2014年8月12日火曜日
『ハレ』と『ケ』
夏休み旅行、
おかげさまで、
妻と子供たちと、
たっぷりと、楽しんで来ることができました ^^ 。
最近、よく行く、おなじみの場所に行き、
そして、
おなじみのことをして、
楽しんで来ました。
ただ、
「おなじみの場所」
とはいっても、
まだ行ったことのない所があったり、
あるいは、
新たにできた所があったりして、
そんな場所にも、足を運び、楽しみました。
また、
いつもお会いする方々にお会いして、
近況をお聞きしたりする一方、
はじめての方々にもお会いして、
興味深いお話をお聞きできたりもしました。
さて、
「休暇」や「旅行」は、
基本的には、
『ハレ(非日常)』ですよね。
毎日、ルーティーンのように繰り返される
『ケ(日常)』の中に浸かっている、
人生、日常生活。
そんな中で、
ときおりやってくる『ハレ』の持つ、
新鮮さ、驚き、ワクワク感 ...
そんなものが、
特に、農耕社会における、
のったりとした、ゆっくりした、大きな循環の中においては、
ある人にとっては「スパイス」のように、
ある人にとっては「潤滑油」のように、
またある人にとっては「生きる原動力そのもの」のように、
『ケ』を、
彩り、回し、そして、動かしてきました。
昔の社会における『お祭り』って、
まさに、そんな感じですよね。
いまの私たちには、
『旅行』が、
まさに、そんな感じではないでしょうか。
さて、
『ケ』の要素が、
基本的には『安心』であるのに対し、
『ハレ』の要素が、
基本的には、『刺激』ですね。
私たちは、
日ごろ、
基本的には、『安心』を求めています。
自分自身が『安全』であることを、求めています。
ところが、
私たちは、
『安心』だけでは、足りないんですね。
やっぱり、
『退屈』しちゃうんですねぇ〜 ^^ 。
だから、
『刺激』が必要なんですね。
世の中には、
わざわざ、お金を払ってまでして、
わざわざ、
「バンジージャンプ」や「スカイダイビング」をする人がいるように ^^; 、
私たちの中には、
『退屈』を嫌がり、
そして、
『刺激』を求める要素が、あるんですね。
その『刺激』の、
「大小」や「強弱」は、それぞれであったとしても、
『刺激』そのものを求める気持ちは、
みなさんの中にも、ありますよね?
先ほど触れた、
『お祭り』の中に、
例えば、
岸和田の「だんじり祭り」や、
あるいは、
諏訪大社の「御柱祭」のように、
『危険』であることをこそ楽しむようなお祭りがあるということなんて、
まさに、その典型ではないでしょうか。
今回の旅行は、
基本的には、何度か行ったことがあるところを巡りました。
そうすると、
「どの道を通ったらいいか」とか、
「そうすると、何時間ぐらいかかるか」とか、
「どこが眺望がいいか」とか、
「どこが危ないか」とか、
そういうことが、
事前に、『分かっている』んですね。
そうすると、
『安心』であり、『安全』である一方、
同じことをしていながら、
はじめてのとき、2回目のときに比べて、
やっぱり、どうしても、
『新鮮さ』『驚き』『刺激』
というものが、
少なくなります。薄まります。
たとえば、
はじめて訪れたときには、
狂喜乱舞(きょうきらんぶ)して、
子供と一緒に、寒さも忘れて、
何時間も入って、泳いで遊んだ、
透き通る美しさの川にも、
今回は、
足をつけて水に触れるだけで、
充分に満足する自分を発見しました。
わたしたちが『神』であったとき ...
わたしたちは、
全知であり、
全能であり、
すべて、
でした。
そんなとき、
「わたしたちは、退屈してしまった」
ということは、
いまの私たちにも、
想像可能なことですよね。
「一刻も早く、『神』に還りたい!」
という、
エゴちゃんの叫びが、
自我ちゃんの渇望が、
聞こえたとき、感じられたとき ...
そんなときには、
どうぞ、一呼吸して、
こんなことを、思い出してみてください。
そして、
その叫びを、渇望を、生み出している
『恐れ』を、
どうぞ、見つめてみてください。
そして、
『恐れ』からでなく、
『本質からの望み』として、
ともに、
『神』に還っていきましょう。
その道のりを、
一歩ずつ、
ともに、
歩んでいきましょう。