宇宙は完璧なペースで進んでいます。
どうぞ安心して今にいて下さい。
宇宙は完全です。
ですから宇宙の部分であるあなたも当然に完全です。
津留晃一 『 幸せテクニック 』津留晃一のエッセイ&セッション集 より
2013年9月15日日曜日
2013年9月14日土曜日
体験したことを語る
この夏、ある方に、初めてお目にかかりました。
その方からお聞きして、初めて知ったのですが、
その方は、津留さんと面識のある方でした。
それどころか、津留さんが、講演活動を始めるに当たって、
アドバイスを求めに行った方でした。
「こう、アドバイスしました。」
とおっしゃる、そのアドバイスの内容を聞いて、
ちょっとビックリしました。
妻が、津留さんから受け取っていたアドバイスと、
まったく同じだったからです!
「そうか、あのアドバイスの元は、ここだったんだねぇ」
妻と二人で、微笑みました。
「自分が体験したことを語る」
それが、そのアドバイスの内容でした。
昨日観た津留さんのDVDでは、津留さんが、
「これは私の体験ではないのですが、ある7年間... 」
と、はっきりと前置きした上で話しているシーンを眼にしました。
津留さんが、基本的には、自分の体験を話している証拠ですよね。
そして、他人の体験を話す場合には、
その方の体験を直接聞き、
しっかりと納得した上で、自分の体験や考えと合致していることを確認した上で、
話してるのだ、ということが、よく分かりました。
津留さんの話・メッセージが持つ説得力に、合点が行きました。
妻は、自分のブログで、
自分の体験したことを伝えています。
僕も、このブログをはじめるに当たっては、
「体験したことだけを語ろう」
と思っていたのですが、
ついつい、忘れてしまいます。
ついつい、自分の中のエゴさんが、
「僕は、津留さんのメッセージを、これだけ理解できてるんだ」
と示したいエゴさんが、どうも活発に動いてしまいます。
「体験したことを伝える」
「本当に納得できたこと、体得できたことだけを伝える」
改めて、肝に銘じようと思いました。
「読んでくださった方に、何か少しでも、お役に立つ内容であるように」
との想いを、改めて大切にしようと思いました。
その方からお聞きして、初めて知ったのですが、
その方は、津留さんと面識のある方でした。
それどころか、津留さんが、講演活動を始めるに当たって、
アドバイスを求めに行った方でした。
「こう、アドバイスしました。」
とおっしゃる、そのアドバイスの内容を聞いて、
ちょっとビックリしました。
妻が、津留さんから受け取っていたアドバイスと、
まったく同じだったからです!
「そうか、あのアドバイスの元は、ここだったんだねぇ」
妻と二人で、微笑みました。
「自分が体験したことを語る」
それが、そのアドバイスの内容でした。
昨日観た津留さんのDVDでは、津留さんが、
「これは私の体験ではないのですが、ある7年間... 」
と、はっきりと前置きした上で話しているシーンを眼にしました。
津留さんが、基本的には、自分の体験を話している証拠ですよね。
そして、他人の体験を話す場合には、
その方の体験を直接聞き、
しっかりと納得した上で、自分の体験や考えと合致していることを確認した上で、
話してるのだ、ということが、よく分かりました。
津留さんの話・メッセージが持つ説得力に、合点が行きました。
妻は、自分のブログで、
自分の体験したことを伝えています。
僕も、このブログをはじめるに当たっては、
「体験したことだけを語ろう」
と思っていたのですが、
ついつい、忘れてしまいます。
ついつい、自分の中のエゴさんが、
「僕は、津留さんのメッセージを、これだけ理解できてるんだ」
と示したいエゴさんが、どうも活発に動いてしまいます。
「体験したことを伝える」
「本当に納得できたこと、体得できたことだけを伝える」
改めて、肝に銘じようと思いました。
「読んでくださった方に、何か少しでも、お役に立つ内容であるように」
との想いを、改めて大切にしようと思いました。
2013年9月13日金曜日
蚊
僕は、とても蚊に刺されやすいです。
「とても」という言葉が、
自分としては、かなりかなり控えめな表現だと思うくらい、
刺されやすいです。
さて、数年前のことですが、
ある、いわゆる自然農の本を読んでいるとき、
次のような説明に出会いました。
「雑草は、その土地に不足している養分を増やすために生える。
虫は、その作物の中の害となるものを取り除くために食べる。
蚊も、人の悪い状態の血液を良くするために刺してくれる。」
はじめて出会った考え方に、そういうものか、と感心しました。
雑草や虫については、それまでの経験から、とても腑に落ちました。
ただ、蚊については、まだ納得するまでには行きませんでした。
そして、今年の春、どなたかのブログで、
マクロビオティックの世界でも、
やはり同じような考え方がある、という記事を目にしました。
そこには、
マクロビでは、甘いものを食べる人が蚊に刺されやすいと考えられ、
蚊に刺されるということは、
マクロビをちゃんと実践していない証のようなものとみなされること。
とても蚊に刺されやすい自分は、人一倍、甘いものに気をつけているが、
それでも刺されてしまい、
なんだかそんなことに疲れてしまい、マクロビ自体をやめてしまったこと。
そんなことが書かれていました。
その顛末が、僕にはとても興味深く、おもしろく、
とても記憶に残ったのですが、
それが理由かどうかは、自分でも分かりませんが、
そのときには、蚊に刺される理由について、とっても納得が行き、
この夏は甘いものを避けることを徹底しようと思いました。
さて、迎えた今年の夏。
そう、僕は、あまり蚊に刺されませんでした。
確実に、半分以下に減りました。
体感的には、三分の一くらいになりました。
そして、これがとてもビックリしたのですが、
蚊に刺されてもあまり はれることがなく、
なにより、それほど かゆく感じないのです。
そして、刺されてもあまり かゆくないので、
蚊に刺されることへの、蚊への恐れがガクンと減り、
それが、余計に蚊に刺されなくなるという循環を生んだと思います。
これまでは、
「なんで、こんなに蚊に刺されるんだ」
という、疑問・不満・怒り・恐れだったものが、
「そうか、蚊に刺されるには理由があるんだ」
「なんなら、僕のために、蚊は刺してくれてかもしれない」
という意識・納得に変わったことで、
はれ や かゆみが、減ったのだと思います。
自分の中の不満・怒り・抵抗が、
人一倍のはれ・かゆみ、刺されやすさという事実を生んでいたんだと思います。
「想い」というものが、外なる世界を作り上げている。
そんな一例だと、僕は認識しています。
ということで、ここでシェアさせていただきました。
さて、この話には、ちょっとした続きがあります。
この夏、山梨県の八ヶ岳へ、旅行に行ったのですが、
そこでは、草むらでも、ちょっとした林の中でも、
半そで・半ズボン・サンダルで過ごしていました。
刺されにくくなった実感があったので、そんな格好で過ごしていました。
3日ほど経ったときに、まったく蚊に刺されていないことを強く認識しました。
夕方に、外でそんな格好で過ごしていても、刺されないことに気づきました。
「八ヶ岳は、蚊があまりいないんだなぁ」
などと、思っていました。
あくる日、ある方といっしょに、林の中を歩いたのですが、
そのとき、その方が、あいかわらずの格好の僕に、
「蚊には刺されない体質なんですか?」
と、おっしゃいます。
「いえいえ、とても刺されやすいですよ。
ただ、ここは蚊がぜんぜんいませんねぇ」
と答えながら、なんでそんなことを質問されるのだろうと見てみると、
その方が、真っ赤に はれた腕を かいているのが見えました。
「そんなことありませんよ。いっぱいいますよ!
刺されてないのは、たまたまですよ。」
とおっしゃいました。
その時。
「ああ、そうなんだぁ」
と、その言葉を受け入れてしまいました。
1時間後、みごとに、腕に1箇所、刺されました
(ただ、その後1日間、八ヶ岳では、やはり刺されませんでしたが)。
最後に、「蚊に刺される」といえば、必ず思い出す、
津留さんのメッセージを、ご参考までに。
別次元のあなたが承諾しない限り、あなたは蚊にさされることさえありません。
トータルなあなたがOKを出さない限り、あなたには何事も起こらないのです。
津留晃一メッセージ集 新人類の覚醒進化プログラム 『 害をもたらすもの 』 より
「とても」という言葉が、
自分としては、かなりかなり控えめな表現だと思うくらい、
刺されやすいです。
さて、数年前のことですが、
ある、いわゆる自然農の本を読んでいるとき、
次のような説明に出会いました。
「雑草は、その土地に不足している養分を増やすために生える。
虫は、その作物の中の害となるものを取り除くために食べる。
蚊も、人の悪い状態の血液を良くするために刺してくれる。」
はじめて出会った考え方に、そういうものか、と感心しました。
雑草や虫については、それまでの経験から、とても腑に落ちました。
ただ、蚊については、まだ納得するまでには行きませんでした。
そして、今年の春、どなたかのブログで、
マクロビオティックの世界でも、
やはり同じような考え方がある、という記事を目にしました。
そこには、
マクロビでは、甘いものを食べる人が蚊に刺されやすいと考えられ、
蚊に刺されるということは、
マクロビをちゃんと実践していない証のようなものとみなされること。
とても蚊に刺されやすい自分は、人一倍、甘いものに気をつけているが、
それでも刺されてしまい、
なんだかそんなことに疲れてしまい、マクロビ自体をやめてしまったこと。
そんなことが書かれていました。
その顛末が、僕にはとても興味深く、おもしろく、
とても記憶に残ったのですが、
それが理由かどうかは、自分でも分かりませんが、
そのときには、蚊に刺される理由について、とっても納得が行き、
この夏は甘いものを避けることを徹底しようと思いました。
さて、迎えた今年の夏。
そう、僕は、あまり蚊に刺されませんでした。
確実に、半分以下に減りました。
体感的には、三分の一くらいになりました。
そして、これがとてもビックリしたのですが、
蚊に刺されてもあまり はれることがなく、
なにより、それほど かゆく感じないのです。
そして、刺されてもあまり かゆくないので、
蚊に刺されることへの、蚊への恐れがガクンと減り、
それが、余計に蚊に刺されなくなるという循環を生んだと思います。
これまでは、
「なんで、こんなに蚊に刺されるんだ」
という、疑問・不満・怒り・恐れだったものが、
「そうか、蚊に刺されるには理由があるんだ」
「なんなら、僕のために、蚊は刺してくれてかもしれない」
という意識・納得に変わったことで、
はれ や かゆみが、減ったのだと思います。
自分の中の不満・怒り・抵抗が、
人一倍のはれ・かゆみ、刺されやすさという事実を生んでいたんだと思います。
「想い」というものが、外なる世界を作り上げている。
そんな一例だと、僕は認識しています。
ということで、ここでシェアさせていただきました。
さて、この話には、ちょっとした続きがあります。
この夏、山梨県の八ヶ岳へ、旅行に行ったのですが、
そこでは、草むらでも、ちょっとした林の中でも、
半そで・半ズボン・サンダルで過ごしていました。
刺されにくくなった実感があったので、そんな格好で過ごしていました。
3日ほど経ったときに、まったく蚊に刺されていないことを強く認識しました。
夕方に、外でそんな格好で過ごしていても、刺されないことに気づきました。
「八ヶ岳は、蚊があまりいないんだなぁ」
などと、思っていました。
あくる日、ある方といっしょに、林の中を歩いたのですが、
そのとき、その方が、あいかわらずの格好の僕に、
「蚊には刺されない体質なんですか?」
と、おっしゃいます。
「いえいえ、とても刺されやすいですよ。
ただ、ここは蚊がぜんぜんいませんねぇ」
と答えながら、なんでそんなことを質問されるのだろうと見てみると、
その方が、真っ赤に はれた腕を かいているのが見えました。
「そんなことありませんよ。いっぱいいますよ!
刺されてないのは、たまたまですよ。」
とおっしゃいました。
その時。
「ああ、そうなんだぁ」
と、その言葉を受け入れてしまいました。
1時間後、みごとに、腕に1箇所、刺されました
(ただ、その後1日間、八ヶ岳では、やはり刺されませんでしたが)。
最後に、「蚊に刺される」といえば、必ず思い出す、
津留さんのメッセージを、ご参考までに。
別次元のあなたが承諾しない限り、あなたは蚊にさされることさえありません。
トータルなあなたがOKを出さない限り、あなたには何事も起こらないのです。
津留晃一メッセージ集 新人類の覚醒進化プログラム 『 害をもたらすもの 』 より
2013年9月12日木曜日
津留さんの役割・担当
前回の続きです。
その時、妻が言っていたのは、次のような内容です。
「津留さんは、徹底して、『自己救済』を言っていたのね。
『外には、人はいません。
宇宙には、自分しかいません。
外側を救うのではなく、自分を救済してください』と。
「でも、ほかのスピリチュアルな方、聖人と言われるような方の中には、
他者を救うこと、他者への奉仕をおっしゃっていて、
自らも、徹底して、他者奉仕をしていらっしゃる方もいるじゃない。
「その関係というか、
そういうことについて、ちょっと考えてたんだけど。
「それで、ブログのあの記事を読んで、
津留さんが、講演の中で、
『自分を責めてしまう人には、こういう話をするけど、
でも、わがままな人には、また別の話をしますよ』
って言ってたのを思い出したのね。
「そうか、津留さんは、自分を責めてしまう、そういう人担当なのね。」
何か問題やトラブルを認識したときに、
傾向として、他者を責めるよりは、自分を責めてしまう人。
普段から自分を否定してしまう人。
他人を犠牲にしてまで自分の幸せをつかみとれる人でなく、
むしろ自分の幸せを遠慮してしまうような人。
そういう人々が、津留さんの主な担当だったんだろうと思います。
そして、そういう方々に対して、
まず、とにかく、自分を救うこと、自分が幸せになること、を説き、
そのための具体的な方法を伝えること。
それが津留さんの主な役割であったんだろうと思います。
実際、これまでの「津留さん交流会」でも、
自分を強く強く責めて続けて、自殺まで考えた方とか、
自分を強く強く否定し続けた人生を歩まれた方とか、
そういう方が何人かいらっしゃいました。
そして、そういう方々が、津留さんのメッセージによって救われ、
そして、あるがままの自分をしっかりと受け入れ、認め、肯定して、
いま、とてもステキに生きてらっしゃいます。
津留さんの(メッセージの)やわらかさ、やさしさ、あたたかさ、
純粋さ、ピュアさ...
そういったもの、そういったエネルギーも、
その役割に不可欠なものだったのだろうと思います。
一人ひとりが、まず、自分を救い、幸せになる。
自分のことは、自分の責任なのだから、
その自分を、責任をもって幸せにする。
そして、光り輝いた一人ひとりの光が、内側からあふれる光が、
結果として、外なる世界を照らし、変えていく。
というアプローチが、
津留さんの主な役割・担当だったんだろうと思います。
その時、妻が言っていたのは、次のような内容です。
「津留さんは、徹底して、『自己救済』を言っていたのね。
『外には、人はいません。
宇宙には、自分しかいません。
外側を救うのではなく、自分を救済してください』と。
「でも、ほかのスピリチュアルな方、聖人と言われるような方の中には、
他者を救うこと、他者への奉仕をおっしゃっていて、
自らも、徹底して、他者奉仕をしていらっしゃる方もいるじゃない。
「その関係というか、
そういうことについて、ちょっと考えてたんだけど。
「それで、ブログのあの記事を読んで、
津留さんが、講演の中で、
『自分を責めてしまう人には、こういう話をするけど、
でも、わがままな人には、また別の話をしますよ』
って言ってたのを思い出したのね。
「そうか、津留さんは、自分を責めてしまう、そういう人担当なのね。」
何か問題やトラブルを認識したときに、
傾向として、他者を責めるよりは、自分を責めてしまう人。
普段から自分を否定してしまう人。
他人を犠牲にしてまで自分の幸せをつかみとれる人でなく、
むしろ自分の幸せを遠慮してしまうような人。
そういう人々が、津留さんの主な担当だったんだろうと思います。
そして、そういう方々に対して、
まず、とにかく、自分を救うこと、自分が幸せになること、を説き、
そのための具体的な方法を伝えること。
それが津留さんの主な役割であったんだろうと思います。
実際、これまでの「津留さん交流会」でも、
自分を強く強く責めて続けて、自殺まで考えた方とか、
自分を強く強く否定し続けた人生を歩まれた方とか、
そういう方が何人かいらっしゃいました。
そして、そういう方々が、津留さんのメッセージによって救われ、
そして、あるがままの自分をしっかりと受け入れ、認め、肯定して、
いま、とてもステキに生きてらっしゃいます。
津留さんの(メッセージの)やわらかさ、やさしさ、あたたかさ、
純粋さ、ピュアさ...
そういったもの、そういったエネルギーも、
その役割に不可欠なものだったのだろうと思います。
一人ひとりが、まず、自分を救い、幸せになる。
自分のことは、自分の責任なのだから、
その自分を、責任をもって幸せにする。
そして、光り輝いた一人ひとりの光が、内側からあふれる光が、
結果として、外なる世界を照らし、変えていく。
というアプローチが、
津留さんの主な役割・担当だったんだろうと思います。
2013年9月9日月曜日
津留さんの特徴
数日前に、
「 メッセンジャーの役割・担当 」
について、思っていることを書いたのですが、
その記事を読んでくれた妻が、
その感想のようなものと、
それに関連して、彼女が想ったこと・考えたことを、話してくれて、
そして、それについて、いろいろと話しをしました。
その内容は、
津留さんの、
メッセンジャーとしての役割・担当のようなものです。
で、
まわりくどいというか、分かりにくくなりますが、
その「 津留さんの役割・担当 」については、
別の記事で書くこととして、
今回は、
その会話の中で、僕が思い出した、
「 津留さんの特徴 」
について、書きたいと思います。
僕は、津留さんが存命のころには、津留さんの存在を知らず、
津留さんにはお会いできませんでした。
なので、津留さんについて、
当時、どういうことをしていたのかとか、言っていたのかとか、
あるいは、こんな場合はどうしてたのかとか、
そのようなことについて、いろいろ、妻に質問します。
で、
あるとき、もうずいぶんと前になりますが、
単刀直入に、こう聞きました。
「津留さんが一番言っていたことは?」
「津留さんの一番の特徴は?」
妻は、間をおかず、きっぱりと、答えてくれました。
「想念観察!」
津留さんのメッセージを読むだけだった僕には、
かなり、意外でした。
そう思われる方も、結構いらっしゃると思います。
でも、そうなんですよね。
実際、個人セッションでしていたことは、
クライアントさんに『想念観察日誌』をつけてもらうこと、
そして、それをもとに、自分の思考傾向に気づいてもらい、
そして感情ブロック(・価値観・モノサシ)を浄化してもらうこと、
だったそうです。
このことを知ると、
津留さんのメッセージを読む・聴くときに、
とっても参考になるのでは、と思います。
僕は、そうでした。
ということで、
ここでみなさんに、シェアさせていただきました。
ぜひ、その事実だけでも、
こころに留めておいてみてください。
「 メッセンジャーの役割・担当 」
について、思っていることを書いたのですが、
その記事を読んでくれた妻が、
その感想のようなものと、
それに関連して、彼女が想ったこと・考えたことを、話してくれて、
そして、それについて、いろいろと話しをしました。
その内容は、
津留さんの、
メッセンジャーとしての役割・担当のようなものです。
で、
まわりくどいというか、分かりにくくなりますが、
その「 津留さんの役割・担当 」については、
別の記事で書くこととして、
今回は、
その会話の中で、僕が思い出した、
「 津留さんの特徴 」
について、書きたいと思います。
僕は、津留さんが存命のころには、津留さんの存在を知らず、
津留さんにはお会いできませんでした。
なので、津留さんについて、
当時、どういうことをしていたのかとか、言っていたのかとか、
あるいは、こんな場合はどうしてたのかとか、
そのようなことについて、いろいろ、妻に質問します。
で、
あるとき、もうずいぶんと前になりますが、
単刀直入に、こう聞きました。
「津留さんが一番言っていたことは?」
「津留さんの一番の特徴は?」
妻は、間をおかず、きっぱりと、答えてくれました。
「想念観察!」
津留さんのメッセージを読むだけだった僕には、
かなり、意外でした。
そう思われる方も、結構いらっしゃると思います。
でも、そうなんですよね。
実際、個人セッションでしていたことは、
クライアントさんに『想念観察日誌』をつけてもらうこと、
そして、それをもとに、自分の思考傾向に気づいてもらい、
そして感情ブロック(・価値観・モノサシ)を浄化してもらうこと、
だったそうです。
このことを知ると、
津留さんのメッセージを読む・聴くときに、
とっても参考になるのでは、と思います。
僕は、そうでした。
ということで、
ここでみなさんに、シェアさせていただきました。
ぜひ、その事実だけでも、
こころに留めておいてみてください。
2013年9月8日日曜日
ブログタイトル 「迷悟」
このブログのタイトルを、
『 迷悟(めいご) 』
としました。
これは、
『 迷悟一如 (めいごいちにょ) 』
という言葉からとったもので、
goo辞書によれば、
「迷いや悟りといったものに、囚らわれることはないという意」味だそうで、
「迷いも悟りも本来は同一のもので、たどりつくところは一つであるということ」
だそうです。
また、すてきな書とともに、こんな解説をされてるサイトもありました。
近藤朱鳳 diary: 迷悟一如
「迷わぬ者に悟無し」と言われるように、
「迷い」、「憂い」、「悩み」の中から悟は生まれるもの。
故に、迷悟は一体であるという意味。
「 たどりつくところは一つである 」
津留さんのメッセージの、もっとも好きな部分が、端的に言い表されていました。
このブログ内の記事の、ここやここにすでに引用しましたが、
右の道を行けば右の体験があり、左の道を行けば左の体験がある。
その体験に、良いも悪いもないのであり、
それらの体験をし尽くせば、一なる神へと戻っていく。
われわれは存在そのものであり、存在に価値があり、
そして、生きること、生きて体験することがその役割である。
このメッセージが、津留さんのメッセージの核心(の一つ)だと思ってます。
もっとも好きで、もっとも楽にしてくれたメッセージです。
それを端的に言い表す言葉から、ブログ名をつけました。
『 迷悟(めいご) 』
としました。
これは、
『 迷悟一如 (めいごいちにょ) 』
という言葉からとったもので、
goo辞書によれば、
「迷いや悟りといったものに、囚らわれることはないという意」味だそうで、
「迷いも悟りも本来は同一のもので、たどりつくところは一つであるということ」
だそうです。
また、すてきな書とともに、こんな解説をされてるサイトもありました。
近藤朱鳳 diary: 迷悟一如
「迷わぬ者に悟無し」と言われるように、
「迷い」、「憂い」、「悩み」の中から悟は生まれるもの。
故に、迷悟は一体であるという意味。
「 たどりつくところは一つである 」
津留さんのメッセージの、もっとも好きな部分が、端的に言い表されていました。
このブログ内の記事の、ここやここにすでに引用しましたが、
右の道を行けば右の体験があり、左の道を行けば左の体験がある。
その体験に、良いも悪いもないのであり、
それらの体験をし尽くせば、一なる神へと戻っていく。
われわれは存在そのものであり、存在に価値があり、
そして、生きること、生きて体験することがその役割である。
このメッセージが、津留さんのメッセージの核心(の一つ)だと思ってます。
もっとも好きで、もっとも楽にしてくれたメッセージです。
それを端的に言い表す言葉から、ブログ名をつけました。
2013年9月7日土曜日
道、草むら、ゴミ
今朝、道を歩いていると、
「ガシャン」
という音がしました。
目を向けると、
男性が、手と身体を、
横から正面へ向けているところでした。
その動きと音から、
「何か、道に落ちていたゴミを、横の草むらへ投げたのでは」
と思いました。
そのとき、昨日目にした光景が、思い出されました。
地方では、道端に草が茂っていることが、よくあります。
さまざまな理由で、地権者が手入れをできていないのでしょう。
そのような場所を、自治体が刈ることがあります。
昨日目にしたのは、まさにそんな場所で、
道の脇の、高く茂っていた草が刈られて、
「とてもスッキリしたなぁ」
と感じました。
でも同時に、
草が茂っていたときには見えなかった、
その中に捨てられていたゴミ・空き缶などが現れてきて、
こんどは、それが、はっきりとした不快感を感じさせます。
道路自体は、舗装されていて、スッキリきれいで、
ゴミも落ちていません。
でも、その横には、手入れをされていない草むらがあり、
普段から、その茂り具合が、道を通る時に、
なんとなくモヤモヤと、なんとなく不快にさせます。
そして、草を刈ってみると、
そこには、いろいろなゴミが存在していることが分かります。
中には、今朝のゴミと同じく、
道路自体をきれいに保つために、
そこにあったものが、投げ込まれた、ということもあるでしょう。
私たちの意識できるところをきれいに保つことは、
比較的、簡単です。
「見えている」「意識できている」から。
でも、
道に落ちたゴミは、
しっかりと処分してしまわないと、なくなりません。
道端の草むらの中へ、ポイッと捨ててしまっても、
それは、隠してるだけ、見えなくなっているだけです。
そして、それは、
見えないけれど、不快な感覚を放ち続けます。
そして、機会があると、しっかりと姿を現し、
まだゴミとして存在していることを認識させます。
不快の原因として、存在していることを認識させます。
顕在意識、潜在意識、そして、潜在意識の中へ隠された感情ブロック。
その関係が、よく見えた気がしました。
草を刈り、その中に隠れていたゴミを見つけ出し、拾い・処分する。
それが、「浄化」なのですね。
「ガシャン」
という音がしました。
目を向けると、
男性が、手と身体を、
横から正面へ向けているところでした。
その動きと音から、
「何か、道に落ちていたゴミを、横の草むらへ投げたのでは」
と思いました。
そのとき、昨日目にした光景が、思い出されました。
地方では、道端に草が茂っていることが、よくあります。
さまざまな理由で、地権者が手入れをできていないのでしょう。
そのような場所を、自治体が刈ることがあります。
昨日目にしたのは、まさにそんな場所で、
道の脇の、高く茂っていた草が刈られて、
「とてもスッキリしたなぁ」
と感じました。
でも同時に、
草が茂っていたときには見えなかった、
その中に捨てられていたゴミ・空き缶などが現れてきて、
こんどは、それが、はっきりとした不快感を感じさせます。
道路自体は、舗装されていて、スッキリきれいで、
ゴミも落ちていません。
でも、その横には、手入れをされていない草むらがあり、
普段から、その茂り具合が、道を通る時に、
なんとなくモヤモヤと、なんとなく不快にさせます。
そして、草を刈ってみると、
そこには、いろいろなゴミが存在していることが分かります。
中には、今朝のゴミと同じく、
道路自体をきれいに保つために、
そこにあったものが、投げ込まれた、ということもあるでしょう。
私たちの意識できるところをきれいに保つことは、
比較的、簡単です。
「見えている」「意識できている」から。
でも、
道に落ちたゴミは、
しっかりと処分してしまわないと、なくなりません。
道端の草むらの中へ、ポイッと捨ててしまっても、
それは、隠してるだけ、見えなくなっているだけです。
そして、それは、
見えないけれど、不快な感覚を放ち続けます。
そして、機会があると、しっかりと姿を現し、
まだゴミとして存在していることを認識させます。
不快の原因として、存在していることを認識させます。
顕在意識、潜在意識、そして、潜在意識の中へ隠された感情ブロック。
その関係が、よく見えた気がしました。
草を刈り、その中に隠れていたゴミを見つけ出し、拾い・処分する。
それが、「浄化」なのですね。
2013年9月6日金曜日
エックハルト・トールさん
津留さんのメッセージが好きな方には、
ぜひ、エックハルト・トールさんの本や動画を、
ご覧になっていただきたいと思います。
もう、もう、ビックリするくらい、
津留さんと同じことをおっしゃってます。
特に、「呼吸に意識を合わせる」
ことをおっしゃってる点など、
本当に、みごとに、同じことをおっしゃってます。
そして、彼の持つエネルギーが、
すばらしく、そして、心地いいです。
動画サイトでは、
彼の講演での様子や、メッセージが、
公開されています。
ぜひ、ご覧になってみてください。
新たな気づきや、新たな理解が、
得られるかもしれません。
あるいは、
得ていた確信を、さらに強くできるかもしれません。
とてもお勧めです。
ぜひ、エックハルト・トールさんの本や動画を、
ご覧になっていただきたいと思います。
もう、もう、ビックリするくらい、
津留さんと同じことをおっしゃってます。
特に、「呼吸に意識を合わせる」
ことをおっしゃってる点など、
本当に、みごとに、同じことをおっしゃってます。
そして、彼の持つエネルギーが、
すばらしく、そして、心地いいです。
動画サイトでは、
彼の講演での様子や、メッセージが、
公開されています。
ぜひ、ご覧になってみてください。
新たな気づきや、新たな理解が、
得られるかもしれません。
あるいは、
得ていた確信を、さらに強くできるかもしれません。
とてもお勧めです。
メッセンジャーの役割・担当
おもしろいお話を、立て続けに聞きました。
小林正観さんのそばにいらしたことがある、
津留さん交流会のある参加者の方が、こうおっしゃっていました。
「 正観さんは、もっともっと高尚(こうしょう)なことを
おっしゃる能力があったのに、
徹底して、あのように、初心者の方が分かりやすい話をされ続けた。
その徹底ぶり、潔さは、みごとだった 」
知花敏彦先生のそばで、何度も講演を聴く機会のあったある方は、
こうおっしゃってました。
「 普段、厳しい口調で講演されてましたが、
『 厳しい言い方しかさせてもらえないんだ 』 と、
知花先生ご本人がおっしゃってました。
先生ご自身は、とても明るく、ユーモアのある方でした 」
同じ、スピリチュアルな情報のメッセンジャーであっても、
それぞれに、役割があり、担当がある、
ということだと思います。
そして、それぞれの役割・担当に合わせて、
さまざまに違った表現や説明方法、事例、エネルギーの
メッセージを伝えられてるのだ、と思います。
それぞれに理由があって、
あえて、そのような表現・エネルギーをとっていらっしゃる、
ということでしょう。
そうであれば、なおさら、
大切なのは、その中身、メッセージの内容です。
ですから、表面的な部分で判断をせずに、
ぜひ、積極的に、
本物といわれる方のメッセージに、
いろいろと触れていただきたいと思います。
もっと気づきを与えてくれる方や、
もっと深く入りこんで来るメッセージに、
出会えるかもしれません。
あるいは、
すでに出会っていたメッセージを、
より深く理解できたり、
より好きになったりするかもしれません。
自分自身の体験から、
そう、強く想います。
小林正観さんのそばにいらしたことがある、
津留さん交流会のある参加者の方が、こうおっしゃっていました。
「 正観さんは、もっともっと高尚(こうしょう)なことを
おっしゃる能力があったのに、
徹底して、あのように、初心者の方が分かりやすい話をされ続けた。
その徹底ぶり、潔さは、みごとだった 」
知花敏彦先生のそばで、何度も講演を聴く機会のあったある方は、
こうおっしゃってました。
「 普段、厳しい口調で講演されてましたが、
『 厳しい言い方しかさせてもらえないんだ 』 と、
知花先生ご本人がおっしゃってました。
先生ご自身は、とても明るく、ユーモアのある方でした 」
同じ、スピリチュアルな情報のメッセンジャーであっても、
それぞれに、役割があり、担当がある、
ということだと思います。
そして、それぞれの役割・担当に合わせて、
さまざまに違った表現や説明方法、事例、エネルギーの
メッセージを伝えられてるのだ、と思います。
それぞれに理由があって、
あえて、そのような表現・エネルギーをとっていらっしゃる、
ということでしょう。
そうであれば、なおさら、
大切なのは、その中身、メッセージの内容です。
ですから、表面的な部分で判断をせずに、
ぜひ、積極的に、
本物といわれる方のメッセージに、
いろいろと触れていただきたいと思います。
もっと気づきを与えてくれる方や、
もっと深く入りこんで来るメッセージに、
出会えるかもしれません。
あるいは、
すでに出会っていたメッセージを、
より深く理解できたり、
より好きになったりするかもしれません。
自分自身の体験から、
そう、強く想います。
2013年9月1日日曜日
好きなことをして生きていける社会をつくるには
今、その社会意識が変わろうとしています。
では、好きなことをして生きていける社会をつくるには
『人は労働するために存在しているわけではない。
存在そのものが人の価値である。
人の価値は生きることである。
生きて純粋体験をすることが人の価値である。
感じることが人の役割である』と。
どうしたらよいのでしょう。
それは人がそのことをただ信じるだけでそうなります。
働いて、頑張って、 働きぬいた時にそんな社会が訪れるわけではありません。
今、人々が『働かないと生きていけない』 と信じているのと同じか、それ以上に
『好きなことをしていたら生きていけるのだ』と固く信じた時に
そんな社会が実現するのです。
津留晃一 小冊子 「地球星はいまみどり色の太陽へ」 より
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