2014年4月30日水曜日

思考によるエネルギーロス

ここ数ヶ月、
仕事の上で、あるいは家庭の中でも、
新たなことをすることが多くて、

そしてそれは、会社であれば「プロジェクト」と呼ぶような、
少し規模のあるというか、連続性のある行為群のものが多いのですが、

そういうことをしていると、
どうしても『思考』に入ってしまうことが多いです。

やはり、
 「うまくやろう」という想いとか、
 「これでよいか? よりよい方法はないか?」とか、
 「結果がしっかりともなうだろうか?」とか、
そういうたぐいの想いが湧き上がってきて、
気づかぬうちに飲み込まれている・一体化していることが多いです ^^;


それでも、
ここのところ、以前に比べると、
思考が止まってきているというか、
思考を眺められているというか、
思考との一体化が止まってきているというか、
そんな自分でいられるようになってきた実感があります。

そんな自分でいられる頻度が高くなってきた、
そんな自分でいられる時間が長くなってきた、
そんな感じがしています。


そんな状態になれて、
そこで初めて感じることができたことがいくつかありますが、

その一つで、そして特によく感じることに、
 「(これまで)普段、いかに『思考』によってエネルギーを消費していたか」
ということがあります。

思考が止まっている状態、
思考と距離を置いている状態でいると、
 「それまでの普段の自分が、いかに、疲れた状態にいたのか」
ということに、気がつきました。

 「思考をするということは、いかに多くのエネルギーを使うことなのか」
 「思考によって、いかに多くのエネルギーを浪費しているか」
 「思考していることによって、どれだけ疲れているか」

そんなことを、少し思考が止まった状態の自分から、
感じるようになりました。

津留さんが、メッセージ集の中で、
 人間は『エネルギー使い』だ
という表現・言葉を使っていますが、
まさにその表現通りなんだなぁと、実感しています
(津留晃一メッセージ集『新人類への覚醒進化プログラム』「その間にあるもの」)。


私たちは、普段、まさに、「思考によるエネルギーロス」を起こしているのですね。

そして、普段の自分が、それが普通の状態だと思っている自分が、
既にエネルギーを浪費した、疲れた状態の自分である、ということ、

ゼロの地点、基準点だと思っていたところが、
すでにマイナスの地点であったこと、

そんなことを、体感しています。