2016年2月1日月曜日

『自分』に、責任は無い


みなさん、
『鏡の法則』を、
ご存知ですよね?

このブログでも、
以前、『鏡の法則』について、書きました
(よろしければ、ぜひ、過去記事「『鏡』の使い方」を、お読みください)。


 「自分の周りにあるモノ、
  自分の周りに居る人、
  自分(の周り)に起きてくる出来事は、
 
  自分の内面・内側を、映し、表している」

一般的には、
このように、理解されている、
スピリチュアルな法則、ですよね。

津留さんは、別の表現で、
 「想っているとおりを、体験する」
と言ったり、

あるいは、
 「自分が、現実の、『創造主』」
と言ったりも、
していましたが、

いずれにせよ、

  「自分の外側は、
   自分の内側の投影である」

と、
理解されている内容、ですね。

多くの人にとって、
スピリチュアルなことに、興味を持ち、
スピリチュアルなことを、学び始めると、
最初のうちに出会う、法則・ルール・仕組み、
ではないでしょうか。

そして、
この法則のことを、知ると、

 「へぇ、そうなんだ。そういうものなのか」
とか、
 「なるほど。確かに、そうかもしれない。
  自分の人生を振り返ってみると、当てはまっているかもしれない」
と、

たいていの方は、
こんな、いままで、『普通の社会』で生活していたときには、
知ることの無かった仕組みの存在に、ウキウキ、ワクワクして、
「スピリチュアルなこと」への、興味を深めるきっかけとなったり、

さらには、
 「よし。 それは、いいことを知った。
  じゃあ、これを、活用してみよう」
と、思われて、

自分を取り巻く現実を、変えようとしたり、
自分にとって望ましい現実を、創造しようとされたり、
するのではないか、と、思います。

ところが、
多くの人にとって、この法則は、
スピリチュアルな道のりを、歩んでいく上で、
これまた、最初に、つまずき、立ち止まり、立ち尽くす、
壁・障壁・障害のような、存在かも、しれません。

 「おかしいな。これだけ、内側に、言い聞かせているのに、
  どうも、都合の良い現実が、現れてこない ... 」
とか、
 「これだけ、潜在意識に、落とし込んでいるのに、
  まったく、周りは、変わらないぞ」
とか、
 「こんなに強く、良くなるように、望んでるのに、
  なんで、反対のことが、起きて来ているんだろう」
とか、

鏡に映る『像』が、
どうも、望みどおりにならないことに、
戸惑い、憤り、絶望されたり、なさったかも、しれません。

あるいは、
変わらない現実、もしくは、悪化する『像』を目にして、

 「いったい、自分は、何を内側に持っているのだろう?」
 「こんな現実を生み出しているなんて、自分は、なんと、至らないのだ」
 「私は、ダメな人間です。
  だって、こんな現実を、生み出してしまっています ... 」
と、

この法則を、知ったことによって、
むしろ、自分を責め、自分を否定し、
かえって、辛く、悲しく、苦しまれておられる方が、いらっしゃいます。

美輪明宏さん、曰く、
 「スピリチュアルを知ることは、人生を、カンニングしているようなもの」
と、言われるように、

スピリチュアルなことを知ること、そして、それを活用することは、
いままで(知る前)よりも、より、幸せになること、であったり、
いままでよりも、効率的に、幸せになること、であったり、
いままででは成り得なかったくらい、幸せになること、であったり、
が、その目的で、あるはずなのに、

その知識を、得たがために、
かえって、幸せとは、反対方向に、
ベクトルを向けてしまっておられる方が、いらっしゃいます。

「幸せ」になるための道具を、手にしたがために、
かえって、苦しまれることに、なっていらっしゃる方が、いらっしゃいます。

『鏡の法則』というは、このように、
知ったがために、かえって、苦しんでしまうケースが、多くあるようです。

スピリチュアルな道のりを歩むと、
その、比較的早い段階で、まず、出会うのが、
この、
 「『鏡の法則』トラップ(『鏡の法則』の罠)」
と、言えるかもしれません。

そこで、もし、
過去に、そんな『トラップ』に、はまってしまったことが、あったり、
現に、いま、そんな『トラップ』に、はまってらっしゃる方が、いらっしゃったら、
ぜひ、以下のように、お考えになってみていただければ、と、思います。


では、ここで、
視点を、ぐるっと、180度、変えてみましょう。

 「自分の外側は、
  自分の内側が、投影されたもの。
  だから、
  あんな現象が存在するのは、私の所為(せい)。
  あんな人が存在するのは、私がいけないから。私が至らないから」

そう、思っていらっしゃるとき、
視線を、ぐるっと、180度、反転してみましょう。

仮に、
「あんな彼」を、
「あんな妻」を、
「あんな上司」を、
「あんな姑(しゅうとめ)」を、
生み出しているのが、『自分』、だとしたら、

では、
 「そんな『自分』」
を、生み出しているのは、
いったい、誰でしょうか?

 「あんな『外側』」
を、生み出しているのが、『自分』なのなら、

では、
 「そんな『自分』」
を、生み出しているのは、
いったい、誰でしょうか?

『鏡の法則』を、適用すれば、

 「そんな『あなた』」
を、生み出しているのは、
「あんな彼」であり、「あんな妻」です。
「あんな上司」であり、「あんな姑」です。

『あなた』を、生み出しているのは、
『あなた』では、ありません。

『あなた』を、生み出しているのは、
「彼」です。
「妻」です。
「上司」です。
「姑」です。

『あなた』を、生み出しているのは、
『あなた』では、ありません。

ですから、

『あなた』が、「そんな」であるのは、
『あなた』の所為(せい)では、ありません。

『あなた』が、「そんな人間」であるのは、
『あなた』の所為(せい)では、ありません。

『あなた』が、「いつも、そんなことをしてしまう」のは、
『あなた』の所為(せい)では、ありません。

『あなた』が、「いつも、そうできない」のは、
『あなた』の所為(せい)では、ありません。

それは、
「彼」の所為(せい)です。
「妻」の所為(せい)です。
「上司」の所為(せい)です。
「姑」の所為(せい)です。

それは、
あなたの周りに居る、
「あんな人々」の所為(せい)です。

それは、
『あなた』の所為(せい)では、ありません。
『あなた』に、瑕疵(かし)は、ありません。
『あなた』に、責任は、ありません。
『あなた』に、問題は、ありません。

『あなた』は、悪く、ありません。
『あなた』は、まったく、悪く、ありません。

『あなた』は、
ただ、そのように、ならされているのです、

『あなた』は、
ただ、そのように、させられているのです、

あなたの、周りの、その人々の為に ...


もし、『鏡の法則』を知って、
そのために、かえって、苦しまれている部分が、
もしも、あるとすれば、

ぜひ、そのような認識は、
これを目にされた、いまを機会に、
どうぞ、お捨てになってください。

そして、スピリチュアルな情報は、
ぜひ、「自分を幸せにする」ためだけに、
使われてください。

「自分を、苦しめてしまう、辛くしてしまう」
ような情報であれば、
それは、あなたには、必要がありません。

どうぞ、
たとえ、それが、津留さんの言っていたことであったとしても、
勇気を持って、自信を持って、
捨て去ってしまってください。

そして、
どうぞ、
素敵な、素晴らしい、「カンニング・ライフ」を、
堂々と、楽しく、歩まれてください ^^ 。