2016年2月29日月曜日

けんけん


(今回は、身体的な「例え」を使って、話を進めています。
 もし、お身体に不自由がお有りで、「例え」が不適切と感じられたとしたら、
 お詫びいたします)


昨日の交流会で、
 「『内側も、外側も、どちらも大切』
  ということを、ブログに、書いてらっしゃいましたね」
と、言われました。

また、
昨日の交流会では、ちょうど、
みなさんで観た、津留さんのDVDの中でも、
津留さんが、

 「『浄化』は、
  左脳での理解が、50%、
  右脳でのワークが、50%」
と、言っていました。


もう、何度も、お伝えしていることですが、
大切なのは、ポイントとなるのは、
 『どちらも』
です。

 『どちらか』
というのは、

たとえば、
 「物事を、『片目』だけで、見ている」
状態だと、思います。

『片目』だけで、見ていれば、
自然、
奥行きが、感じづらいですよね。

距離感が、
つかみにくいですよね。

それに、
とても、疲れやすいと思います。


「疲れやすい」
ということで、いえば、

 『どちらか』
というのは、

たとえば、
 「『片足』だけで、けんけんをしている」
ような状態だと、思います。

大人に成られてから、
けんけんは、
ほとんど、なさっておられないと、思いますが、

けんけんは、
多くの方にとって、
数十mも進むのが、限界なのではないか、
と、思います。

おそらく、ほんの、20mも進むと、
もう、かなりの疲労を感じられるのではないか、
と、思います。

ところが、
『両足』を使って、歩けば、

多くの方にとって、
数百mどころか、
数千m(数km)を超えて、
数万m(数十km)も、
進めるのではないかと、思います

(マラソンは、数時間で、4万m超、走りますね)。


 『どちらか』
には、

たとえば、
 「『外側』だけ」
とか
(「『内側』も」ではなく)、

 「『自分』の視点だけ」
とか
(「『相手』の視点も」ではなく)、

あるいは、
 「『人間』としての視点だけ」
とか
(『ハイヤーセルフ』の視点も」ではなく)、

といったものが、ありますが、

 「『思考』だけ」
というのが、
この場合、特に、
当てはまる気がします。


 「理解したい」
 「分かりたい」

そんな想いが、
強ければ、強いほど、

これまでの習慣から、
一生懸命、考えてしまうと思います。

考えて、考えて、
考え抜くことによって、

なんとか、
答えを得ようとします。
納得を得ようとします。

ところが、
それは、

たとえば、
 一生懸命、頑張って、
 『片足』だけで、けんけんで、
 進もうとしているようなもの
だと、感じます。


これまでは、
周りの人たちが、みな、
大人も、親も、
『片足』だけで、けんけんで、
移動していたから、

自分も、
自然、
けんけんをするようになって、

けんけんで、距離を進めると、
 「偉いね」
 「凄いね」
と、
親に、教師に、誉められたからと、

けんけんをすることが、
ただ、習慣になっている、
そんな感じだと、思います。

ところが、
みなが、
日に、数m、数十m、進んでいるところに、

日に、数万mも、
進む人たちがいることを、聞きました。

そんな人たちを、
実際、目にしました。

その人たちは、
何が、違うのでしょうか?

強靭な、
何百倍も、何千倍も優れた、
脚力を持っているのでしょうか?

いえ、
ただ、『両足』で、歩いているだけです。

『両足』を、使っているだけです。

ただ、それだけです。

ですから、
けんけんを止めて、
歩くことを、はじめれば、

今すぐにでも、
同じだけ、進めるようになるでしょう。

厳密には、
ずっと、「けんけん」をしていたので、

長距離を「歩く」ためには、
足の運びを、練習したり、
すっと使っていた片足を、休めたり、回復させたり、
若干の、訓練と時間は、必要かもしれませんが、

でも、
それは、ほんの些細なことです。

すぐに慣れて、
数千m、数万mと、進まれることでしょう。


「『考える』ことだけ」によって、
「『思考』だけ」によって、

理解をしたり、それを深めようとしたり、
いろいろなことを、納得しようとしたり、
状況を解決しようとしたり、
さらには、
幸せになろうとすることは、

まさに、
 「『片足』だけ」「『けんけん』だけ」
で、
遠くまで、進もうとしている、
そんな感じだと、思います。

どうぞ、
もう一方の足を、使ってください。

次の一歩は、
そちらの足を、出されてください。

これまで、
左足だけで、進んでこられたなら、

どうぞ、
次は、右足を、出されてください。

 「『もう片方の、これまで使ってこなかった足』
  だけを、今度は、使ってください」
と、
申しているわけでは、ありません。

左足も、
ぜひ、お使いになってください。

左足を出すことが、
適切な場合には、
左足を、

右足を出すことが、
適切な場合には、
右足を、出していただければと、思います。


「右足」に当たるのが、
実際の、「『浄化』ワーク」です。

『エネルギーブロック』、『ミニ自我』、
感情・感覚・エネルギーを、
手放し、解放していく、
作業です。

それは、
もっとも基本的には、

『考える』の対極である、
『感じる』という行為であり、

さらには、
それを進めた、
『M2』などによる、エネルギー・ワークです。

『浄化』をされると、
「『思考』だけ」のときに比べて、
格段に、
理解が、進まれる、実感がおありだと、思います。

ひときわ、
納得が深まる、実感がおありだと、思います。

その実感は、
これまでの「数十m」単位から、
「数千m」単位へと、
変わられる感じではないかと、推測します。

ですから、
これまで、『思考』を得意とされてきた方には、
そんな方だからこそ、

「右足」を、
実際の、右脳による「『浄化』ワーク」を、
ぜひ、していただければと、お勧めします。


 「そう、自分でも、思っているんだけど、
  ついつい、『考え』て、しまって、
  なかなか、『浄化』が、できないんだよな ... 」

そう、おっしゃる方も、いらっしゃることでしょう。

僕自身が、そうだったので、
よく、分かります。

そういう方は、
僕自身の経験と、同様だとすれば、
まだ、
左足が、元気なのです。

左足が、疲れ切って無いのです。

ですので、
もし、そのような場合には、

もう、さらに、徹底して、
左足によるけんけんを、
さらにさらに、なさってみるのも、
一手かもしれません

(この辺りについては、
 過去記事「考えてください(思考が止まらない方へ)
 も、ご参照いただけると、嬉しいです)。

そうすれば、
自然と、
左足は、止まり、

右足が、
降りてくることでしょう。

はじめは、
両足を着いた、休息が、
必要かもしれません。

その後も、

左足に代わって、
今度は、「右足のけんけん」をしたり、

あるいは、
ぎこちない、たどたどしい「歩き」をしたり、
するかもしれません。

ですが、
それらも、一時(いっとき)です。

しばらくすれば、
自然と、
軽快に、歩いていらっしゃることでしょう。

そして、
その、楽々と進める距離に、
ビックリと、されることでしょう。