2017年10月23日月曜日

イメージをしながらの、記憶の浄化


先週の個人セッションには、
以前、職場で、人間関係に関して、辛い思いをした、
という方が、いらしてくださいました。

その、個人セッションでは、
裕子さんが誘導をして、
その方の、そのことに関する浄化を、お手伝いさせていただきました。

裕子さんが誘導してくれている間、

僕は、
ちょっと、僕の個人的な浄化を、させてもらいました。

僕も、職場で、
特に人間関係に関して、辛い思いをした経験があり、
そのことが、そのとき、思い出されたからです。

なので、その方の浄化と並行して、
僕は、僕の体験に関するブロックの、浄化をさせてもらいました。


目をつぶり、
頭の中で、かつての その職場の様子を、イメージしてみます。

すると、すこし、カビ臭くすらあるような、薄暗い、職場が、
イメージされました。

実際は、窓が多く、もちろん、カビなど生えていませんでしたが、
しかし、そんなイメージが、出てきました。


すると、今度は、イメージの中での視線が、
ある特定の方位に、自然と、向けられます。
もっとも苦手だった、上司の席のある方向です。

そして、その先(奥)には、
次に苦手だった、その上司の上司の席があります。

その方向は、とても、苦手でした。

イメージ中で、その方位に視線を持って行っただけで、
胸に、締め付けられるような、重さ・苦しさ・やるせなさ・絶望感 ...
そんな感覚が、蘇(よみが)り、湧き上がって来ます。

頭の中では、そのイメージを見つめながら、
意識では、その、湧き上がって来た感覚を、しっかりと感じます。

胸にある、その感覚に、意識の矢印を、向けます。
向け続けます。


頭の中では、そのイメージを見つめ続けることで、
感覚が、湧き続けてくれます。

感覚が、湧き続けてくれるように、
イメージを見つめ続けながら、
感覚に、意識を向け続けます。

感覚に変化があるまで、
感覚の強さが弱まるまで、
感覚の大きさが小さくなるまで、
感覚の鋭さが和らぐまで、
その感覚に、意識を向け続けます。
感じ続けます。

しばらくすると、
それらの感覚が、弱まって来ました。
弱まって来たものに、意識を向けるのは、少し、難しくなりますが、
それでも、集中を切らさず、むしろ、集中をより高め、
さらに、その感覚を、感じ続けます。
その感覚に、入り込むかのように、矢印を鋭くさせます。

今回は、その辺りで、
ほぼ感じられなくなるまで、感覚が小さくなっていきました。


そのとき、
頭の中のイメージに、変化が起こりました。

イメージ全体が、
徐々に、白く、明るくなっていったのです。

視線を向けていた方向、
もっとも苦手だった方向、
イメージの中では、もっとも暗く、歪んでいるかのような不快な方位が、
とくに、明るく、輝いてすら いるくらい、白く明るくなってきます。


続けて、視線を、ぐるりと、動かしてみると、
部屋全体が、さらに明るくなって来ています。

そのとき、
ある方向に、人の気配を感じました。

浄化をする前に、最初にイメージした瞬間には、
職場の中には、人の気配が、まったく、感じられなかったのに、
ある方向に、「気配」があります。

職場内で、比較的気の合った、部署の人達が座っていた方向です。

その人達そのものは、イメージに現れませんが、
でも、その人達の「気配」が感じられます。

それは、その人達が、
明るく、笑っている気配です。

「笑顔」「笑い声」の気配が、感じられました。


すると、
それにつられるかのように、

その他の方位・場所でも、
明るい気配が、現れてきました。

他に、同僚たちが座っていた場所から、
明るい気配が、感じられるようになってきました。

その場で関わった、すべての人達から、
明るい気配を、感じられているかのようでした。


そして、ついには、
苦手な上司がいた場所からも、
明るい気配が感じられました。

まるで、嫌いだった上司すらも、笑っているかのような、
そんな気配を、感じました。

その場所は、
さらに、白く明るく、輝いていきました。

「眩しい」とか、「目が開けてられないくらい」とまでは、行きませんでしたが、
しかし、最終的には、
はじめの「暗い」「カビ臭い」イメージからは、かけ離れた、
明るく、柔らかい、雰囲気のイメージ映像に、なりました。

そこで、その浄化を、終えました。

目を開けると、
気分が、軽くなっていました。


イメージをすると、ネガティヴな感覚を感じられる記憶がお有りならば、
このように、浄化をしてみてください。

もちろん、これは、
数ある浄化方法のうちの、一つのやり方で、
他の方法でやっていただいても、もちろん、結構ですが、

一例として、具体的に、お分かりいただきやすいのではないかと思い、
記させていただきました。


また、このように、
過去の出来事・状況に関する記憶(に結びついている感情)を浄化すると、
自分の、その過去に関する印象が変わります。

いえ、
「自分の中」の、記憶そのものが、変わります。

今回の件に関していえば、
僕の中の記憶そのものは、以前のままで、

まだ、「嫌な上司が居た」「辛い職場だった」という記憶は、
消えていないし、別の認識に変わってもいません。

今回の浄化のおかげで、
それらに対する印象(思い出したときに感じる感覚)は、
かなり、軽やかで明るいものに、変わりましたが、

記憶・認識そのものは、変わっていません。


しかし、過去記事「 最驚のパラドックス 」でも、書いたとおり、
ケースによっては、人に、事例によっては、
『過去』そのものが、変わります。

自分自身でも、そのような体験を、幾度も、していますし、
個人セッションの場でも、そのようなケースを、幾多、目にしてきました。


とくに、今回の、僕のケースのように、
「その過去」に関わる人々と、一切、関係が無くなっている場合などは、

仮に、
 『あるがままの事実』としての『過去』
  関係者全員に共通した、「客観的事実」としての過去
というものが、存在しているのだとしても、

それがどのようなものであったのかを、
確かめる術(すべ)は、ありません。

であれば、
『過去』というものは、完全に、
「自分の頭の中」、『記憶』にしか、ありません。

そうなれば、
その、『記憶』が、自分の中で、変わってしまえば、

『過去』そのものが、(実質的に)変わってしまっています。


これを、ある種の、スピリチュアルな人々は、
 「別の(泡)宇宙になった」
 「別の並行宇宙に行った」
 「別のタイムラインに入った」
などと、認識・表現しているのだと、理解していますが、

いずれにせよ、
『過去』は、変わってしまっていますので、

『今』が、
変わった後の『新たな過去』^^ に基づいた『今』になっており、
そして、『未来』は、
その『今』を起点とした『新たな未来』に、進んでいきます。


すなわち、
浄化をするたびに、
『過去』が、『今』が、『未来』が変わります。

浄化とは、
そういう行為、なんですね。


また、となれば、

『今』において、浄化という行為をすることに、
自然、意識が向いていきます。

『過去』も、『未来』も、
『今』(の浄化)次第だからです。

それが、
 「『今・ここ』しかない」
という話が示しているところの、別の意味、
なのだと、認識しています。