2014年9月8日月曜日
続・パソコンの例え(「『アファメーション』と『浄化』」続き)
前回、
「『エネルギーブロック』というのは、
旧い、不要な『コンピューター・プログラム』のようなもので、
それを『アンインストール』する行為が、『浄化』だ」
ということを、書きました
(過去記事「 『アファメーション』と『浄化』 」)。
そこでは、
すでに、話が長くなっていましたし、
それに、
これから書くことは、
僕自身が、『体験的』に理解できたことではなくて、
津留さんが言っていたことを、
『頭』で、理解したことなので、
項を改めて、
ここに、
書かせていただきます。
さて、
さきに扱ったのは、
『エネルギーブロック』
という、
パソコンでいうところの
『プログラム』
の話だったのですが、
津留さんによれば、
『記憶』
も、
これ、
パソコンでいえば、
『データ』
に当たると思いますが、
それも、
実は、
「『保存』しておく必要はない」
のだそうです。
確か、
どこかの、講演会CDの中で、
言っていたことだと記憶しているのですが
( すみません、津留さんに言われるまでもなく、
「『記憶』を『保存』しない(できない?)」人間なので、
定かでないです ... ^^; )、
「ところで、なぜ、日記をつけるのですか?
思い出せるように、情報を保存するために、つけるのですか?
必要な情報は、必要なときに、思い出せます」
って、言っていました。
そして、
そこで津留さんが言っていたかは、
さらに、定かではないのですが、
そのように、
「思い出せるように、記録をつける」
という行為は、
「自分は、記録しないと、思い出せない」
という思考を、
行動によって、
さらに、強めいている・裏打ちしている、ことになるので、
「必要な情報を、ただ、思い出す」
ということが、
ますます、できなくなることになります。
情報は、記憶は、
すべて、
「『大我』としての自分」
が、
記録・保存しているんだそうです。
それは、
『大我』の、
『真我』『集合意識』『宇宙』の、
担当・役割、なんですね。
そして、
「『小我』が必要な情報・記憶」は、
必要なときに、
ちゃんと、『小我』に送られて、
『小我』としての自分は、
それを、思い出せるんだそうです。
これまでの、
『パソコン』の例にたとえれば、
『データ』は、
すべて、
『ホストコンピューター』
に、
自動的に、保存されます。
あるいは、
『データ』は、
すべて、
『インターネット』経由で、
『クラウド』に、
自動的に、保存されます。
なので、
手元の、『端末(クライアント)』には、
保存する必要が、ないのだそうです。
「『クラウド』に、ちゃんと、保存されているだろうか?」
「そのデータは、安全だろうか?」
「セキュリティーは、しっかりしているだろうか?」
そんな『心配』が、
手元のパソコンに、
データを、保存させます。
あるいは、
「必要なときに、ちゃんと、インターネットに、繋がれるだろうか?」
「この回線は、絶対、切断しないと、保証できるか?」
「そもそも、この回線は、まだ、ダイヤルアップ並みのスピードなのでは?」
そんな『心配』が、
手元の『ハードディスク』に、
データを、保存させます。
そして、
『心配』だからこそ、
すべての『データ』を、そのまま、保存しておき、
『心配』だからこそ、
場合によっては、
バックアップまでとって、
手元の『ハードディスク』を、
データで、いっぱいいっぱいに、します。
その結果、
余裕のなくなった『ハードディスク』は、
やはり、
動きが重くなり、
『パソコン』は、
必要な作業が、遅くなります。
場合によっては、
やはり、『フリーズ』してしまって、
必要な作業が、できなくなってしまいます。
すべきことは、
『ホストコンピューター』、あるいは『クラウド』を、
そして、『インターネット』を、
『信頼する』こと
そして、
手元の『ハードディスク』を、軽くすること
です。
この場合の、
「すべての情報を記録している『ホストコンピューター』『クラウド』」
というのは、
たとえば、
波動的には、
「発した波動は、すべて、宇宙に存在している」
とか、
あるいは、
スピリチュアル的には、
「アカシックに、すべての情報が、記録されている」
とか、
そのように、いわれていることに、
該当するのだと思いますが、
とにかく、
そのように、
『全ての情報』は、『記憶』は、
ちゃんと、すべて、
『大我』に、『宇宙』に、
存在しています。
保存されています。
ところが、
『心配』で、『信頼できない』から、
そのような『全ての情報』にアクセスできないのであり、
また、
それゆえに、手元に情報を保持する結果、
さらには、
その元となる、『心配』という『恐れ』を抱いていること、そのものの結果、
『パソコン(端末)』は、
きちんと機能できない状態になり、
あるいは、
まったくの、機能不全に落ち入ってしまうのです。
この場合でも、
不要なものを『保持』しないこと
あるいは、
『保持』してしまっていたなら、
それを、削除すること
が、ポイントです。
そして、
できるだけ、軽い状態であること
できるだけ、ゆったりした、余裕のある状態であること
できるだけ、静かな状態であること
が、
大切になります。
そのような状態であれば、
そのような状態を保持できれば、
『パソコン』は、
本来の、驚くべき性能を見せ、
驚くべきスピードで、処理を行い、
あるいは、
驚くべき解決策を見いだしたり、
あるいは、
あらゆるデータを、必要なときに、瞬時に、
取り出して来たりします。
ところで、
「必要な情報を、手に入れるためには、
手元に、情報を保持しないこと」
これもまた、
パラドックスですねぇ〜 ^^ 。
さて、
このように見てみると、
津留さんが、
『物理学』に興味を持って、
大学で『物理』を専攻にしたおかげで、
伝えてくれたメッセージが、
とても、科学的で、かつ、論理的であったように、
大学卒業後に、
『コンピューター』会社に就職し、
『プログラム』を扱い、
そして、独立後も、
『プログラム』会社を経営していたことも、
なにか、
当たり前の、当然の、
「必然であった」
と、
言えそうに、思われます。
そして、
そんなことを『知る』こと、
そんなことを『認識』することが、
さきの『心配』を手放し、
『自分』を、『全体』を、
『信頼する』ということに、
とてもつながっていくのだと、思います。