2014年5月15日木曜日

思考のつぶやき

 「夢を英語で見るようになったら、一人前」

英語を修得しようとしている人たちが、よく耳にする言葉です。
それは、
 「そこまで行ったら、もう十分に英語を体得している」
という、ひとつの目安であり、
英語修得者にとって、ひとつの目標地点です。

そして、
そこにたどり着くための工夫として、これまた、よく言われること。

それは、
 「頭の中での考えごとを、英語でしなさい」
ということです。


もう15年も前になりますが、
ニュージーランドで、英語を学んでいたとき、

当時、僕は、結構まじめに取り組んでいましたので ^^ 、
頭の中でも、
日本語を使わず、英語を使うように、
とても気をつけていました。

さて、
始めて1週間もしたときのことだったと思うのですが、

それまで、頭の中を観察するという習慣がまったくなかったため、
「英語」どうこう、「日本語」どうこう、という前に、
頭の中で、四六時中、自分がおしゃべりをしているということ、そのことに、
僕は、初めて、気がつき、そして、びっくりしてしまいました。

ずっとずっと、しゃべり続けていることに、
つぶやき続けていることに、
本当に、びっくりしてしまいました。


今、思い返してみれば、
このときが、
自分の思考のつぶやきに、はじめて気がついたときであり、

同時に、
そのつぶやきを『観察』するということを、
そして、
観察する『位置』というものが、普段の『自分』とは違うところにある、ということを、
わずかばかりですが、認識できたときです。


さて、話は戻りますが、
いったん気がついてみると、
自分のおしゃべりが、つぶやきが、
あまりにすごいことに、僕は驚きました。

その驚きたるや、僕にとっては、本当にすごかったのです。
なにせ、
 「自分は、異常なのではないか?」
 「あまりに、多過ぎなのではないか?」
と心配した僕は、
当時、語学学校で、まだ出会ったばかりだった、ある日本人友人に、
そのことを、相談したくらいだったのですから ^^;

それくらいに、衝撃でした。


どれほどの衝撃を受けるかは、さておき、
この「思考のつぶやき」に気がつくことが、
『内面世界』に入って行く、その第一歩だった、という人は、
結構多いのではないかと思います。

 「自分の中に、つぶやき続けている存在が居る」
その認識が、すべての始まりだった、という人は、
結構多いのではないかと思います。

僕の場合は、そうでした。

過去記事「『こんな自分』と生きていくなんて、まっぴらゴメンだ!
でご紹介した、エックハルト・トールさんの場合も、そうでしたね。

そして、僕の場合、
その認識が、ニュージーランドにおいてもたらされた、という事実は、
振り返って気がついてみれば、僕にとっては、とても興味深い事実であり、
また、それが、英語を学ぶことによってもたらされた、という点も、同様で、

そしてそれは、いま考えてみれば、
 「自ら仕組んだ」
としか考えられない事実です。

事の詳細は、理由の詳細は、
自分で話を出しておきながら、すみません、省きますが、
そういうことを、そういう類(たぐ)いのことを、
強く感じます。


さて。
完全に蛇足(だそく)ですが、先の話には、続きがあります。

僕が受けた衝撃は、それはそれで、十分に大きなものだったのですが、
相談した友人からの返答による衝撃は、さらに大きなものでした。

僕は、
 「四六時中、頭の中でおしゃべりをしているのって、異常?」
 「普通は、どうなの? どんなものなの?」
ということが知りたくて、彼に相談したわけですが、

彼から返ってきた言葉は、なんと、
 「そのことは、よく分かんないけど、
  そんなことより、僕は、未来が見えちゃうんだよ ... 」
というものだったのです! (*〇o〇*)

おじいさんの事故とか、親戚の不幸とかが、何度か、見えたことがあって、
親に話したら、信じてもらえず、気味悪がられた、とか、
確か、その程度のことだったと、記憶しているのですが、

それにしても、
当時は、まだ3次元世界にしがみついていて、
スピリチュアルの「ス」の字も知らなかった僕だったのに、
僕の質問そっちのけで、そんな答えが返ってきたということが、
なんか、将来の僕の環境を、今現在の僕の状況を、
その頃にして、すでに、なにか暗示していたかのような逸話で、
いま思い出してみても、
面白いというか、とても興味深い、貴重な体験だったと言えます ^^