2016年10月17日月曜日

津留さん17回忌


 今日は、
 津留さんの命日。
 
 亡くなって、16年が経つので、
 ちょうど、
 「17回忌」ということに、なりますね。
 
 当時をご存知の方には、
 時の経過というものに、
 感慨深いものがおありなのでは、
 と、推察いたします。
 
 
 さて、昨日は、
 津留さんの命日を前に、
 津留さん交流会を行いました。
 
 そして、今日は、
 募集していた、個人セッションへの、
 お申し込みがありませんでした。
 
 そんな流れから、
 昨夜、妻と二人で、
  「じゃあ、津留さんのお墓参りに行こうか」
 と、話していました。
 
 ところが、
 今朝、起きてみると、
 屋根を激しく叩きつけるほどの、
 雨
 
 (天気予報を知りませんでしたので、
  ビックリしました)。
 
 しかも、
 朝のうちに、終わらせるべき用事が、
 雨ということもあり、
 予定より、長引きました。
 
 午後からは、
 別の用事があったため、
 その前に、
 お墓参りをしようかと、思っていたのですが、
 
 そんなわけで、
 どうも、時間的にも、
 そして、天候的にも、
 どうやら、できそうもありません。
 
  「それじゃぁ、まあいいか」
 と、いうことに、なりました。
 
 そのとき、
 津留さんが、
 
  「私は、お墓には居ません」
 と、
 言っているように、思いました。
 
 確かに、そのとおり、
 ですよね。


 でも、
 僕は、
 津留さんのお墓に行くと、
 
 何か、普段は、漠然と感じている、
  「津留さんへの、感謝の気持ち」のようなもの
 を、
 より、明確に、認識できるように感じます。
 
  「津留さんという存在」
 を、
 より、はっきりと、感じられるような気がします。

  この活動をしている上で感じる、
  自信の無さや、戸惑い、不安
 といったものを、
 なにかスッキリと、させることができます。
 
 僕にとって、
 津留さんのお墓に行くことは、
 「僕にとって」、
 気持ちよく、楽しく、ありがたいことです。
 
 
 なので、
 そのうち、天気のいい日にでも、
 お墓参りに、行ってこようと思っています。