2014年10月12日日曜日

最驚のパラドックス


過去記事「創造のパラドックス」や、
過去記事「最大のパラドックス」など、

これまでにも、
何度か、
 『パラドックス』
という概念について、
お伝えしてきました。

このブログの、一番最初の記事も、
パラドックスについて、
でしたので、

このブログにとって、
というか、
僕にとって、

 『パラドックス』
というのは、
とても「キー」になるもの、
とても「ポイント」となる概念、
なのだと、思います。

いえ、
というか、
そもそも、
 『津留さんが伝えてくれたメッセージ』
にとって、

 『パラドックス』
というのは、
とても「キー」になる概念、
ですよね。


さて、
今回も、
そんな流れで、

 『パラドックス』
ということに関して、
まだ、お伝えしていなかった、
とても重要だと思うことについて、
お伝えしたいと思います。


まず最初に、
今回、主としてお伝えしたいことからは、
少し、離れては、いますが、

僕が、「大好きな『パラドックス』」^^
について、
お伝えします。


今、目の前の空間を、見てください。

そこには、
 『空間』
が、存在していることでしょう。

そこには、
 『何も無い』
のですが、

あるいは、
私たちは、普段、
そう、『認識』していますが、

でも、本当は、
この『物質界』にとって、
あるいは、
『人間の肉体』にとって、

最も重要な、
 『酸素』
というものが、
遍満しています。


 『何も無い』
と認識している所に、

 『最も重要なもの』
が、
 『満ちあふれています』。


もしかしたら、
みなさんは、
 「いや、そもそも、
  目の前の『空間』には、『空気』が存在している
  と、いつも、認識しているよ!」
と、
お思いかもしれません。

それでは、
続けて、
その、目の前の『空間』を、
もう一度、『見て』みてください。

それは、
 『何色』
ですか?

おそらく、
 『透明』
だと、思います。

さて、
 「その『透明』」
というのは、
 『どんな色ですか?』
 『何色が、存在していますか?』

 『無色透明』
という言葉があるくらいですから、
おそらく、
 『無色』
 『何も、色が存在しない』
と、
認識なさっておいででは、ありませんか?

僕は、
普段、
『無意識』だと、
そう、認識してしまっています。

でも、
その『透明』な空間に、
太陽光線が差し込んでいると、
とても分かりやすいのですが、

そこに「プリズム」を持ってくると、
そのプリズムからは、
七色の光が、現れ出て来て、

実は、
 『透明』
とは、
 『全色』
であり、
 『すべての色が存在している』状態だ
ということが、分かります。

個人的には、
この事例が、
 「最も典型的な『パラドックス』の例」
だと、
思っています。

私たちが、
 「一般的に、普通に、認識していること」
 「通常の肉体感覚で、認識すること」
それらと、
 『事実』
と、が、
見事に、
 「逆転している・ひっくり返っている」
んですね。


さて、
このように、
『地球』は、
あるいは、
『物質界』『物質宇宙』は、

 「『パラドックス』な構造」
を、採っています。

いろいろなものが、
 『ひっくり返っている』
 『左右逆さまになっている』
状態です。

過去記事「最大のパラドックス」
でお伝えしたように、

私たちは、
 「神さまに『成る』」
のではなく、
 「そもそも、神であり、
  神に『還る』」
存在である、
ということ。

あるいは、
 「外側に、厳然たる『事実』『真実』が存在している」
のではなく、
 「外側には、内側が、『映し出されている』」
のだ、
ということ。

そういうことが、
 「一般的な認識」
あるいは、
 「通常の肉体感覚」
からは、
 逆転している・ひっくり返っている
んですね。


そして、
今日、お伝えしたいこと。

これは、
津留さんが、講演会DVD「新創世記『横浜編』」の中で、
言っていたことなのですが、

私たちは、
 『過去』と『未来』
に、ついても、
実は、
 「ひっくり返して」
認識しています。


まず、
 『未来』
について、ですけれども、

たとえば、
私たちは、「心配だから」とか、
あるは、「より良くするために」とか、で、

未来のことを考え、
そして、
未来の計画を立てたり、しますが、

『未来』のことを『計画』するときには、
私たちは、
『過去』のデータを、参考にします。

そのとき、
参考にしているもの・参照しているものは、
すべて、
 『過去』
なのです。

つまり、
私たちは、
津留さんの表現を、そのまま使えば、
 「『未来』に、『過去』を、持ってくる」
のです。

せっかく、
 「『未来』を、より良きものにしよう」
と、意図し、腐心(ふしん)しているのですが、

その結果、
何をしているのか、というと、

『過去』を、『未来』に持って来て、
あるいは、
『過去』を、そのまま、『未来』にまで、引っぱって来て、

その結果、
 「『過去』と、『今まで』と、変わらぬ『未来』」
を、
創り上げているんですね。

これまた、
 『パラドックス』
ですねぇ。

 「『未来』のことは、『未来の自分』に任せよう」
 「『全体としての自分』に任せよう」

『未来』のことを、
心配しているとき、気にしているとき、考えているとき、
最近、僕は、
そう、『自分』につぶやくように、しています。

もちろん、
その、
 「心配している『自分』」
の浄化も、
行っていますが ^^ 。


さて、
そして、
 『過去』
について、ですが、

私たちは、
 「『過去』は、『変えられない』もの」
と、思っています。

 「『過去』とは、確定したものであり、『変えることができない』ものである」
と、思っています。

そう、思っていませんか?

実は、
そここそが、その認識こそが、
今日、一番お伝えしたい、
 「もっとも驚くべき『パラドックス』」
なのですが、

 「『過去』は、『変えられます』! 」 ^^


確かに、
 「『あるがままの事実』としての『過去』」
は、変えられないかもしれません。

いえ、
それも、
「ほとんどの人」にとっての、「ほとんどの『過去』」というのは、
 「単なる『記憶』」
に過ぎないので、

今となっては、もう、
 「証明・立証のしようの無い『事実』」
であり、
それゆえ、
 「書き換えてしまう」
というによって、
変えてしまうことは、可能でしょうし、

そもそも、
その
 「『記憶』としての『事実』」
が、
本当に、
 『あるがままの事実』
と、一致しているのか、についても、
 「そもそも、怪しい」
ということも、
言えるかもしれません。

でも、
ここでは、
それらの点については、置いておきます。


確かに、
 「『あるがままの事実』としての『過去』」
は、変えられないかもしれません。

ですが、
それらの『過去』の事実に、
くっつけている・付着させている・結びつけている、
 『印象』『記憶』『感情』『想い』『評価』
は、
 『変えられます』。

 「苦しかった」過去
 「辛かった」過去
 「不本意だった」過去
 「情けなかった」過去 
 「悔しかった」過去
 「悲しかった」過去
 「寂しかった」過去
 「怖かった」過去 ...

そういった『過去』は、

それらの『印象』や『感情』や『想い』といったものを、
たとえば、『浄化』によって、
消し去り、手放し、解放する、ことによって、
『変える』ことができます。

基本的には、
それらの『過去』は、
 「『ただの』『単なる』過去」
に、変わります。
変えることができます。

 「『苦しかった』過去」
は、
 「過去」
に、変わります。

 「『辛かった』出来事」
は、
 「出来事」
に、変わります。

そして、
そうすると、往々にして、
それらは、
 「今となっては、『貴重』な過去」
 「今となっては、『教訓深い』過去」
 「今の自分からすれば、『学び』のための貴重な経験としての過去」
というように、

そこから、さらに、
むしろ、『ポジティブ』なものに、
変わっていく・変わって感じられるようになっていく、
というケースが、多い、のですが、

そうなるにせよ、ならないにせよ、
いずれにせよ、
その
 「『過去』そのもの」
が、
変わってしまいます。


で、
そうなると、
どうなるのか?

 「『とても辛い』過去」
 「『とても悲しい』過去」
そんな『過去』なら、

それが、一つ、変わるだけで、

つまり、
それらが、
 「辛くなくなる」「悲しくなくなる」
だけで、

『今』という瞬間が、
 「楽になる」「軽くなる」「明るくなる」
ことと、思います。

つまり、
 『今』
までが、
変わります。

個人セッションや、浄化実践講習会で、浄化をお手伝いしていて、
M2の後に、
 「あぁ、楽になった」「気持ちが、軽くなった」
 「肩の辺りが、軽くなった!」
 「視界が明るくなった」「くっきりと見えるようになった」
というご感想は、

ここ最近、
とてもよく、お聞きしますし、
同じ体験は、
僕自身も、何度か、しています。

もちろん、
その印象・感覚は、
その後も、続きます
(その場限りのものでは、ありません)。


そして、
もし、

 「一つだけ」
ではなく、
さらに、
 「いくつか」
 「いくつも」
そんな『過去』が変わると、

 『今』
が、
 『確実』に、
 『大幅』に、
 『顕著』に、
変わります。

僕自身の経験で言うと、
そのときの、僕の経験した体感で言うと
(それは、数度、あるのですが)、

その、
 「いくつか」
の、変化した過去については、

それらは、
各々、
一枚一枚の、「オセロの『駒』」のような感じで、

それらが、
一回、一回の、『浄化』に連れて、
一枚、一枚、徐々に、
裏返り、変わっていくような感覚で、

そして、
それが、
 「数枚」
になると、
ある程度の、枚数になると、

そのときには、
まるで、
オセロの駒が、
 ダダダダダダダダダダダダダダダダ ...
と、

過去から、今に至るまでの、
すべての、ネガティブだった、『黒』の『駒』が、
 ダダダダダダダダダダダダダダダダ ...
っと、
すべて、『白』に裏返る、かのように、

自分に向かって、
すべての『駒』が、
連なって、連続して、
 ダダダダダダダダダダダダダダダダ ...
っと、
反転していくかのように、
変わっていく ...

そんな、感覚を、
感じられることと思います。


そうなると、
もちろん、
 『過去』
の認識、そのものが、
 「自分の『過去』」全体
の印象、そのものが、
大幅に、変わりますし、

 『今』
が、
 確実に、大幅に、
変わります。

 『過去』
についての認識が、
 「いろいろあったけど、あれは、あれで、いいじゃん」
 「あれは、あれで、仕方ないじゃん」
 「あれは、あれで、よかったんじゃない?」
というように、変わりますし、

 『今』
が、
 ほんわりとした
 温かい、柔らかい、細かい、滑らかなもの
に、変わります。


そして。

 『今』
が、
 『今』という、この瞬間
が、
大幅に変わった、
その結果、

加えて、
 『未来』
までも、が、
変わります。

 「『今』『この時点』から見る、感じる、
  『未来』というもの、『未来』という存在」
それすらも、
変化していきます。

 「楽になった・軽くなった・明るくなった『今』」
から見る『未来』は、

確実に、大幅に、
楽に、明るく、なります。


 「『そのとき』から見た、未来の事象が、
  『その』未来という瞬間がやって来たときに、
  実際に、変化するかどうか」
は、
関係ありません。

『その』未来という瞬間がやって来た『時』には、
そのときには、
その『時』は、もう、
 『今』
であり、
 『未来』
では、ないからです。

そのように、
そして、よく言われるように、

 『未来』
というのは、
 『概念』
でしかなく、
 『頭の中にしかない』
ものだから、です。

つまり、
『未来』に関しては、
 「『今』、この瞬間の、
  『未来』に対する認識が変われば、
  それで、すべて」
なのです。

そして、
それは、
確実に、変わります、

『過去』を変える、その結果 ...


このように、
 『過去』は、『変えられる』
のであり、

かつ、同時に、
 『過去を変える』ということが、すなわち、『未来を変える』方法
なのです。

それは、
 パラドックスな構造を採った、この物質世界における
 驚くべき、嬉しき、『事実』
だと、
僕は、感じています。