2014年10月31日金曜日
写真・北海道旅行記5 ー二風谷での祈り
摩周湖を後にして、
硫黄山、屈斜路湖を経て、
宿に戻りました。
宿では、
すぐに、荷物をまとめ、朝食。
そして、
夜にはムササビが舞った、露天風呂に身を浸け、
早朝の摩周湖鑑賞で、少々、冷えた身体を、
芯から、温めました。
そういえば、
その朝は、気温12℃。
その時期としては、異例なほど、暖かく、
そのおかげで、
薄着の僕でも、ゆっくりと、湖を眺めることができました。
とても、ありがたいことでした。
そして、宿を出た僕は、
一路、進路を西に取り、
『平取(びらとり)』に向かいました。
鹿児島で、霧島に伺ったとき、
当地でお世話になった方に、
「次は、北海道へ行くのですが、おススメの場所はありますか?」
と、尋ねました。
妻の、裕子さんに、
そう、尋ねるように、言われていたのです。
「義経神社」
その方は、ためらい無く、そう、おっしゃいました。
帰宅後、調べてみると、
ご祭神は、源義経で、
択捉探検で有名な、近藤重蔵が建造、とのこと。
場所は、「平取町」。
『源』義経の神社が、『平』取町に建てられているのは、
なんらかの、意図があることと思います。
「『源氏』と『平家』の和合」というテーマにも、
個人的に、少しですが、関心もあります。
そんなわけで、
道東からの帰り道には、
平取町を訪ねることは、決まりました。
「でも、せっかくだから、もっと、他には、ないかな ... 」
と思い、
「『アイヌ』、『聖地』」
のキーワードで、検索してみたとき、
トップで出てきたのが、
『二風谷』
でした。
二風谷のことは、詳しくは、知りませんでした。
アイヌの方々の聖地ゆえに、彼らが反対したにも関わらず、
ダムが造られてしまった場所である、ということは、知っていました。
でも、それ以外のことは、何も知りませんでした。
どのような聖地であるのかも、知りませんでした。
そこで、検索で引っかかったサイトを見てみて、
驚きました。
二風谷があるのも、「平取町」だったからです!
二風谷ダム、それによってできた二風谷湖、
そのほとりにある、アイヌ文化博物館などからは、
義経神社まで、車で、10分ほどの距離だそうです。
そうなれば、二風谷にも、
伺わない理由は、ありません。
そして、
伺うのは、そちらの二カ所だけで、充分なように思いました。
こうして、
道東からは、平取町を経由して、新千歳空港に戻ることに確定しました。
さて、帰路。
道中は、小雨が舞うこともあったものの、
基本的には、安定した天候で、順調に、進みました。
飛行機や、レンタカー返却の時間から、
逆算して立てた、目安の時刻よりも、若干の余裕を持って、
車は、極めてスムーズに、晩秋の北の大地を、クルーズして行きました。
枯れ葉舞う道を、どこまでも、どこまでも、ドライブしていく感覚は、
とても、「非日常」感が強く、
旅行をしていることを、特別なことをしていることを、
強く実感することができました。
そして、午後2時。
突然、携帯電話が、音を立てました。
見ると、メッセージが入っています。
車を停め、読んでみると、妻からでした。
「午後3時には、どこに居る予定ですか?」
そう、書いてありました。
午後3時?
あと、1時間後です。
事情も、よく分からないので、
妻に、電話をしました。
すると、
少々、気持ちを高ぶらせた感じの妻が、
しかし冷静に、こう、説明してくれました。
「さっき、たまたま、『シャンタン』さんの Facebook を見たら、
今日、午後3時に、『カルキ・バガバン』さんも参加される、
祈りのイベントが、行われるそうです。
日本列島を『龍体』に見立てた場合の、尾っぽである『九州』から、
新たなエネルギーを送り出し、
それを、『不二阿祖山太神宮』まで送り、
そこから、さらに、『北海道』にまで届け、
日本全土に、新しいエネルギーを行き渡らせる、そのための祈りで、
それによって、旧きエネルギーを崩し、旧き意識を揺り動かし、
そして、新たな意識、新たな地球に進むよう、
まず、雛形たる日本を、変えていく、ということを、意図しているそうです。
シャンタンさんは、今、発信地である、九州に居て、
そして、多くの方の参加を、呼びかけています。
あなたは、午後3時には、どこに居て、そして、祈りに参加できそうですか?」
シャンタンさんは、
日本人として、最初に、Oshoのコミューンに入られた方の一人で、
これまでにも、さまざまなワークを、主催されている方です。
そして、普段は、
Oshoや、カルキ・バガバン、そして、津留さんのメッセージを、
Facebook を通じて、ご紹介なさっています。
津留さんのメッセージをご紹介くださるにあたり、
事前に、われわれの許可をとってくださり、
そして、これまでに、2度ほど、津留さん交流会にも、ご参加くださっています。
その、シャンタンさんが、
今、『九州』にいて、そのイベントを、主導されているとのこと。
カルキ・バガバンさんも、かの地から、ご参加なさるとのこと。
『九州』といえば、3週間前に、鹿児島を訪れ、
しかも、その際には、霧島神宮、高千穂峰を、ご訪問させていただいたばかりです。
『不二阿祖山太神宮』も、泰平さんのブログで、その存在を知り、
また、シャンタンさんにご紹介されて、
この夏、家族でご参拝させていただいたところです。
しかも、それらのエネルギーを、
今、僕が居る、『北海道』にまで、送り届けたい、とのこと。
そのイベントの存在を、
その、開始1時間前に、知りました。
しかも、
午後3時には、平取町に、着いている予定です!
これは、何かありますよね?? ^^
そこで、妻には、こう、伝えました。
「午後3時には、平取町に、着いてる予定です。
その時間には、二風谷にも、義経神社にも、伺えます。
どうするのが、良さそうか、シャンタンさんに、訊いてもらえる?」
妻は、メールで、シャンタンさんに、伝えてくれました。
僕が、3週間前に、鹿児島・霧島に、伺ったこと。
夏に、不二阿祖山太神宮にも、伺ったこと。
そして、今は、ちょうど、北海道に居て、
今朝は、日の出前から、摩周湖を訪ね、お祈りをささげたこと。
そして、午後3時には、平取町に、着いていそうなこと、を。
しばらくすると、
シャンタンさんから、僕に、電話がかかってきました。
「それは、ぜひ、二風谷で、お祈りに参加してください。
そして、そこには、『レイラ』さんという、
バガバンが、インドにご招待したことのある人がいるはずですから、
訪ねてみてください」
これで、
どこで、何をするか、決まりました。
ただ、『レイラ』さんという方をご訪問するには、
どうしたらいいでしょう?
僕は、その方が、どんな方か、存じ上げません。
そこで、とりあえず、
シャンタンさんからの、電話の内容を、妻に、そのまま伝え、
その上で、妻から、アイデアをもらうことにしました。
すると、妻は、僕の話を聞きながら、
すぐさま、こう、言いました。
「『レイラ』さん?
『レラ』さん、ではなくて?」
妻には、心当たりがあるようです。
その件に関しては、後ほど、連絡をもらうことにして、
とりあえず、再び、車を走らせました。
そのとき、車を停めて、電話をかけていたところは、
橋のたもとの、空き地でした。
その橋を渡ってみると、その橋の名は、
「竜門橋」
でした。
「ここからは、聖域に、入って行くんだ」
そんな気が、しました。
妻からの、折り返しの電話を受ける前に、
「二風谷アイヌ文化博物館」に着きました。
そこで、妻に、電話をしました。
妻は、すでに、調べていてくれました。
「『レイラ』さんという方は、分からないけど、
二風谷在住の、『アシリ・レラ』さんという、
アイヌのシャーマンの方は、知ってます。
8月の、八ヶ岳のイベントに、出演されていたから」
「ただ、『レラ』さんを訪ねるとしても、
そのご訪問先は、分かりません」
妻のブログにあるとおり、
8月に、家族で、旅行をしたときに、
妻は、八ヶ岳で、イベントに参加したのでした。
そこに、出演者として、参加されていた方の一人が、
『アシリ・レラ』さんでした。
ちなみに、
そのイベント終了時に、会場で、
泰平さんに、再会していたので、
今回の、摩周湖といい、二風谷といい、
どちらも、そのときにイベントが、絡んでいるんですね ^^ 。
さて、
シャンタンさんに言われた、僕が訪ねるべき方は、
『レイラ』さんなのか、それとも、『レラ』さんなのか、
不明なまま、
しかし、とにかく、
他に、思い当たる手段も無いので、
二風谷アイヌ文化博物館の受付で、聞いてみることにしました。
「『レイラ』さんという方は、こちらにはいらっしゃいませんか?」
「『レラ』さんなら、向かいの○○の横の道を ・・・ 」
やはり、『レラ』さんでした。
そして、『レラ』さんのお宅を、お聞きすることができました。
そこからは、車で、数分の場所のようです。
その時点で、14:50でした。
そのとき、
すべてが、一筋の流れに乗っているように、感じられました。
『レラ』さんのお宅は、
すぐに、分かりました。
訪ねると、
ビックリするほど、あっさり、
お宅に通してくださいました。
ただ、
『レラ』さんご本人は、接客中でした。
そして、すぐに、
15:00のタイミングが、やってきました。
そこで、10分間ほど、
その場で、『レラ』さんのお宅で、
お祈りをさせていただきました。
その後、
しばらく、待たせていただきましたが、
そのご用件は、当分、終わりそうにない雰囲気でした。
レンタカーの返却時間、飛行機の時間があったので、
ご訪問趣旨を紙に書き、残し、
そして、その場を立ち去りました。
結局、
『レラ』さんには、お会いできずじまいでした。
流れに、乗っていたはず、ですが、
お祈りの依頼・お誘いをできないばかりか、
お会いすることすら、叶いませんでした。
ですが、
不思議と、
流れには乗ったまま、という感覚がしました。
「これで、良かったはず」
と、
感じることができました。
その直後、
二風谷アイヌ文化博物館に戻り、車を停め、
二風谷湖のほとりへ向かい、
そこで、改めて、
お祈りをしました。
そこでは、
先ほどの、『レラ』さん宅でも、同じでしたが、
アイヌの方々の、
過去の、様々な『想い』・『記憶』・『エネルギー』に対して、
『謝罪』『共感』『感謝』『赦し・赦され』『和合』
といった、
そんな想いを持って、
お祈りさせていただきました。
それと同時に、
アイヌの方々だけでなく、
日本の、そして、地球上の、すべての、
『被支配民族』『被差別民族』の方々の、
過去の『想い』・『記憶』に対しても、
それらへの、
『謝罪』『共感』『感謝』『解放』
といったことを、意識し、
お祈りをしました。
「旧き『エネルギー』の『解放』『浄化』」
をお祈りし、
そして、
「新たな地球への移行」
を、
祈念いたしました。
『レラ』さんのお宅にお邪魔しているときに、
その、お宅の雰囲気や、
そこに集っている方々の雰囲気などから、
アイヌの方々と、
ニュージーランドの『マオリ族』との、
相似を、関連・連携のようなものを、
強く、深く、感じていました。
なので、
特に、『マオリ』の方々や、
あるいは、『ネイティブ・アメリカン』の方々、
『マヤ』『インカ』といった方々を意識して、
祈りをさせていただきました。
その後、
二風谷ダムの横をとおり、
義経神社にご参拝させていただきました。
美しく葉々の色づいた樹々をバックに、
義経神社は、ひっそりと、たたずんでいました。
そこでは、
「『源氏』と『平家』」「血族」
「『北海道』と『内地』」
「『北海道』と『北米』」
といったことにまつわる、
『対立』『執念』『和合』『解放』
といったことを意識して、
お祈りをさせていただきました。
「新たな地球、新たな人類の文明」
それらの招来と、進展・発展における、
北海道の役割、ということについて、
そして、それらの順調な遂行について、
お祈りさせていただきました。
広大な大地
四方に広がる海洋
深い森林
各地に湧く温泉
清純な水、空気
約200%におよぶ食料自給率
「深い雪」とて、
上手く活用・運用することができれば、
夏場には、貴重なエネルギー源となります。
そんな、
「これからの『日本』『地球』」
における、
『北海道』の役割と、その可能性について、
その道のりは、必ずしも平坦ではないかもしれないけれど、
でも、しかし、
それは、とても重要で、とても明るいものであると、
感じずには、いられませんでした。
こうして、
鹿児島・『霧島』
からの、一連の流れによって、
北海道・「『霧』の摩周湖」、「二風谷・義経神社」
へとつづいた旅は、
いったんの、終息を迎えました。
しかし、それも、
「完全な終息」ではなく、
「いったんの休息」
であることは、
なんとなく、分かっています。