個人セッションで、
おいでくださったクライアントの方々のご相談をお聞きしていると、
多分に、共通していることが多く見受けられます。
すでに書いたように
(『モニター個人セッションのご報告』『個人セッションを 始めさせていただいて』)、
それは、私たちプラクティショナー役の二人の『鏡』として、
私たち二人に、私たち二人が握っているブロックに気づかせるために、
それらを示してくださっているという側面・項目も、多々あるのですが、
そういう類いのことではなくて、
クライアントさまが、これまでの人生において、苦しまれてきた理由として、
クライアントさま方に多く共通して見受けられる、別のことがあります。
そのうち、特に強く感じることがあるのですが、
それは、それらの方々が、
「『宇宙の基準』『宇宙の真理』に沿って生きているがゆえに、苦しまれている」
ということです。
わたしたちが、いま、生活しているこの環境、
この地球の、この今の社会環境における
『基準』『規範』『常識』『ルール』が、
それらの方々にとっては、
あまりに重く、厳しく、
あまりに利己的で、
それらになじめず、受け入れられず、適応できず、
そして、それがゆえに、
「自分はだめなのではないか?」
「自分は弱いのではない?」
「自分がいけないのではないか?」
と、
自らをとがめ、責め、
そして、苦しまれていらっしゃる...
そんな体験、経験、状況を、
これまでに、数多く、お聞きしてきました。
これまでの、『分離』の社会におけるスタンダードは、
たとえば、
「弱肉強食」であったり、「勝者総取り」であったり、
「だまされるほうが悪い」「勝てば官軍」などであり、
そのような基準は、
愛に満ち、愛に基づいた、
『宇宙』の基準に従っている人々には、
あまりに過酷で、あまりに重いものです。
そんな環境の中で、それらの人々は、
うまく行かずに、うまくなじめずに、苦しみ、
他人から責められて苦しみ、
そして、それゆえに自らを責めて苦しみ、
苦しみの中で生きてこられました。
もし、あなたが、
このいまの社会になじめず、苦しまれているとしたら、
自らを、うまくできない、なじめないご自分を責めることを、
どうぞお止めになってください。
そんな必要は、まったくありません。
間違っているのはどちらなのかを、
おかしいのはどちらなのかを、
ご自分のハートに、尋ねてみてください。
ご自分の正しさを、愛を、光を、温かさを、
どうぞ、改めて、信じてみてください。
ご自身に、自信を持ってください。
ご自身を、信頼なさってください。
そのことにこそ、ご自分の勇気を使われてください。
このような方々は、
これからの『新しい地球』のスタンダードを、
一足先に、地球に持って降りて来て、
それらを体現し、
そして、それらを根付かせるために、
来ていらっしゃるのだと思います。
まず、
危険をかえりみず、自らの犠牲をいとわず、
その役割を引き受け、
この地に、一人、降り立ってこられたことに、
そして、一人、その役割を遂行してこられたことに、
こころからの敬意と感謝を申し上げます。
どんなにか、お辛かったことでしょう。
どんなにか、心細かったことでしょう。
これまで、本当におつかれさまでした。
ありがとうございます。
そして、いま、
自らの苦しみに、正面を切って対峙し、
それを克服しようとなさっているその勇気に、
こころからの敬意を表します。
いま、その自らの苦しみを克服するということは、
同じ役割を持って生まれ、
そして同じように悩み、苦しまれている、
仲間のみなさまの、同胞のみなさまの、
先駆けとなり、見本となる、ということであり、
そしてそれは、
それらの方々が、それらの苦しみを克服する際の、
克服方法を伝えることが、アドバイスをすることが、
できるようになる、可能になる、
ということです。
どうぞ、いま、
その悩み・苦しみと、
しっかりと共にあり、
それらを否定せず、拒否せず、
ただ、見つめ、眺めてみてください。
そして、もし可能なら、
それらを受け入れ、認め、許してあげてください。
悩み、苦しんでしまったご自身のことも、
許し、認めてあげてください。
その先には、仲間の方々との再会があり、融合があり、連携があり、
そして、みなさまの生きる姿、そのものによって、
「『新しい地球』のスタンダード」が、
愛に基づいた、愛を貴重とした、
融和の、調和の文明が、
新生地球にもたらされていくことと想います。
どうぞ、そんな未来の姿を、希望を、こころに灯しながら、
いまは、まず、これまでの苦しみに立ち向かい、
そして、それらを手放し、解放なさってください。
昇華なさってください。
そのために、お役に立てることがあれば、
お手伝いできることがあれば、
よろこんで、ご協力させていただきます。
これまでに、個人セッションにみえた、
多くの天使のみなさまを拝見していて、
翼の折れた、傷ついたエンジェルの方々にお会いして、
そんなことを想いました。
2014年5月1日木曜日
2014年4月30日水曜日
思考によるエネルギーロス
ここ数ヶ月、
仕事の上で、あるいは家庭の中でも、
新たなことをすることが多くて、
そしてそれは、会社であれば「プロジェクト」と呼ぶような、
少し規模のあるというか、連続性のある行為群のものが多いのですが、
そういうことをしていると、
どうしても『思考』に入ってしまうことが多いです。
やはり、
「うまくやろう」という想いとか、
「これでよいか? よりよい方法はないか?」とか、
「結果がしっかりともなうだろうか?」とか、
そういうたぐいの想いが湧き上がってきて、
気づかぬうちに飲み込まれている・一体化していることが多いです ^^;
それでも、
ここのところ、以前に比べると、
思考が止まってきているというか、
思考を眺められているというか、
思考との一体化が止まってきているというか、
そんな自分でいられるようになってきた実感があります。
そんな自分でいられる頻度が高くなってきた、
そんな自分でいられる時間が長くなってきた、
そんな感じがしています。
そんな状態になれて、
そこで初めて感じることができたことがいくつかありますが、
その一つで、そして特によく感じることに、
「(これまで)普段、いかに『思考』によってエネルギーを消費していたか」
ということがあります。
思考が止まっている状態、
思考と距離を置いている状態でいると、
「それまでの普段の自分が、いかに、疲れた状態にいたのか」
ということに、気がつきました。
「思考をするということは、いかに多くのエネルギーを使うことなのか」
「思考によって、いかに多くのエネルギーを浪費しているか」
「思考していることによって、どれだけ疲れているか」
そんなことを、少し思考が止まった状態の自分から、
感じるようになりました。
津留さんが、メッセージ集の中で、
人間は『エネルギー使い』だ
という表現・言葉を使っていますが、
まさにその表現通りなんだなぁと、実感しています
(津留晃一メッセージ集『新人類への覚醒進化プログラム』「その間にあるもの」)。
私たちは、普段、まさに、「思考によるエネルギーロス」を起こしているのですね。
そして、普段の自分が、それが普通の状態だと思っている自分が、
既にエネルギーを浪費した、疲れた状態の自分である、ということ、
ゼロの地点、基準点だと思っていたところが、
すでにマイナスの地点であったこと、
そんなことを、体感しています。
仕事の上で、あるいは家庭の中でも、
新たなことをすることが多くて、
そしてそれは、会社であれば「プロジェクト」と呼ぶような、
少し規模のあるというか、連続性のある行為群のものが多いのですが、
そういうことをしていると、
どうしても『思考』に入ってしまうことが多いです。
やはり、
「うまくやろう」という想いとか、
「これでよいか? よりよい方法はないか?」とか、
「結果がしっかりともなうだろうか?」とか、
そういうたぐいの想いが湧き上がってきて、
気づかぬうちに飲み込まれている・一体化していることが多いです ^^;
それでも、
ここのところ、以前に比べると、
思考が止まってきているというか、
思考を眺められているというか、
思考との一体化が止まってきているというか、
そんな自分でいられるようになってきた実感があります。
そんな自分でいられる頻度が高くなってきた、
そんな自分でいられる時間が長くなってきた、
そんな感じがしています。
そんな状態になれて、
そこで初めて感じることができたことがいくつかありますが、
その一つで、そして特によく感じることに、
「(これまで)普段、いかに『思考』によってエネルギーを消費していたか」
ということがあります。
思考が止まっている状態、
思考と距離を置いている状態でいると、
「それまでの普段の自分が、いかに、疲れた状態にいたのか」
ということに、気がつきました。
「思考をするということは、いかに多くのエネルギーを使うことなのか」
「思考によって、いかに多くのエネルギーを浪費しているか」
「思考していることによって、どれだけ疲れているか」
そんなことを、少し思考が止まった状態の自分から、
感じるようになりました。
津留さんが、メッセージ集の中で、
人間は『エネルギー使い』だ
という表現・言葉を使っていますが、
まさにその表現通りなんだなぁと、実感しています
(津留晃一メッセージ集『新人類への覚醒進化プログラム』「その間にあるもの」)。
私たちは、普段、まさに、「思考によるエネルギーロス」を起こしているのですね。
そして、普段の自分が、それが普通の状態だと思っている自分が、
既にエネルギーを浪費した、疲れた状態の自分である、ということ、
ゼロの地点、基準点だと思っていたところが、
すでにマイナスの地点であったこと、
そんなことを、体感しています。
2014年4月28日月曜日
全体性の回復
浄化を進めていくと、
あるいは、
湧いてくる想念に気がついて、それらの想念との自動的な一体化がおさまってくると、
いくつかの変化を実感するようになると思います。
その感じられる変化の内容は、
まさに、人それぞれだと思いますが、
僕の場合は、
『全体性』と呼ばれるものを、
頭ではなく、
感覚として(体感として)、
感じる機会が増えてきました。
あるいは、感じる量が増えてきました。
個人セッションや、津留さん交流会で、
来てくださった方々のお話をお聞きしていて、
その方の今現在の、あるいはこれまでの、苦しみの体験が、
どのような意味があって、どのような意図のもとに、
その方にやって来ているのか、やって来たのか、
ということについて、
すっ と、認識できるようになって来た感覚があります。
そして、
全体を代表して、そのような体験をしてくださっていることに対して、
全体の一部として、その配役を演じてくださっていることに対して、
自然と、ありがたい気持ちが湧いてくるようになりました。
妻から聞いた話なのですが、
津留さんは、よく、
「この3次元の人間ドラマは、人差し指と親指が、やりあっているようなもの」
という趣旨のことを言っていたそうです。
自分という『個人』と、
他人という『個人』が、
まったく別の、それぞれ独立の意思のもとに、
様々なことをやりあっているように見えていますが、
少し上の視点というか、
少しつながった観点から見れば、
それは、
ある一人の人の、指と指がぶつかり合っているようなもので、
まさに、「神が、体験したいことを体験するために」、
自ら、自らの指と指を、ぶつけ合っている、
という感じなのだと思います。
道で人とすれ違ったときに、
向こうから来たその人と、肩と肩がぶつかったとします。
大阪なら、
「なにさらしてケツ噛んどんねん、ワレ!」
と言われそうなシチュエーションですが ^^ 、
そのとき、
ぶつかって来た「肩」に向かって文句を言う人はいないと思います。
でも、僕たちが普段していることって、
そういうことなわけですよね。
全体性の回復が進んでくるにつれて、
自分が「『大いなる全体』の一部」である感覚が戻って来て、
そして、それにつれて、
目の前の、自分をいらつかせる、困らせる、悲しませる存在に対して、
「その人は、その人なりに精一杯やっている・対応している結果として、
そのような行動・存在になってしまっている」という、
同情心というか、共感性というようなものを、
自然と、感じられるようになって来ました。
感じられる量が増えて来ました。
そして、だからこそ、瞬時の感情との一体化が楽に、自然におさまって来て、
そしてさらに、
「自分にその感情を感じさせるために、そのような振る舞いをしているのだ」と、
「自分の中のブロックを刺激するために、気づかせるために、
そのような振る舞いをしてくれているのだ」と、
そのような見方で、見られる・とらえられるように、自然と、なって来ました。
あるいは、そう感じられる頻度が高くなって来ました。
それが、僕にとって、ここ最近での一番大きな変化です。
あるいは、
湧いてくる想念に気がついて、それらの想念との自動的な一体化がおさまってくると、
いくつかの変化を実感するようになると思います。
その感じられる変化の内容は、
まさに、人それぞれだと思いますが、
僕の場合は、
『全体性』と呼ばれるものを、
頭ではなく、
感覚として(体感として)、
感じる機会が増えてきました。
あるいは、感じる量が増えてきました。
個人セッションや、津留さん交流会で、
来てくださった方々のお話をお聞きしていて、
その方の今現在の、あるいはこれまでの、苦しみの体験が、
どのような意味があって、どのような意図のもとに、
その方にやって来ているのか、やって来たのか、
ということについて、
すっ と、認識できるようになって来た感覚があります。
そして、
全体を代表して、そのような体験をしてくださっていることに対して、
全体の一部として、その配役を演じてくださっていることに対して、
自然と、ありがたい気持ちが湧いてくるようになりました。
妻から聞いた話なのですが、
津留さんは、よく、
「この3次元の人間ドラマは、人差し指と親指が、やりあっているようなもの」
という趣旨のことを言っていたそうです。
自分という『個人』と、
他人という『個人』が、
まったく別の、それぞれ独立の意思のもとに、
様々なことをやりあっているように見えていますが、
少し上の視点というか、
少しつながった観点から見れば、
それは、
ある一人の人の、指と指がぶつかり合っているようなもので、
まさに、「神が、体験したいことを体験するために」、
自ら、自らの指と指を、ぶつけ合っている、
という感じなのだと思います。
道で人とすれ違ったときに、
向こうから来たその人と、肩と肩がぶつかったとします。
大阪なら、
「なにさらしてケツ噛んどんねん、ワレ!」
と言われそうなシチュエーションですが ^^ 、
そのとき、
ぶつかって来た「肩」に向かって文句を言う人はいないと思います。
でも、僕たちが普段していることって、
そういうことなわけですよね。
全体性の回復が進んでくるにつれて、
自分が「『大いなる全体』の一部」である感覚が戻って来て、
そして、それにつれて、
目の前の、自分をいらつかせる、困らせる、悲しませる存在に対して、
「その人は、その人なりに精一杯やっている・対応している結果として、
そのような行動・存在になってしまっている」という、
同情心というか、共感性というようなものを、
自然と、感じられるようになって来ました。
感じられる量が増えて来ました。
そして、だからこそ、瞬時の感情との一体化が楽に、自然におさまって来て、
そしてさらに、
「自分にその感情を感じさせるために、そのような振る舞いをしているのだ」と、
「自分の中のブロックを刺激するために、気づかせるために、
そのような振る舞いをしてくれているのだ」と、
そのような見方で、見られる・とらえられるように、自然と、なって来ました。
あるいは、そう感じられる頻度が高くなって来ました。
それが、僕にとって、ここ最近での一番大きな変化です。
2014年4月22日火曜日
第1回大阪イベント(2014年6月)のお知らせ
2014年6月28日(土)29日(日)、
大阪市で、
『津留さん交流会』『浄化実践講習会』および『個人セッション』をいたします。
詳細は、こちらの『 第1回大阪イベント 』のページをご覧ください。
はじめての千葉以外での開催。
「みなさんに集まっていただけるだろうか?」
正直、不安もあります。
でも、さらに正直に言うと、
その不安は、とてもとても小さくて、
それよりも、千葉・東京を離れてイベントが出来ること、
大阪の方々にお会いできる機会が持てたことの嬉しさが、
全身を包んでいます。
これまでに、浄化実践講習会に2名、
個人セッションに1名、
のべ3名の方々に、大阪からおいでいただき、ご参加いただいています。
また、在住経験はありませんが、
大阪(の市街地)は、これまでに何度もうかがっていて、
少々、土地勘があります。
もちろん、第二の中心地ということもありますので、
そんな事情から、
今回、第一弾として、大阪でさせていただくことにいたしました。
どうぞよろしくお願いいたします。
今回、妻・裕子さんは、
千葉でお留守番(子守り ^^)をさせていただきます。
イベントには参加いたしませんこと、ご承知おきください。
ちなみにですが、
浄化実践講習会は、これまでの全4回とも、
私・ひでが主に担当させていただいていて、
内2回は、私一人でさせていただいていますので、
これまでの開催内容と同じようにさせていただけると思っています。
また、個人セッションも、
今年始めの本格始動から、のべ25名の方々にお受けいただいていますが、
私は、内24名の方々の浄化のお手伝いをさせていただいています。
また、4名の方々は、私一人でさせていただいていて、
内1名が、女性の方でした。
という事情なので、一人で開催させていただくことに不安はないのですが、
でも、そんな事情をご説明したり、
「不安がない」と言っていること自体、
不安がある証拠ですよね ^^
大阪にうかがうまでに、そんな自分をしっかりと見つめたいと思いますし、
今回の経験で、それにまつわる内側のブロックとしっかりと刺激して、
すこしづつ取り除いていって、
その後には、大阪以外の場所でも、日本各地で、
開催していけたらなぁと、思ったりしています。
それでは、大阪のみなさん、関西地区のみなさん、
お会いできることを楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
集合人編集局 ひで
大阪市で、
『津留さん交流会』『浄化実践講習会』および『個人セッション』をいたします。
詳細は、こちらの『 第1回大阪イベント 』のページをご覧ください。
はじめての千葉以外での開催。
「みなさんに集まっていただけるだろうか?」
正直、不安もあります。
でも、さらに正直に言うと、
その不安は、とてもとても小さくて、
それよりも、千葉・東京を離れてイベントが出来ること、
大阪の方々にお会いできる機会が持てたことの嬉しさが、
全身を包んでいます。
これまでに、浄化実践講習会に2名、
個人セッションに1名、
のべ3名の方々に、大阪からおいでいただき、ご参加いただいています。
また、在住経験はありませんが、
大阪(の市街地)は、これまでに何度もうかがっていて、
少々、土地勘があります。
もちろん、第二の中心地ということもありますので、
そんな事情から、
今回、第一弾として、大阪でさせていただくことにいたしました。
どうぞよろしくお願いいたします。
今回、妻・裕子さんは、
千葉でお留守番(子守り ^^)をさせていただきます。
イベントには参加いたしませんこと、ご承知おきください。
ちなみにですが、
浄化実践講習会は、これまでの全4回とも、
私・ひでが主に担当させていただいていて、
内2回は、私一人でさせていただいていますので、
これまでの開催内容と同じようにさせていただけると思っています。
また、個人セッションも、
今年始めの本格始動から、のべ25名の方々にお受けいただいていますが、
私は、内24名の方々の浄化のお手伝いをさせていただいています。
また、4名の方々は、私一人でさせていただいていて、
内1名が、女性の方でした。
という事情なので、一人で開催させていただくことに不安はないのですが、
でも、そんな事情をご説明したり、
「不安がない」と言っていること自体、
不安がある証拠ですよね ^^
大阪にうかがうまでに、そんな自分をしっかりと見つめたいと思いますし、
今回の経験で、それにまつわる内側のブロックとしっかりと刺激して、
すこしづつ取り除いていって、
その後には、大阪以外の場所でも、日本各地で、
開催していけたらなぁと、思ったりしています。
それでは、大阪のみなさん、関西地区のみなさん、
お会いできることを楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
集合人編集局 ひで
2014年5月の日程
2014年4月1日火曜日
サイト『津留晃一の世界』が新しくなりました
2014年4月1日、新年度に合わせて、
サイト『津留晃一の世界』を新しくしました。
トップページ、メッセージ集のページは、これまで通り、そのままです。
「津留晃一の本・講演会CD・DVDの販売」のページ以降が、新しくなりました。
津留さんの商品は、今後、ご注文フォームからお申し込みください。
送料は実費のままですが、郵便料金の改定にともない、金額が変更となっています。
新しいサイトでは、
「特定商取引法に基づく表記」や「個人情報保護方針」を明記しました。
また、「集合人編集局プロフィール」で、
津留さん・集合人編集局の、これまでの簡単な経緯を載せています。
サイト『津留晃一の世界』は、今後も、継続的に手を入れ、
みなさまにとって、より利用しやすいものへと改善・改良していくつもりです。
みなさまにおかれましては、
引き続きご愛顧を賜れますよう、よろしくお願い申し上げます。
サイト『津留晃一の世界』を新しくしました。
トップページ、メッセージ集のページは、これまで通り、そのままです。
「津留晃一の本・講演会CD・DVDの販売」のページ以降が、新しくなりました。
津留さんの商品は、今後、ご注文フォームからお申し込みください。
送料は実費のままですが、郵便料金の改定にともない、金額が変更となっています。
新しいサイトでは、
「特定商取引法に基づく表記」や「個人情報保護方針」を明記しました。
また、「集合人編集局プロフィール」で、
津留さん・集合人編集局の、これまでの簡単な経緯を載せています。
サイト『津留晃一の世界』は、今後も、継続的に手を入れ、
みなさまにとって、より利用しやすいものへと改善・改良していくつもりです。
みなさまにおかれましては、
引き続きご愛顧を賜れますよう、よろしくお願い申し上げます。
2014年4月1日 集合人編集局 ひで
2014年3月6日木曜日
お義母さん、ありがとうございました
2014年3月3日、
義母の山口潤子が、
肉体を離れ、光の世界へと帰って行きました。
翌4日には、本人の生前の意向により、
近親者のみで、葬儀を執り行いました。
生前、山口潤子ならびに集合人編集局をお引き立てくださっていたみなさまに、
謹んでご報告させていただくとともに、
ここに、これまでのご愛顧を深く感謝申し上げます。
これまで、本当にありがとうございました。
かねてより闘病中であった義母は、
ずいぶんと前から、
「死への恐れ」や、あるいは「生への執着」を見事に手放し、
はたから見ていると、ビックリするほどに、
日々、淡々と生活していました。
『闘病』という言葉は、
義母には、まったくふさわしくありませんでした。
そして、
「津留さんのメッセージを伝えること」
を、文字通りに、使命・生きがいとし、
最後まで、集合人編集局の仕事を行っていました。
2月の半ばに、
僕の末の娘が、1週間ほど緊急入院するという、
不測の事態が起こりました。
その間、妻が付きっきりで娘に付き添っていたため、
義母の面倒を見られない日が続きました。
その期間中に、義母の定期検診日があったのですが、
その際に、義母の方から、担当医に対して、
入院を希望する旨の要請をしました。
義母は、診察室へ入るなり、開口一番、
「先生、痛くて死にそうです!」
と言いました。
そして、入院希望の理由としては、
「身体の痛みがひどくなり、もう耐えられない」
「痛いのだけが、もうイヤだ」
と、言っていました。
おそらく、本心だったことでしょう。
ただ、横でその様子を見聞きしていた僕には、
それだけが理由なのではないように感じられました。
「孫が大変なときに、自分のことで、なるべく負担がかからないようにしたい」
そんな気遣いがあったのだと想います。
そんな、優しい人でした。
亡くなる直前に、妻から聞いたのですが、
義母は、娘が入院する際に、
「『孫の代わりに、私の命を取ってください』ってお祈りしたのよ」
と言っていたそうです。
娘を連れてお見舞いに行き、元気に退院できたことを報告した時には、
本当に、嬉しそうに、こころから喜んでくれていました。
ただ、入院と共に、
義母の具合は、急激に悪化して行きました。
22日の津留さん誕生日記念の交流会には参加してくれて、
津留さんの思い出話でもしてもらえるのではないかと
想っていたくらいだったので、
ほんとうに残念です。
入院により、身体を動かすことが激減したことが大きかったのではないか、
と、個人的には思っています。
そして、約2週間の入院生活の後、
最期は、穏やかに、安らかに、
ロウソクの炎が燃え尽きるかのように、
息を引き取りました。
70年の生涯でした。
これまで、義母が心血を注いで行って来た集合人編集局の仕事は、
これからは、妻と僕で、引き継がせていただきます。
皆様におかれましては、引き続き、
ご愛顧をたまわれますよう、よろしくお願い申し上げます。
お義母さん、これまで、ありがとうございました。
そして、おつかれさまでした。
これからも、これまで通り、どうぞご指導ください。
津留さんのメッセージを多くの方々にお伝えすること、
そして、みなさんが少しでもこころを軽くし、明るくし、
楽しく楽に生きていかれるお手伝いをすることに、
努めてまいります。
どうぞ、津留さんといっしょに、見守っていてください。
そして、どうぞ、そちらの世界で、ごゆっくり、休まれてください。
義母の山口潤子が、
肉体を離れ、光の世界へと帰って行きました。
翌4日には、本人の生前の意向により、
近親者のみで、葬儀を執り行いました。
生前、山口潤子ならびに集合人編集局をお引き立てくださっていたみなさまに、
謹んでご報告させていただくとともに、
ここに、これまでのご愛顧を深く感謝申し上げます。
これまで、本当にありがとうございました。
かねてより闘病中であった義母は、
ずいぶんと前から、
「死への恐れ」や、あるいは「生への執着」を見事に手放し、
はたから見ていると、ビックリするほどに、
日々、淡々と生活していました。
『闘病』という言葉は、
義母には、まったくふさわしくありませんでした。
そして、
「津留さんのメッセージを伝えること」
を、文字通りに、使命・生きがいとし、
最後まで、集合人編集局の仕事を行っていました。
2月の半ばに、
僕の末の娘が、1週間ほど緊急入院するという、
不測の事態が起こりました。
その間、妻が付きっきりで娘に付き添っていたため、
義母の面倒を見られない日が続きました。
その期間中に、義母の定期検診日があったのですが、
その際に、義母の方から、担当医に対して、
入院を希望する旨の要請をしました。
義母は、診察室へ入るなり、開口一番、
「先生、痛くて死にそうです!」
と言いました。
そして、入院希望の理由としては、
「身体の痛みがひどくなり、もう耐えられない」
「痛いのだけが、もうイヤだ」
と、言っていました。
おそらく、本心だったことでしょう。
ただ、横でその様子を見聞きしていた僕には、
それだけが理由なのではないように感じられました。
「孫が大変なときに、自分のことで、なるべく負担がかからないようにしたい」
そんな気遣いがあったのだと想います。
そんな、優しい人でした。
亡くなる直前に、妻から聞いたのですが、
義母は、娘が入院する際に、
「『孫の代わりに、私の命を取ってください』ってお祈りしたのよ」
と言っていたそうです。
娘を連れてお見舞いに行き、元気に退院できたことを報告した時には、
本当に、嬉しそうに、こころから喜んでくれていました。
ただ、入院と共に、
義母の具合は、急激に悪化して行きました。
22日の津留さん誕生日記念の交流会には参加してくれて、
津留さんの思い出話でもしてもらえるのではないかと
想っていたくらいだったので、
ほんとうに残念です。
入院により、身体を動かすことが激減したことが大きかったのではないか、
と、個人的には思っています。
そして、約2週間の入院生活の後、
最期は、穏やかに、安らかに、
ロウソクの炎が燃え尽きるかのように、
息を引き取りました。
70年の生涯でした。
これまで、義母が心血を注いで行って来た集合人編集局の仕事は、
これからは、妻と僕で、引き継がせていただきます。
皆様におかれましては、引き続き、
ご愛顧をたまわれますよう、よろしくお願い申し上げます。
お義母さん、これまで、ありがとうございました。
そして、おつかれさまでした。
これからも、これまで通り、どうぞご指導ください。
津留さんのメッセージを多くの方々にお伝えすること、
そして、みなさんが少しでもこころを軽くし、明るくし、
楽しく楽に生きていかれるお手伝いをすることに、
努めてまいります。
どうぞ、津留さんといっしょに、見守っていてください。
そして、どうぞ、そちらの世界で、ごゆっくり、休まれてください。
2014年2月9日日曜日
子育てに当たって、「このごろ思うこと」
まず はじめに、
日々、子育てに 励まれていらっしゃる みなさまに、
こころより、お見舞い申し上げます。
今、まさに、同じ立場にある者として、
そのたいへんさ、つらさ、厳しさ、難しさ、
そういったものが、とてもよく 理解できます。
とくに、その厳しさは、
ひとつには、24時間、休みなく続く ことにあり、
こころも、身体も、その疲れを 回復する暇がない ことにありますよね。
本当に、おつかれさまです。
こころより、お見舞い申し上げます。
さて、津留さんのメッセージを しっかりと読まれ、理解された方ほど、
子育てに当たって、
「子どもに、何かブロックを 与えたくない」
「子どもに、変な・余計な価値観を 与えたくない」
「できる限り、ニュートラルなままに、育ってほしい」
そんな想いを お持ちなのではないか と思います。
ところが、そんな想いとは 裏腹に、
ブロック・価値観のことを、意識すれば 意識するほど、
そんなものを与えている 自分を発見します。
「与えないように」すればするほど、
「与えてしまう」「与えずにはいられない」自分が 存在します。
この世が『パラドックスだ』と、いわれるゆえんです。
そして、「ダメな自分」を発見し、とがめ、
その「うまくいかない」という想いが、「どうしたらいいの」という迷いが、
ますます、自らの混乱を招き、
そのエネルギーが、そのいらだちが、
ますます、子どもに対して、ネガティブなエネルギー・感情を 与えてしまいます。
子育ては、
価値観を持たない 子ども と、
価値観にしばられた 大人 との、
無慈悲なまでの、あけすけな、価値観・規範をめぐる、ぶつかり合いであり、
私たち大人は、ことあるごとに、子どもたちから、
私たちが握っている価値観を 見せつけられ、投げつけられ、さらけ出され、
「どうして?」
「何で?」
と、その存在の 正当性・必要性を 問われ続けます。
「確かに、そんな考えは 要らないかも」
と思った、次の瞬間には、
「そうは言っても、社会で生きていくためには、最低限これくらいは…」
と、やはり、価値観・考えを、子どもに与え・押しつける行為を 止められません。
「このくらいの 行動を取らなければ、生きていけない のでは」
「このくらい 自制できなければ、つまはじきに あってしまう」
子どものことを 想えばこそ、そんな価値観を 与えてしまいます、
親としての『恐れ』から...
そして、たまにやって来る、冷静になれる ひとときには、
自分が与えてしまった 価値観に、
自分が投げつけ、ぶつけてしまった 感情に、
気づき、後悔し、
そして、自らを とがめます。
個人セッションでも、ほとんどの クライアントさまが、
多かれ 少なかれ、
子供時代に、親から受けた 感情・傷を、こころに深く しまい込み、
親から与えられ・引き継いだ 価値観を、無意識のうちに、自らの 指針とし、規範とし、
うまく行かない現実に ほんろうされ、覆いつぶされ、
こころを痛め、苦悩しておられます。
そんな様子を見るに、
ますます、親としての立場に 怖れをいだき、
苦悩してしまいそうなところ なのですが、
僕の場合は、実は、そんなことはなく、
むしろ、その反対で、
個人セッションを 重ねるにつれ、
僕自身は、子育てへの 恐れや惑いが、少なく・軽く なって来ています。
確かに、クライアントさまの話を 聞けば聞くほど、
その事例が 増えれば増えるほど、
子どもの頃の こころの傷の 重さ・重要性への認識は 増すのですが、
しかし同時に、
多くの方々が、目の前で、
それらの傷・ブロックを 浄化されていき、
こころを軽くし、楽になっていかれる 様子を 拝見するにつけ、
「ブロックは、本人が望みさえすれば、確実に、取れるもの」
との認識が深まり、確信が増し、
それを与えてしまうことへの 恐れが、
急激に、軽く・少なく なってきている からです。
価値観についても、同様です。
子どもが 親から受け取るもの なんて、
子供からすれば、確実に、生まれる前に、予定しているもの だと思います。
自ら納得のもと、それを手に入れたくて、
その親のところに 生まれてきている ことと思います。
それを与えてあげなければ、
むしろ、契約不履行で、訴えられてしまう ことでしょう ^_^
誤解のないように、はっきりと 申し上げて おきますが、
与えなくて済むものを、与える必要は ありません。
ただ、よほど、瞬間瞬間、『意識的に』生きていない限り、
気づかずに、無意識のうちに 与えてしまうものは、
無数にあるはずです。
努力しても、最善を尽くしても、
それでも 与えてしまうものは、多数、あるはずです。
そんな、与えてしまうもの・与えてしまったもの への恐れは、
手放しましょう。
自分が悪役を演じることへの恐れを、手放しましょう。
奉仕される人がいて、初めて、奉仕することができる ように、
与えるあなたがいて、初めて、受け取れるお子さんが います。
受け取って、初めて、体験できる人生が あります。
神であった存在が、恋い焦がれて、人間にまでなって、体験したかったことです。
どうぞ、体験させてあげることを、恐れないでください。
もし、何かするべきことがあると お想いなら・お感じなら、
どうぞ、その自らの内にある『恐れ』をこそ、取ってください。
浄化なさってください。
そして、いつの日か、お子さんが、あなたから受け取ったブロックを、価値観を、
自らの意思によって、浄化することを決意されたときに、
「大丈夫、ちゃんと取れるよ」
「こうやればいいんだよ」
と、言ってあげられる存在で いてください。
今、僕は、そんな風に想っています。
日々、子育てに 励まれていらっしゃる みなさまに、
こころより、お見舞い申し上げます。
今、まさに、同じ立場にある者として、
そのたいへんさ、つらさ、厳しさ、難しさ、
そういったものが、とてもよく 理解できます。
とくに、その厳しさは、
ひとつには、24時間、休みなく続く ことにあり、
こころも、身体も、その疲れを 回復する暇がない ことにありますよね。
本当に、おつかれさまです。
こころより、お見舞い申し上げます。
さて、津留さんのメッセージを しっかりと読まれ、理解された方ほど、
子育てに当たって、
「子どもに、何かブロックを 与えたくない」
「子どもに、変な・余計な価値観を 与えたくない」
「できる限り、ニュートラルなままに、育ってほしい」
そんな想いを お持ちなのではないか と思います。
ところが、そんな想いとは 裏腹に、
ブロック・価値観のことを、意識すれば 意識するほど、
そんなものを与えている 自分を発見します。
「与えないように」すればするほど、
「与えてしまう」「与えずにはいられない」自分が 存在します。
この世が『パラドックスだ』と、いわれるゆえんです。
そして、「ダメな自分」を発見し、とがめ、
その「うまくいかない」という想いが、「どうしたらいいの」という迷いが、
ますます、自らの混乱を招き、
そのエネルギーが、そのいらだちが、
ますます、子どもに対して、ネガティブなエネルギー・感情を 与えてしまいます。
子育ては、
価値観を持たない 子ども と、
価値観にしばられた 大人 との、
無慈悲なまでの、あけすけな、価値観・規範をめぐる、ぶつかり合いであり、
私たち大人は、ことあるごとに、子どもたちから、
私たちが握っている価値観を 見せつけられ、投げつけられ、さらけ出され、
「どうして?」
「何で?」
と、その存在の 正当性・必要性を 問われ続けます。
「確かに、そんな考えは 要らないかも」
と思った、次の瞬間には、
「そうは言っても、社会で生きていくためには、最低限これくらいは…」
と、やはり、価値観・考えを、子どもに与え・押しつける行為を 止められません。
「このくらいの 行動を取らなければ、生きていけない のでは」
「このくらい 自制できなければ、つまはじきに あってしまう」
子どものことを 想えばこそ、そんな価値観を 与えてしまいます、
親としての『恐れ』から...
そして、たまにやって来る、冷静になれる ひとときには、
自分が与えてしまった 価値観に、
自分が投げつけ、ぶつけてしまった 感情に、
気づき、後悔し、
そして、自らを とがめます。
個人セッションでも、ほとんどの クライアントさまが、
多かれ 少なかれ、
子供時代に、親から受けた 感情・傷を、こころに深く しまい込み、
親から与えられ・引き継いだ 価値観を、無意識のうちに、自らの 指針とし、規範とし、
うまく行かない現実に ほんろうされ、覆いつぶされ、
こころを痛め、苦悩しておられます。
そんな様子を見るに、
ますます、親としての立場に 怖れをいだき、
苦悩してしまいそうなところ なのですが、
僕の場合は、実は、そんなことはなく、
むしろ、その反対で、
個人セッションを 重ねるにつれ、
僕自身は、子育てへの 恐れや惑いが、少なく・軽く なって来ています。
確かに、クライアントさまの話を 聞けば聞くほど、
その事例が 増えれば増えるほど、
子どもの頃の こころの傷の 重さ・重要性への認識は 増すのですが、
しかし同時に、
多くの方々が、目の前で、
それらの傷・ブロックを 浄化されていき、
こころを軽くし、楽になっていかれる 様子を 拝見するにつけ、
「ブロックは、本人が望みさえすれば、確実に、取れるもの」
との認識が深まり、確信が増し、
それを与えてしまうことへの 恐れが、
急激に、軽く・少なく なってきている からです。
価値観についても、同様です。
子どもが 親から受け取るもの なんて、
子供からすれば、確実に、生まれる前に、予定しているもの だと思います。
自ら納得のもと、それを手に入れたくて、
その親のところに 生まれてきている ことと思います。
それを与えてあげなければ、
むしろ、契約不履行で、訴えられてしまう ことでしょう ^_^
誤解のないように、はっきりと 申し上げて おきますが、
与えなくて済むものを、与える必要は ありません。
ただ、よほど、瞬間瞬間、『意識的に』生きていない限り、
気づかずに、無意識のうちに 与えてしまうものは、
無数にあるはずです。
努力しても、最善を尽くしても、
それでも 与えてしまうものは、多数、あるはずです。
そんな、与えてしまうもの・与えてしまったもの への恐れは、
手放しましょう。
自分が悪役を演じることへの恐れを、手放しましょう。
奉仕される人がいて、初めて、奉仕することができる ように、
与えるあなたがいて、初めて、受け取れるお子さんが います。
受け取って、初めて、体験できる人生が あります。
神であった存在が、恋い焦がれて、人間にまでなって、体験したかったことです。
どうぞ、体験させてあげることを、恐れないでください。
もし、何かするべきことがあると お想いなら・お感じなら、
どうぞ、その自らの内にある『恐れ』をこそ、取ってください。
浄化なさってください。
そして、いつの日か、お子さんが、あなたから受け取ったブロックを、価値観を、
自らの意思によって、浄化することを決意されたときに、
「大丈夫、ちゃんと取れるよ」
「こうやればいいんだよ」
と、言ってあげられる存在で いてください。
今、僕は、そんな風に想っています。
2014年2月8日土曜日
「『こんな自分』と生きていくなんて、まっぴらゴメンだ!」
昨日の記事 「波しぶきの 視覚的変化に」 の最後で、
エックハルト・トールさんの動画 『 エックハルト・トール 自伝 』 をご紹介しました。
昨日の昼間、片づけをしていたら、
エックハルトさんの著書 『さとりをひらくと 人生はシンプルで 楽になる』 が出てきて、
パラパラとめくったら、序章に、
エックハルトさんが、最初に 気づきを得たときの様子が 書かれていました。
「なんだ、ここに書いてあったか...」
「じゃあ、この本から ご紹介すれば 良かったかな」
などと思っていたのですが、
今日、さきほど、念のために動画を確認しにいったら、
残念ながら、その動画は削除されていました。
「これは、サインだ ^^ 」
と想いましたので ^-^、
本当に簡潔に、そのときの気づきの様子を、引用・ご紹介いたします。
ご両親の離婚や、生活環境(生活する国)の変化などにより、
多感な時期から、不安定な精神状態にあった エックハルトさんは、
29歳のある夜中、ふと目を覚まし、そして強烈な絶望感に 襲われたそうです。
そのとき、エックハルトさんの頭の中を、
「『こんな自分』と生きていくなんて、まっぴらゴメンだ!」
という想いが、ぐるぐると回っていました。
そして、突然、気づきます。
「『こんな自分』と 生きていきたくない 『自分』がいるのか?」
「では、『自分』というのは、二人いるのか?」
その瞬間、頭の中でつぶやいていた ひとり言が ピタリと止んだことに、
ハッとしました。
そこから、思考が「無」の状態になり、
それ以降、思考の8割が 止まったのだそうです。
そして翌朝、起きてから 目にするもの、聞こえる音が 一変し、
すべてが新鮮で、鮮明で、そして光輝いていた そうです。
『こんな自分』という ミニ自我に 気づき、
その気づいている『自分』こそが、真の自分であることに気づき、
『こんな自分』との一体化を止めて、
真の自分に居ると、
思考が止まり、目にするものも 鮮明になる。
まさに、津留さんと 同じ気づき ですよね。
その後、エックハルトさんは、一貫して、
「思考を止めること」
「思考から離れること」
「思考によって作り出した自己概念との一体化を止めること」
そんなことを推奨されています。
そして、そうすれば、自然と、
「なにをすればいいのかも分かる」
し、
「幸せでいられる」
とおっしゃってます。
また、思考を止める・思考から離れる手段として、
「呼吸に意識を合わせる」
ことも、おっしゃってますね。
本当に、津留さんと、一緒ですね ^^ 。
先週、妻が、
ウェイン・ダイアーさんとエックハルトさんが共演しているDVDを、
レンタルビデオ店から 借りてきてくれて、一緒に観ました。
とてもお勧めです!
機会があれば、ぜひ、ご覧になってください。
さて、その中で、その時点(2~3年前?)での
『最も影響力のあるスピリチュアル・リーダー100人』
というリストの話が出てくるのですが、
そのリストでは、
ダイアーさんが3位、
ダライ・ラマさんが2位、
そして、エックハルトさんが1位なのだそうです。
リストなんて、所詮、誰か(誰か達)の主観でしかないものですが、
それでも、
津留さんと同じことをおっしゃってる エックハルトさんが、
『存命している津留さん』ともいうべき エックハルトさんが、
『宇宙人なままの津留さん』ともいうべき エックハルトさん ^^ が、
ダライ・ラマさんと並び評価されている事実に、
少なからぬ 驚きと 喜びを 感じます。
さらに言うと、
僕が認識している範囲では、
エックハルトさんは、『浄化』『浄化方法』については、
特に言及されていないようです。
もし、そうだとしても、
それは、単に『役割』のようなもの でしょうから、
どちらが偉いとか すごいとか いう類のものでは ありませんが、
ただ、津留さんが伝え・実践していたこと のほうが、
より広く、より実践的である、ということは 言えるのではないか と思います。
いま、こうして、
津留さんのメッセージを伝え、
そして、津留さんの『浄化』を伝えることが できていることに、
新たな自信と、
そして、より深い喜びを 感じました。
エックハルト・トールさんの動画 『 エックハルト・トール 自伝 』 をご紹介しました。
昨日の昼間、片づけをしていたら、
エックハルトさんの著書 『さとりをひらくと 人生はシンプルで 楽になる』 が出てきて、
パラパラとめくったら、序章に、
エックハルトさんが、最初に 気づきを得たときの様子が 書かれていました。
「なんだ、ここに書いてあったか...」
「じゃあ、この本から ご紹介すれば 良かったかな」
などと思っていたのですが、
今日、さきほど、念のために動画を確認しにいったら、
残念ながら、その動画は削除されていました。
「これは、サインだ ^^ 」
と想いましたので ^-^、
本当に簡潔に、そのときの気づきの様子を、引用・ご紹介いたします。
ご両親の離婚や、生活環境(生活する国)の変化などにより、
多感な時期から、不安定な精神状態にあった エックハルトさんは、
29歳のある夜中、ふと目を覚まし、そして強烈な絶望感に 襲われたそうです。
そのとき、エックハルトさんの頭の中を、
「『こんな自分』と生きていくなんて、まっぴらゴメンだ!」
という想いが、ぐるぐると回っていました。
そして、突然、気づきます。
「『こんな自分』と 生きていきたくない 『自分』がいるのか?」
「では、『自分』というのは、二人いるのか?」
その瞬間、頭の中でつぶやいていた ひとり言が ピタリと止んだことに、
ハッとしました。
そこから、思考が「無」の状態になり、
それ以降、思考の8割が 止まったのだそうです。
そして翌朝、起きてから 目にするもの、聞こえる音が 一変し、
すべてが新鮮で、鮮明で、そして光輝いていた そうです。
『こんな自分』という ミニ自我に 気づき、
その気づいている『自分』こそが、真の自分であることに気づき、
『こんな自分』との一体化を止めて、
真の自分に居ると、
思考が止まり、目にするものも 鮮明になる。
まさに、津留さんと 同じ気づき ですよね。
その後、エックハルトさんは、一貫して、
「思考を止めること」
「思考から離れること」
「思考によって作り出した自己概念との一体化を止めること」
そんなことを推奨されています。
そして、そうすれば、自然と、
「なにをすればいいのかも分かる」
し、
「幸せでいられる」
とおっしゃってます。
また、思考を止める・思考から離れる手段として、
「呼吸に意識を合わせる」
ことも、おっしゃってますね。
本当に、津留さんと、一緒ですね ^^ 。
先週、妻が、
ウェイン・ダイアーさんとエックハルトさんが共演しているDVDを、
レンタルビデオ店から 借りてきてくれて、一緒に観ました。
とてもお勧めです!
機会があれば、ぜひ、ご覧になってください。
さて、その中で、その時点(2~3年前?)での
『最も影響力のあるスピリチュアル・リーダー100人』
というリストの話が出てくるのですが、
そのリストでは、
ダイアーさんが3位、
ダライ・ラマさんが2位、
そして、エックハルトさんが1位なのだそうです。
リストなんて、所詮、誰か(誰か達)の主観でしかないものですが、
それでも、
津留さんと同じことをおっしゃってる エックハルトさんが、
『存命している津留さん』ともいうべき エックハルトさんが、
『宇宙人なままの津留さん』ともいうべき エックハルトさん ^^ が、
ダライ・ラマさんと並び評価されている事実に、
少なからぬ 驚きと 喜びを 感じます。
さらに言うと、
僕が認識している範囲では、
エックハルトさんは、『浄化』『浄化方法』については、
特に言及されていないようです。
もし、そうだとしても、
それは、単に『役割』のようなもの でしょうから、
どちらが偉いとか すごいとか いう類のものでは ありませんが、
ただ、津留さんが伝え・実践していたこと のほうが、
より広く、より実践的である、ということは 言えるのではないか と思います。
いま、こうして、
津留さんのメッセージを伝え、
そして、津留さんの『浄化』を伝えることが できていることに、
新たな自信と、
そして、より深い喜びを 感じました。
エネルギーブロックと身体の繋がり
すこし前の話 ですが、
あるとき、フッと、ある感情が 湧きあがってきました。
あるとき、フッと、ある感情が 湧きあがってきました。
妻が仕事中で、僕一人で 子守をしている 最中だったので、
一瞬、どうしようか 迷いましたが、
それほど大きなものでは なさそうでしたので、
その場で、浄化してしまうことにしました。
子供たちが いましたので、M2などは使わず、
そのまま、その感情を感じ尽くして、浄化しようとしました。
ところが、始めてみると、
それは、思いのほか、大者で ^^ 、
始めてしばらくすると、
胸に感じる感覚・痛みが、どんどんきつく、強烈になって行き、
なかなか 消え去る気配を 見せません。
おそらく、10分近く 経ったところで、
子供の用事で 中断せざるを得なく なりましたが、
それでもまだ、しっかりとした存在感を 残していたため、
その用事が 済んだ後も、続けて 感じ取ることにしました。
そのうち、胸の痛みは、喉の痛みも 伴うようになり、
なかなか 消え去ることなく、さらに5分くらい、感じ続けました。
ようやく、徐々に徐々に小さくなっていき、 どうにか収まりましたが、
それでも、その時には、完全には 感じ尽くせませんでした。
さて、推測でしかありませんが、おそらく、合計で15分近く
(実は、体感としては、30分近く!)、
強烈な感情・感覚を 感じ続けていた結果、
終えてみると、胸に、物理的な痛みが、数時間残りました。
それほど、強烈なエネルギーでした。
ところで、
そこまででは、ただの、大きな・ 強いブロックの浄化の話でしかありません。
あるいは、
頭・顕在意識では、エネルギーブロックの強さ・大きさは ちゃんと把握できていない、
という話でしょうか。
その時、僕が驚いたのは、
浄化後に、8カウントの呼吸(深呼吸)を していると、
大きく息を吸ったときに、今までよりも多く、 息が吸えるように なっていたことです!
それまでよりも、1.5cmくらい、肺が、上の方に拡がった・ 広くなった感覚なのです。
正確には、
これまで、その部分が、エネルギーブロックによって、 閉じてしまっていた、
ということなのでしょう。
津留さんは、
エネルギーブロックが、 脳の神経シナプスの連結部分に 薄い膜を作り、
そこから先の 脳神経回路を 使えなくしてしまう、 という話をしています。
あるいは、エネルギーブロックが、身体の各所に コリを作り、 溜まる話 もしていますね。
エネルギーブロックは、あるいはその浄化は、
物理的な・肉体的な身体と、 極めて密接に 関連しているということを、
実体験をもって、強く、再確認しました。
そして、エネルギーブロックに対しては、
身体側からの働きかけも、とても重要である、
という認識を、妻ともども、新たにしているところです。
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