責任を感じ続け、
自らを責め続けることは、
無用なことです。
このことは、
おそらく、
この文章をお読みの方には、
これ以上の説明を要しないことでしょう。
そして、
最後に、
この記事の前半でお伝えしたことを、
ぜひ、思い出していただきたいのです、
あなたが、あなたの『エネルギーブロック』を手放し、解放することが、
全体としての人類に、あるいは、地球に、
どのような貢献をすることになるのか、
ということを。
ご自身のことだけを思うと、考えると、
どうしても、浄化を思い止まってしまう
という方は、
ぜひ、このことにも、思いを馳(は)せてみていただきたいのです。
もちろん、ここでは、
「『浄化』は、全体のためになるから、あなたも浄化をしてください」
などと言っているわけではありません。
もちろん、浄化は、
ご自身のためだけを考え、
ご自身を楽にするために、ご自身を救済するために、
なさってください。
それ以外のことを考え、意図する必要は、ありません。
ただ、
「自分を楽にする、自分を救済する」
ということだけを考えると、浄化ができない、
という方については、
ぜひ、
ご自身の『浄化』が、
『結果として』、『波及的結果として』、『副産物として』、
全体のため、地球のためにもなるんだ
ということも意識に入れていただき、
そんなことも考慮して、
そんなことも動機として、
浄化に入っていっていただけたら、
と、思うのです。
ご自分が、
『全体としての自分』の一部であり、
かつ、
『全体としての自分』そのものである、
ということに、意識を向けていただけたら、
と、思うのです。