先日、道を歩いていたら、
女性の方が、僕を追い抜いて行きました。
追い抜かれざま、なにげなく、その方の後ろ姿を見ると、
着ている服の背中に、カエルのプリントが見えました
(ピョン吉が、こちらを向いているような感じです ^^ )。
筆で描いたようなタッチであることと、
何より、その女性のいでたちからして、
それがカエルであるということに、とても違和感を感じたので、
その服を、思いっきり、凝視(ぎょうし)してしまいました。
すると、それはカエルではありませんでした ^^;
その服が、フード付きのパーカーで、
そして、そのフードが、一部を隠してしまっていたため、
いったい何が描かれていたのかは、
結局、分かりませんでしたが ...
そのとき、
「まるで、ロールシャッハ・テストみたいだな」
と思いました。
ご存知のとおり、「ロールシャッハ・テスト」は、
紙の上に落としたインクのしみを見て、
それが『何に』見えるかによって、
その人の心理や思考を診断する、というテストですね。
「一枚の絵(というか、シミ ^^ )が、
人によって、人それぞれに、『何か』を表したものに見える。」
ということから成立しているテストですよね。
ある一つのものが、人によって、それぞれ違うものに見えるということ。
いえ、そもそも、何も表していないはずの『シミ』が、
何か特定のものに見えてしまうということ。
とても面白い『事実』ですよねぇ。
つまり、
「私たちは、あるがままを、あるがままに見ているわけではない」
んですね。
「私たちは、『あるがままの現実』だけを、「あるがままに」見ているわけではなく、
『観念的現実』という「フィルター」・「色眼鏡」を通して、
それぞれが、それぞれに、異なる『外なる世界』を見ている。」
そのことを、改めて、痛感しました
(『あるがままの現実』や『観念的現実』については、
過去記事「 エネルギーブロックという汚れを通してのぞいている 」や
「 波しぶきの 視覚的変化に 」をお読みください)。
そういえば、
「夜、障子越しに見える、ゆらゆらと揺れ動く幽霊におびえ、
翌朝、明るくなってから、よく見てみると、それはススキだった」
なんていう、有名な落語のお噺(はなし)もありますよね ^^ 。
エネルギーブロックをいっぱい抱えた私たちが生きているのは、
まさに、そんな世界、そんな宇宙なんですねぇ。
そして、そんな世界・宇宙の中で、
『自分が』見ている『事実』の正しさを主張したり、
『自分が』見ている『社会の誤り』に憤(いきどお)ったり、
『自分が』見ている『他人の不真面目さ』に憤慨(ふんがい)したり、
『自分が』見ている『他人』におびえたり、
『他人が』見ている『自分』に思い悩んだり ...
そんなことをして、生きているんですねぇ。
そんなことを、再認識しました。