2014年9月25日木曜日

『情報』の希求・活用と、『情報』の消去


津留さんは、
創造・浄化に関して、
 「集合意識から、かけ離れたことをするのは、難しいですよ」
と、言っていました。


メッセージ集の2番目、
人生はゲームである」にあるとおり、

私たちは、
『集合意識』として、『人類』として、
共通の『ルール』を、持っています。

 「身長150から200㎝ぐらいの肉体をまといます。
  脳細胞は数%だけ使用可能。
  見える範囲は全振動領域の0、001%だけに制限する。
  平均プレイ時間は80年、ただし最高は120年まで。」

そんな、
人類として、共通の、標準的な、
 『ルール』『限定』『制約』『条件』
を、持っています。

 『初期設定』
 『初期ブログラム』
というような表現も、
使えるかもしれませんね。

あるいは、
 『デフォルト設定』
というような表現も、
いいかも、しれません。

 「特に操作や設定を行わなかった際に使用される、
  あらかじめ組み込まれた設定値」
まさに、そんな感じだと思います。


 「『地球』で、『人間』をする」
場合には、
その最前提のところで、
みな、共通して、

そのような、基本ルールを、
自らの内に、『内包』しています。

たとえば、
メッセージ集「変容」にあるように、

わたしたちは、みな、
共通して、
 「火は、熱い」
 「火に当たれば、やけどをする」
という、『基本ルール』を、
自らの内に、『内包』しています。

ですから、
何も知識も、経験も、無い、
あかちゃん であっても、

火に触ると、
やけどをし、痛みを感じ、
そして、水ぶくれになります。

ただ、
何らかの意図があって、
生まれてくる前に、
 「火は、熱くない。やけども、しない」
と、
特別に、『設定』してくることもできます。

その場合には、
火は熱くないし、やけども、しないでしょう。

ですが、
特に、そのようなことをしていなければ、

みな、
その、共通ルール、基本ルールに沿って、
人間として、生きていくことになります。

あるいは、
そのようなことをしていない『項目』に関しては、
無条件に、
全体としての、共通ルールに従うことになります。

そして、
最初の、津留さんの言葉は、
僕なりに、事例を使って、解釈すると、

 「『食べなければ、生きていけない』というのも、
  人類全体としての、基本ルールに過ぎないので、
  食べないで生きていくことも、可能」
 「『人は、テレポーテーションできない』というのも、
  人類全体としての、基本ルールに過ぎないので、
  テレポーテーションすることも、可能」
 「ただ、それらのルールから、大きく離れるのは、困難だし、
  ルールが強固なものであるほど、そこから離れるのは、困難」

ということを、言っていたものと、思います。


さて、
そのような、
 「『人類』としての、『ルール』『法則』」が、存在しているのだ
と、
認識できた段階で、
理解できた・納得できた段階で、

それらに対しては、
大別すると、
3通りの、対処の仕方があると思います。


一つは、
 「何も、しない。」

 何もせず、
 ただ、翻弄(ほんろう)される。

あるいは、
 何もせず、
 ただ、受け入れる。

それらも、
確かに、
一つの方法です、

もし、
そうできるなら ...


二番目の方法は、
 「それらの、『ルール』『法則』を、積極的に活用する。」

 「そのような『ルール』があるのなら、
  ぜひ、それらを『知って』、
  そして、できるだけ、取り入れて、活用して、
  そして、自分の人生を、豊かに、幸せにしよう」
そんな、スタンスです。

いわゆる、「スピリチュアル」なこと、「精神世界」のことに、
目覚めると、興味を持つと、

最初にやってくるのは、
最初に興味を持つのは、

そのような、
いわゆる「世間一般の『常識』」とはかけ離れた、
あるいは、
世間一般には『隠された』、

 「人類としての『ルール』」
 「地球物質界の『法則』」
に関する『情報』だと思います。

そして、
 「そんな『ルール』を、できるだけ多く、知りたい」
 「そして、できるだけ多く、活用したい」
 「その結果、できるだけ、それらからのメリット・アドバンテージを受け取って、
  自分の人生を、豊かにしたい。幸せになりたい」
 「そして、『安心』したい」

そう、思われることと想います。

 「こころに想ったことは、現実化するらしい。
  だから、僕は、『金持ちになりたい』と、毎日、念じよう」
 「『感謝』すると、パワーが増して、実現力が高まるらしい」
 「この食べ物は、特別に、身体と魂に良いそうだ。毎日、食べよう」
 「この飲み物は、波動を下げるそうよ。飲むのをやめましょう」

そして、
このような対応を、とられることと想います。


そのような対処の仕方を取られることは、
それは、それで、
とても自然な有り様だと、思います。

そうすれば、
これまで以上に、
物質世界的に、三次元的に、
たとえば、豊かに、
たとえば、よりパワフルに、なるのですから。

ただ、
そのような対処の仕方をとられた場合には、

まるで、あたかも、
『情報』は、『ルール』は、あるいは『答え』は、
 「自分の外側にある」
かのように、認識するようになります、
自然と。

なぜなら、
そのような『情報』は、
「だれか『他人』」から、聞くからです。
「だれかの『本』」から、知るからです。

あるいは、
「外側に存在している『他人』を観察すること」によって、分かるからです。
「外側に存在している『物質界』を観察すること」によって、知るからです。
なので、
まるで、
「外側に存在している『他人』『物質界』の中に」、
それらの『ルール』『法則』が存在しているかのように、見えるのです。

こうして、
私たちの意識は、
 「外側へ、外側へ」
向いて行きます。

 「外側の『情報』へ」
 「外側の『知識』へ」
意識は、向かっていきます。

 「外側に向かって、『知ろう』『知ろう』」
と、します。

スピリチュアルなことに興味を持たれて、
 「世間一般の『常識』ではないところに、『真実』がある」
ということに気づかれても、

なかなか『思考』が止まらず、
どうしても「『意識』が外へ、外へ」行かれる方が多いのは、

いえ、
むしろ、そんなことに気づかれたからこそ、
より、加速して、
 「意識を外に向けて、
  外で『情報』を、『知識』を、より多く、手に入れて、
  そして、自分を幸せにしたい。安心したい」
という状況になられているのは、

そんな理由があるのだと想います。


 「権力とは、情報である」
と、言われるように、

これまでの社会は、地球は、
そのような、
 「『秘密』の『ルール』」
 「『魔法』の『法則』」
を、
より多く握ったものが、
より多く知ったものが、
より多く活用したものが、

より多くの物質を、お金を、占有し、
より多くの能力を、手に入れ、
より強い力を、手にしてきました。

つい最近までは、
ほんの一握りの、一部の人々にだけ、
独占されていた、秘伝とされてきた、
そんな『情報』が、

いま、
すこしずつ、
私たちの、手の届くところに、『しみ出て来ている』状況では、

 「魔法の魅力に取り憑かれてしまった」
かのように、
これまで以上に、
 「外に外に、さらなる情報を求める」
ことは、

それは、それで、
一つ、とても自然な、当然の有り様だと、
思います。


ところで、
対処の仕方としては、
もう一つ、あります。

それが、
 「そのような『ルール』そのものを、越えていく。」
 「そのような『法則』そのものを、消去していく。」
そんな、方法です。

先の、メッセージ集の、火の例にあったように、
 「火とは、必ずしも、熱いものではないのだ」
と、『信じてしまった』人が、
「火渡りの行」を行っても、やけどをしないように、

いままで、存在していた、自分を閉じ込めていた『ルール』そのものを、
 越えてしまう
 影響を受けなくなってしまう
 卒業してしまう
あるいは、
 無くしてしまう
という対処の仕方が、あります。

先の、2番目の対処が、
いわば、
 「『地球人間ゲーム』の中で、
  より上手く、より良く、より強く、より有利に、
  対応し、プレーしていく」
方法である、
と言えるのに対し、

この、3番目の対処は、
 「『地球人間ゲーム』そのものから、卒業していく」
方法であり、
あるいは、
 「『地球人間ゲーム』そのものを、終わらせていく」
方法である、
と言えます。

そして、
 『浄化をする』
とは、

まさに、
そんな、対処をする際の、
 具体的な手段
であり、
 最適な手段・方法の一つ
です。


私たちは、
楽しみたくて、楽しみとして、
自らの意思で、
『ゲーム』をしてる存在です。

そんな私たちにとっての、
ゲームを、ゲームたらしめるための、
 『ルール』『制約』『条件』
が、
先の『法則』であり、『情報』です。

ゲームを楽しむためには、
それらのルールに、従う必要があります。

私たちは、
自ら、それらのルールを受け入れました。

そして、
ゲームをうまく『楽しむ』ためには、
それらのルールを、上手に使っていくことが、
条件の一つです。

あるいは、
そのルールを、うまく活用し、適用し、
場合のよっては、『裏技』活用しながら、
ゲームで『勝って』いきます。


ですが、
それは、
『ゲーム』です。

いくら、上手くプレーするための『コツ』を知ったところで、
裏技とも呼ぶべき、貴重な『情報』を手にしたところで、
そこは、
ゲームの世界です。

二極の、極限の世界です。

上手くいくこともあれば、
必ず、
上手くいかないこともあります。

勝つこともあれば、
必ず、
勝てないこともあります。

そして、
マイナスこそが、
プラスの楽しさを生み出している世界です。

ネガティブこそが、
ポジティブの良さを生み出している世界です。

そんな、
 『二極の世界』
 『比較の世界』
 『相対の世界』
に関しては、

 「もう、充分に体験しました」
 「その楽しさは分かるが、もう、充分に楽しみました」
 「苦しさ、哀しさ、辛さは、もう、必要ありません」
そんな風に想い、感じる方々は、

もう、
ゲームを続ける必要はありません。

もちろん、
そんなゲームを、楽しいと、お感じの方は、
そんなゲームを、引き続き、楽しみたい方は、
これまで通り、
ゲームを楽しんでいただければ、と思います。

ただ、
私たちは、
自らの意思で、
ゲームを始め、ゲームを続けているように、

自らの意思で、
ゲームをやめることができます。
ゲームから卒業することができます。

そして、
ゲームそのものを、終わらせることができます。

 「こんなゲームは、もう、十分です」
と、お感じの方は、
どうぞ、
このゲームから、離れていただければ、と思います。


人間となり、
人間を極め、
充分に、十二分に、
このゲームを楽しんできた、私たちは、

いま、
全体としては、
神に還り始めたところです。

それは、
とりもなおさず、
 「このゲームを、やめにする」
 「このゲームを、終わらせていく」
ということです。

いま、
全体としての、私たちは、
その、入り口に、さしかかったところです。

これから、
私たちは、

これまで以上に、
 一人、また、一人
と、
このゲームを、やめていき、

さらに、
 一人、また、一人
と、
このゲームから、卒業していき、

そして、
その結果として、
その積み重ねとして、

全体として、
このゲームそのものを、終わらせていく、
ところです。

ゲームをやめ、
卒業し、
終わらせていくための方法は、

これまでの『ルール』に、従わず、
それらを、超越し、
そして、
それらを、消し去っていくことです。

そのためには、
ルールへの、
恐れを無くし、
そして、それらに影響されない状況になることです。

人類の一定数から、
それらに対する恐れが無くなり、
人類の一定数が、
それらのルールに従うことをやめれば、

それらのルールは、
自動的に、不要なものとなります。

結果、
自動的に、消滅します。

そして、
そのための、そうするための、
具体的な方法こそが、
そんな方法の一つが、
『浄化』になります。