2014年5月9日金曜日

山登り

おかげさまで、
津留さん交流会を始めさせていただいて、もう少しで、10ヶ月になります。
個人セッションを始めさせていただいて、もう5ヶ月になりました。
浄化実践講習会を始めさせていただいて、3ヶ月が過ぎました。

時期としては、とても中途半端ですが、
今、そのことに触れましたので、
ここで、改めて、お礼を申し上げさせていただきます。

日頃のご愛顧、まことにありがとうございます。


さて、交流会の席では、何度か口にしてきたことなのですが、
このように、みなさまと直接お会いして、
そして、みなさまとお話しをしたり、
何かをお伝えしたり、
あるいは、ご相談に乗ったりするということは、
もうずっと前から、「いつかは、やりたい」と思って来たことです。

では、なぜ、いままでできなかったのか?

それは、一言でいえば、
 「こころの準備ができていなかった」
から。
つまり、
 「自信が無かった」
から、なんですね。

では、
 どうして「自信が無かった」のか?
といえば、
それは、
 「自分は、まだ、津留さんのようには、いろいろなことが分かってない」
 「そのような活動をしていらっしゃる方々と比べて、まだそのレベルに達していない」
という認識を持っていたからです。

その認識そのものは、正しく、適切なものだと思います。
津留さんをはじめ、多くのスピリチュアルな指導者の方々と比べれば、
自分は、まだ、小学生のようなものです。

そして、だから、
 「小学生の自分には、人様に何かをお伝えすることなどできない」
そんな想いを持っていました。


それでは、
なぜ、今は、このような活動をできているのか?

それは、
 「小学生だからこそ、お伝えできることがある」
ということを、しっかりと理解できたから、確信できたからです。

このことは、さいとうひとりさんの著書の中に書いてあったことそのままなのですが、
小学生は、幼稚園生に、自分より下級生に、教えればいいんですね。

教えられる側にとって、少し上の学年の人は、
素晴らしい先生なんですね。
つい今しがた、その学習を終えたばかりの人だからです。
だから、どこが分かりづらいかとか、
どうしたら分かるようになるかとか、
どんな工夫をしたら良いかとか、
そんなことが、よく分かっているんですね。
今しがた、体験したばかりだから。

逆に、すべての学習を終えてしまっている人は、
その人が躓(つまず)いていることが、その理由が、
よく分からなくなってしまっていたりすることがあるんですね。
もう忘れてしまっているから、とか、
自分の現状とかけ離れてしまっていて、うまく共感できないから、とかで。


妻・裕子さんの整体の師である、
数霊の深田剛史さんの著書に出てくる例えを用いさせていただけば、
優れた人たちは、すでに、山の頂上にたどり着いている人たちです。

たしかに、その人たちからすれば、上からは、下の様子が見えます。分かります。
いろいろと、指導し、導くことが出来ます。
最終的にはどうなっているかが分かるからこその、指導・ガイドも可能でしょう。
逆に、まだ登山途中の人たちからは、
自分がいる位置よりも上がどうなっているのかは分かりません。

ただ、登山途中の人は、ガイドが出来ないのかというと、そんなことはなく、
今、2合目にいる人は、
今、1合目から2合目に向かって登っている人々を、
ガイドすることができます。

しかも、今、登ってきたばかりですから、
どこがすべりやすいとか、不安定だとか、
どこに足を置けば良いか、手を置けば良いかとか、何をつかめばいいとか、
そういう細かいところが、よく分かっています。覚えています。
逆に、山頂からは、遠くて良く見えないかもしれません。
崖や岩や木が邪魔で、よく見えないかもしれません。
もちろん、ほとんどの山頂にいらっしゃる方々は、
その千里眼で、すべて『お見通し』なんですが ... ^^


僕(たち)は、まだ、小学生です。
まだ、2合目です。

でも、だからこそ、お伝えできることがあると、知っています。
だからこそ、理解できること、共感できることがあると、知っています。

見栄を張らず、虚勢を張らず、
かつ、
謙虚に、素直に、正直に、

分からないこと、出来ないことは、
素直にそれを認め、お伝えしつつ、

その上で、
自分(たち)が分かっていること、理解していること、
経験してきたことを、
お伝えしていこう。

そう、思っています。