2014年2月9日日曜日

子育てに当たって、「このごろ思うこと」

まず はじめに、
日々、子育てに 励まれていらっしゃる みなさまに、
こころより、お見舞い申し上げます。

今、まさに、同じ立場にある者として、
そのたいへんさ、つらさ、厳しさ、難しさ、
そういったものが、とてもよく 理解できます。

とくに、その厳しさは、
ひとつには、24時間、休みなく続く ことにあり、
こころも、身体も、その疲れを 回復する暇がない ことにありますよね。
本当に、おつかれさまです。
こころより、お見舞い申し上げます。


さて、津留さんのメッセージを しっかりと読まれ、理解された方ほど、
子育てに当たって、
 「子どもに、何かブロックを 与えたくない」
 「子どもに、変な・余計な価値観を 与えたくない」
 「できる限り、ニュートラルなままに、育ってほしい」
そんな想いを お持ちなのではないか と思います。

ところが、そんな想いとは 裏腹に、
ブロック・価値観のことを、意識すれば 意識するほど、
そんなものを与えている 自分を発見します。
「与えないように」すればするほど、
「与えてしまう」「与えずにはいられない」自分が 存在します。
この世が『パラドックスだ』と、いわれるゆえんです。

そして、「ダメな自分」を発見し、とがめ、
その「うまくいかない」という想いが、「どうしたらいいの」という迷いが、
ますます、自らの混乱を招き、
そのエネルギーが、そのいらだちが、
ますます、子どもに対して、ネガティブなエネルギー・感情を 与えてしまいます。

子育ては、
価値観を持たない 子ども と、
価値観にしばられた 大人 との、
無慈悲なまでの、あけすけな、価値観・規範をめぐる、ぶつかり合いであり、

私たち大人は、ことあるごとに、子どもたちから、
私たちが握っている価値観を 見せつけられ、投げつけられ、さらけ出され、
 「どうして?」
 「何で?」
と、その存在の 正当性・必要性を 問われ続けます。

 「確かに、そんな考えは 要らないかも」
と思った、次の瞬間には、
 「そうは言っても、社会で生きていくためには、最低限これくらいは…」
と、やはり、価値観・考えを、子どもに与え・押しつける行為を 止められません。

「このくらいの 行動を取らなければ、生きていけない のでは」
「このくらい 自制できなければ、つまはじきに あってしまう」
子どものことを 想えばこそ、そんな価値観を 与えてしまいます、
親としての『恐れ』から...

そして、たまにやって来る、冷静になれる ひとときには、
自分が与えてしまった 価値観に、
自分が投げつけ、ぶつけてしまった 感情に、
気づき、後悔し、
そして、自らを とがめます。

個人セッションでも、ほとんどの クライアントさまが、
多かれ 少なかれ、
子供時代に、親から受けた 感情・傷を、こころに深く しまい込み、
親から与えられ・引き継いだ 価値観を、無意識のうちに、自らの 指針とし、規範とし、
うまく行かない現実に ほんろうされ、覆いつぶされ、
こころを痛め、苦悩しておられます。

そんな様子を見るに、
ますます、親としての立場に 怖れをいだき、
苦悩してしまいそうなところ なのですが、

僕の場合は、実は、そんなことはなく、
むしろ、その反対で、

個人セッションを 重ねるにつれ、
僕自身は、子育てへの 恐れや惑いが、少なく・軽く なって来ています。


確かに、クライアントさまの話を 聞けば聞くほど、
その事例が 増えれば増えるほど、
子どもの頃の こころの傷の 重さ・重要性への認識は 増すのですが、

しかし同時に、
多くの方々が、目の前で、
それらの傷・ブロックを 浄化されていき、
こころを軽くし、楽になっていかれる 様子を 拝見するにつけ、

 「ブロックは、本人が望みさえすれば、確実に、取れるもの」
との認識が深まり、確信が増し、
それを与えてしまうことへの 恐れが、
急激に、軽く・少なく なってきている からです。

価値観についても、同様です。

子どもが 親から受け取るもの なんて、
子供からすれば、確実に、生まれる前に、予定しているもの だと思います。
自ら納得のもと、それを手に入れたくて、
その親のところに 生まれてきている ことと思います。
それを与えてあげなければ、
むしろ、契約不履行で、訴えられてしまう ことでしょう ^_^

誤解のないように、はっきりと 申し上げて おきますが、
与えなくて済むものを、与える必要は ありません。

ただ、よほど、瞬間瞬間、『意識的に』生きていない限り、
気づかずに、無意識のうちに 与えてしまうものは、
無数にあるはずです。
努力しても、最善を尽くしても、
それでも 与えてしまうものは、多数、あるはずです。
そんな、与えてしまうもの・与えてしまったもの への恐れは、
手放しましょう。
自分が悪役を演じることへの恐れを、手放しましょう。

奉仕される人がいて、初めて、奉仕することができる ように、
与えるあなたがいて、初めて、受け取れるお子さんが います。
受け取って、初めて、体験できる人生が あります。
神であった存在が、恋い焦がれて、人間にまでなって、体験したかったことです。
どうぞ、体験させてあげることを、恐れないでください。

もし、何かするべきことがあると お想いなら・お感じなら、
どうぞ、その自らの内にある『恐れ』をこそ、取ってください。
浄化なさってください。

そして、いつの日か、お子さんが、あなたから受け取ったブロックを、価値観を、
自らの意思によって、浄化することを決意されたときに、
  「大丈夫、ちゃんと取れるよ」
  「こうやればいいんだよ」
と、言ってあげられる存在で いてください。

今、僕は、そんな風に想っています。